闘志燃え尽きず
茶色い頭髪と瞳、白い肌。どこか少年のような顔立ちで、柔和と言っていい玄介の姿形であるが、急激に血を啜って来た荒武者の殺気を帯び始めた。
千蔵は覚悟を決めた顔で、礼次郎を隠すようにその前に立つと、
「ご主君、私が食い止めます。今のうちに何とかここから逃げてくだされ!」
刀を抜いて正眼に構えたが、
「お……おい……主君の命は絶対じゃなかったのか!」
背後から礼次郎の震える叫びが飛ぶ。
「ど、どけ!」
礼次郎は気合いと共に立ち上がり、千蔵の前に出ると刀を下段に構えた。
だが力が入りにくいのか、その腕はぷるぷると震えている。
玄介は刀を無造作に構えると、
「顔色が悪いぞ? そんなボロボロのなりでこの俺と斬り合うつもりか?」
嘲るような笑みを見せた。
その瞬間だった。玄介の身体が猛鳥の如く飛んだ。
神速烈風の袈裟切りが礼次郎に襲い掛かった。
はっと目を剥いた礼次郎、反射的に刀を振り上げて受け止めたものの、疲労の極みにある身体はその剣威までは受け止めきれずに地面に転がった。
「ご主君!」
千蔵が間髪入れずに援護の太刀を玄介に振り払った。
玄介は、ははっと笑って受け止めると、風を吹き上げて下段から斬り上げた。
千蔵は振り下ろして受け止める。
そして両者は数合、目まぐるしく上下左右に激しく打ち合った。互いに忍びである、傍目にもその斬り合いは互角かに見えた。
だが、風魔玄介のその剣、倉本虎之進や仁井田統十郎らの剛剣とも違う、軽やかで鋭く、そして軌道の読めない不思議な太刀筋であった。
――強い。この剣……どこかご主君に似ている。しかしご主君のものとはまた違う。
千蔵は感じ取った。
――だがいずれにしろ、このままでは俺はこいつに斬られる!
心中、焦りが支配して行く。
それは礼次郎にも当然わかった。
礼次郎は再び身を奮い立たせて立ち上がると、よろめきながらも玄介に斬りかかった。
「ふん、健気だねえ」
玄介は鼻で笑い、礼次郎の剣を軽く捌く。
礼次郎と千蔵は二人がかりで玄介に斬りかかる。だが、玄介のその顔には涼しげな余裕がある。
二人の攻撃を容易く捌きながらも、隙を見て鋭い斬撃を打ち込んで来るのである。
もつれて斬り合う中、玄介が隙を見て礼次郎を蹴り飛ばした。
脆くも吹っ飛んだ礼次郎。
がはっ、と血の塊を吐き出した。
千蔵が悲痛に叫ぶ。
「ご主君、お願いですからここはお逃げくだされ!」
礼次郎は全身を震わせながら立ち上がり、
「しゅ、主君と呼ぶなら……た、戦わせろ! 千蔵……家臣を置いて逃げて何が主君だ!」
「……!!」
そして礼次郎は再び刀を構える。血の匂いの混じる乾いた風が吹き、前髪を乱した。
「千蔵?」
玄介はその名前に反応し、刀を引くと、素早く数歩後方へ飛び退いた。
そして千蔵の顔をじろじろと見て、
「その顔どこかで見たことがあると思ったら……まさかお前、真田忍軍の笹川千蔵か?」
「何?」
千蔵の眉が動いた。
――何故俺の名前を知っている?
千蔵は不審の目で玄介の顔を見つめる。
その様子を見て玄介は確信した。
「やはりあの千蔵か。親父そっくりの顔じゃねえか、戦い方もな。千蔵って名前聞いてすぐにピンと来たのさ。ははは! これはいい! 千蔵が城戸礼次郎の手下になっているとはな! 何と言う面白い巡り合わせよ!」
玄介はいつもの高笑いを上げる。
「何がおかしい?」
千蔵が剣を構えながら睨むと、今度は玄介は少し不思議そうな顔になり、
「何だ? 知らないのか?」
「何がだ?」
「そう言えばお前、さっき俺が風魔小太郎の息子、風魔玄介と言っても特に反応してなかったな。そうか、真田の連中、お前に何も教えてないのか。それなら教えてやろうか」
玄介はにやついた。
「いいか、よく聞け! 伊賀と風魔、それぞれの抜け忍だったお前の父親と母親な……殺したのはこの俺だ!」
玄介が残忍な笑みで言い放った。
「な……何? 何だと……?」
千蔵は耳を疑い愕然とした。礼次郎も思わず驚いて口が開いた。
だが千蔵はすぐに落ち着き、
「ふざけた嘘を……動揺させる気か? その手には乗らぬ」
「嘘じゃない。あの時、抜け忍の処罰としてお前の両親を殺したのは、当時まだ十一歳だったこの俺なんだよ!」
玄介は冷たくにやにや笑った。
「お前も忍びならわかるだろう、俺が嘘をついているかどうか」
千蔵は玄介の顔を凝視した。確かにわかる。このどこか浮世離れした魔物のような風情の男は嘘をついていない。
――この男が俺の両親を……?
冷静沈着な千蔵だが、流石に心がざわついた。
目障りににやつく玄介の顔を睨む。
――風魔玄介……。
心の奥底から、感じた事の無い熱い何かが噴き上げてくるのを感じた。
だが、次の瞬間にはもういつも千蔵の顔に戻り、
「それがどうした?」
冷静な表情で言い放った。
「何?」
玄介はもちろん、礼次郎も驚いて千蔵の顔を見た。
千蔵は続けて、
「二十年近くも昔の事……終わった事を何を今更。今の私にとって一番大事なのはご主君をお守りすることだ」
嘘の無いはっきりとした口ぶりであった。
それを聞くと玄介は、不愉快そうに千蔵の顔を睨んだが、ふっと口元を緩ませると、
「はははは! そうか! 流石にあの両親の血を引いてやがる! 立派だよ。貴様は紛れも無く本物の忍びだ!」
と高く笑い、
「じゃあもう一つ面白いことを教えてやろうか。当然貴様が知らないであろう貴様の両親についてだ……」
と言いかけた時、その言葉は蒼天曲輪の西門よりなだれ込むようにして入って来た一団の音にかき消された。
玄介が先程呼んでおいた他の兵士らであった。
「くそっ」
礼次郎は悔しげに見回す。
その数、ざっと四十人ばかりか。
まるで魔神の尖兵の如く感じられた。
千蔵はまだ動けるが、心身共に満身創痍の今の礼次郎はとても太刀を振るえる状態ではない。事実上千蔵一人、しかも礼次郎を守りながら戦わねばらなず、いくら千蔵が熟練の忍びであると言っても、流石に鍛えられた幻狼衆正規兵四十人を相手では到底歯が立たないであろう。
まさに絶望的なその状況に、
――終わったか!
礼次郎、千蔵、共に最期を覚悟した。
入って来た一団、率いるは玄介の右腕、三上周蔵であった。
周蔵は玄介に言った。
「やはり城戸礼次郎でしたか」
「それだけじゃない。従っているあそこの忍びの男。何と笹川三四郎の息子だよ」
玄介は楽しげに笑って言うと、聞いた周蔵は大いに驚き、
「な、何ですと? では千蔵……あ、あの千蔵ですか?」
「ああ、そうだ」
そのやり取りを聞いていた礼次郎と千蔵、共に何故そこまで千蔵について驚くのかが今一つ理解できない。
「ではどうしますか?」
困ったように問う周蔵に対し、玄介は冷笑し、
「もはや関係無い。殺すさ」
「いいのですか?」
周蔵は尚も困惑するが、
「構わん。あの時は情から助けてやったが、今は城戸礼次郎と言う敵の配下だ。恩知らずにも大人になってこの俺に牙を剥くと言うのなら、その牙は当然折るばかりか二度と生えないようにしなければならん。」
玄介は表情を変えずに言う。
「承知いたしました」
周蔵が答え、背後を振り返ると、従う五十人の幻狼衆兵らが一斉に武器を構えた。
――最早これまでか!
礼次郎は観念した。
だが、それでも未だ闘志は燃え尽きていない。
最後まで城戸家の誇りを持って戦おうと、震える右手に刀を持ち、左手で脇差を持ってだらりと二刀に構えた。
無天乱れ龍の構えである。
どうせ最後であるならばせめてもう一矢報いてくれようと、命と引き換えにしてこの絶技を使う覚悟であった。
「ははは」
玄介が嘲るかのように笑い、刀を振り上げて命令を下そうとした時だった。
入って来た時と同じ門が重々しい音と共に開いた。
「何だ?」
玄介は手を止めてその方向を見た。
礼次郎と千蔵は、玄介の方に注意しながらちらりと振り返る。
門の向こうより、烏帽子を被った騎乗の男が入って来た。
そして悠然とこの修羅場を見回すと、大声で言った。
「小田原からの使い、春日佐内である。玄介殿はいずこに!?」
攻撃の命令を邪魔された玄介、
「申し訳ないが今は忙しい、少し待っていてもらいたい!」
じろりと一瞥して言った。
春日佐内と名乗った使者は、何故かにやにやと笑い、
「いやいや、そうは行かぬ」
「ちっ……見てわからないか? これからあそこの男二人を始末するのだ」
玄介は苛立った。
「さればこそ外すわけにはいかぬ。その二人をこちらに渡してもらいたい」
「何っ?」
おかしなことを言う奴、と玄介は春日佐内をよく見ると、その手に槍が握られていることに気付いた。
「貴様、春日佐内ではないな! ?何者だ!」
玄介は目を凝らして春日佐内の顔を見た。
「はっはっはっ……風魔玄介ともあろう者がようやく気付いたか!」
佐内は大声で笑うと烏帽子を脱ぎ捨てた。
先程から背に聞こえるその声、礼次郎の耳に馴染みがあった。
もしや? と気が付いて振り返り、その顔を良く見た。
「あっ!」
礼次郎の疲労の極致にあった顔が明るく輝いた。
「順五郎!」
大鳥順五郎であった。
「何……城戸礼次郎の手下か!?」
玄介が驚くと同時に忌々しげに言うと、
背後の兵達より突如として悲鳴が上がり、どよめきが起こった。
どこかより数本の矢が打ち込まれたのであった。
「何だっ」
玄介らが見回すと、右手の土蔵の屋根の上からこちらを見下ろす人影――
「あれは……」
傷と血に塗れた甲冑を纏い、長い黒髪を風に靡かせながら短弓を構える一人の女武者。
「美濃島咲か!」
玄介が憎らしげに吐いた。
そして門の前に立つ順五郎の背後からも数人の悲鳴が聞こえた。
そこから現れる錫杖を持った巨漢の旅僧――それはもちろん軍司壮之介。
「礼次様、申し訳ござらん、遅くなってしまいました」
壮之介がわざとらしく頭を下げた後、玄介及びその背後を悠然と見回し、
「ほぉ……なかなか楽しめそうですな」
錫杖を大きく一振りして笑った。