仁井田統十郎の行方
上州の街道沿い、城戸礼次郎と美濃島咲は、互いに刀を構えたまま睨み合った。
だが礼次郎は、咲始め美濃島衆が皆、返り血と泥に塗れて甲冑もボロボロ、またその顔に疲労の色が濃いことに気付くと、
「いや、やめよう」
と、金属音を響かせて納刀した。
咲は意外そうに驚き、
「やめる……?」
「ああ。あの時はともかく、よく考えると今はお前らと斬り合う理由が無い。しかもそんなボロボロのお前ら相手じゃ戦う気にもなれない。一体どうしたんだ?」
すると咲も苦々しげに舌打ちして刀を納め、
「あんたに情けをかけられるとはね……。見りゃわかるだろ?戦で負けたんだよ」
「負けた? 美濃島が? どこにだ?」
「幻狼衆とか言う得体の知れない連中だよ」
「ゲンロウ衆? 知ってるか?」
礼次郎は後ろを振り返る。
順五郎、壮之介は首を横に振ったが、千蔵が、
「知っております。上田にいた時に安房守様(真田昌幸)より我ら草の者に探るよう命令が下されておりました」
と答えた。
「どんな連中なんだ?」
「それが謎でございます。半年ほど前、上州の南方にある七天山と言う山に突如として現れた集団でして、命を受けた草の者がその正体を探りに行ったのですが、誰一人として帰って来た者はおりませんでした」
「へえ……真田忍軍が忍び込めないとはすごいな」
礼次郎が言うと、咲が髪をかき上げ、
「そう。私らも伊賀から忍びを雇って送り込んだけどね、誰一人して帰って来なかったよ。交渉の使者を送っても戻って来ない。私らと奴ら幻狼衆とはその半年ほど前から度々戦をしてるんだけど、つい昨日も得意の騎馬戦術を逆にやられてこのザマだ」
いまいましげに言った。
「あの美濃島騎馬隊が負けるとは……」
壮之介が眉間に皺を寄せた。
その時、咲の後ろの方、輪になっている連中から一人の男のうめき声が聞こえた。
「う……うわ……ああ……!」
咲はそれを耳にすると、
「どうした!?」
と慌ててそちらへ向かった。
「何だ?」
礼次郎も気になって馬を降り、そちらへ見に行った。
そこには、半裸で胸から脇腹にかけて長い刀傷を負った美濃島衆の兵士が苦悶の表情で横たわっていた。
「どうした? 小平太は大丈夫か?」
「傷の痛みよりも、そこから来る発熱の方がしんどいようで……意識が……」
手当てしていた加藤半之助が辛そうに言うと、咲は手で小平太の頬を軽く叩き、
「小平太、大丈夫か? 聞こえるか? 私だ。もう少し頑張れ!」
と、心配そうに大きな声を出した。
そして、
「庄吉はまだ帰って来ないのか?」
と周囲の者に言った時、
「あ、ちょうど庄吉が帰って来ました」
と一人の者が指差した方、一人の兵が走って来た。
その兵、庄吉は、息を切らしながら、
「すみません、近くには医術を知っている者はおりませんでした。薬もまともな物は無いようで……」
と申し訳なさげに言った。
「そうかい、仕方ない。ご苦労だった」
咲は溜息をつきながらも庄吉の足労をねぎらったが、
「困ったね……」
と苦渋の表情になった。
その様をじっと見ていた礼次郎は、ゆりの仙癒膏を取り出し、
「この塗り薬、色んな傷に効くんだが塗ってみるか?」
と差し出した。
咲は驚き、
「え? 本当か?」
「ああ。オレの顔の傷やあざを見ろ。これでもかなり良くなったんだ。今朝まで酷かったがこれを塗ったおかげでここまで良くなった」
礼次郎は自分の顔を指差す。
「そうか。もらってもいいのかい?」
「ああ、どうせ残り少ない、全部使えよ」
「すまないね。じゃあもらうよ」
咲が仙癒膏を受け取ると、礼次郎は更に紙包みを取り出して、
「それとこの中の丸薬は発熱に効く。即効性があるみたいだからちょうどいいだろう」
と差し出した。それも、あの時仙癒膏と一緒にもらったゆりの薬であった。
すると咲は流石に怪しんで、
「お前、何でそんなに薬を? まさか変な毒とかじゃないだろうね?」
と、じろじろ礼次郎の顔を見たが、
「お前が言うな。ここでオレが毒を盛って何の得があるんだ? 早く薬をあげてやれよ」
礼次郎は呆れ顔になった。
「あ? ああ、そうだね」
咲は、横たわり息絶え絶えの小平太に自ら丸薬を飲ませ、傷口に仙癒膏を塗ってやった。
それからしばらくの時が経って、
「咲様、呼吸が落ち着いたようです! 顔色も!」
と言う加藤半之助の言葉に、咲は小平太の顔を覗き込んだ。
目は閉じているが、確かに顔色は良くなり、呼吸も落ち着いた。むしろ眠りかけているようであった。
「そうか……良かった」
咲はほっと胸を撫でおろした。
そして路傍の木にもたれて座っていた礼次郎らの方へ歩み寄ると、
「城戸礼次郎。もらった薬は効いたようだ。礼を言うよ」
と、素直に頭を下げた。
「それは良かった。だが礼ならオレじゃなくてそれを作ったゆりって女に言ってくれ」
礼次郎が笑うと、
「ゆり……?」
咲の動きが止まって訝しむ顔になった。
「ああ」
「この薬……ゆりと言う名……まさか、そのゆりって女は武田四朗勝頼の娘、百合姫じゃないだろうね?」
咲が言うと、礼次郎は驚いて、
「知ってるのか?」
「ああ、もちろん。そうかあの姫君の薬か、道理で……」
咲が一人納得して頷いた。
「そうか、美濃島衆は武田家の傘下にあった。知っていてもおかしくはないな」
壮之介が言った。
「あんた、何であの姫君の薬を? 知り合いなの?」
咲が聞くと、順五郎がにやにやしながら、
「若の許嫁だよ」
と言った。
「何? 許嫁? あんたとあの姫君が?」
咲は驚いた。
「お、おい、順五郎!」
「へえ……あんたがあの姫君の許婚ねえ……」
咲が何とも言えない複雑そうな表情で礼次郎の顔をまじまじと見た。
「何だよ?」
「いや……それより、あんた本当に生きてたんだね。統十郎の言った通りだ」
「うん? トウジュウロウ?」
今度は礼次郎が反応した。
「? なんだい?」
「そのトウジュウロウって……誰だ? 上の名前は何と言う?」
「仁井田。仁井田統十郎だ」
咲が言うと、礼次郎は驚いて背を木から離し、
「何で仁井田統十郎を知ってるんだ? 奴は今どこにいる?」
「え……? あいつは今回の戦の時に、突然戦に加えてくれって現れてさ……先陣に加えてやったんだけど、あの後どうなったかは知らないよ。あの乱戦だ、普通だったら討死にしているだろう」
と咲が言うと、礼次郎は少しがっかりした様子で、
「そうか……討死に……」
「いや、今も言った通り、普通の者だったら討死にだろうってことだ。だがあいつは普通ではない武勇を持っている。逃げ延びてどこかで生きてるんじゃないかと私は思う」
「そうか。じゃ、じゃあ、もし討死にしていなかったらどこへ行っているかはわからないか?」
「え……? そうね……あ、そうだ。そう言えばあんたを探してるとか言ってたね」
「オレを? 何でだ?」
礼次郎が驚いて聞き返す。
「さあ? 何でだったかな? 戦の前日だったからよく覚えてないね。……あ、それと、越後へ行く予定があるとかも言ってたね」
と言うと、それを聞いた礼次郎は顔を明るくし、
「越後? それはちょうどいい」
と言うと順五郎らの方を見て、
「聞いたか? ちょうどオレたちが行く方向じゃないか」
「ああ、まさにこれも天の声だな」
得意そうに言った順五郎に、
「お主、調子に乗っておるな」
壮之介が苦笑する。
「よし、じゃあ予定通り越後へ向かうぞ」
そう言うと、礼次郎らが立ち上がり、馬に飛び乗った。
咲は少し解せぬ顔で、
「あ、待ちなよ。あんた、どうして仁井田統十郎を探してるんだい?」
と声をかけると、礼次郎は馬上風に髪をなびかせながら、
「城戸家重代の秘剣、天哮丸が何者かに奪われた。下手人はどうやら仁井田統十郎らしい。だから奴を追っているんだ」
と言い、
「じゃあ、急ぐからまたな! 頑張れよ! 行くぞ!」
手を振ると、順五郎、壮之介、千蔵を連れて突風の如く走り去って行った。
咲は少し呆気に取られて、
「あっと言う間に行きやがった……」
――一度は自分を捕えて売ろうとした相手に向かって頑張れよ、って……変な奴だ。
と、苦笑した。
そしてまた小平太を囲む輪の方へ戻った。
「どうだ? 小平太は?」
咲が聞くと、半之助が明るい顔で、
「よく眠っております」
「そうか、それは良かった」
咲は安堵したが、半之助は、
「ですがこれでは動けませんな。一刻も早く小雲山に帰りたいところですが」
「仕方ない、今起こして動かすのは良くない。あと四半刻(30分)ほど眠らせたら起こして動くとしよう」
「承知しました。しかし、あの薬は凄い効き目ですな」
半之助が感心した。
「ああ、全くだ」
――悔しいが、あいつに借りを作っちまったね……。
咲の心中に複雑な思いが渦巻いた時、ふと先程の礼次郎の言葉を思い出して違和感を覚えた。
――うん? そう言えば天哮丸が奪われたと言っていたな? 仁井田に……?おかしいな……
咲は記憶を手繰り寄せる。
それは先程はすっかり忘れていた、あの決戦の前日の夜に統十郎が言った言葉。
――俺は天哮丸を探している
――天哮丸は城戸家当主による一子相伝、その在り処も城戸家当主になる人間しか知らんと聞いた。だから俺は礼次郎の行方を追っている
咲は視線を落として口に手を当てた。
――と言うことは仁井田統十郎は天哮丸を手に入れてないってことよね……
――でもあいつ、仁井田が天哮丸を奪ったと思って……
咲は無言になった。
そして視線を上げると、
「まあ、いいか」
と呟いた。
だが、礼次郎が渡したゆりの薬で容体が落ち着いた小平太を見ているうちに、感情の居心地の悪さを覚えた。
「ちっ、仕方ないね……」
咲は気怠そうに溜息をつくと、礼次郎らが走って行った方向を見やった。
「高梨村の方か……私らの行先とは逆ね……」
そう言うと、咲は自分の馬に跨った。
それに気付いた半之助らが、
「咲様、どうされました?」
と聞くと、咲は馬上から、
「ちょっとあの城戸礼次郎に伝え忘れたことがあってね。奴には助けられちまったし、ちょっと追いかけて教えてやって来る。お前たちはここで小平太を見てやりな。四半刻ほども経ったら先に小雲山に向かってて。すぐに追いつくよ」
と言うや、馬に鞭打って駆け出して行ってしまった。




