新発田重家
その頃、上杉景勝に敵対する新発田重家の居城、新発田城を、一人の男が訪れていた。
「おう統十郎、よくぞ来てくれた」
朱色の着物を纏い、長い総髪を結わずに両肩に垂らした剣客、仁井田統十郎政盛である。
統十郎は、あの時のゆりの処置と、残して行った仙癒膏などの薬によって、まだ身体中の傷口は痛むものの、身体はほぼ完治していた。
「因幡殿、突然訪ねてすまぬ」
「何を言うか、お主ならば構わん」
統十郎をわざわざ城の大門まで出迎えた新発田因幡守重家は、懐かしそうに目を細めた。
重家は、大柄ではないが逞しい体躯に豊かな顎鬚を蓄えた、いかにも猛将然とした風情を備えていた。
「さあ、中へ」
と、重家は歩き出し、
「六年、いや七年ぶりか? とにかく久しいのう」
「うむ、七年になる。息子ももう五歳よ」
統十郎が微笑むと、重家は目を見開いて驚き、
「何と? 子をもうけておったか? と言う事は妻を娶ったか? 相手は千代殿か?」
「その通り」
「おお、それは良かったのう。千代殿は美しい上に良妻賢母の気質あり。お主も果報者よ」
重家が愉快そうに言うが、それに応えた統十郎の笑みにはどことなく切なげな色が浮かんだ。
「しかし、この七年、お主は都を離れても方々で派手にやっていたようじゃの。時折噂に聞いておる」
重家の言葉に、統十郎はふふっと笑い、
「大方は悪名であろう」
「そんな事はない。噂では、あの七十人無傷斬りの葛西清雲斎とも剣を交えたらしいではないか。本当か? これは物凄い事ぞ」
重家は興奮気味に言うが、当の統十郎は何故か苦笑いをして、
「あ? ああ……まあ、凄いとはとても言えんがな。しかし因幡殿、お主の活躍ぶりも、耳にする度に痛快に感じていたぞ。まさか上杉景勝に叛旗を翻すとはな」
「はっはっはっ。大したことではない」
「何を言うか。今や立派な独立大名ではないか。会う事があれば聞いてみたいと思っていたのだが、何故反乱を起こしたのだ?」
「元はと言えば御館の戦での恩賞への不満よ。景勝め、あの戦では我らの働きがあってこそ勝てたと言うのに、恩賞はほとんどが奴の子飼いの上田衆に渡り、我らには本領安堵のみであった。それならばいっそのこと自立するべし、と兵を挙げたのじゃ」
「なるほどな」
「だが今は違うぞ。すでに景勝への不満など無い。わしは男の夢を追って戦っておる」
「男の夢?」
「うむ。男子たる者、この戦乱の世に生まれたからには……」
と、重家が言いかけたところへ、
「天下の覇権を目指してみたい、と言うことか?」
統十郎がにやりと笑った。
すると重家は愉快そうに笑い、
「その通り! 流石は統十郎! やはりお主とは馬が合うわ!」
「俺もお主と同じ立場であれば同じようにしていたであろうからな」
「うむ。最初は景勝への不満から兵を挙げたが、今ではむしろ景勝に感謝しておるわ。わしに自立して天下を目指すきっかけを与えてくれたのだからな。ところで、お主こそ何故突然わしを訪ねてきてくれたのか?」
「うむ。実は少々困った事があり、お主に兵を借りたいと思って来たのだが……」
と、統十郎は言いかけたが、先程より城内の様子をちらちらと確認していた彼は言葉を変え、
「そうも言えないようだな」
「うむ」
新発田重家は急に顔を曇らせ、
「すまぬ。今しがた勇ましい事を言ったばかりだが、実情はとてもそのような口を叩けるものではないのだ。我らが上杉と互角に戦えていたのも、海運物流と利権の要所である新潟津を我らが押さえていたからなのだが、昨年の戦でその新潟津を失ってしまってからは徐々に追い込まれておる」
「新潟津か。なるほどな」
「故にとても他の者に兵を貸す余裕は無いのだ」
それを聞くと、統十郎は小さく嘆息した後、
「何、構わんよ。元より勝手な頼み事。気にせんでくれ」
「折角訪ねて来てくれたと言うのにすまぬ。だがな、わしは当然このまま手をこまねいているつもりはないぞ。すでにいくつか策を練っておる」
重家が目を光らせた。
「策?」
「うむ。これがうまく行けばお主に少しでも兵を貸す余裕ができるだろう。どうじゃ? もう少しここに留まり、その策に参加してくれんか?」
重家の言葉に、統十郎は楽しげに笑い、
「ほう、面白そうだな。望むところだ」
腰に提げる愛刀撃燕兼光の柄をなでた。
礼次郎らが春日山城に来てからおよそ十日間あまりが過ぎた。
上杉景勝が関白豊臣秀吉に献上したい物と言うのはまだ準備ができていないらしく、礼次郎らは未だ春日山城内に滞在していた。
だが、この十日間、無為に時間を過ごしていたわけではなく、礼次郎らは春日山城の城郭設備や上杉家の軍法等を見学させてもらっていた。
しかし、それも十日を過ぎれば流石に飽きもやって来る。
元より少々性急気味な礼次郎は、すでに心が落ち着かなくなっていた。
「もう十日以上が過ぎたと言うのに何の知らせも無い。どうするか? 一度城戸に帰って何か他の方法を考えるか?」
あてがわれた部屋で、礼次郎は腕を組みながらぶつぶつ呟いていた。
「まーた、若の面倒くさい性格が出たよ。関白様には紹介してくれるってちゃんと言ってるんだから待とうぜ」
順五郎が呆れたように言うと、
「そうよ、順五郎殿の言う通り。貴方は結構せっかちだったのねー。右少将様は義理堅いお方。約束を反故にする事なんてしないから、もう少し待とうよ」
ゆりがなだめるように言い、
「ねえ、雙六やらない?」
と、雙六盤を出して来た。
「雙六?」
礼次郎は眉を動かした。
先日夢に見た、幼き頃にふじと雙六で遊んだ事を思い出した。
「雙六、好きじゃない?」
「い、いや……」
礼次郎は雙六盤を見つめ、その後ゆりの顔を見ると、
「じゃあ久々にやるか」
と言って駒を手に取った。
壮之介は同じ部屋の中で、直江兼続に借りた書物を読んでいたのだが、突然思い出したように言った。
「それにしても、あのように錆びだらけの天哮丸。あの時風魔玄介が言っておったが、刀工に見せても手入れの方法がわからないと言うのは一体どういうことなのか?」
「材質が特殊なのかねえ」
順五郎が答えた。
「これまでも錆びつく事はあったはず。その時は一体どうしていたのであろうか」
「だよな。不思議だぜ。若は大殿から聞いてないのか?」
順五郎が聞くと、礼次郎はサイコロを手の中で弄びながら首を横に振り、
「残念だがな……。天哮丸に関する全てを教えられる"継承の儀"は家督相続の時なんだ。その時に知れる事なんだろうが、オレはその継承の儀をしていない」
「ふむ。では天哮丸を手にした者は天下を統べる力を得るが、間違えればその身を滅ぼす、と言うのはどういう事なのかご存知ですか? 本当にそんな事があるのですか? まるでお伽噺ですが」
「すまん、それもわからん。だが、城戸家にはそれは事実として代々伝えられている。そしてそれ故に絶対に外に出すなとも」
「強すぎて自分を斬りたくなっちゃう、とかじゃないの?」
ゆりが冗談を言って笑った。
「ははは、とんだ魔剣だ。あ、六六だ」
礼次郎も笑った。
賽の目は六と六を見せた。
「しかし、徳川家康や北条氏政まで狙う程だ、本当にそのような力があるのかは別として、何か人を引き寄せる魔性めいたものがあるのだろう」
壮之介が言うと
「北条か」
と、礼次郎が小さく嘆息し、
「風魔玄介は、天哮丸を手に入れた今も北条の追及をのらりくらりとかわしているようだが、いずれ天哮丸を元の姿に戻した暁にははっきりと離反独立するだろう。その時は当然、北条は幻狼衆を攻めるだろうが、それは同時に、徳川家康が、同盟者の北条が自分を出し抜いて天哮丸を手に入れようとしていた事を知ることになる。そうなれば再び関東は荒れるぞ」
「いや、最悪の場合、豊臣と徳川の関係も再び悪化し、大乱が起きるかもしれません」
壮之介が憂慮の顔となった。
「天哮丸を外に出せば天下を乱す。あの時、龍牙湖で会った如月斎とか言う不思議な老人の言った通りだ。まあ、そうはさせないけどな。天哮丸はオレが必ず取り戻す」
礼次郎が再びの決意を顔に滲ませた時だった。雙六は彼の番で、サイコロを握っていたのだが、
――お主が天哮丸を守護する者ならばわしは天哮丸を生かす者、とでも言えばよいかのう。
あの時如月斎が言ったこの言葉を思い出し、はっとしてサイコロを取り落とした。
「天哮丸を生かす者……そうか! あの如月斎殿だ」
「?」
「あの時、如月斎殿は自身のことを"天哮丸を生かす者"と言った。それは、あのご老人が天哮丸を手入れして蘇らせる事ができる人間ってことじゃないのか?」
「なるほど」
壮之介は感心して大きく頷いた。
「じゃあ、天哮丸を取り戻したら、その如月斎って人に会いに行けばいいわけね」
ゆりがサイコロを拾い、礼次郎に手渡した。
「だけどどこにいるのかわからない。あの時、如月斎殿は自分がどこにいるのかは言わなかったんだ」
礼次郎が眉を曇らせた。
「へ~、変な人ねえ。もしかして家が無いんじゃないの?」
ゆりがくすっと笑った。
「ご主君」
部屋の片隅でじっと今の会話を聞いていた千蔵が、
「ご主君が都の関白様に会いに行かれる時、私がその如月斎殿の居場所を探って参りましょう」
「いいのか? それは助かるが」
「それが忍びの役目でございます。それと、幻狼衆と七天山の事も色々と探って参ります」
「それはいい。じゃあ頼む」
「はっ」
と、頭を下げた千蔵の耳に、あの日、七天山で風魔玄介が言った言葉が響いた。
――伊賀と風魔、それぞれの抜け忍だったお前の父親と母親な……殺したのはこの俺だ!
千蔵は目を伏せた。
それぞれ想う事があるのか、わずかな静寂が部屋に流れた――
その後、礼次郎は、サイコロを握る手に力を込め、
「しかしいずれにせよ、オレは天哮丸を取り戻さなければいけない、それだけだ」
力強く言うと賽を振った。
目は、再び六と六が出た。
「お、ついてるな。やった、オレの勝ちだ」
礼次郎が愉快そうに喜ぶと、ゆりは悔しそうに片頬を膨らませ、
「え~、あっさり負けちゃった。礼次郎、雙六も強いのね」
「いや、ゆりが弱すぎるんだろ。オレは雙六弱いんだぜ」
礼次郎がおかしそうに笑った時、
「礼次郎殿、おられるか?」
部屋の外の廊下から声が聞こえた。
礼次郎はその方を向き、
「はい。お入りください」
と、答えると、
「失礼いたす」
襖を開けて入って来たのは、直江山城守兼続であった。
その顔はどことなく緊張している。
「これは山城様、如何されました?」
「うむ、礼次郎殿、話がある」
兼続は礼次郎の前に来て座ると、
「まずは、一つ謝る。実は、関白様に献上したい物と言うのが用意が難しく、未だ揃えられておらん。もう少し待っていただきたい」
「そうですか……仕方ありません、待ちましょう」
「すまぬ。それと、単刀直入に言おう。戦に加わってくれぬか?」
兼続は礼次郎の目を真っ直ぐに見て言った。