襲撃
越後へ通じる街道を馬で疾走する礼次郎ら。
馬上で息を乱しかけている礼次郎に、壮之介が叫んだ。
「礼次様! 少しゆっくり行きましょう、馬がばてますぞ!」
そう言われ、礼次郎は初めて自分が急ぎ過ぎてることに気付いた。
「あ、ああ、そうだな。じゃあ歩かせようか」
礼次郎は速度を緩めた。
順五郎は呆れ笑いで、
「若、気持ちはわかるがそんなに焦るなよ。仁井田統十郎も越後に向かってるかもしれないってだけで越後のどこに行っているのかもわからないし、そもそも生きているかどうかもはっきりしないんだから」
「ああ、悪い。つい気が急いてしまって」
礼次郎が言うと、 行く先から幼子を背負った父親と母親、家族三人が走って来るのが見えた。
三人は必死の形相で礼次郎らの側を走り抜けて行くと、その先からまた一人の若い女が脅えた顔で走って来る。そして更にその先から数人の年寄りが……と言った具合に、近くの村の民と思われる者たちが次々と脅えた表情で走って来るのだった。それはまるで何かから逃げているようであった。
「なんだなんだ?」
礼次郎は彼らを見て不思議がる。
「何かに脅えている様子ですな」
壮之介も彼らの逃げる様を目で追って言う。
千蔵は街道の先に目を凝らした。
「どうもあちらの村で何か起きている様子」
「そうか? よく見えるな」
礼次郎も目を凝らすが、村らしき集落が見えるだけでそこで何が起きているかまではわからない。
「まあ、このまま行けばわかるだろ」
と順五郎は呑気に言うと、
「しかしあの美濃島衆の女当主はえらい美女だったな」
と、思い出して話を変えた。
「うむ。先代当主の美濃島元秀は豪壮な風貌の荒武者であったが、その娘は似ても似つかぬ美女だと言う噂があった。まさか本当だったとはな」
壮之介も思い起こして言った。
「若はあの女に監禁されたんだよな?」
「ああ、大変な目にあったよ」
「本当か? 案外いいことやってたりしてな。裸で迫られたりとか無かったか?」
順五郎が冗談めかして言うと、礼次郎はどきっとして身体を震わせた。
思い出したのはあの晩、媚薬を持って自分を性の奴隷にしようと半裸で迫った美濃島咲のふくよかな胸。
礼次郎は少し頬を赤くした。
すると、それに気付いた順五郎が突っ込んだ。
「あ? どうした? え? まさか本当に……? 俺は冗談で言ったんだぞ」
「は? 何言ってるんだ? 結局何もしてねえよ」
礼次郎は慌てて否定したのだが、壮之介はその言葉のおかしさに気付いた。
「うん? 結局何もしてない? と言うことは途中までは何かあったと?」
「マジかよ!」
驚く順五郎ら。
「違う……大変だったんだ。脱がされて薬を飲まされて……」
「脱がさ……薬? すごいことしてたんだな」
「いや、だから違うって! オレは変な薬を飲まされて危うく奴隷にされるか殺されるところだったんだぞ」
「奴隷? 何だそりゃ?」
と会話が面倒な方向に行き始めた時、後方より、
「おーい! 城戸……! ちょっと待ってくれ!」
と、礼次郎らを呼ぶ高い声が小さく聞こえた。
「うん? 誰だ?」
振り返った礼次郎の目に入ったのは、全速力で馬を飛ばしてこちらへ向かって来る美濃島咲の姿。
「お。噂をすればちょうど本人だ」
順五郎が笑って言う。
馬を止めた礼次郎ら。咲は追いついて来ると、息を切らして、
「はあ……はあ……あんたら飛ばし過ぎだよ! 私の自慢の愛馬でも全然追いつきやしない」
と疲労混じりの呆れた顔。
「はは、悪いな。若がとにかく気が急いてるみたいで」
「全く……馬がばてちまうよ。うん? 何であんた顔が赤いんだい?」
咲は、自分を見て頬を赤らめた礼次郎を見て不審そうに言った。
礼次郎は慌てて視線を逸らした。
「い、いや何でもない。それよりどうした?」
咲は呼吸を整えてから言った。
「何……言い忘れたこと、と言うか私自身も忘れてたことがあってね。それを教えてやろうと思ってさ。仁井田統十郎のことだ」
「仁井田の?」
礼次郎が視線を咲の顔に戻した。
「そう。あいつは天哮丸を奪ってないよ」
「本当か?」
「ああ。さっき、仁井田統十郎はお前を探してるって言っただろ? あれは天哮丸をお前から奪う、もしくはその在り処を吐かせる為なんだ。うちの陣に来た晩、そう言ってた」
「そうか、と言うことは……?」
「そう、少なくともあの時点では天哮丸を奪えてはいないってことよ。それに、私は天哮丸を見たことがないけど、それらしき剣も持っていなかった」
「そうか」
礼次郎は少し安堵したような明るい表情を見せたのだが、
「じゃあ一体誰が天哮丸を?」
すぐに険しい顔になった。
「これじゃ全くわからなくなっちまったな。仁井田統十郎が奪っていた方がマシだったぜ」
「徳川でもない、仁井田でもない……では別の者か?」
「付近の村で聞き込みでもして参りましょうか?」
礼次郎らは途端に真剣な顔で話し合い始めた。
そんな彼らの様を、咲は少し複雑そうに眺めた。
――こいつらも私と同じ……奪われた物を取り戻そうと必死なんだ。
礼次郎の真剣な眼差しを見つめた。
――あの時は悪いことをしたかな。
咲はふっと微笑んだ。
そんな咲の視線に気付いた礼次郎、
「うん? どうかしたか?」
「い、いや、何でもない」
咲はふっと微笑して言うと、
「じゃあ、部下達を先に帰してるので私はこれでもう行くよ」
と、馬首を旋回させた。
「ああ、わざわざ教えに来てくれてすまない」
「なに……あんたには薬をもらったからね……ああ、そうだ。それと……」
咲は何か言おうと振り返った。
「まだ何か情報が?」
食い入るように見て来る礼次郎。
――あの時はすまなかった。
咲はそう言おうと思ったのだが、
「いや、その……」
何故だか言葉が素直に口から出て来ない。
「何だ?」
「いや、何でもない……道中気をつけなよ」
咲は何も言うことができずに再び背を向けた。
その時、再び街道の向こうより走って来た数人。
そのうちの一人の中年の女性が咲を見て、
「あ、美濃島のお嬢様ではないですか!」
と色を失った顔で言う。
「うん? 私を知っているのか? そなたらは?」
「私らは高梨村の者でございます。お、お助けください!」
中年の女性は脅えた様子で懇願する。
「助けてって……先日の戦で高梨村はもうすでに幻狼衆の勢力下だ。私にはもう何もできない。幻狼衆の連中に頼むといい」
咲は困った顔で言うと、女性はすがるように咲の下に駆け寄り、
「その幻狼衆の連中が村の人間を襲っているんです」
「な……何?」
咲はもちろん、礼次郎らも驚きに耳を疑った。
「民を襲ってるだって?」
「正気か?」
順五郎、壮之介が憤った。無言だが千蔵の表情にも怒りの色が浮かんでいる。
「何で奴らがお前たちを襲う? 何か原因があるのか?」
咲が聞くと、女性は身体を震わせながら、
「戦の前に腹ごしらえをしたいから飯を出せと……。しかしもう収穫が終わっているので備蓄は自分たちの分しかないと言いましたら、では景気づけに若い女を差し出せと……ですが私らの長老がそれを受け入れるはずがありません。そこで拒否しましたら、では代わりの景気づけに村の人間を血祭りに上げると言い、手当たり次第に襲い始めたのです」
「何だと?」
咲の白い顔に怒りの火の色が差した。
「何が景気づけだ、民を襲うとは」
礼次郎も怒りに眦を吊り上げた。
女性は目に涙を浮かべた。
「今、村の若い男たちが必死に抵抗していますがこのままではすぐに……お嬢様、お助けください!」
「わかった。しかし奴らは戦の前の景気づけと言ったのだな? どこに戦に行くかとかは言っていたか?」
今、本拠の小雲山を襲われたら一大事である、咲はまずそこを確認しておきたかった。
ところが、女性は意外なことを言った。
「えっと……城戸へ行くと言っていました」
その言葉を聞いた礼次郎、
「何?」
と、驚きのあまり手綱を落としそうになった。
「本当か? 何故城戸に?」
「何故かはわかりませんが、確かに城戸へ行くと言っておりました」
礼次郎の顔色が変わった。




