龍牙湖の祭壇
龍牙湖の水面は、周囲の木々の隙間から注ぐ陽光をキラキラと反射させていた。
結構な距離を漕いで行き、先ほどまでいた水辺が少し小さく見える頃、小さな島に漕ぎ着いた。
礼次郎はバシャンッと水の中に降りると、小船を押して水辺の上に押し上げた。
島は本当に小さく、端から端まで歩いてもおよそ二百歩ほどの広さしかない。
それでも島にはちゃんと草や木が生えていた。
礼次郎は島に上がると、奥へと歩いて行った。
そして草木の間を抜けて行くと、古びた小さな祠があった。
祠には鉄製の観音扉がついている。
礼次郎はその前に座ると、腰に差していた城戸家伝来の刀を取り出し、目釘を抜いて分解し始めた。
分解し終えると、鍔を手に取り、それを観音扉の中央の溝に半分ほど差し込み、右に半回転させた。
奥からガチャン、とはっきりとした音がした。
鍔はこの祠の鍵になっていた。
「よかった、ちゃんと開いた」
ほっとして呟くと、礼次郎は扉を開けた。
その中には、ポツンと一つの鍵と、つるはしがあった。
礼次郎はそれらを取ると立ち上がり、祠の裏へ回った。
そしてそこから真っ直ぐに島の奥へと歩いて行った。
すぐに大きな岩場が見えた。
礼次郎はそのまま真っ直ぐに歩いて岩場の前まで来ると、右を向いて、
「一、二、三……」
と歩数を数えながら岩場に沿って歩いた。
「十」
と、十歩目まで来ると立ち止まった。
「確かここでいいんだよな」
礼次郎は辺りを見回して確認すると、つるはしを振り上げ、岩場の岩と岩の隙間に勢いをつけて振り下ろした。
つるはしがドガッと突き刺さり、岩が簡単にぐらついた。そのまま二回、三回とつるはしを叩きつけると、そこの岩が容易にゴロッと崩れ落ちた。どうやらわざと簡単に崩れるようになっているらしい。
そして同様に、周りの岩も崩して行った。
すると、その完全に崩れた所に、ちょうど礼次郎の背丈ぐらいの高さの鉄の扉が現れた。
扉にはやはり鍵穴がある。
礼次郎は先程祠で取った鍵をその鍵穴に刺し、ゆっくりと右に回した。
ガチャンと重い音が響いた。
そして礼次郎は扉の取っ手を引いた。
ギギギ……と、重たげに扉が開かれた。
その扉の奥は洞窟になっており、更に奥へと通じる道があった。
礼次郎は中に入り、その道を奥へと歩いて行く。
すぐに、三間四方(約5.4メートル四方)ばかりの少し広い空間に着いた。
そこはとても神秘的な空間であった。
天井までの高さはおよそ二間(約3.6メートル)ばかり。だが隙間でもあるのか、ところどころに淡い光が差し込んでいた。
左右の岩壁からは、水が小さな滝のように流れ落ち続けている。だが、そこから地下に落ちて行ってるのか、水たまりはできていなかった。
目の前の中央には、盛り上がった岩棚がある。
そこには、祭壇のような物が設えられていた。
そしてその上に、静かに横たわる長方形の黒ずんだ鉄の箱。
礼次郎はゆっくりとその祭壇の前に歩いて行くと、鉄の箱をしばし見つめた後に一礼した。
ふーっと息を吐いた。その顔がどことなく緊張していた。
そして、
「城戸家第十七代、城戸礼次郎源朝臣頼龍にございます」
と鉄の箱を見つめたまま厳かに呟き始め、
「八幡太郎義家様、城戸家家祖七郎義龍様……今、我ら河内源氏の秘宝、天哮丸は危難に直面しております。それ故、この礼次郎頼龍が天哮丸を守護するべく持ち出すことを許したまえ」
と言うと、再び鉄の箱の前で一礼した。
心なしか、天井より降り注ぐ光が強くなった気がした。
そして礼次郎は鉄の箱に両手をかけるとゆっくりと持ち上げた。
「この城戸礼次郎、必ずや天哮丸を守護し、河内源氏の誇りを胸に城戸家を再興いたします」
双眸に決意の光を灯して呟くと、鉄の箱を抱えて背を返し、元来た道を戻って行った。
外に出た礼次郎は、洞窟の扉の鍵は戻さずに、つるはしのみを祠の中に戻した。
そして鉄の箱を持って、再び小船に乗り込んで島を離れた。
秋にしては暖かい陽光が降り注ぐ水面を漕ぎ、やがて順五郎らが待つほとりに漕ぎ着いた。
順五郎らが駆け寄って来た。
壮之介が、礼次郎が抱えている鉄の箱を見て言った。
「おお、その箱が……それに天哮丸が収められているのですな?」
「ああ。オレもこれを手に取るのは三回目、五年ぶりだけど、手元にあると安心するな。源三郎様の言う通り、自分で持っておく方がいいな」
と言って礼次郎はぽんっと鉄の箱を叩いた。
その音を聞いた千蔵は何かに気付いた様子で、じっとその箱を見つめた。
「流石に天哮丸だ、こんな仰々しい鉄の箱に入ってるとはなぁ」
順五郎は目を瞠った。
「順五殿は見るのは初めてか」
「当たり前だ。天哮丸は城戸家当主しか持てないし見られないし、その場所も知らないんだから。だから俺なんか、天哮丸ってのは本当はそんなものは無くて、ただの伝説だと思ってたよ。でも、今こうして見ると本当にあったんだなと、何か不思議な感じだぜ」
「ははは。なるほど、城戸の民はみんなそんな感じだろうな。オレだって今までに実際に目にしたのは二回だけだ。こうして手に持っているのが何か変な感じだよ」
礼次郎が笑った。
「とにかく、手元に収められてようございました。では越後へ向かいましょう」
「そうだな」
と礼次郎が答え、馬を繋いである場所に歩いて行こうとした時、じっと天哮丸の鉄の箱を見つめていた千蔵が言った。
「お待ちを」
「何だ?」
「中の確認をした方がようございます」
千蔵の顔は真剣な表情。
「何?」
礼次郎は不思議そうに千蔵の顔を見たが、
「はっ……まさかお前?」
勘のいい礼次郎は、すぐに千蔵が何を言いたいのかわかった。
礼次郎は鉄の箱を地面に置き、先程の洞窟の鍵を取り出した。この箱の鍵と洞窟の鍵は共通になっていた。
礼次郎はその天哮丸の箱の鍵穴に鍵を差し込み、回した。
ガチャッ……と音がした。
礼次郎は恐る恐る箱の蓋を持ち上げた。
すると、中を見た礼次郎の顔がさっと青ざめた。
「無い……天哮丸が無い!」
そこには何も無かった。
箱の中は空っぽであった。