ゆり
ゆりは、礼次郎を見ると目を丸くして驚いた。
「栄次郎さん……? どうしてあなたがここに?」
礼次郎もまた、驚きを隠せない。口をぽかんと開けて、
「ゆり殿が何故ここに? まさかオレの縁談の相手と言うのはゆり殿か?」
信幸は、呆気に取られた顔で二人の様子を見ていたが、すぐに事情を察して、
「何だ? 二人とも会ったことがあるのか?」
「ええ、ついこの前、信濃と上野の国境の温泉場で会ったのよ」
と、ゆりがまだ驚きの残る顔で言う。
「ほう、そうだったか」
「ええ。ゆり殿に、仙癒膏と言う傷によく効く薬をいただきました、あの時はお世話になりました。」
礼次郎が言うと、信幸は嬉しそうな顔をして頷いた。
「おう、そうであったか。しかしすでに会っていたとはちょうど良い、きっと天のお導きだ」
だが、ゆりは怪訝そうな顔で信幸に訊いた。
「ちょっと待って、源三郎殿。この方が私の相手?」
「いかにも。こちらが城戸家の嫡男である、城戸礼次郎殿です」
「ええ? どういうこと? この人は栄次郎さんよ」
ゆりは困惑していた。礼次郎は申し訳なさそうな顔でゆりに向かって言った。
「ゆり殿、申し訳ない。私は栄次郎ではございません。私は確かに城戸家嫡男、城戸礼次郎頼龍です。私は先日、城戸から逃げて来て、今ももちろんですが、あの時も徳川軍に追われていた身。それ故に、用心して偽名を使ったのです」
「何だ、そうだったの……」
「嘘をついたことは謝ります」
礼次郎が頭を下げると、ゆりはおかしそうにふふふ、と笑った。
「いいよ、そんなに謝らないでも。そういう事情なら仕方ないわ」
ゆりは、砕けた口調で言った。その途端、顔にも雰囲気にも、好ましい天津爛漫さが現れたように見えた。恐らくこれが、彼女の本来の姿なのであろう。
「で、源三郎殿。この礼次郎殿が私の相手と言うわけで間違いないのね?」
ゆりが源三郎を見て訊いた。
「ええ、そうです」
と、丁寧に答えた源三郎の姿を見て、礼次郎は一つ不思議に思った。
源三郎とゆりのやり取りは、どう見てもゆりの方が目上の人物のようである。このゆりと言う女子は何者なのか、二人は一体どういう関係なのだろうか、と礼次郎は疑問に思っていると、信幸が礼次郎に向き直り、一つ咳払いをして言った。
「と言うことで、こちらが礼次郎殿のお相手のゆり様です」
信幸が、改めてゆりを紹介すると、ゆりは信幸の隣に座り、
「ゆりです、どうぞ宜しくお願い申し上げます」
と、悪戯っぽく微笑みながら手をついた。
「あ、ああ……城戸礼次郎頼龍と申します」
「それにしても、すでに二人が顔見知りとは話が早い。どうであろう礼次郎殿、ゆり様は? 城戸家当主の妻となる女性として申し分ないと思うが?」
信幸は身を乗り出して礼次郎に訊いた。
「ええ……ゆり殿は誠に面白……いや素晴らしい女性とは思いますが……」
礼次郎の表情には未だ戸惑いの色が残っている。
「そうであろう!」
信幸は満足げに膝を打つと、今度はゆりに向かって訊いた。
「ゆり様は如何ですかな? 礼次郎殿は? 実は昨日、剣の技を披露していただいたのですが実に素晴らしき腕前。性格も良く、家柄も申し分なく、ゆり様が嫁がれる方としてはこれ以上のお方はないと思いまするが」
「そうねえ」
ゆりは、その人形のような美しい顔でじっと礼次郎の顔を見つめた。
礼次郎は思わず目を逸らしそうになったが、耐えてその視線を受け止めた。
ゆりは、不意ににこりと微笑んだ。
「何も文句なしよ。このお方なら喜んでお嫁に行くわ」
「おお、そうですか」
信幸は顔を輝かせた。ゆりは続けて、砕けた口調で言った。
「源氏の名門城戸家の嫡男って言ったって上州の田舎でしょう? 冴えないつまらない男だったらどうしよう、なんてちょっと心配してたけど、このひとなら都の男にだって負けてないわ、大歓迎よ」
ゆりは無邪気に笑う。
――上州の田舎って……。
礼次郎は苦笑いした。言葉だけ聞けば無礼である。だが、ゆりの全身から滲み出る天真爛漫さ故か、失礼とは全く感じなかった。むしろ、どこかおかしく聞こえて好ましく思えてしまう。
しかし、ゆりの隣に座る源三郎信幸は顔を青くして、
「ゆり様、少々お言葉が過ぎますぞ」
と、慌ててたしなめた。
「あっ、ごめんなさい」
ゆりは舌を出して謝った。
「礼次郎殿、申し訳ござらん」
信幸が冷や汗をかきながら謝ると、
「いや、気にしませんよ」
「さようか……いや、しかし良かった、二人ともお互いに気にいったようだ。歳も同じぐらいだしうまくやって行けるだろう」
信幸は満足げな顔を見せた。
そこで、礼次郎は先程から感じていた一つの疑問を訊いた。
「あの、源三郎様、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「何ですかな?」
「先程から、源三郎様はゆり殿のことを”ゆり様、ゆり様”と言っておられますが、お二方はどのような関係になるのでしょうか?」
「おう、そうであった。これをまず説明せねばならなかった」
信幸は、やっと思い出した、と言う風に、
「ゆり様は、わしの主君筋に当たるのだ」
と、今度は真面目な顔になり言った。
「主君筋? とは?」
「ゆり様は、今は無き武田家の最後の当主、武田勝頼公のご息女なのだ」
信幸が言った。
「え? 武田家の……?」
礼次郎は目を丸くして驚いた。
「武田勝頼の……娘?」
礼次郎の後ろに控える順五郎と壮之介も飛び上がらんばかりに驚いた。
「ふふっ、おかしいかしら?」
ゆりは、再び天真爛漫な笑顔を見せた。