落とし穴
そして駒場又兵衛は再び斬りかかって来た。
礼次郎は飛び退いてその切っ先をかわす。
――大した傷ではなくても傷は傷だ!
礼次郎は駒場と一定の間合いを保ち始めた。
駒場はそんな礼次郎を追って次々と斬り込んで来るが、礼次郎はそれを受け止めることなくかわし続けた。
確かに駒場の言う通り、先程の傷は深手ではない。
だが礼次郎の言う通りでもあり、傷は傷である。
駒場の脚には確実にその影響は出ており、脚の踏み込みが先程より鈍くなっていた。
また、それは駒場の斬撃力が鈍ると言う事を意味する。
そして、すでに駒場の動きを読み切り始めている礼次郎には、速度が落ちた駒場の斬撃をかわすことは難しいことではなかった。
「おのれっ、ちょこまかと!」
駒場は刃風を唸らせ刀を振るも、礼次郎は右に左に、橋から欄干へと飛び回り、捕らえることができない。
そしてその間にも大した事のなかった膝の傷は広がる。
礼次郎はよけ続けるだけで、自分からは攻撃しなかった。
「卑怯な奴め!斬り合わんか!」
駒場が息を乱しながら罵る。
だが礼次郎はにやりと笑い、変わらず間合いを保ってかわしつづけるのみであった。
駒場は徐々に焦り始め、
「くそっ、一撃で仕留めてくれるわ!」
次第に大振りが多くなって来た。
しかし当然、大振りでは尚の事礼次郎を捕らえることなどできない。
駒場の疲労が蓄積し、肩で息をし始めた。
すると当然駒場の動きは更に鈍くなる。
――これが狙いだ・・・!
それまでよけるのみであった礼次郎が、駒場の斬撃を受け止めつつ徐々に後ろに退いて行った。
そして隙を見て大きく飛び退いた。
その時、刀は身体の後ろに隠すような左脇構え。
礼次郎が押されて態勢を崩したと思った駒場又兵衛、
「逃がさん!」
と、大きく右上段から振り下ろした。
瞬間、礼次郎の右脇から青白い剣光が天へ走った。
――逆さ天落とし・・・!
礼次郎の身体は駒場の左にあり、城戸家の名刀は駒場の腹を斬り払っていた。
血飛沫が橋を染めた。
「が・・・あ・・・うっ・・・くそっ・・・!」
駒場が呻きながら橋に倒れ込んだ。
「お前は強い・・・だけど自分の強さに自信を持ち過ぎなんだ」
礼次郎が駒場を見下ろして言った。
そして刀を振り、懐から懐紙を出して血を拭うと、
「悪いな」
と、少し悲しげな顔で呟いた。
息を飲んで見守っていたゆりも複雑そうな顔をしていた。
だが、
「城戸礼次郎を探せっ!」
「二の丸だ!」
と、橋の向こう、三の丸から聞こえる声に我に返る。
「大変、もう動き始めたみたい」
「よし、急ごう」
二人は橋を渡り三の丸へ走った。
「こっちよ」
ゆりの手引きで礼次郎は三の丸の北側、左が塀、右が屋敷になっている路地を走った。
すると突然、槍の穂先が目の前に飛び出した。
「うわっ」
あともう少しで礼次郎の脳天を貫いていたところであった。
その槍は右の屋敷の障子を破って突き出されたものであった。
息つく間もなく障子を破って槍の持ち主が飛び出して来た。
他に二人の侍も後に続いて飛び出して来た。
「くっ・・・」
礼次郎は飛燕の如く飛びかかると一人を斬り伏せ、返す刀で残りの二人をあっと言う間に斬り伏せた。
先程の駒場又兵衛に比べれば敵ではなかった。
「しかし急がないと・・・このまま行けばオレも疲れがたまってしまう」
「そうね、私たち二人だけじゃ・・・誰か加勢してくれる人がいればいいけど」
「順五郎と壮之介はどうしたのか・・・二人とも無事でいて欲しい」
「とにかく急ごう」
二人はまた薄暗がりの中を走り出した。
だが、
「あっ!」
「きゃっ!
」
突然として足元が崩れ、地面に穴が開いた。そして宙に脚が浮いたかと思うと、二人は穴の底へ真っ逆さまに落ちて行った。
二人は穴の底で尻もちをついた。
「痛・・・」
「何だこれは?落とし穴か?」
礼次郎は立ち上がって頭上を見上げた。
この落とし穴の深さは人二人分以上もある。
「くそっ、やられたか!」
礼次郎は穴から出ようと跳び上がって手を伸ばしてみた。
だが、穴の高さはとても手が届くようなものではなく、その手は虚しく土を掴むのみであった。
「ダメ?」
ゆりが不安そうな顔で聞く。
「ああ、とても届かない。何か鉤縄でもあればいいが・・・さすがにゆりも持ってないか?」
「うん、持ってない、ごめん」
「そうか・・・畜生、こんなところで・・・このままじゃ捕まってしまう」
礼次郎は頭上を見上げて悔しげに呟いた。
「何か方法はないかしら・・・」
ゆりは必死に考えたが、この狭くて深い穴の中に二人だけ。
とてもいい方法は思いつかない。
――礼次郎の肩に私が乗っても届かないわよね・・・どうしよう、私たち二人だけじゃ・・・
「あ・・・」
ゆりは、ふっとその場の状況に気がついた。
穴はとても狭く、両手を目いっぱい伸ばしたぐらいの広さしかない。
その穴の中に礼次郎とゆりの二人だけ。
自然、礼次郎との距離は近く、今ゆりの目の前には礼次郎の胸があった。
その状況を自覚したゆりは、何だか急に胸がどきどきし始めた。
今しがた戦っていたばかりの礼次郎の汗と闘気の匂い。
――どうしたんだろう、私・・・
ゆりの顔が赤くなった。
――礼次郎がこんな近い距離に・・・
――何・・・何考えてるの、こんな時に・・・!
ゆりは顔を小さく振った。
そんなゆりの様子に気がついた礼次郎、
「どうした?何か気分でも悪い?」
と、ゆりの顔をじっと見つめた。
ゆりの大きな瞳がその目線を真っ向から受け止めると、ますますゆりの胸の鼓動が速くなった。
「ううん・・・だ、大丈夫・・・」
とは言ったものの、ゆりの顔はますます赤くなり、頭もぼーっとした感覚に襲われ始めた。
「何か顔が赤くなってるような・・・ずっと走ってたから熱でも出たか?」
礼次郎が距離を少しつめてゆりの顔を覗き込んだ。
「大丈夫・・・!」
ゆりが慌てて顔を背けた。
その時、頭上で何やら物音が聞こえた。
「誰だ!」
気付いた礼次郎が頭上を睨むと、そこに何者かが顔をのぞかせた。
――くそっ、見つかったか・・・!
礼次郎は悔しさをにじませその顔を睨みつけた。