無天乱れ龍
「ほう、流石は本多様。言った通り城戸礼次郎がいたわ」
虎之進は馬上より見下ろしながら冷たく笑った。
「やはり罠だったか? 家康はどこにいる?」
礼次郎の眸が見る見るうちに殺気立って行く。
「罠? まさか。我らはとっくに浜松に引き上げておる。だが、我が軍の軍師本多佐渡守様が、ちょうど今の頃に貴様が城戸に姿を現すであろうと言ったので、この俺が服部殿から伊賀衆の者を借りて、貴様を捕える為に再び駆けつけたのだ」
その虎之進の言葉を聞いた千蔵、
――伊賀衆の?
虎之進の背後の者たちを見た。
ざっと見積もって二十人、数は決して多くはない。しかもどれも見た目は普通の足軽武士である。
だが、その雰囲気、表情、目つきなどは忍び独特のものであった。
しかも、
――どれも並の使い手ではない!
千蔵はその強さを感じ取った。
礼次郎は素早く刀に右手をかけると、鯉口を切った。
「オレを捕えに来た? それはありがたいね。わざわざオレに仇を討たせに来てくれたんだからな」
その言葉に虎之進の眉がピクリと上がった。
「生意気な。この俺と徳川自慢の伊賀衆を相手によくもそんな口が聞けたもんだ」
「そう思うんならさっさとかかって来いよ」
礼次郎が抜刀した。
「いいだろう、あの日の続きをしてやる」
虎之進が馬から飛び降りて剣を抜くと、礼次郎は振り返らずに背後へ向かって叫んだ。
「茂吉、皆を連れて隠れてろ!」
「は、はい」
「順五郎、壮之介、千蔵、行くぞ!」
「おう!」
突如として戦闘が始まった。
「かかれいっ!」
虎之進が指示すると、引き連れていた徳川伊賀衆の者たちが一斉に武器を取って礼次郎らに襲い掛かった。
礼次郎は向かって来た敵一人の攻撃をいなし、一、二合打ち合うや脚をかけて転ばせた。そしてそのままその相手を無視すると虎之進に向かって行った。
千蔵は忍び刀を抜くや三人を同時に斬り合う。
壮之助は鋼の錫杖を振り回し、数人の敵の突進を止める。
順五郎は槍を左斜め上から振り下ろし、また怒涛の突きを繰り出す。
三人ともにすぐに感じた。
――こいつらは尋常の強さではない!
流石は家康が伊賀から集めた者たちであった。
その洗練された動き、攻撃の鋭さ、防御の巧みさ、どれも一流、どの家に行っても一角の武将になれそうなものであった。
虎之進に向かって行った礼次郎、風を巻いて下段より斬り上げた。
余裕の笑みを浮かべる虎之進、振り下ろして受け止める。
そして上から、横から、下から、二人は数合打ち合うと、ぱっと離れて間合いを取った。
礼次郎は精神集中を加速させた。
心の皮を剥いて行く。
刀を下段に構え、虎之進の全身を凝視する。
虎之進が冷たい笑みで言った。
「ほう。前よりは腕を上げたようだな。だが所詮俺の敵ではない」
「せいぜい笑ってやがれ。すぐにその顔を青くしてやる」
「ははは……若いと言うのは憐れなものだな、力の差がわからぬとは」
虎之進は高笑いを上げた。
「何だと?」
「お前はすぐに俺に斬られるだろう。だが、その前に天哮丸を渡せ、そうすれば命だけは助けてやろう」
「ふざけるな! お前らこそ盗んだ天哮丸を返せ!」
と、言ったところで、
「……何?」
「え……?」
二人とも言っている事が食い違っていることに気付いた。
礼次郎が戸惑いながら言った。
「何言ってるんだ? てめえらが天哮丸を奪ったんじゃないのか?」
虎之進もその冷たい表情に困惑の色を走らせた。
「盗んだ天哮丸? どういうことだ……? まさか貴様、天哮丸を他の者に奪われたのか?」
礼次郎と虎之進、困惑しながら視線をぶつけ合う。
「今朝、天哮丸を祭ってある場所に行ったのだがすでに無かった。お前ら徳川軍が持ち出したと思っていたが……」
「違う。我々は結局見つけることができなかった。だからこうして貴様を捕えに再びやって来たのだ」
「じゃあ一体誰が……?」
礼次郎が呆然とした。
「となると、やはり仁井田統十郎が奪って行ったとしか思えんな」
虎之進が呟いた。
「仁井田……統十郎?」
礼次郎はその名に反応した。
統十郎のことは覚えている。
あの城戸の戦の晩に刃を交えた。
荒々しく激しい剣を使う男。
そして不思議なことを言った男。
――真円流のその更に上を行くと言われる伝説の流派、それが極円流
――極円流はあらゆる剣術流派を凌駕する最強の剣術。
今、虎之進からその統十郎の名が出た。
「仁井田統十郎がどうした?」
「奴はあの晩、突然我が軍から姿を消した。以前からどこか怪しい奴であった。あの晩、貴様が天哮丸を失ったのなら、奪ったのは仁井田統十郎かもしれん」
「なんだと?」
「だが、それならそれで遠慮なく貴様を斬れる。天哮丸を持たぬ貴様に捕らえる価値は無いが、我が殿は何故だか貴様の存在を恐れておられる。今ここで貴様の首を取り、その後仁井田統十郎の行方を追うことにしよう」
虎之進は残忍な笑みを浮かべた。
「悪いが死ぬのはてめえだ」
礼次郎は吐き捨てるように言うと、脇構えを取った。
視線は虎之進の目、手、指先に集中する。
虎之進は、刀を右耳横に立てる八相の構え。
――来る……左によけざまに右薙ぎだ。
だがそう読んだ瞬間、それよりも速く虎之進の突風のような袈裟斬りが迫って来た。
――速い!
わずかに遅れた礼次郎、振り上げて受け止めた。
後ろに飛び退く礼次郎、そこへ虎之進の太刀が雷の如く追って来る。
礼次郎は受け止めるが、体勢を少し崩した。
だが、それを活かし腰を屈めたまま虎之進の右へ回る。
そこへ再び虎之進の袈裟斬りが襲う。
読んでいた礼次郎、数歩素早く飛び退いた。
――これは確かに強い。こいつはこんなに強かったのか!
礼次郎は額に冷や汗を流した。
まだ、一太刀も浴びせられていない。
「どうした? 真円流とはそんなものか?」
虎之進は余裕の笑みで再び八相に構えた。
礼次郎は舌打ちすると、土埃を上げて踏み込んだ。
そして再び激しく打ち合った。
少し離れたところで何とか二人の敵を叩き伏せた壮之介。錫杖を振るって目の前の敵と戦いながら、横目でちらっと礼次郎と虎之進の戦いを見た。
――あれは相当の達人だ。このままでは礼次郎様はやられる!
壮之介が密かに焦った時、別の徳川の伊賀者が、卑怯にも礼次郎の背後を襲おうとしているが目に入った。
――まずい!
「礼次様! 後ろを!」
壮之介の絶叫。
「え?」
礼次郎がちらっと振り返った時、すでにその敵の刃が唸りを上げて振り下ろされていた。
――しまった!
だがしかし――
突如、その伊賀者の背後を何者かが飛燕の如く横に飛んで行ったかと思うと、伊賀者は悲鳴を上げて地に崩れた。
「何?」
今斬り合っていた虎之進も、驚いて剣を引き、後ろに下がった。
礼次郎は振り返った。
そこには、髪を乱雑な茶筅髷に結い、黒い小袖の右肩を片肌脱ぎに着た細身の壮年の男が、鮮血滴る刀を無造作に下げて笑みを浮かべて立っていた。
その男を見ると礼次郎は口をぽかんと開けた。
「あ……あなたは……」
驚きのあまり言葉を失った。
男は刀を振って血を払うと、
「お前、背中がら空きだったぞ?」
と、ニヤニヤ笑いながら言った。
「誰だ貴様は?」
虎之進はこの異様な男の出現に戸惑いながらも、ギロリと睨みつけた。
茶筅髷の男は、はははと笑うと、礼次郎を指差し、
「そいつと斬り合ってもつまらんだろ? 俺と戦わないか? 楽しめると思うぜ?」
「何言ってやがる、邪魔だ、失せろ!」
「おっと、そうか。確かに邪魔だなこいつら。じゃあまずはこいつらを片付けるか」
茶筅髷の男は言うと、片肌脱ぎの右手に刀をダラリと下げたまま、飛鳥の如き速さで近くの敵へ向かって走り出した。
礼次郎は驚いたような、恐れるような、嬉しいような、そんな複雑な表情で目を見張り、男の一挙手一投足を見つめた。
男はふわっと飛んだかと思うと、その右手から光が一閃した。
相手はよけることも反応することすらもできずに、血飛沫を上げて倒れた。
続けて、順五郎らが火花を散らす戦いの渦へ入って行くと、素早いがどこかふわっとした動きで動き、そしてその無造作に握られた刀は縦横無尽に走り、煌きと共に血の雨を降らせた。
その刀の動きは、上段だ下段だ八相だなどと言った物はなく、ただその刀自体が生物であるかのように自由自在に舞うのであった。
礼次郎はその様を見て戦慄した。
――あの技は……無天乱れ龍……!