第三話 「冒険者ギルド」
「奴隷の子を私のところに連れてきた人は君が初めてじゃよ」
「はあ……そうなんすか」
「じゃが安心したまえ。私は魔術師じゃろうと奴隷じゃろうと、私の前に現れた以上皆等しく患者。わざわざ態度を豹変させるような愚かしい真似はせんよ」
そう言い切った初老の医者を見て、鉄童子は再び安堵していた。
――なんだ、ちゃんとまともな思考を持った人もいるんじゃないか。
まさかとは思っていたが、グリアの前例がある。彼のようにあれこれと馬鹿げた理屈を並べようものなら、脅しをかけてでもフィーナを治療させようと密かに手甲を付けて来たことは、誰にも知られてはならない鉄童子の秘密である。
「どれ、お譲ちゃん。すまないがその蹴られた箇所というのを見せてくれるかな」
「は、はい」
フィーナはぎこちない動きでスカートを捲る。ワンピースタイプの上下が一緒になっている服装なので、腹部を見せようとすると自然とこうなってしまうのだ。
(おっと……)
フィーナの太ももが見えた辺りで鉄童子は咄嗟に視線を逸らす。
女性というものは下着を見られることを酷く嫌っている。そういうことには元々無頓着だった鉄童子も、かつてちょっとした事故により女鬼の下着姿を目撃してしまい、半殺しにされた経験を持つ。それ以来、女性の下着には妙なトラウマが出来てしまったのだ。間違っても自分から進んで拝みたいとは思わない。
「癒しの風よ 直して治すは汝の特権 故に傷を癒すそなたの力を授け給う……超常回帰」
患部にかざした手の平が光り輝いた。服越しに蹴られたので元々外傷らしい外傷もなかったが、僅かに出来ていた痣が消え、昔つけられたのだろう腕や足にあった傷の跡も見る見る内に消えていく。あっと言う間にフィーナの身体はほぼ傷のない綺麗な状態を取り戻した。
「これでもう大丈夫じゃろう」
「あ、ありがとうございます」
フィーナが服を戻したのを見計らって、医師は鉄童子に「もう大丈夫だよ」と声を掛けた。
「あ……他の傷も……」
「町の噂が広まるのは恐ろしく早い。お主ら、フェイリオの倅の所で一騒動やらかしたのじゃろう?」
「えっと、あの……はい」
「フェイリオの倅の仕打ちは確かに褒められたものじゃなかった。しかし奴の背後に控えておる直属の護衛術師やフェイリオ卿のことを考えると怖くてな。お主に何もしてやれんかった」
「い、いえ……そんな」
「せめてもの償いだ。これで少しは身体の痛みも薄れよう」
フィーナの傷を治し終えた医師はニッコリと笑う。
「じゃが……すまんのう。お主の左目の傷だけは治せんかった。如何せん傷が古過ぎたのじゃ……許せ」
「い、いえ。むしろ他の箇所を全て治して下さったんです。なんとお礼を言えばいいか」
「ほっほっほ。気負う必要はない。料金は腹部の怪我を治した分で構わんよ」
医師の料金という単語が出た瞬間、鉄童子とフィーナが同時にビクンと身体を震わせる。
鉄童子は異世界からの来訪者であるため、この世界の通貨を持っているわけがない。
フィーナもついさっきまで奴隷として扱われていた身。金など持っているはずもない。
「んん? どうした、お主ら?」
「い、いや、実はなご老人……俺たち今……その、金がだな……」
ハッキリと言うべきなのかどうなのか鉄童子が迷っていると、医師はやれやれと言ったように苦笑いを見せた。
「金の当てもなく騒動を起こしたというのか。これまた凄い奴が凄いことをやらかしたもんじゃな」
「…………それについては、面目ねえ」
途中までは格好つけられていたというのに。
威厳もクソも、あったものではない。
「あ、あの! もしよろしければ、何かお仕事をさせてはくれないでしょうか。料金分の働きはしますので!」
「これこれ。それじゃ奴隷と何も変わらないじゃないか。いかんいかん、そんなことは。フェイリオの倅から逃れたお主は、言ってしまえばもう何をするのも自由なんじゃ。これ以上辛い雑務を押し付けられるようなこと、あってはならん」
「で、ですが……」
「代わりに、ギルドを経営している町が近くにある。そこで何ヶ月かでもいいから依頼をこなして、お金が溜まったらその時払いに来てくれれば良い。支払いが遅れる分は……そうじゃな。それまでどんな依頼をこなして来たかという土産話をしてもらうとしようかのう」
目を丸くして驚く二人を差し置いて、医師はまたニコッと笑みを浮かべる。
「場所と内容が違うだけで、金を稼いで後に払ってもらう。内容は変わらんから問題ないじゃろ。正直ここにいても特に任せるような仕事なぞないしな」
それでどうじゃ。と問いかけてくる医師に、二人が反論するような余地は残されていなかった。
◇ ◇
「――で、近くの町に着いたのは良いが……えっと、何て町だっけ?」
「アステルノートです。医師の方も言っておりましたが、この町の最大の特徴は冒険者のためのギルドがあるところです」
「ぎるど……って何だ」
頭上に?マークを沢山浮かべながら鉄童子は問い掛ける。
あまりに初歩的な質問に本来ならば奴隷の者であっても呆れてしまうところだが、フィーナはそういう者だと認識し、可能な限り噛み砕いて説明していく。
「ギルドには国、あるいは民間人の方から様々な依頼が舞い込んで来ます。魔物の討伐、人探し、採取や採掘などその種類は様々で、ギルドにはそういった依頼を受けたい者たちが集います。その中から任意の人物と共に……あるいは一人で依頼を受けると受付の方に報告。そこで正式に依頼が開始されます」
「……ふむふむ」
「あとは達成や失敗に関わらず、結果を改めて受付の方に報告します。達成した場合はギルドか、あるいは依頼主本人から報酬が渡されるというわけです。失敗した場合、また改めて受け直すか他の方々が代わりに依頼を受けるか、という形になります」
「……なるほど」
ここまでの説明を受けて、鉄童子の頭は既にパンクしそうになっていた。新しい知識を一日に何度も与えられるというのは、中々負担が大きい。あまりあれこれ思考するタイプではない鬼なのだから、尚更。
「つまりそこで手頃な依頼を受けて金稼ぎをすりゃいいんだな」
「要はそういうことですね」
今度はギリギリ理解出来た。
「正直言って面倒くさいが、まあ仕方ないか」
「はい。……そうですね」
「どうした? 何か元気ないように見えるが……」
「い、いえ、大丈夫です。行きましょう」
目に見えて元気の無いフィーナのことを気に掛けながら建物の中へと足を踏み入れる。
人の出入りがしやすいようにという配慮なのか、両開きの扉が最初から全開になっていたのは、開け方をよく理解していない鉄童子としてはありがたかった。ちなみに、医者の元へ向かった際は力任せに開けようとした結果扉そのものが枠から外れるという事態が発生していた。
長い年月を生きてきたはずなのに妙なところで脳筋である。
「此処がギルド……張り紙がいっぱいだな」
壁の至る所に張り紙なされていた。
パーティメンバーの募集や特定の誰かに宛てた伝言の書かれた紙、付近の町で開かれる催し物の告知など内容は様々。
その中でも四角い木の枠で囲まれたボードには隙間もない程にぎっしりと紙が貼り付けられていた。何人かの若者が近くのテーブルに座りながら紙を指差し、あれはどうだいやこれの方がなどと会話している。どうやらこれから何かしらの依頼を受けようというらしい。
「へえ……ま、強さはそこそこっていうところか」
若者たちを品定めするように眺めていると、その中の一人が鉄童子に気付いた。
「お? あんたらも依頼を受けに来たのかい?」
若者たちの中で一番がたいの良い男が鉄童子の方に歩み寄ってにこやかに笑いかける。それにを見て、フィーナは素早く鉄童子の陰に隠れた。鉄童子のゆったりとした服と体の大きさも相まって、小柄なフィーナの身体は若者たちから完全に死角となっている。
「まあ……そうだな」
そんなフィーナの様子を不信に思いながらも、特に問いただしたりしない。
「オレたちも今大物を狩ろうと依頼を見ててな。だが中々良いのが見当たらねえ。どれもこれも何かを探してくれとか、小物の討伐ばかりだ」
「……そいつは歯応えがなさそうなもんばかりだな」
あわよくば強い物の怪と戦えるかとも思ったが。
そう上手く事は運ばれてくれないのだな、と鉄童子は密かに溜め息をつく。
「まあ、小物を狩って小金を稼ぐっていうのはアリかもしれないが」
若者がアドバイスするように言う。
が、当然鉄童子は納得しない。
「小金ばっかチマチマ稼いでも仕方ないしな……」
「どうしてもって場合はあっちの受付嬢に言えば、何か新しく仕入れた依頼を紹介してくれるかもしれない。訊いてみるといい」
「そうか。ありがとよ」
若者に勧められるままカウンターに控えていた受付嬢の元へ足を運ぶ鉄童子。その後ろを、フィーナはぴったりとくっついて歩く。
後ろを付いているわけだから、今度はフィーナの姿が若者たちの目にも入る。
「何だあれ? 子供……?」
「奴隷じゃないのか?」
「何で奴隷なんて連れてこんな所に……足手纏いにしかならんだろう」
「魔獣の餌にでもするんじゃないのかね」
「ああ、確かにそれは一興かもな」
「普通の人間相手なら憚られるけど、奴隷相手なら問題ないだろ」
「はははっ。言えてる」
背後から聞こえてくる会話に、鉄童子は小さく舌打ちをした。
――うるせえ。聞こえてんだよ。
あまりに酷い物言いに少し鉄拳を食らわしてやりたい気持ちになったが、つい先程別の町で騒ぎを起こしたばかりだ。医師の知り合いが経営しているというこのギルドで物を壊すわけにもいかず、鉄童子はどうにか寸でのところで踏み止まった。
「クロガネ様……」
フィーナが不安そうに鉄童子の名前を呼ぶ。
「気にする必要はない。さっさと用を済ませるぞ」
カウンターにいた女性は、近づいて来る鉄童子らに気付くとにこやかな笑顔を向けた。
「ようこそギルドへ。ご用件は何でしょうか」
「あー、何か大物狩れる依頼とか無いかなと」
「大物ですか……」
「もしくは報酬の良い依頼、だな」
「なるほど。少々お待ちください」
受付嬢は本のようなものをパラパラと捲って何かを確認している。
「大物を狩れる――かは分かりませんが、狩れる可能性のあるものでしたらご用意出来ます。報酬金額も悪くはないかと」
「可能性? どういう意味だ?」
「森林の周辺調査です。近頃バイラル森林東南部でサイファークローが目撃されたという報告がいくつか出ていますので、国の方から調査依頼が来ていました」
「さいふぁ苦労?」
「サイファークロー。見た目は巨大な四足の獣ですが属性魔法に対する耐性がおそろしく高いのです。更にサイファークロー自身が地属性の魔法を使ってくるため非常に厄介なモンスターなんです。対峙される際は十分なアイテムと魔法の準備を」
情報を聞いて高揚感を隠しきれない鉄童子。
「へえ、そういうのを聞くとやり合いたくなるな。その依頼、受けてもいいか?」
「構いません。しかし、見たところお一人のようですが……」
「一人じゃねえ。フィーナも一緒だ」
受付嬢が少し身体を傾けると、鉄童子の後ろに女の子がいるのが見えた。
「ああー……お言葉ですが相応の実力を伴った方でないとサイファークローの討伐は難しいかと。調査に行って合間見えるかどうかはまだ分かりませんが、あなたはともかくその子にもしものことがあっても大変でしょう」
「うっ」
そう言われてハッとした。確かに鉄童子ならば並大抵のモンスター相手でもまず負けることは無い。しかし、フィーナは魔法が使えない上何の道具も持ち合わせていないのだ。自衛力も当然低い。ここで何か起きてしまっては何のために鉄童子がグリアをぶっ飛ばしたのか分からなくなる。
「じゃあどうしろってんだ……」
せっかく見つけた面白そうな依頼。
しかし、フィーナの安全云々を考えるとここは諦めるべきだという考えも当然出てくる。
受けるべきか否か。
鉄童子が頭を抱えてあれこれ悩んでいる時、背後から声を掛けられた。
「随分お困りみたいだな。若い旦那」
受付嬢含め、3人の視線が一人の男に向けられる。
「手が足りないなら、俺っちが手を貸してやろうか」
「……あんたは?」
鉄童子の問いに男は掛けていたサングラスを外して答えた。
「俺っちはブレイク・フル・ブラッド――半分吸血鬼の壊し屋さ」