天哮丸を奪った者
天哮丸をいただいたのはこの私だ――
玄介が言った言葉に礼次郎は愕然とした。共に聞いていた美濃島咲、そして順五郎らも一様に驚愕の表情となった。
「何だと? お前が天哮丸を?」
「そうだよ、悪いね。あれはこの私がもらおう」
玄介は高笑いの声を上げると、礼次郎は額に青筋を立て、
「ふざけた嘘をつくな! じゃあ何故オレに天哮丸のことを聞こうとする?」
「嘘じゃないよ」
「誰が信じるか! あれは外の人間はおろか、城戸家内部の人間でも当主になる者以外は絶対にその在り処がわからないんだ! お前が持ってるわけないだろう!」
礼次郎が思わず声を荒げると、
「ふふ……」
玄介はにやにやと薄ら笑いを浮かべたまま何も言わない。
その様子を見て、直感の鋭い礼次郎は顔色を変えた。
「まさか……本当に持ってるのか?」
「我々幻狼衆の諜報力を侮ってもらっちゃ困るね」
そう言うと、玄介は腰ではなく、背中に背負っていた一振りの刀を出して高々と掲げた。
「あ……あれは……」
礼次郎はそれを見て言葉を失った。
宝石や硝子の玉などを嵌め込み、唐草模様と龍、鳳凰の紋が刻まれた黄金色の鞘。
「天哮丸……」
礼次郎は唇を震わせて睨んだ。
紛れもなく城戸家に伝わる源氏の宝剣、天哮丸。
それを握れば天下を統べる力を得るが、間違って使えば天下を乱すのみならず自身を滅ぼしてしまうと言う"天之咆哮国守"、天哮丸であった。
「あれが天哮丸か」
「初めて見たぜ……」
「…………」
順五郎ら三人も息を飲んだ。
礼次郎はわなわなと肩を震わせると、目の色を変えた。
「貴様何故それを……どうやって盗んだ」
「ふふふ……私たちの主君に奪って持って来いと命令されてさ」
「主君?」
「城戸領外にあると言うことまではつきとめたんだけど、肝心のその場所が一向に掴めなくてね……。これはきっと城戸家の館の中にその手がかりがあるはずと思ったんだ。だけどあの通り、意外と城戸の館ってのは警備が固い。だから堂々と忍び込める機会を伺ってた。そうしたら徳川家康が極秘で城戸に向かっていると言う情報を掴んでね。家康本人が行くなら必ず何かが起きると読み、私たちも城戸付近に潜んでたんだ。そうしたら読み通り、いやそれ以上の機会が来た。家康が城戸の館を攻めた。あとは簡単だ。私たちは斬り合う両軍を尻目に堂々と館内に忍び込み、当主城戸宗龍の部屋で天哮丸の在り処を示す地図を手に入れた……ってわけさ」
玄介はにやにや笑いながら言った。
「そう言うことか」
礼次郎が唇を噛む。
「それでてめえらの主君ってのは誰だ?」
「言えないね」
「何?」
「もうとっくに主君じゃなくなったからね」
「どういうことだ?」
「元々忠誠心など無く好き勝手にやってたんだけどさ。天哮丸を手に入れて完全に決別することにしたよ。天哮丸を握れば天下を取れるって言うじゃないか。ならばこれは私がいただいて私が天下を狙う。だが、少々申し訳ないので元主君が誰であるかは秘密にしておく。彼らも色々と事情があるからねえ。あっはっはっは」
玄介が高笑いの声を上げた。
「本当に、いちいち癇に障る笑い方だね」
咲が苛立たしげに舌打ちした。
「だけどね……これのどこが源氏重代の宝剣なんだい?」
と言って、玄介は鞘から天哮丸を抜いた。
「あ……」
それを見て礼次郎は驚きの声を上げた。
順五郎ら、そして美濃島咲も驚いた。
鞘から抜かれたその刀身は、あちこちに錆びと刃こぼれがあった。
「この通り、酷い状態なんだ。これのどこが天下無双の名刀だ? こんな刀じゃ天下を得るどころか小競り合いにすら勝てないよ」
「…………」
「そこで手入れをしようと研ぎ師に持って行ったんだけどさ、これを穴の開くほど見つめた後に溜息ついて、できないって言うんだ。おかしいと思って他の研ぎ師、刀鍛冶に見せたけど同じだ。皆同じく手入れはできないって言う。どういう造りなのかわからないんだとさ」
「何? どういうことだ?」
それには礼次郎が驚いた、
「そこで、城戸家次期当主の礼次郎君、君に聞こうと思ったわけさ。だけどその様子だと知らなそうだねえ。でもどうかな? 天哮丸はどうやって手入れをするんだい?」
玄介は薄ら笑いで問う。
しかし、礼次郎は複雑そうな表情で何も答えない。いや、答えを知らなかった。
それを見ると、玄介はふふっと笑い、
「なるほど、やっぱり知らないか」
「そうだ、知らない」
「そうか。じゃあ無駄足だったようだねぇ」
と玄介はにやにや笑って言った。
「無駄じゃない。オレに天哮丸を返しに来てくれたんだからな」
そう言うと、礼次郎は憤怒に燃える瞳で刀を抜いた。
「おっと……やっぱりそう来るか」
玄介は笑うと、馬首をくるりと回して崖の方向へ向かせた。
「何してやがる?」
礼次郎が訝しむ。
玄介は振り返った。
「まあ、お前の命を奪うことなど造作も無いことだけど、流石の私もお前に加えて後ろの強そうな三人と美濃島咲を相手に、しかもこの崖を背にして戦うのは分が悪いからね」
そう言ってにやりと笑うと、
「生きてればまた会おう」
と言うや、何と崖へ向かって馬ごと飛んだ。
三上周蔵も後に続いて崖へ飛んだ。
「何……?」
礼次郎らは度胆を抜かれた。
すぐに馬から降りて崖っぷちへ走った。
すると、どうやって降りたのか、二十間ほどの高さはありそうな崖の下、木々の間を玄介らが高笑いを上げながら馬で走って行くのが見えた。
「何て奴らだ」
咲が信じられないと言った様子で顔を振る。
「あいつらは一体何者だ?」
壮之介も物の怪でも見たかと言ったような表情。
「…………」
千蔵だけは表情を変えず、走り去って行く玄介をじっと見つめていた。
「しかし天哮丸を奪った奴がわかったな。どうする若?」
順五郎が、刀を握る手を震わせている礼次郎に聞くと、
「知れたこと。奪い返すに決まってる! 奴らの根拠、七天山へ行くぞ!」
礼次郎の目が南方の空を睨んだ。