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天哮丸戦記  作者: 五月雨輝
魔城七天山編
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幻狼衆の奸計

「他の番小屋、山の方には気付かれてはいないようだな」


 壮之介が窓の外に鋭い視線を配って言う。


「よし、じゃあ外の船に乗って行こう」


 礼次郎の言葉で五人は小屋の外に出て、岸辺にぽつんと上げられている小船に乗り込み、川に向かって漕ぎ出した。


 対岸の七天山まではその距離およそ三十間ばかり(約50メートル)。順五郎が棹を川面に差して漕いで行く。

 しかし、対岸は深い草木に覆われ、また急斜面なのでとても上がることができそうに無い。

 どこから上がればいいのかと礼次郎が思案していると、視力の良い千蔵が目を凝らし、


「ご主君、あれを」


 と指差す方向、薄暗がりの中に船が二艘ぐらい通れそうな洞窟らしき穴が見えた。更にその奥はほんのりと灯りが明滅している。


「少し明るいな、あれは山の中に通じているのか?」

「恐らくそうだろう」


 咲が頷く。


「よし、じゃあ順五郎あっちへ漕いでくれ」

「おう」


 順五郎が巧みに棹をさばく。

 辺りはいよいよ暗くなり、それに伴って七天山はより一層不気味な空気を醸し出していた。

 川の流れに揺られる小船の上、ふと礼次郎が気付いて咲を見て言った。


「おい、美濃島。そう言えば一緒に船にまで乗り込んで何だが、何でここまで一緒に来てる? 七天山までの道案内だけで良かったのに。ここから先までつきあう必要は無いぜ」


 その言葉に、咲自身も初めて気が付いた。


「そう言えばそうね」

「今から川岸に戻るか?」

「そうね……」


 と、咲は言いかけたが、礼次郎ら四人の顔を見回すとじっと思案の顔となった。


 今朝がたの高梨村での五対五十の戦い、到底太刀打ちできぬと思われたが、礼次郎らと共闘すると最後には逆転し、ついには幻狼衆頭領の玄介をあと一歩のところまで追い詰めた。


 先程番小屋を襲撃した際も、相手は十数人いたにも関わらず、礼次郎らは臆することなく突入し、当然かのようにその場の全員を討ち果たした。そして今こうして小船を奪って七天山へ乗り込もうとしている。


 それが実に自然で、礼次郎ら主従と一緒ならば、七天山に乗り込んでも何とかなってしまうんじゃないかと言う感覚を咲は覚えていた。

 だから自然と彼らと一緒に小船に乗り込んでしまっていた。


「いや、このまま一緒に行こう」


 その言葉が咲の口から出たのもまた自然のことであった。


「いいのか? ここから先はどうなるかわからないぜ?」

「一日二日遅れたところで大したことはない。さっき高梨村の連中に、私がお前たちの道案内をしてくると言うことを、小雲山に知らせてくれるよう頼んでおいた。遅くなればうちの者どもがこの辺まで探しに来るだろう」

「それならいいが」


 と礼次郎が言ったその時だった。


 突然ガタンッと言う音が船底から聞こえた。

 何かが当たったようであった。


「何だ?」


 礼次郎らが驚いて川面に目をやったが、千蔵は流石に忍びである、すぐに何が起きたかを理解して叫んだ。


「山に注意を!」


 と言う間も無く、七天山の方からガランガランと言う金属音が響いた。かと思うと、やがて山肌の木々の間からすっと顔を出した沢山の男達。


「まずい、順五郎殿、急ぎ岸辺へお戻りを!」


 千蔵が顔色を変えて叫んだ。


「お? おう、わかった!」


 順五郎が慌てて岸辺へ向かって棹を漕ぎ始めるが、その横をヒュンッと掠って川面へ刺さった一本の矢。

 と同時に山から鋭く飛んで礼次郎らを襲う矢の嵐。山の木々の間から姿を現した幻狼衆の兵士たちが声も発さずに放っていた。


「こういう仕掛けかよ!」


 礼次郎らは刀を抜いて飛んで来る矢を打ち落として行くが、小船が揺れて不安定なこと極まりない。


「これでは近づくどころか逆にやられてしまう、急ぎ戻りましょう!」


 壮之介が錫杖を振りながら言う。


「順五郎殿、急ぎを!」


 千蔵が叫ぶ。

 順五郎は必死の形相で棹を漕ぐ。

 しかしその間にも矢は鋭く降り注ぐ。


「うっ!」


 咲の左腕を一本の流れ矢が掠めて行った。


「大丈夫か?」


 と礼次郎。


「ああ、掠っただけよ」


 咲は矢が掠って行った箇所を押さえることもなく刀を振り続ける。

 順五郎が全力で漕いだおかげで船は案外早く元の川岸に近づいた。浅瀬まで来ると、


「降りろ!」


 船が岸辺に着くのを待つことなく、礼次郎らは川に飛び降りると背後からの矢を打ち落としつつ浅瀬を一直線に駆けて行った。

 そして矢が当たらないぐらいの雑木帯の辺りまで走った。


「ここまで来れば大丈夫でしょう」


 壮之介が息を切らしながら言ったが、礼次郎は何かを敏感に感じ取った。


「いや、まだだ。何か来る! 逃げるぞ、あっちだ!」


 礼次郎らは雑木帯を奥へと走って行った。

 すると礼次郎が感じ取った通り、走る音が響いたかと思うと、武装した一団が先程までの川岸に走って来た。それは異変を知り、他の番小屋などから駆けつけて来た幻狼衆の者達であった。



 七天山の城の本丸。


 両脇に黒い円柱が並び、寒気を感じる程にだだっ広い板張りの伽藍堂。

 幻狼衆頭領玄介は、手に黄金の鞘の天哮丸を持ち、側近の三上周蔵を後ろに従えて足音静かに入って来た。

 だが、最奥に敷かれた一段高い頭領専用の座に上がると、不機嫌そうに無造作に座り込んだ。

 そして凝りをほぐすように腕を回し、呟いた。


「まさか城戸礼次郎とか言うあの若造があれ程の腕を持っているとはね。そして従えている奴らの強さ。誤算だったよ」

「さようで」


 周蔵がうなずくと、玄介は黄金の鞘から天哮丸を抜き放った。

 そしてそのボロボロの刀身を見つめると、


「天哮丸を握った者は天下を得るか自身を滅ぼすか……。そう言われているが、これを持っていてもまるでそんな力を得た気はしない」


 と言い、右後ろの木の柱へ向かって天哮丸を一振りした。

 だが、その刃は柱にわずかに刺さったのみであった。

 玄介はすぐに天哮丸を引き抜くと、


「こんな刀、持っていても逆に戦場で自らの身を危うくするだけだろう。だが、私にはわかる、この錆びと刃こぼれの下に眠っている底知れぬ力が。きっと、この刀を元の姿に戻した時、天下を得ると言う真の力を発揮するのだろう」


 と、天哮丸に語りかけるように呟いた。


「だがその剣を蘇らせる方法がわかりませんな」


 周蔵が言う。


「そう。見せた刀工は皆手入れの方法がわからないと言って拒否した。城戸礼次郎自身も知らなかった。一体どうなっているのか……」


 玄介は天哮丸を鞘に納め、左脇に置いた。


「ところでお頭、明日はまた大殿からの使いが来ますが、また同じように宴を催して適当に誤魔化して帰すのですか?」


 周蔵が聞くと、


「もちろんだ。本当のところ、十分に力を蓄え、天哮丸も我が手に納めた今、これ以上奴らの命令に従う必要は無い。だが今はまだ奴らを完全に敵に回せる程の力でもない。のらりくらりとかわしておくのだ」

「承知いたしました」

「明日の宴にはいつも通りに山海の珍味、極上の美酒を用意しろ。あと使いの者に握らせる銭も忘れずにな」

「はっ」


 玄介の抜かりない指示であった。

 その時、そこへ一人の兵が入って来て玄介の前に跪いた。


「ご報告いたします」

「何だ?」


 玄介は背伸びをして答えた。


「何者かがこの七天山へ侵入しようとした模様」

「へえ……毎回懲りずによく来るねえ、どこの者だ? 徳川か? 北条か? それとも真田か?」

「わかりませぬ」

「わからない?」


 玄介が眉をしかめて、


「仕留めたそいつらの服装を見れば大体わかるだろう?」

「それが……逃げられましてございます」

「何? 逃げられたのか?」


 意外そうに驚く。


「はっ」

「どんな連中だ? 何人いた?」

「男四人と甲冑姿の女一人でございます。男の中の二人は屈強な体格の良い者であったとのこと」


 兵の言った言葉を聞くと、玄介はしばし鋭い目つきとなって考え込んだ後、表情を緩め、


「そうか、大儀であった」


 と兵の報告を労うと、


「城戸礼次郎らだ、やはり追って来たね。天哮丸の事を知らぬあいつに価値など無いが、今、私の物となったこの天哮丸を狙っている者がいるのは居心地が悪い。あいつはきっとまた来るだろう、いい機会だから殺してやろう」


 玄介は冷笑した。



 天が綺羅星と白皙の月を従えた時分。

 辺りが漆黒の夜闇に包まれる中、七天山から少し離れた清流の川原に焚火の明りが揺れていた。

 その周りに火を囲んで座っている五人、すなわち礼次郎ら。

 先程は七天山への潜入に失敗したが、まだ礼次郎は諦めていなかった。

 ここで一晩明かし、翌日再び七天山への潜入を計ろうとしていた。


「明日の朝、私が何かいい方法は無いか探って来ますゆえ、ここでお待ちを」


 と千蔵が言って、荷から少し砂に汚れた着物を取り出した。


「何だそれは?」


 礼次郎が焚火で焼いた川魚をかじりながら聞いた。


「先程あの小屋で密かに奪っておいた奴らの着物です、これを着て探ります」


 と千蔵が言うと、順五郎が、


「おいおい、さっきはお前、その方法は役に立たないって言ったじゃないか」

「それは中に潜入しようとする場合。明日は潜入の方法を探る為に山の周りを動きますが、山の周りをうろうろするぐらいであればいざとなればすぐに逃げられるのでこの服は役に立ちます」

「なるほど、じゃあ頼んだぞ」

「はっ、必ず」


 千蔵が短い言葉ながらも強い口調で言った。

 咲が竹筒の酒を飲みながら、


「何かいい手があるといいねえ。明日も駄目なら、私はもう小雲山に帰るよ。流石に三日空けるわけにはいかないからね」


 と言うと、礼次郎がその顔を見て、思い出したように聞いた。


「そう言えば、お前ら美濃島は何故幻狼衆と戦をしているんだ?」

「この戦乱の世で戦をするのに理由がいるのか?」


 咲はふふっと笑った。


「はは、そうだな」

「でもまあ……大したことじゃない。きっかけは半年と少し前ぐらいよ……」


 咲は焚火の炎の揺らめきを見つめた。


 当時、美濃島家は上野吾妻(あがつま)郡のある一帯を巡り、真田家と揉め始めていた。

 そんな時に、その少し前に突如として七天山に現れた幻狼衆が手を組みたいと申し出て来た。

 全く得体の知れない連中で、咲の父、美濃島元秀が忍びの者をやっても情報が掴めない。しかし、真田家に対抗する為に少しでも味方が欲しかった美濃島元秀はその申し出を了承した。



「不思議な連中で、手を組んでから数回共に戦をしたが、その時に奴らが持って来る情報は実に正確。その情報のおかげで毎回勝ちを手にできた。そして父はすっかり奴らを信用するようになったのだが……」


 咲は回想する。



 ある時、幻狼衆が、真田昌幸が直々に出陣して来たとの情報を知らせて来た。

 そしてそれを自分たちと共に大軍で待ち伏せ、奇襲すれば必ず真田昌幸の首を取れるであろうとの言葉。

 それを信じた美濃島元秀は喜び勇んで出陣、真田軍が行軍するであろう場所に布陣した。

 しかし一向に真田軍が来る気配が無い。それどころか幻狼衆軍もやって来ない。元秀自身、斥候を放ったが、真田軍は出陣すらしていないと言う。

 元秀は不思議に思いながらも、仕方なく帰途に着いた。

 だが、そこで思いもよらぬ知らせを受ける。



「私たちの本拠地である大雲山の城が、ある連中に襲撃を受けた。父はほぼ全軍を率いて出陣していたので大雲山の城は空っぽに等しかった。大雲山城はなす術も無く陥落したんだ」

「その襲撃した連中ってのはまさか?」

「そう、奴ら幻狼衆だよ」


 咲は怒りに唇を噛み締めながら言い、


「奴らは裏切ったんじゃない。最初からそれが目的で私らと手を組んだんだ。そして大雲山城陥落の知らせを受け、幻狼衆の奸計を悟った父は大雲山を奪還するべく急行した。だが、それを読んで待ち伏せていた奴らの奇襲を受けて散々に打ち破られ、父は討死にした」

「そうだったのか……」


 礼次郎は嘆息したが、


「私が輿入れする予定の三日前のことだ」


 と言った咲の言葉に更に驚いた。


「え?」

「相手は父が目をかけていた若手の筆頭格。三日後には祝言を上げる予定だったけど……」

「まさか?」

「その戦で討死にした」

「…………」


 礼次郎はもちろん、順五郎、壮之介、千蔵も言葉が出ずに咲の顔を見つめるのみであった。


「私は祝言の準備の為に別の場所にいたから、父の軍にも大雲山にもいずに難を逃れたんだ」


 そう言うと、咲は一瞬悔しそうに唇を噛み締めたが、すぐに表情を緩めると星の海が広がる夜空を見上げて呟いた。


「まあ、もうすでに昔話よ……」

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