流転の姫と流浪の御曹司
「これは驚いたぜ、武田家の娘がここに?って言うか生き残りがいたのか」
順五郎が言うと、
「真田殿はかつては武田家に仕えていた、ここに勝頼殿のご息女がいても何ら不思議ではない」
壮之介が言う。
「武田勝頼殿の……本当ですか?」
礼次郎は驚きを隠せず、ゆりの顔をまじまじと見た。
「うむ、誠だ。道全殿の言う通り、我ら真田家はかつては武田家に仕えていた。しかし武田家の武運拙く武田家は織田信長によって滅ぼされた。その武田家滅亡の折り、ご当主の勝頼公と、わしと一緒に元服した嫡男の太郎信勝君は天目山にて自害されたが、女子衆はそれぞれ縁のある地に逃がす手配をされた。ゆり様は我々真田家が手筈を整え、そこにいる元武田家の忍びである喜多に守らせて我らのところまでお連れしたのだ」
信幸は神妙な面持ちで言った。
「そうか、それで真田家に」
「滅んだお家の姫君と言うのは憐れなもの。わしはゆり様に一刻も早く心の安寧を得てもらおうと、どこか安全で、且つ武田家の姫にふさわしい家格の家に嫁いでいただきたいと思っていた。そこへちょうど礼次郎殿のお父上、宗龍殿より礼次郎殿との話が来た。城戸家なら規模こそさほどではないが、長らく平和を保って来ており、家柄も源氏の名門と、申し分ない。これぞ打ってつけと喜んでこの話を進めたのだ」
そう言う信幸の目は少し涙ぐんでいた。
「なるほど、確かにそれなら礼次郎様は何よりふさわしい」
壮之介が納得した。
「なあ礼次郎殿、こういうわけなのだ。これからどうかゆり様を宜しく頼む」
信幸は礼次郎の手を取った。
「源三郎殿、ちょっと大げさじゃない?」
ゆりは笑った。
礼次郎は、
「い、いや、ちょっと待ってください」
と、その手を放し、
「確かにお話を聞いていると私はふさわしい、いや、ふさわしかったのかもしれません」
「どういうことか?」
「先程安全な家に、とおっしゃいましたが、私の城戸家は安全どころか先日滅んでしまいました。その条件にはすでに合っておりません」
「ああ、なるほど。しかし構わん、礼次郎殿はこうして生きておるのだから。家と言うのは領地、屋敷などを失ったから滅ぶのではないぞ。城戸家嫡男たる礼次郎殿が生きており、その心の内に城戸家再興の大志を燃やしている限りは滅んではおらん。それに一度決まったものを覆すわけにはいかん」
「しかし……」
「何かゆり様に不満な点でも?」
信幸は怪訝そうな顔をする。
礼次郎は改めて背筋を整えると、
「いえ、ゆり殿は本当に美しく、聡明であり、私にはもったいないぐらいの素晴らしい方です。しかし、源三郎様がいかに言おうと、私にはこの通り領土も住むところも無く、明日どうなるとも知れぬ流浪の身」
「それは心配ご無用。今後は我ら真田家の客将となるが良い。いずれ城戸の領地回復を目指す時にも最大限の支援をいたす」
そう信幸が言うと、礼次郎は一瞬言葉に詰まり、
「ですが、わ、私はおさな……」
と、言いかけたが、言い直した。
「先日の戦で幼馴染や家臣たち、その他沢山の城戸の民たちが犠牲になったばかりです。それなのに生き残った私だけが早々に婚儀のことを考えるなどできません」
「なるほど……それは確かに道理。家が滅び、多くの者たちが犠牲になったばかりでは後ろめたいであろう」
信幸は考え込んだ。
「確かにそうね」
ゆりも頷く。
「はい、ですので申し訳ないのですが今は……いずれ時が来ましたらその時はまた……」
その時にまた考える、と言う意味で礼次郎は言ったのだが、
信幸はその時に祝言を挙げる、と言う意味に受け取った。
「わかった。では婚儀はまだまだ先としよう。よいですかな、ゆり様?」
「ええ、いいわ」
ゆりも笑顔で納得した。
「申し訳ございません」
礼次郎が頭を下げる。
「とんでもござらん、謝る必要はない。礼次郎殿の気持ちもわかる。しかしまあ、先になったとは言え、この世になき者と思っていた礼次郎殿は生きており、無事にゆり様と顔を合わせて婚儀の話ができた。実にめでたい。どうであろう?明日は礼次郎殿の歓迎も兼ねて祝いの宴を催したいと思うが?」
信幸が提案した。
「はい、それは構いませぬが、こうして勝手に頼って来たのに宴を催していただくなど少々あつかましいかと」
「いやいや、構わん。当然のことよ、遠慮なさるな」
「そうですか」
信幸が言うその宴とは、礼次郎とゆりの婚約成立を祝うつもりのものであった。
しかし礼次郎は、自分が上田城に来た歓迎の宴だと思っている。
「よし、では宴は明日の晩として……この後、日が暮れるまでにはまだまだ時間がある。ゆり様、折角ですからゆり様が礼次郎殿たちに上田の城下を案内するのは如何でしょうか?」
信幸がゆりに言うと、
「それはいいわね、昨日来たばかりだもんね。私が案内するわ」
ゆりも喜んで引き受けた。
すると順五郎が、
「ああ~、俺たちは遠慮しておくよ、何か疲れちまった。休みたいから若一人で行って来なよ」
「え? 疲れたって今日は特に何もしてないだろ?」
礼次郎が振り返ると、
「いやいや、昨日までの疲れが取れてないんだ、なあ壮之介?」
順五郎は壮之介を見て言った。
順五郎は隠れて壮之介に肘をトントンと打っていた。そしてその目は何かを訴えている。
壮之介はすぐにその意図を察し、
「あ、ああ。そうそう。わしらはちょっと休ませてもらいます。礼次郎様お一人でどうぞ」
少々苦笑い気味で言った。
「お前たちそんなに疲れてるのか?」
礼次郎は首をかしげた。