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天哮丸戦記  作者: 五月雨輝
魔城七天山編
92/221

聖地武想郷

 順五郎、壮之介、千蔵の死にもの狂いの奮戦は、ついに完全に戦況を引っくり返した。

 四十人程もいた敵兵が、残り十数名となった。

 残った者らは、疲労と怯えで、自然と順五郎ら三人と睨み合う形となった。


「ついにやったな。正直死ぬかもと思ったが、案外できるもんだ」


 順五郎が槍を突き出しながら言う。だが、その順五郎も流石に息は乱れ、顔に疲労の色が濃い。壮之介、千蔵も同様である。

 その時、あちこちより鬨の声と、山を震わす一団が走る音がどこからか響き始めた。

 それを聞き取った千蔵が大声で言った。


「お二方、そろそろようございます! 我々もここを脱出しましょう!」

「よし、いいだろう」


 順五郎と壮之介が、それぞれ槍と錫杖を振るって残る敵兵を牽制しながら門へ向かった。


 ちょうどその時だった。

 別の門から新手の一団が雪崩れ込んで来た。

 玄介の目の色が変わった。これぞ玄介が待っていた逆転の好機。


「全員で追えっ!必ず討ち取れ!」


 玄介は間髪入れずに怒号の如き号令を下した。


「おおうっ!!」


 と呼応し、三人目がけて雄叫び上げて殺到する一団。


「まずい、まだあれだけの兵を……」


 豪勇無双の壮之介が流石に顔色を変えると、


「あれだけじゃないでしょう。恐らくこの山の全軍が動いているはずです。急ぎ脱出しなければ。ここは私にお任せを。お二方は先へ」

「大丈夫か?」


 順五郎と壮之介は心配したが、千蔵の落ち着いた横顔を見て信頼し、


「じゃあ頼んだぜ」


 門の向こうの坂道を駆けた。

 千蔵は門の前に仁王立ち、突進してくる一団との距離を計る。

 そして十分に引き付けたところで、煙玉を三発、素早く放った。

 爆発音と共に黒い煙が広がり、彼らを包み込んでしまった。


「うわっ!」

「何だ、見えねえぞ!」

「目にしみる!」


 悲鳴が上がり、視界を奪われた彼らはその場に立ち往生した。


「しまった! そうだ……千蔵、奴は真田の忍びだ……」


 玄介は歯噛みして悔しがった。


 千蔵はにやりと笑うと、背を翻して走り、門の向こうに姿を消した。



 七天山入口の大手門を目指す礼次郎と咲。

 途中、数人の見張りの兵の襲撃を受けたが、全て咲が返り討ちにした。


 そして二人は無事に大手門を突破し、後は外界へ通じる橋を渡るだけとなった時。


「いたぞ、あそこだ!」

「やはりここで待ち伏せて正解だった!」


 橋の向こうに姿を現した幻狼衆兵士の一団。


「ちっ、待ち伏せていたか……」


 咲が脚を止めると、その後ろで礼次郎が崩れ落ち、がくっと膝をついた。


「おい、大丈夫か?」


 咲が慌てて振り返る。

 礼次郎の顔は青白く、激しく肩で息をしていた。

 だがその気迫に満ちた目は前方を睨み、右手はわなわなと震えながらも刀の柄にかかり、あちこちから血を流す脚は再び立とうとしていた。



 ――こいつ、もうとっくに限界は超えているはずなのに……。



 礼次郎が震える息を吐きながら言った。


「美濃島、もういい。お……お前だけでも……どこか別の場所から逃げろ……!」

「しかしあんた……」

「構わねえ……」


 外界へ生を繋ぐ命綱となるはずだったこの橋は、今や魔兵の刃が待ち受ける地獄への門となった。誰が見ても満身創痍の礼次郎は容易く斬られてしまうであろう。

 だが、彼の爛々と光る目は、未だ空気を震わすような殺気に満ちている。


 その姿に、咲の遠い記憶の一場面が閃いて重なった。


 凄惨な戦場、自分の腕の中で命の火が燃え尽きようとしていた弟の顔。



 ――姉上……も、もうようございます……どうかお逃げくだされ……み、美濃島を……頼みましたぞ……。



 そして祝言直前にその若い命を散らした、夫となる予定だった男の顔。



 ――さ、咲様……申し訳ござらん……私は……あなたに悲しみしか……。



 咲は礼次郎の顔を見つめた。

 心の奥底から、不思議な感情が湧き上がった。



 ――何故そう思うのかはわからない。だが、私は何としてもこいつを生かさなければならない!



「礼次郎、そこにいな」


 咲は短く言うと、抜刀した。

 橋の向こうを塞ぐ、まるで三途の川の鬼の如く立ちはだかる敵兵ら、



 ――十五、六、七……二十はいる……だがこの狭い橋の上だ、一度に向かって来られるのはせいぜい三人……。



 咲は覚悟を固め、飛び出して行った。

 同時に、向こうの敵兵らも叫びを上げてこちらへ襲いかかって来た。


 その時であった――


 敵兵の後方より悲鳴が上がった。



 ――何?



 咲は驚いて脚を止めた。


 敵兵の後方を何者かが襲い、戦闘が始まったようであった。

 しかも襲ったのは一人ではない、かなりの数がいるようである。


 たちまち剣戟の音と怒号が響いた。



 ――何が起こった?



 咲は注意深く目を凝らした。

 敵兵の後方を襲っている者達の姿がはっきりと見えた。


「あ……」


 その甲冑姿には見覚えがあった。

 咲の悲壮に張り詰めていた表情が思わず緩んだ。


「半之助、小平太! お前たち……!」


 それは、美濃島衆の者たちであった。


「咲様! ご無事でしたか!」


 半之助らは咲の姿を遠目に確認すると、喜びの声を上げ、そしてますます攻撃の勢いを増して行った。

 半之助は五十人ほどを引き連れて来ていた。となると数の上では圧倒的に有利である。

 勇気づけられた咲の刀も加わり、たちまち橋の上の一団全てを斬り伏せた。


「お前たち、どうしてここへ来た?」


 無事に橋を渡り、安堵した咲が聞くと、


「殿が高梨村の者に言伝を頼んだではございませんか。高梨村の者が殿の言葉を伝えに参りましたぞ。城戸殿を七天山に案内してくる、もし翌日になっても帰らぬようなら急ぎ七天山に来てくれ、と」


 半之助の言葉に、咲は自身でも忘れていたその事を思い出した。


「ああ、そう言えばそうだったな」

「とにかく、ご無事で良かった。城戸殿も」


 半之助らが礼次郎に笑顔を向けると、


「あ……ありがとう……助かった」


 礼次郎は傷だらけの顔に微笑を見せると、すぐにまた瞳に気焔を灯し、


「美濃島」

「うん? 待ってろ、すぐにこいつらに手当てをさせてやる」

「オ……オレは越後へ行く……」


 咲は訝しんで、


「越後?」

「お前の言う通り……あ、あいつらを倒して……天哮丸を取り戻すためには兵がいる……上杉家への紹介状がある……オレは……上杉家から兵を借りて来る……ま、待ってろ……お前の仇はオレが取ってやる……!」

「ふっ、ガキの癖に生意気ね。あんたにやってもらわなくても私らで仇は取るよ」


 咲が笑って言うと、気力が尽きたのか、突然礼次郎は気を失って地面に倒れ込んだ。


「お、おい、大丈夫か?」

「城戸殿!」


 駆け寄る半之助らに、咲は早口で捲し立てた。


「小平太、ここからもう少し行った先に清流の河原がある。そこに連れて行ってこいつの手当てだ! それと半之助、まだあの山の中に礼次郎の家臣達が戦っているが、今頃はもう逃げて来ているはずだろう。急ぎ加勢して脱出を助けて来い!」

「はっ」

「承知!」


 命を受けた美濃島武士達はそれぞれの方向へ駆けて行った。



 蒼天曲輪――


 千蔵の放った煙が消散した後、幻狼衆の兵士達は礼次郎らを追って駆け出して行った。


「おのれ、城戸礼次郎、美濃島咲……」


 風魔玄介は静かな怒気を孕んだ表情で呟いた。

 側にいる三上周蔵は、その気を宥めようと、


「しかし、結果的には奴らを追い払いました」

「結果だと?」


 玄介はギロリと鋭い目を向け、


「確かに追い払った。だがこれが戦であるならば俺たちの負けだ。約百人近くを投じてたった五人を討ち取ることができないばかりか、そのほとんどが返り討ちにあった。そして今全軍を動かしている。これが負け戦と言わずとして何と言う?」

「…………」


 周蔵は答えにつまった。


「今、兵らに追わせたが、恐らく奴らはそれをもかわし、七天山から脱出するだろう。だがこのままでは済まさん。外でも徹底的に奴らを追い、地の果てまでも追い詰めて必ずその息の根を止めてくれる」


 玄介は静かな激情を燃やした。

 そこへ、二人の忍び装束の者が駆けつけて来て跪いた。


「お頭、ご報告でございます」

「何だ? 今は機嫌が悪い。つまらんことだったら斬るぞ」


 冷酷な目を向けたが、忍び二人は、


「天哮丸についてでございます」

「何? 何かわかったか?」


 玄介が表情を一変させた。

 忍び二人は緊張した面持ちで何やら報告をした。

 するとそれを聞いた玄介、


「は……はっはっはっ……そうか、初めて聞いたよ。源氏の聖地、武想郷(むそうきょう)か」


 いつもの表情と口調に戻り、


「周蔵、兵士を全て呼び戻せ!こっちの方が大事だ!」


 と言って背を返し、歩き去って行った。

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