魔城の内部
――駄目だったか。やるしかないか?
礼次郎は目の前の警護兵らを見回し、刀を抜く覚悟を決めた。
だが千蔵はあくまで白を切って落ち着いて答える。
「何って……あっしらはお申し付け通りに食糧を持って来た者です、そんな物騒な真似はお止めください」
「黙れ! 約束よりもだいぶ遅い時刻に来た上に、教えてやったはずの合言葉がわからない。そして何より今こうして槍を突きつけられているとい言うのにその落ち着きぶり。貴様ら商人ではあるまい! 何者だ!」
警護兵らは怒鳴った。
盲点であった。千蔵は確かに忍びとして一流であるが、一流であるが故に槍を突きつけられても簡単にはたじろがない落ち着きぶりが仇となった。
――しくじった。
流石の千蔵も動揺した。
そして刀を抜くしかないかと思った時、ふと、さっきの商人が言っていた言葉が脳裏を駆け抜けた。
「約束の時刻より遅くなっちまったなぁ、大丈夫かな」
「教えてもらった今日の言葉を言えば大丈夫さ」
「何だっけ? "伊勢"……だったっけ?」
――伊勢……。
千蔵は叫んだ。
「お待ちください! 伊勢……伊勢でございます!」
「何?」
警護兵らは動きを止めて千蔵の顔を見た。
千蔵はまっすぐにその目を見返し、
「伊勢、でございます。申し訳ござりません。忘れておりました」
千蔵の額に滲んだ汗が一筋の流れとなった。
「ほう、そうか……確かに忘れていたのだな?」
警護兵らはじろじろと千蔵、そして礼次郎を見回す。
「は、はい。生来の愚鈍にて、忘れておりました」
「ふむ、そうか。そう、伊勢だ。よかろう、確かに水上の商人のようだな。通るが良い」
と、警護兵らは脇に寄り、大きな鉄の門を重そうに開けた。
ギギギ……と開けられた門の向こう、七天山の中の風景が広がった。
「よし、わしらについて来い。この先の蒼天曲輪で検分する」
二人の警護兵が門の向こうへ進んで手招きする。
「はい、すみません」
礼次郎と千蔵は息を飲みながら中に進んだ。
中は案外普通である。少し狭い普通の山道が広がっている。
だが、しばらく進んでみて、それが間違いであることを知った。
その普通の山道が途中でどんどん枝分かれして行く。複雑に入り組んでいるのである。
また、あちこちに櫓、見張り台などが多数設置されている。
その様は上田城の構造に少し似ていた。
礼次郎は悟った。
(この狭い道は侵入する敵を一気に進ませぬ為。複雑に入り組んでいるのは迷わせる為。そして一気に進めない上に、迷った敵にあの沢山の櫓から一斉射撃を浴びせるのだろう)
それは当然、忍びの千蔵も同様に感じていた。むしろ、礼次郎よりも敏感に感じ取っていた。
(これはやはり……奴らの戦い方と言い、この山の造りと言い……俺の考えが正しければ幻狼衆とは……)
千蔵は確信に近い一つの疑念を抱いていた。
千蔵は道を進みながら周囲に鋭い視線を配った。
もし万一何かあった時、帰るのに迷わないようにどこを通ったか記憶しているのである。
突然、警護兵の一人がこちらを振り返って言った。
「おい、そこの髭の」
「?」
礼次郎に向かって言ったのだが、礼次郎は自分の事だと気付かない。
千蔵は礼次郎を見て目で合図を送った。
そこでやっと、礼次郎は自分がつけ髭をつけていることを思い出し、慌てて、
「は、はい、何でしょう?」
「お前は何となく商人には見えんな」
「え?」
礼次郎、内心ギクリとしたが、表情は必死に冷静を装い、
「そうでございましょうか?」
「うむ、とても商いをしているようには見えん。お前は普段どんな品物を扱っているのか?」
その警護兵が試すように聞いた。
まさかそのような事を聞かれるとは思ってもいなかった礼次郎、また商いの事などまるで疎いので、
「え? えーっと……普段は……」
と、冷や汗をかきながらしどろもどろになってしまった。
その様を、警護兵二人は怪しむような鋭い目つきで見る。
すると千蔵が咄嗟に助け舟を出した。
「我々は普段は酒や塩、野菜、また材木などを扱っておりますが、売れる物なら何でも扱っており、具足なども売っております。こいつは新入りでして、まだよくわかっていないのです」
警護兵らはそれを聞くと、
「ほう、なるほどのう」
と納得したが、その鋭い視線には未だ怪しみの色が見え隠れする。
警護兵二人は再び前を向くと、互いにささやき合った。
「どうも怪しい、お前、お頭に伝えて来い」
「おう、わかった」
と、言われた方がその場を離れて消えた。
礼次郎はその二人の小声の会話が聞こえず、何故一人がいなくなってしまったのかと訝しんだが、千蔵は忍びの地獄耳でもって聞き取っていた。
――どうも怪しまれている、まずいな。
千蔵は前を歩く警護兵一人に注意しながら、
「怪しまれています、検分が終わったらすぐに戻りましょう」
と、小声で礼次郎に言った。
礼次郎は緊張した顔で頷いた。
やがて、礼次郎らは土塁で囲まれた区域に来た。ここが蒼天曲輪である。
開け放たれた門を通り、中に入ると、
「ここで待て」
と指示され、礼次郎と千蔵は荷車を置いた。
そして何人かの係らしき者たちがやって来て、荷車の上の食材を検分すると、
「よし、問題ない。この度はご苦労であった。代金はいつも通り後日、村に届けるがいいな」
「はい、それでようございます。ではあっしらはこれで」
千蔵が答えて、そそくさと立ち去ろうとした時、どこかから別の兵士が走って来て係の者に何か囁いた。
それを聞いた係の者の一人は、礼次郎と千蔵を振り返って言った。
「お前達、ちょっと待ってくれぬか? わしらの勘定方が、お前達に新しく調達して欲しい物があると言っておる」
「え? いやしかし」
「どうした? 新しい儲け話だぞ? 悪くはあるまい」
これを断るのは流石に怪しまれると考えた千蔵は、
「わかりました、では……」
と答えながら、これから起こるであろう商売の会話を、どう受け答えすれば怪しまれぬか必死に考えを巡らす。
「よし、ではあそこにある蔵の中で待っててくれるか?」
係の者が指差した方向、一軒だけぽつんと蔵があった。
「ははっ、承知いたしました」
千蔵と礼次郎は恭しく礼をし、係の者に案内されてその蔵へ向かった。
その土造りの蔵は、中に入ってみると案外広い。畳二十畳ぐらいはある。
四方の壁の上方に窓が一つずつしかなく、薄暗い。そしてそんな空間に、米俵や材木、武器弾薬などがきちんと整頓されて置かれていた。
「すぐに勘定方が来る、ここでしばし待つがよい」
と言って係の者は出て行った。
二人だけになると、礼次郎は千蔵に言った。
「何かおかしなことになったな。今のうちにこっそり逃げた方がよくないか?」
千蔵は冷静に答えて、
「いや、ここで逃げるのは不可能です。何とかやり過ごしましょう。拙者にお任せを」
「そうか、じゃあ頼んだぞ」
「はっ」
「しかし結構な備蓄があるな。あの辺の武具も最新の物のようだし。これは思ったよりも力があるようだ」
礼次郎が周囲を見回して言った。
千蔵も同様に鋭い目つきで四方を見回していたが、前方の壁の片隅に貼られている旗に気がつくと、はっと驚愕して礼次郎に言った。
「ご主君、あれを」
「うん、何だ?」
礼次郎は、千蔵が指差す方向を見た。
そこに貼られている旗の中央に染め抜かれていた家紋――それを見た彼もまた驚愕に目を瞠った。
「あ、あの家紋は……そうか、そうだったのか!」
礼次郎は愕然としながらも拳を握りしめた。
「奴らの正体、薄々感づいてはいましたが……まさかこういうことだったとは……幻狼衆とはつまり……」
千蔵が何とも言えぬ苦笑いで言った時、背後の扉が開き、何者かが入って来た。
「大儀である!」
そう言った男の声に、礼次郎らは慌てて振り返り、平伏した。
男は礼次郎らの前まで来ると、
「わしが勘定方の勝部である。面を上げい」
と重々しく言った。
礼次郎らは顔を上げて勝部の顔を見た。
礼次郎が今つけているつけ髭のような立派な口髭と顎髭を蓄えているが、柔和な顔つきの不思議な雰囲気の男であった。
勝部は言った。
「此度はご苦労じゃ。かなり良い食材を揃えて来てくれたようじゃの。これで今宵の宴も何の心配も無い。礼を言うぞ」
「滅相もございません、いつもご贔屓にしていただきありがとうございます」
千蔵は商人らしき言葉を言う。
「うむ、そこでじゃ。お主らの目利きで、今度は上等な槍を揃えてもらいたい」
「槍でございますか?」
「そうじゃ。頑丈な手槍を二百ほど持って来てくれ、できるか?」
「は。お目に叶いますかわかりませぬが、揃えて参りまする。二十日ほど日にちを頂戴できまするか?」
「うむ、いいじゃろう」
勝部は満足げに言うと、
「ところで隣の者」
と、礼次郎に声をかけた。
礼次郎は頭を下げたまま、
「はっ」
「お主は商人ながらかなり良い刀を持っておるのう」
そう言う勝部は穏やかな笑顔ながらも目は笑っていない。
「大したものではございませぬ」
「いやいや、わしら武に生きる者の目は誤魔化せぬ。それは商人には過ぎた名刀であろう。何故そんな物を持っているのか?」
礼次郎は焦った。商人が護身の為に武器を携行するのは珍しくない。だが、その刀の質について言われるとは思ってもいなかった。
「これは……我が家に代々伝わる刀でございます」
そう言うのが精一杯であった。
「なるほど。ではちょっと見せてはくれぬか?」
「え? いや、それは……」
礼次郎は躊躇った。この敵地で、一瞬とは言え、刀を身体から離すのには抵抗があった。
「なんだ? 嫌か?」
「え、ええ……」
「ほう、なるほどな……」
勝部はにやにやと笑みを浮かべると、
「それでこの私を斬りたいからか? 城戸礼次郎殿?」
と言うと同時に、空気が乱れた。
――何?
礼次郎がはっと見上げた瞬間、勝部はすでに刀を抜いて振り下ろしていた。
「!」
礼次郎はサッと身体を右に転がせ、その斬撃を避けた。だが、そこへ勝部の二の太刀が風を切って襲う。
かと思われた時、瞬時に抜いていた千蔵の刀が勝部に飛んだ。
勝部はそれを打ち払うと、数歩後ろに飛び退いた。
礼次郎は起き上がりざまに抜刀し、正眼に構えた。
薄暗い土蔵の中、睨み合う礼次郎、千蔵と勝部。
勝部が笑い声を響かせた。
「はっはっはっ……その似合わないつけ髭を取ったらどうだ? 礼次郎」
「何?」
「この私も取るからさ。お互い素顔になろう」
勝部は口髭と顎髭をむしって投げ捨てた。
ついでに頭の毛を掴み、投げ捨てた。それはかつらであった。
「お前は……」
礼次郎は驚いた。
つけ髭とかつらを外して露わになった薄茶色の髪と瞳、にやついた白い顔、それは幻狼衆頭領の風魔玄介であった。




