天哮丸の在処
「ほう。よく生きていたな」
屍の山の中から立ち上がった統十郎を見て、玄介が薄ら笑いを浮かべながらも感心して言った。
「あ、あんな傷程度、大したことはねえ」
統十郎は玄介の方を振り返って言うと、
「何となくだが読めて来たぜ、てめえらの正体が……」
血まみれの顔の下から鋭い眼光を放った。
「へえ……」
「玄介とか言うてめえが幻狼衆の親玉か」
統十郎は右手に握る直刀撃燕兼光を向けた。
「無礼な!」
その様に、玄介の部下達が怒ったが、玄介が馬上で手を挙げてそれを制すると、部下達は静まった。
その時、猛烈な突風がビューッと吹き抜けて行った。
「まあそうだが……お前は直刀を使うのか、珍しいな。見たところかなり傷ついているようだがよく立てるね、何者だ?」
玄介が薄ら笑いで言う。
「気にいらねえな、その笑い方。俺は仁井田統十郎」
「仁井田……? 統十郎? どこかで聞いたような気がするな」
「そんなことはどうでもいい。てめえらは一体何者だ?」
「そんなこと答える必要が私にあるかね?」
すると統十郎は、玄介とその周りの者達を見回し、
「間違いねえ、てめえらだ……。てめえらは先日城戸で戦があったあの晩、城戸の館の中をうろついていたな?」
と言うと、玄介は眉をピクッと動かし、急に鋭い目つきとなって統十郎を睨んだ。
統十郎はそれを見ると、
「やはりそうか。てめえらで間違いないな」
「何でそんなことを知っている?」
玄介は急に冷たい目つきとなった。
「俺はあの晩まで徳川軍にいたんでね……俺はあの晩、戦の混乱の中に紛れて、家康の奴より先に、今は城戸家に奪われている天哮丸を取り戻そうと走り回っていたが、その在り処の手がかりすら掴めなかった。だが、黒い上下に黒の胴当てのみを身に着けているおかしな連中がいた……てめえらだろう?」
そう言う統十郎の言葉に、玄介は声を低くして笑った。
「はっはっはっ……そうだよ、まさしく私たちだ。この恰好をしている者は我々幻狼衆の幹部だ。そうか……徳川家康や北条氏政のみならず、お前も天哮丸とやらを狙ってたのか」
「北条氏政だと? 北条も天哮丸を狙っているのか? 北条は徳川と同盟関係にあるのだぞ?」
「あっはっはっ……噂だ……そう聞いただけだよ」
統十郎は舌打ちすると、
「いちいち気に食わねえ喋り方だな。それでてめえらはあの晩、あの城戸の館の中で何をしていた? 徳川軍と城戸軍しかいないはずのあそこに何故てめえらがいた? 何をしていた?」
「ふふ……」
玄介はにやにやと笑ったまま答えない。
「その癇に触る笑い方をやめろ! この撃燕でぶっ殺すぞ!」
統十郎が眦を吊り上げ、額に青筋立てて撃燕兼光を向けた。
するとその直刀撃燕兼光を見た玄介は、ふと何かに気付いた顔になり、
「撃燕……? まさか燕撃ち兼光の事か? 思い出したぞ、その直刀。そして仁井田統十郎と言う名前。お前は数年前に京を荒らしまわったと言う直刀十郎、朱色の統十郎か?」
「その通りだ」
統十郎が頷いた。
「ほう……お前が有名な朱色の統十郎か。じゃあ失礼が無いようにこちらも教えてやろうか」
玄介がにやりと笑った。そして、
「私達は……」
と言ったその時、
「――――――――――」
獣の叫びのような猛烈な突風がゴーッと吹き、玄介の言葉をかき消した。
だが、仁井田統十郎ははっきりとその言葉を聞き取ったらしい。
統十郎は驚いた顔になり、しばし無言でいたが、やがてニヤッと不敵に笑うと、
「そうか、そう言う事か……。道理で美濃島衆の策を見破るばかりか、それをそっくり真似られるわけだ。そしてあの晩城戸にいたのも……そうか、てめえらだったのか……」
「ふふふ……納得したかい」
「ああ」
「じゃあ、こっちのことを教えてやったから、次はお前が教えてくれる番だ」
「俺が? 何を教えることがある?」
「とぼけるなよ……直刀十郎、朱色の統十郎、お前こそ一体何者だ? 西の海出身と言うこと以外は全てが謎の剣客。それが何故徳川軍に? 何故天哮丸を?」
「悪いが言えねえな」
統十郎は鼻で笑った。
「ふっ……そう言うだろうと思ったよ。まあ大体お前の正体はわかっているけどさ」
「何?」
「さっきも言ったろう? 我々の諜報力をなめてもらっちゃ困るね」
「間違ってるかもしれねえぜ?」
「じゃあ力ずくでも教えてもらおうか。まあ、教えてもらった後は死んでもらうんだけどね」
玄介が白い顔に薄ら笑いを浮かべると、その幹部約三十人が一斉に武器を構えた。
すでに背に大きな傷を負っている統十郎、ニヤリと笑い、
「なるほど……お前らは特別のようだな」
撃燕兼光を構えたが、その額には大傷の痛みから脂汗が浮かんでいる。
幻狼衆幹部約三十人対一人。しかも統十郎はすでに背に大きな傷を負っている。
いくら統十郎が群を抜く優れた達人であろうと、とても無事ですむとは思えない。
多数の屍が血塗れで転がる牛追平の野原に、無情な上州のからっ風が吹く。
先程は四方を囲まれた死闘の中でも圧倒的な猛威を振るった統十郎の撃燕兼光だが、今ばかりは頼りなげな光に見えた。
上野の城戸領にほど近い山の中。
そこに、馬上揺られながら進む礼次郎らの姿があった。
礼次郎らは天哮丸を手元に収めるべく城戸の郷へ向かっていた。
城戸の地はもう近い。
ここはあの城戸での戦の晩、城戸から逃げる時に通った草木深い山中の道である。
進んで行くと、ある二俣路に差し掛かった。
「ここを左だ」
礼次郎が指差して言った。
「え? こっちの方向は城戸領じゃないぜ?」
順五郎が怪訝そうな顔で言う。
「そうだ。だがこっちだ」
「この道を進むと確かそこは……」
「龍牙湖だ」
「そうそう、龍牙湖。まさか天哮丸はそこに?」
「その通り」
礼次郎が頷くと、
「龍牙湖は城戸領の外れだ。城戸領なのかその隣の柿田家の領地なのか曖昧な場所だ、まさかそんなところにあるとは」
順五郎が意外そうな顔で驚く。
「柿田家とは裏で話し、わざと曖昧にしてあると父上は言っていた」
「そう言えば元々柿田家は城戸家とは同族の親戚筋だっけ……それも可能か……」
順五郎が腕を組むと、壮之介が、
「しかしいいのですか? 天哮丸の在処は城戸家当主による一子相伝のはず。順五郎殿はともかく、わしや千蔵殿のような外部の人間にまでそんなことを話しては……」
「いいんだ、今後はもう龍牙湖には置かず、しばらくはオレの手元に置いておくことになるんだから」
「確かにそうだな」
順五郎が納得して頷く。
「それにオレはお前達を信頼しているからな」
礼次郎は三人の顔を見回した。
「よし、じゃあ行こう」
一行は龍牙湖に続く山道を進んだ。
しばらく進んで行くと、下り坂になった。
草木は変わらず深かったが、突然視界が開けたかと思うと、目の前にキラキラとした青い水面が広がった。
「ほお……こんな山中にこんな湖が……絶景ですな」
壮之介が見回して驚嘆の声を上げた。
順五郎は懐かしそうに目を細めて言った。
「これが龍牙湖。遠いからあまり人は来ないけど、俺や若が子供の頃は時々遊びに来てた。上州は海が無いから、俺達にとってはここが海だったんだ」
山の中で意外だが、かなりの広さがある。
その水は青く透き通っており、水辺は湖底の砂が見える。
礼次郎は辺りを見回して、何かを見つけると、
「ああ、良かった、あったあった」
そちらの方へ歩いて行った。
その先には、一艘の小船が水辺にあった。棹もちゃんとある。
「お前達はここで待っていてくれるか?天哮丸を持って来る」
礼次郎は言うと、小船を水辺に押し出し、乗り込んだ。
「その船で? まさか天哮丸は水の中なのか?」
順五郎が驚いて聞くと、
「んー、ちょっと違うがまあ似たようなもんだ」
そう言って、礼次郎は棹を水面に差し、龍牙湖の奥へと漕ぎ出して行った。




