第四話 「壊し屋ブレイクと奴隷アレイア」
バイラル森林東南部。
木々に囲まれた薄暗い空間を、四つの人影が移動していた。
先頭は鉄童子。
両腕に黒く輝く手甲を身につけて周囲を警戒しつつ歩みを進める。
二番目はフィーナ。
鉄童子にの裾を引っ張りながら彼の後をぴったりとくっついて歩く。
三番目にブレイク。
両手をポケットに入れたまままるで近所を散歩しているかのように特に警戒もせず歩いていた。
最後はアレイア――この女性はブレイクが連れていた奴隷の女性だが、フィーナとは違い装飾の施された動きやすさ重視の服を身につけていた。手には身の丈程の槍を持っている。獣人の女性なので頭部には大きな獣の耳があり、鋭い爪を有した手足が特徴的だ。
「しっかし、まさか俺っち以外にも奴隷の子を連れて歩いてる奇特な人がいるなんてなー」
ブレイクが暢気に話し掛ける。その対象は当然鉄童子であり、話し掛けられた当人は横目でチラリとブレイクに視線を向けたが、すぐに前方へと戻し、周囲への警戒を続けながら言う。
「……それはこっちも同じだ。ここまでの道中、フィーナを奇異の目で見てくる奴らがほとんどだったが……お前は違うんだな」
「魔法が使えるとか使えないとか下らないことに俺っちは執着しないの性質なのさ」
「グリアとかいう奴とは大違いだ」
鉄童子がそう言うと、ブレイクはつまらなそうな顔をした。
「あんな血筋の良さしか取り柄のないクズ魔術師と一緒にしないで欲しいね~……」
近場にあった木の上を確認するブレイク。そんな彼のことを、フィーナは不思議な思いで見つめていた。
奴隷に対して嫌悪を抱かない人物が、鉄童子以外にいるとは全く考えてもいなかったのだ。この世界において、奴隷となった者が大切に扱われることなど決して有り得ないと。人として扱われなかったとしても、それが当然なのだと。
歪んだ常識が、彼女の感覚をおかしくしてしまっていた。
「ねえねえフィーナちゃん」
「は、はい?」
まさか声を掛けられると思ってなかったフィーナは素っ頓狂な声を上げる。
「君って、まだ表向きには奴隷扱いなのかい?」
「ああ……どうなのでしょう。正式に解雇されたり、クロガネ様に引き取られたという訳ではないので……」
「……えーっと、それってまさか無理矢理連れて来ちゃったとかそういう感じのやつ?」
「はい。クロガネ様が連れ出して下さいました」
笑顔でそう告げる彼女に、ブレイクは何とも言えない表情で笑うことしか出来なかった。
――こりゃ後々面倒なことになりそうだ。
「マスター、あのグリアの所から無理矢理奴隷を連れ出したとなると……」
「うーん……そうだな。あいつは自分の所有物に他人が手を出すことを極端に嫌ってるからなあ。あいつがフィーナちゃんをどう思ってどう扱っていたのかは分からないけど、力技で無理矢理どうこうしたっていうんなら、そう遠くない内に報復に来るだろうな」
ブレイクの言葉に鉄童子は足を止めた。
「どういう意味だ?」
「言った通りの意味さ。グリアなんて所詮我儘で自己中心的な考えしか持たないお坊ちゃんだ。力で攻めりゃ勝てない相手じゃないが、問題なのはあいつが持つ財力――金に物を言わせて優秀な兵士なんていくらでも集めてくるからな。そこそこの質のものを数揃えてくるから、実力ある奴でもそうそう相手にしたくないのさ。当然そこは俺っちも同じ」
「……厄介な奴に喧嘩吹っ掛けちまったってことか」
「そゆこと」
険しい表情を浮かべながらも、鉄童子は内心嬉しさも感じていた。
サシで戦った時は鉄童子の圧勝だった。だが実力者すらも避けたがる程に厄介な力というものがあの戦いでは発揮されていなかったと聞いた以上、その力を引き出した上で再び戦いたい――そんな思いがふつふつと湧き上がってきていた。
「ホント、退屈しそうにねえな」
鉄童子は愉快そうにそう言っていたが、肝心の調査の方は難航していた。サイファークローどころか、まともな生物の影も見えない。ブレイクやアレイアも注意深く周囲を観察しているが見えるものは木、木、木――。
「うーん……? 森ってこんな静かだったっけなあ。人に敵意があるかないかは置いといて、普通もっと色んな生き物がその辺を歩いていたように記憶していたんだが」
「はい。その認識で間違ってないかと」
「サイファークローがうろついてるからか?」
「どうなのでしょう……すみません。森の生物の生態等については明るくなくて」
「いんや。別に謝る必要はないさ。誰にでも得手不得手はある」
ブレイクは申し訳なさそうに俯いているアレイアの頭をぽんぽんと叩く。
その光景を見て驚いたように目を丸くするフィーナだったが、すぐ横にいた鉄童子は全く違う所に着目していた。――風も吹いていないのに、木の葉が少し揺れたのだ。
「……………………」
鉄童子は口を開きかけて、止めた。
何者なのかは分からないがここで騒いで警戒させてもいけない。そもそも本当に何かがいたのかも怪しい。ただの気のせいという可能性だってある。
――もう少し様子を見る必要があるだろうな。
「そういえばここら辺って、昔何かいなかったっけ?」
ブレイクの問い掛けに、フィーナとアレイアの二人が首を傾げる。
「何か、と言われても……」
「それは厄介な生物が、という意味なのでしょうか?」
「んー。何て言ったっけな。バイラル森林には昔ちょっと特殊な種族が棲んでたって話を思い出してさ」
「特殊?」
「その辺に転がってる魔物共じゃ太刀打ち出来ないような強力な闇の魔法を使うって話だ。聞いた話の通りなら、そいつらが棲んでる地域には魔物が一切いないらしい。どういった理由で一掃してるのかは分からないがな」
「へえ……つまり、今のこの森みたいな感じですか?」
「そうそうそんな感じ」
「………………」
「………………」
「………………」
何故このタイミングでそんな話を振ったのかと誰もが思った。
空気の読めない人間というものは、どの世界にもいるのである。
「あれ~? どうしたのさ皆そんな射貫くような目で俺っちを見て」
更に言った本人が悪びれもなくこんなことを言うのだから、始末が悪い。
「マスター、あなたみたいな人ばかりではないのです。あまりそういう必要のない情報ばかり垂れ流そうとするのは止めて下さい」
「いやーこの場の雰囲気を和ませようとしたんだけどね」
「……意図はどうあれ話す内容をどうにかして下さい」
「善処しまーす」
何とも気の抜ける会話。
だがそうしてる間にも一行は森の奥へと進んでいる。なのに未だに動物のいる気配も鳴き声も聞こえない。いくらなんでもこれは異常だと感じたのか、フィーナが不安そうに鉄童子の服を引っ張る。
「どうした」
「その……何もいないのが逆に不安になっちゃいまして」
「そうか」
それ以上鉄童子は何も言わなかったが、フィーナを邪険に扱うようなことはしなかった。
先程と違い、フィーナがしがみつく様にしているので幾らか歩きにくくなりそうだなどと考えていた鉄童子は、不意に動きを止めた。視界の端で揺れる木の葉。今度は僅かながらに獣のような影が見える。
――思っていたより尻尾を出すのが早かったな。
「フィーナ、少しだけ離れてろ」
「え……?」
既に手甲を装着していたため、鉄童子の行動は速い。
フィーナの掴んでいた上着を脱ぎ捨て、身軽になった状態で視界の端にいた魔獣へと駆ける。逃げることもせず迎撃するように待ち構えている魔獣の姿が、入り組んだ木々の先に見えた。
巨大な角に獰猛そうな爪と牙。身体の大きさは四メートルといったところか。
そんないかにもな見た目の魔獣が鉄童子に向けて咆哮する。
「鬼神の腕ッ!」
妖力を込めた一撃を、躊躇なく魔獣へと振り下ろす。
当たった……と思った瞬間、魔獣と鉄童子との間に茶色い塊が入り込んだ。
「んだよこれ……!」
茶色い塊ごと魔獣を殴ろうとしたが当然塊に阻まれて拳は届かない。
「これ、土か……!?」
殴った時の感触から何となく察することが出来た。土の塊が鉄童子の攻撃を阻んだのだ。そういえば、サイファークローは土の魔法を使うから注意するようにとギルドの受付嬢が言っていたなと後になって思い出す。
「おいクロガネの旦那、急に走り出してどうし……ああ、なるほど。そういうことね」
遅れてやってきたブレイクも鉄童子と対峙している魔獣の姿を見て大方の状況を把握した。
「こいつが噂のサイファークローだな。俺っちが首を取るから、アンタは援護してくれや」
「はあ? ざけるなよ。こいつを殺るのは俺一人で十分だろうが」
「おいおいここに来て随分と好戦的だな……」
呆れたように呟くブレイクの体から黒い影のようなものが広がっていく。それが彼の両手に収束し、巨大な爪へと形を変えた。
「まあそういうのは嫌いじゃないがね。奴の使う土の魔法は中々に面倒だ。一人でやろうってのは結構リスキーな選択だと思うぜ」
「……ならどうしろって?」
「そんなに取りたきゃ奴の首はアンタにくれてやるよ。代わりに俺っちが援護する」
「へえ……ま、邪魔にならなきゃそれでいいさ」
「随分な自信だな――っと」
サイファークローが地面の土を波のようにうねらせて二人に襲いかかる。
それを防ぐためにブレイクは掌を四角い壁のような形に変化させ、土の波の進行を阻む。
「変化自在な影の手だ。攻撃にも防御にも使える俺っちの十八番よ」
波を防ぎ切った直後、壁になっていた影の手が細長く枝分かれした触手状のものに変化した。先端が針のように鋭い触手をサイファークローの四肢に突き刺さる。
痛みに顔を歪めているが、吠えることはせずに冷静に土の魔法による迎撃を行おうとするサイファークロー。四肢を貫かれているのに対応が早く、しかも最善とも言える手段を取ろうとする魔獣に対して鉄童子は内心舌を巻いた。
「ほらまた波が来る前にさっさと首取っちまえ!」
「分かってるよ!」
右腕を思い切り引き、同時に左腕を突き出すように構える鉄童子。
「鬼銃砲――ッ!!」
勢いよく拳を放つ。その拳の先から、砲弾のように妖力の塊を撃ち出し、四肢を貫かれて動けずにいたサイファークローの頭部を易々と砕いた。頭部を失った巨体はやがてバランスを崩し、横向きに倒れ込む。
「さっきの戦いぶりから生粋の接近戦闘かと思ってたが……なんだよ、アンタもアンタで便利な技持ってんじゃねえか」
「……お前の腕の形状変化程じゃないさ」
ブレイクは「ありがとよ」と返事をしながらサイファークローの亡骸に近付いて、徐に影の爪で足を一本根元から切り落とした。
「お、おい。何してんだよ」
「ん? ああ……元々は調査の依頼だったが、国の方が危惧していたサイファアークローの存在を確認してそのまま仕留めるにまで至れた。運が良ければ追加の報酬も貰えるかもしれないからな。そのための証拠として足を一本持って帰らなきゃならんのさ」
「……面倒なもんなんだな」
「そうなんだよ面倒なんだよ。お偉いさん方は口で言っても全っ然信じてくれないからさー。もうこうするのが一番手っ取り早いんだ」
切り落とした足を担いで、山道で待機させているフィーナとアレイアの元に戻るブレイク。鉄童子もその後に続く。
脱ぎ捨てられた上着を抱えて心配そうにそわそわと体を揺らし、何度も鉄童子らが消えて行った木々の向こうを覗いていたフィーナは、鉄童子の姿を確認するや否や彼の元へと駆けだした。
「クロガネ様!」
「フィーナ」
「お怪我は? 大事はありませんか? ご無事ですか?」
「だ、大丈夫だって。ほら、どこも怪我なんてしてねえだろ」
泣きそうな顔で心配してくるフィーナの勢いに一瞬たじろぐ。
鬼神として謳われてきた鉄童子が勝つのは最早当然であり、怪我らしい怪我もしてこなかった彼のことを本気で心配する妖怪などほとんどいなかった。それ故に今のフィーナのように必死になって身を案じられるとどう対応していいのか分からず、ただただ「大丈夫」という言葉を繰り返していた。
「マスター、ご無事で。……ところでその足は一体?」
「ああ。勢いに任せて仕留めちまったんでな、足で追加報酬とかもらえたらいいなーと」
「なるほど。理解しました」
ブレイクは主を心配する奴隷と何故かオロオロしている鉄童子の方を振り返り、街に戻ることを告げる。
その一行を、遥か遠くから観察している者たちがいたことを――彼らはまだ知らない。