九話 窮屈
九話です。
執事に促され中へ入ると、こちらとテーブルを挟んだところに立っている体格の良い男性が右手を胸に当て、恭しく礼をする。短めに切ってある赤い髪に精悍な顔つきは街の領主というより、歴戦の戦士といった印象を受ける。
「今回の任、お疲れ様でした聖女様。さぁ、立ち話もなんですから座って下さい。護衛の方々もどうぞ楽にして下さい」
その顔つきからは想像もできないほどに丁寧な話し方で席を勧められる。領主をやっているのだから当然のことなのだろうが、どうにも違和感を拭えない。
俺たち三人は楽にしろと言われたところで、護衛の役割を外すわけにはいかないためソファに座っている聖女の後ろに立つ。領主も座る位置を変え聖女と対面する形となる。領主よりも立場が上なのを考慮したのだろう。
「聖女様、今回の任はうまくいきましたか?」
みなが位置に着き、聖女と領主が執事の持ってきた紅茶を飲み一息をつき、頃合いを見て領主が切り出す。
「多少不測の事態が起きましたが、一応は問題なくいきました」
「不測の事態と……。それはなんですかな?」
聖女の発言に驚いたのだろう、多少前にのめりつつ聞いている。不測の事態が起きたのならば、まぁありえない反応でもないか。聖女が言う不測の事態なんて、どんな大事かと思う。しかし、それに対する聖女の返事はとても不測の事態があったとは思えないほど柔らかく、静かだった。
「私たち全員が盗賊に捕まってしまったという程度ですので、ご安心下さい」
「盗賊ですと!? 兵の報告では無かったはず……して、その盗賊はどうなったのですか? 聖女様が今無事にいるということは、やはり?」
「はい。私たちの向かった村から少し離れた森の中にある洞窟を拠点にしていたらしく、私たちが来る前に村の少女たちを攫い、村の人達は逆らうことができず、宿で寝ているところを捕まってしまいました。ですが、このグリードさんが危ないところを助けてくれたんです。そこから私たちの護衛に加わってもらっています。あと、村の少女たちも全員無事でしたのでご安心下さい」
「なるほど……。しかし、聖女様達が無事で本当に良かった。グリードさん聖女様がたの命を救ってくださり、心から感謝します」
そう言われても困る。聖女が本当の事を言わなかったのは事を大きくしたくないからだと思うのだが、謝られたところで主犯が俺なのだ。この謝罪を受けてもダブルスタンダードでしかない。とはいえこの謝罪を受けなかったら不審に思われるだろうから受けておくほかない。
「偶然居合わせただけのことです。礼を言われるほどではありません」
先ほど領主のやっていた礼を真似て返事をする。ふと横を見れば、驚きからか口を半開きにしたエレナとエミリーがいた。いや、そこまで驚くことだろうか。捕まってから敬語を使ったことはないが、態度が悪かったということはない。
「いや、偶然であろうとなんだろうと、貴方がいなければ聖女様がたは卑しい輩に捕まったままだったんです。感謝して当然のことですよ」
「そうですよグリードさん。私たちを助けてくれたのは事実です。それなら気にせず謝罪を受けてもいいんですよ」
「……そうですね。感謝の言葉お受けいたします」
ここまで言われてはどうしようもないため、再び礼をして感謝の言葉を受け取る。顔を上げた時に見た領主の顔にはよろしい。とでも書いてあるようだった。
「それと、ほかの盗賊がいないとも限らない。このあと近辺を捜索させよう」
「それでは、私たちはこれで失礼しますね。またこの街に寄った際はよろしくおねがいします」
「おっと、私としたことが長らくお引き止めしてしまって申し訳ありませんな」
あのあと暫く話しをしてから聖女が切り出し館から出る。
空は既に赤みを帯びていて、大通りを歩く人の数は館に来た頃に比べ多少減っているように見える。
「このあと予定はあるのか?」
「いえ、この街での予定は終わりました。ですのでこのまま宿に帰ります。どこか寄りたいところでもありましたか?」
「いや、ただ聞いただけだ。欲しいもんもねえし、気にすんな」
「そうですか。それでは帰りましょう」
その言葉に合わせて、立ち止まっていた足を前へ進める。
「そういえば」
それぞれが街を眺めつつ暫し無言で街を歩いている最中、突然思い出したかのようにエレナが声を上げる。疑問に思った俺はエレナの方を見てみると既にエレナはこちらを見ていた。
「なんだ、なにか用でもあるのか」
「お前、あのような話し方もできたのだな」
突然声を上げたかと思えば俺の方を見つめているなんて、流石に理由がわからず問いかける。すると、帰ってきた言葉はあの館での敬語のことだった。なるほど、確かにあの時は口を開けてこちらを見つめていたなと、あの館での出来事が脳裏に浮かぶ。
「そりゃあ俺だって敬語の一つや二つ使えるさ。見た目で違和感あるってんなら、あの領主だってどっこいどっこいだ。そこまで驚くことじゃねえよ」
「む……まぁ、それもそうだな……すまない」
「お? おう。まぁ気にしちゃいねえからおめえも気にすんな」
どうしたんだろうか、今までのエレナとは比べ物にならないくらいにしおらしい。流石に街の中だから自重しているのだろうか? だが、ここまで素直なのも若干気が狂う。聖女になにか言われたのかと思い聖女の方を見てみるが、聖女も首を傾げてエレナの方を見ていた。どうやら聖女になにかを言われた訳ではなかったらしい。
そのあとは会話も程々に宿へと着いたが、エレナはその道中ずっとなにかを考えていたようで、どこか上の空だった。
「おかえりなさいませ聖女様」
「ただいま帰りました。私がいない間、なにか変わりありましたか?」
「いえ、特になにも変わりありませんでした」
部屋へ入ると扉の近くにいた少女が挨拶をしてくる。中を見渡してみると数人いないが、どこかに出掛けているのだろうか。
「そうですか。それならよかったです。あと少しで夕食の時間になりますし、みなさんが帰ってきたら食事にしましょうか」
「はい! みんな宿を出たのはだいぶ前なので、多分そろそろ帰ってくる頃だと思います」
その少女の言葉通りほかの少女たちが帰ってきたのはそれから十分も経たないうちのことで、それと同時に宿の一階へ向かい食事をとる。
宿の食事を取る少女たちは野営時に比べとても静かで、とても楽しそうに話しながら食事をしていたとは思えないほど淑女然としている。あの楽しそうに食事をしていた場面を思い出すと、やはりこの場での食事は世間体をある程度気にしてのものなのだろう。しかし、そんな場に俺がいると思うとそれも無駄なような気がしてならない。年若い少女たちの中にたった一人の男。この体の年齢は確か二十四とそこまで歳をとっている訳ではないが、それとこれとは話が違う。この少女たちの中にたった一人男がいるというだけで、どれだけ世間が色々不思議に思うかだ。
ただの護衛だと思う人間だっているだろうが、曲解するような人間だって出てくる。そこまでは気にしないのだろうかとも思ったが、まぁこの聖女たちならそういう不埒な行為に走るといった印象を持たれることはないかという考えに落ち着く。
それから数十分で食事は終わったが、結局一言も会話が無いという少し窮屈な食事となり、俺としてはこの体になって初めて食べるような高級料理の味がそこまで美味しくは感じられなかった。
「やっぱりここのお料理は美味しいかったですね、聖女様」
「そうですね。野営のときでもあのような食事を取れたら……と思いますが、夢の様なお話ですね」
部屋に入った途端、先ほどの様子とは打って変わって楽しそうに話し始める。俺からしたら全く美味しそうに食べているようには見えなかったが、やはり貴族とかになるとこういうのが普通なのだろうか。とはいえ、日本でも高級料理店だと音を立てるのは行儀が悪いといった話を聞く。それを思えば貴族がそうであるのにも納得ができる。
「グリードさんはどうでした? あまり美味しそうに食べているようには見えませんでしたが、もしかしてお口に合いませんでしたか?」
それはこちらの台詞だ。
「あぁ、まぁ……口に合わなかったわけじゃねえが、俺には干肉を食ってるほうが合ってるっていうのはよくわかった」
「ふふっ、それは私もわかります。私たちはみんな階級こそ違いますけど貴族の出ですので、こういった場所での食事はしっかりしなければいけなくて……それが少し窮屈なんですよね。あっ、これは私たち以外に話しては駄目ですよ? 聖女がこんなことを考えていると知られたら駄目ですからね」
多少の皮肉を込めて言ってみたものの、それ以上に面倒くさくなりそうな返事がきた。普通に聞いた感じではくだらない秘密だろうが、聖女の秘密となればそれだけで多少の拘束力を持つだろう。そんな気楽に明かしていいこととは思えないが、これまでの言動を思い返してみれば意図的して言ったものだろう。なんとも強かで厄介な聖女様だ。
「はぁ……んで、飯も食ったしあとは体を洗って寝るんだろう? 俺は待ってるから早く入ってきてくれ」
隣にいた聖女の背を押し、さっさとしてくれと催促する。流石の聖女も風呂までは一緒に入る気はないらしく、ほかの少女たちに声をかけて風呂へと向かう。その際、エミリーに『覗かないでくださいね』と言われたが、覗くつもりもないため適当に頷きつつ手を降って風呂へと追いやる。
この宿は最上階全てがこの部屋一つに合わせて作っているため、風呂の大きさもそれに比例して大きい。故に俺以外の少女全員が入ろうと、余裕を持って入れる作りになっている。
女性の風呂は長いというのは知っていたが、人数が人数だけに思っていたよりも長い。時折風呂場の方から笑い声が聞こえてくるから、まだまだ時間は掛かるだろう。この世界は前の世界に比べ娯楽が少ないため、こういうときなにをすればいいのかわからなくなる。ちょっとした時間を潰せるものがあればいいのだが、俺の革袋の中に入っているものに娯楽として使えそうなものはない。
あれから数十分経ち、やっと風呂から上がったようで風呂場への扉から聞こえる声が大きくなる。着替え終わり出てきた少女たちは湯船に浸かり血行が良くなったおかげか頬が上気して赤くなり、乾ききっていない髪も合わさってやたらと色っぽく見える。
「お待たせしましたグリードさん」
「ん、おぉ。それじゃあ俺も入ってくるわ。俺もいつ出るかわからねえからな。先に寝ててくれや」
「おい、寝ている私たちに不埒な真似をするんじゃないぞ」
「安心しろって。ここ数日お前らに手出したことなんてねえだろ」
「その安心したときが危ないのだ。だが、まぁ……今日はその言葉を信じてやろう。私の言いたいことはそれで終わりだ、早く風呂へ入ってこい」
なぜかはわからないが、エレナも俺のことを多少は信用してくれているようだ。その切っ掛けはわからないが、領主のところでなにか思う所があったのだろう。あの街でのことも街の人の目を気にしていたという線も無くなったことだし、王都までの道中がこれまでよりも気が楽になりそうだと思いながら風呂へと向かう。
「あぁ、やっぱり風呂はいいなぁ……こう、体の疲れが抜けていくようで気持ちがいいなぁ」
体を洗ってから湯船へと浸かる。やはり体を布で拭いているだけでは汚れはそこまで落ちないらしく、据え置きの石鹸で体を洗うと笑いが出るほどに体の汚れが落ちていった。そして、やはり風呂はいいものだと再確認する。久しぶりに湯船に浸かって、思わず声が漏れ出てしまうくらいには気持ちがいい。
充分に風呂を堪能し脱衣所で革袋に入っていた服を来て部屋に戻ると聖女だけが起きており、小さな光の玉を頭上に浮かべなにかの本を読んでいた。しかし俺の開けた扉の音に気が付いたのか、本を閉じてこちらに顔を向ける。
「おかえりなさいグリードさん。お風呂は気持ちよかったですか?」
「おう。やっぱり風呂はいいもんだな。毎日入りたいくらいだ」
「グリードさんは前にもお風呂に入ったことがあるんですか?」
言われてから自分の過ちに気がつく。とはいえこの程度であれば適当に誤魔化せばなんとかなるだろう。
「あぁ。まぁ、昔に一回入ったことがあってな。ところで、一人で本なんか読んでどうしたんだ」
割と露骨な話題そらしだと自分でも思うが、聖女はそこまで気にはしていないのか本の表紙を俺に見せてくる。そこには七人の英雄といったタイトルが書いてある。
「これは私が小さいころから大好きな本なんです。グリードさんも読んでみますか?」
「いや、俺は本を読むのが苦手でな。だから気が向いたら読ませてくれや」
「わかりました。読みたくなったらいつでも言ってくださいね。それでは、私はそろそろ眠りますね。おやすみなさいグリードさん」
「おう。おやすみ」
その挨拶とともに頭上に浮かべていた小さな光の玉を消し、ベッドへと入り込む。もしかしなくても俺のことを待っていたのかもしれないが、わざわざそんなことを聞くほど馬鹿ではない。面倒くさい聖女ではあるが、どうしても嫌いになれない性格をしている。
そんなことを思いつつ、俺もベッドへと入り明日に向け眠る。
女の子のお風呂シーンはカット。そして男のお風呂シーンをイン。まだその時ではない。