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天哮丸戦記  作者: 五月雨輝
出会い邂逅編
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出会い

 順五郎が手渡したふじの櫛、それを見た礼次郎は言った。


「ふじの? 何で持ってるんだ?」

「いやあ、上田城へ向かう前に、ふじに持って行ってくれって言われてさ」



 それは上田城へ使いに立つ前のことだった。

 急いで出発の準備をしていた順五郎のところに、ふじが小走りでやって来た。


「兄上、待ってください」


 そう言うふじがやけに穏やかで嬉しそうな笑顔なのが、順五郎は少し不思議に思った。


「どうした? 急いでるんだけど」

「これを持って行ってください」


 ふじが櫛を取り出して渡した。


「これはお前の櫛だな、何でだ?」


 すると、ふじは白い頬をうっすらと赤くして、


 「礼次の髪の毛は多いでしょ、束ねてない時はすぐにボサボサに乱れちゃうし……。だから髪を洗った後とかはこれで梳いてあげて」


 そう言った目はとても嬉しそうであった。 




 順五郎は礼次郎の手にある櫛を見つめて、


「これがふじの形見になっちまったが……。若が持っていた方がいいと思ってさ」


 少し寂しそうに言った。


「そうか」


 礼次郎は両手で櫛を触った。


 そしてゆっくりと撫でる。


 櫛は冷たかったが、その櫛にふじの手の温もりを感じた気がした。


「じゃあ、俺たちは先に入って来るよ」


 順五郎と壮之介は服を脱いで外の風呂に向かった。


 礼次郎はずっと櫛を見つめ続けていた。

 そしてそっと目を閉じた。



「お、なかなかいいじゃないか」

「うむ、これは気持ちが良い」


 湯殿を見て二人は感嘆の声を上げた。


 露天の風呂は、岩場を組んで作ってあった。

 その周りは木々で囲まれており、緑の匂いが心地良い。


 湯殿の手前で右に行ける通路があり、【女】と書かれた立札が立てられていた。


 それを見た順五郎が言った。


「あ、珍しいな、男と女で分かれてるのか」


 この時代、温泉などの浴場は男女混浴が普通である。


「このような辺鄙な場所にぽつんとある湯だからな、裏に茶店があるとは言え、分かれている方が女も安心であろう」


 壮之介が答えて言う。


「なるほど」


 そう言うと、二人は男湯の方に入って行った。



「若……若!」


 そう言って揺すられ、礼次郎はぼんやりと目を覚ました。

 いつの間にか眠り込んでしまったようだ。


「わしらはもう上がりました、礼次郎様どうぞ」


 そう言う壮之介の顔が上気していた。

 二人ともすでに着物を着ていた。


「いやあ、すごい気持ち良い湯だ。さっぱりするし早く入って来る方がいい」

「そうか」


 礼次郎は、重い瞼をこすりながら半身を起こした。

 中途半端に居眠りしたからか、身体が重い。

 礼次郎は大きく背伸びし、あくびをして立ち上がった。


「じゃあオレも入って来るか」


 と言う礼次郎の身体が少しふらついた。


「大丈夫ですか? ふらふらしているようですが」


 壮之介が心配そうな目を向けた。


「ああ、起きたばかりで少しぼーっとするだけだ、大丈夫」

「ならばよいのですが。この湯はそのお身体の傷にも良いでしょう。ゆるりと浸かられませ」

「ああ」


「じゃあ俺たちは裏の茶店に行っているからな。湯殿で寝ないようにな」


 そして順五郎と壮之介は裏の茶店へ、礼次郎は一人湯殿へ向かった。


 だが、礼次郎は身体の疲労と、起き抜けで頭がぼーっとしていたせいもあり、【女】と書かれた立札が目に入らなかった。


「お、二つも湯殿があるのか」


 と礼次郎は何も考えずに女湯に向かってしまった。


 客は他に誰もいなかった。

 礼次郎は手桶で湯をすくい、身体と髪を洗うと湯の中に入った。



 ――ああ、気持ちいいな。



 風呂に浸かるのは久しぶりである。


 初秋の身体になじむ、程よい湯の暖かさが身に沁みる。

 傷口にも沁みたが、それよりも湯に浸かる快感の方が勝った。

 全身の筋肉がゆっくりとほぐれていくのがわかった。


 ふと、チャポンと言う音が聞こえた。

 礼次郎の向きと反対側の岩場の陰からである。



 ――他にも客がいたのか……ちょっと挨拶してみるかな。



 一人で湯に浸かっていることに飽きた礼次郎はその岩場の方に移動した。


 すると、ちょうどそこに浸かっていた人物が湯から出ようとしたのか立ち上がった。


 瞬間、礼次郎の目に飛び込んで来たのは胸の上に膨らんだ乳房。


「あっ」


 礼次郎が声を出したのと、悲鳴が上がったのが同時であった。

 そこにいたのは若い女であった。


 女は慌てて背を向け、湯に身を沈めた。


「すまん!」


 礼次郎も慌てて背を向けて身を沈めた。


「ここは女専用よ! 何で男がいるの?」


 女が叫んだ。


「え? 女専用? 嘘だろ?」


 と、礼次郎が驚く。


「そうよ、何であなたがいるのかしら?」

「いや、だってどこにもそんなの書いてないが」

「外に堂々と女って書いてある立札があるじゃない」

「そうなのか? 見えなかったが」


 疲労に加え、寝起きで頭が半分朦朧としていた礼次郎には目に入らなかったのだ。

 加えて、岩場の陰で湯に浸かっていたこの女以外に客がいなかったせいでここが女専用だとは気付けなかった。


「何見え見えの嘘ついてるの? 私を襲う気だったんでしょう」

「そんなことするわけ……」

「そんなことしてごらん、外に控えさせてる伴の者を呼ぶからね!」

「だから違うって……その立札も目に入らなくて」

「いいから出てってよ!」


 そう言うと、女は振り返ってお湯をすくって礼次郎に投げつけた。


「わかったよ、すまなかった!」


 礼次郎は上がって出て行こうとした。しかし女は尚も何か喚き、再び湯を礼次郎の背に投げつけた。

 これには流石に礼次郎はムッとし、


「ちょっと待て」


 と、振り返った。


「きゃっ!」

「あ」


 礼次郎は気付いて慌てて身を湯に沈めた。


「あんたな……」


 と、文句を言おうと女の顔を見ると、これが礼次郎と同じ歳ぐらいかと思われる美少女であった。


 細い三日月型の眉、長い睫を備えた大きくぱっちりした瞳、細く通った鼻、柔らかく艶のある唇。

 その愛らしさのある美しさに、礼次郎は一瞬、思わず目を奪われてしまった。

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