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天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
最終章
219/221

秘剣の代償

 七天山城の本丸内に残っていた風魔兵は全て掃討し、制圧が完了した。

 これにより、七天山城は落城、城戸軍によって占拠されたことになる。


 だが、その城戸軍の総大将であり、城戸家当主である礼次郎の姿がそこにない。


「千蔵、大丈夫なのか?」


 順五郎が、泥と血に塗れた顔を不安そうにして訊いた。


 千蔵は、甲冑を全て脱ぎ捨てて身軽になり、太い鉤縄の状態を確かめていた。


「しかし、天守の消化ができぬ以上、ここは千蔵に頼むしかありますまい」


 真田信繁は冷静な顔で千蔵を見つめる。


「だけど、もう天守はほとんど炎の中だ」


 順五郎が天守を見上げる。その顔が、炎によって照らされている。


 天守は、大天守から渡櫓、小天守に至るまで、外壁も屋根も破風も、ほとんどが燃え盛る猛火に包まれていた。


 壮之介や咲たちはもちろん、周囲の兵士らも不安そうな顔で天守を見上げていた。

 兵士らは、一部を残して、他は全て三の丸と七天山の外の本営に避難させていた。


「それよりも、殿が生きているかどうかよ。風魔玄介に斬られてしまっているかも知れないし、玄介に勝っていたとしても、これだけの炎の中じゃ生きているかどうか」


 咲は祈るような顔をしていた。


「それですな。そもそも、玄介と斬り合っていたとしても、もうとうに決着がついていい頃のはず。しかしまだ出て来ていないどころか、窓から顔も出さないと言うことは……」


 見た目は剛毅そのものである壮之介も、不安を隠しきれない。首にかけている数珠を握っていた。


「やめましょう。千蔵に見に行ってもらえばわかること。ここは、礼次郎どのが生きていることを願いましょう」


 真田信繁が皆を落ち着かせるように穏やかな声で言った。一見柔和で武技も不得手であるが、このような状況にあってもどっしりと構えていられる胆力がある。このあたりに、彼が後に見せる非凡な将器の片鱗がすでに現れている。


「源次郎様の言う通りでござる。今、それがしが行って参るので、お待ちくだされ」


 千蔵は準備を済ませると、大きく一つ深呼吸をして、壁に走った。


 皆が固唾を飲んで見守った。

 だが、皆の心配は無用であった。

 千蔵は本当に優秀な忍びであった。


 彼は鉤縄を上方に投げると、器用に火のついていない破風の一端に引っかけた。そして縄に火がつかぬよう、一気に飛び上がり、破風の上に立った。

 そのようにして、鮮やかにするすると、炎が這い回る外壁を登って行ってしまった。


 そして千蔵は、一階ごとに格子窓から中を覗きながら、上へと上って行った。

 四階に辿り着いた時であった。格子窓から中を覗いて、千蔵は顔色を変えた。


 炎の向こうに、礼次郎がうつ伏せに倒れているのが見えたのである。


「殿!」


 千蔵は目を剥いて叫んでいた。

 そして、素早く忍び刀を抜くと、燃え盛っている板格子に刃を振るった。

 板格子はすでに燃えているので、簡単に向こう側に落ちた。

 そこから千蔵は中に飛び込み、炎が舞い上がっているところを器用に避けながら、礼次郎の許に走った。


「殿っ!」


 無口で冷静な千蔵が、色を失って大声で叫び、礼次郎の身体を抱き起した。

 幸い、まだ礼次郎の身体に火はついていなかった。

 だが、呼びかけに対する反応が無い。千蔵は、急いで呼吸と脈を確かめた。


 ――良かった、気を失っているだけか。しかし、息が細い。これはいかん。


 千蔵は安堵と不安を同時に覚えた。

 だがその瞬間、視界の隅に入ったものを見て、また息を吞んだ。


「玄介……」


 そこにあったのは、すでに炎に焼かれ始めている風魔玄介の胴体と、その側に転がっている玄介の首であった。


「殿が……勝ったのか……」


 千蔵は頬をわずかに緩ませた。

 そして、玄介の首を持ち帰るべく拾おうとしたが、玄介の首にも火がつき始めたのと、心に少し思うところがあり、やめた。

 複雑そうな顔で、玄介の首を見つめた。


「叔父御……おさらば……」


 千蔵は、小さな声で呟いた。

 そして千蔵は、転がっていた天哮丸の鞘を見つけて拾い上げ、礼次郎が握っていた天哮丸をもぎ取ってその鞘に納めると、天哮丸を腰帯に差し、礼次郎の身体を背におぶって窓に飛び、天守の外に脱出した。


 地面に降り立つと、千蔵は礼次郎の身体を背から下ろした。

 皆がすぐに駆け寄って来た。


「生きているのか?」


 順五郎が不安そうに訊いた。


「呼吸は細いですが生きておられます。恐らく、殿の身に何か一大事が起き、気を失っているだけかと。そして、殿は風魔玄介に勝ったようです。側に、玄介の首が転がっておりました」


 千蔵が答えると、皆の間に喜びの歓声が広がった。


「良かった。では、とりあえず、ここから脱出しよう。じきに天守も焼け崩れる」


 壮之介が皆に言った。



 城戸軍は七天山を落城させ、劇的な勝利を収めた。

 その喜びに全軍は沸き立っていた。だが、同時に野営地には沈痛な雰囲気も漂っており、皆、完全に喜びきれていなかった。

 その城戸軍の総大将である礼次郎が、昏睡状態から戻らないと言う話が伝わっていたからである。


 本営に戻った後も、礼次郎は目を覚まさなかった。

 広げられた布の上に横たわり、目を閉じたままであった。

 身体はぴくりとも動かず、顔色は生気を失ったように白い。生きていることはわかるのだが、その呼吸は頼りないほどにか細く、礼次郎は静かに昏々と眠っていた。


 順五郎や壮之介らは皆、不安そうに礼次郎を囲んで見守っていた。

 夜を徹した激戦の後で疲労も極みにあるであろうに、兵士らも皆、心配して絶えず本陣に様子を窺いに来ていた。


「息はあるけどこんなに細いなんて……脈も弱いわ」


 ゆりが、礼次郎の手首を取って不安そうに言った。

 ゆりは、今朝早朝、ちょうどこの本営にやって来た。二日前、礼次郎は諸山城に使いを出し、弾薬や薬の補給を指示した。だが、適当な人間がいなかった為、ゆりが自ら供回りを連れてやって来たのである。

 ゆりは、着いて早々、龍之丞から七天山総攻撃の真っ最中であり、勝利は目前であることを知らされて喜んでいたのだが、気を失ったまま運ばれて来た礼次郎を見て悲鳴を上げた。


「ゆり様の医術で何とかなりませぬのか?」


 壮之介が訊くと、ゆりは携えて来た薬箱を開けた。


「手は尽くしますが、原因がわからないのでどうなるか……」

「ううむ……ここまで目を覚まさぬとは……あの天守の中で、一体殿の身に何があったのであろうか」

「とりあえず、強めの気つけ薬があるので、これを水に溶いて口から流して込んでみますけど……効くかどうか……」


 ゆりは、不安そうな顔で紙包みを出した。


 そして、ゆりは懸命に手当てを始めた。

 だが、それから一刻、二刻と時が経っても、礼次郎の意識は戻らなかった。


 夕暮れ時になっても、礼次郎は目覚めなかった。

 細い呼吸のまま、昏々と眠っていた。


 炊煙が本営のあちこちから立ち上った。

 兵士らは、まだ家に帰れないが、戦が終わったことで、久々に緊張の無いくつろいだ夜食を取ることができた。

 龍之丞の配慮で、兵士ら全員に酒も振舞われ、食後も賑やかな歓談の声が響いていた。


 しかし、本陣は重い空気に沈んでいた。


「まだ、目を覚まさねえか」


 いち早く食事を終えた順五郎と壮之介が、酒も飲まずに本陣に入って来た。


 ゆりが、横たわる礼次郎の側に座っていた。その斜め後ろに、手拭いと湯を入れた桶を持つ喜多が控えている。


「ええ。ずっとこのままです」


 ゆりは、礼次郎の顔を見つめたままぽつりと言った。

 順五郎と壮之介は、それに対して言葉も無い。心配そうな顔で礼次郎の近くに行った。


 やがて、龍之丞、千蔵、咲、真田信繁もやって来た。


「先日、葛西清雲斎様が言っていました。礼次に教えた真円流究極の秘剣は、使えば狂人となり、心の闇に呑み込まれたまま戻って来られなくなる可能性がある、と」


 ゆりは、礼次郎の顔を見つめながら言った。


「礼次は、もしかしたらその秘剣を使ったのかも知れません」

「そう言えば……」


 と、壮之介が口を開いた。


「以前も、いつぞや皆で猪鍋を食べた時、葛西殿は言っていた。真円流の技を使い続けた先に待っているのは廃人だと」

「では、殿はもう……?」


 龍之丞が愕然とする。

 場に、重い沈黙が流れた。

 しかし、ゆりが首を横に振った。


「そんなことありません。そうはさせません……城戸礼次郎はここで終わる人じゃありません……必ず……目覚めさせます」


 ゆりは、礼次郎の手を取り、握った。

 その手は冷たく、悲しいほどに力が無かった。


 その時、俄かに外が騒がしくなった。

 入り口を振り向くと、そこに多数の兵士らが詰めかけて来ており、それを見張り番が追い返そうと、「戻れ戻れ、殿はまだ目覚めておらぬのだ!」と、声を荒げている。


「どうした、騒々しい。わきまえぬか」


 と、壮之介が歩いて行って注意すると、兵士らは口々に言った。


「殿がまだお目覚めでねえと聞いて心配で……」

「何かわしらにお手伝いできねえことはないもんかと思いまして」


 皆、振る舞い酒によりほろ酔い顔だが、そこには心から心配している色が見えた。


「そうか……」


 壮之介はもちろん、後ろで聞いていた順五郎やゆりたちも、思わず目頭を熱くさせた。


「あ、あの……これ、わしの村に伝わる薬です。使えねえでしょうか?」


 兵士の一人が、恐る恐る差し出した。

 壮之介はそれを受け取ると、


「うむ、うむ。皆の忠義、殿を想う心、必ずや殿に伝わるであろう。そしてそれが、殿を目覚めさせる力となるであろう」


 壮之介は答え、そのまま兵士らと言葉を交わしていた。


 その様子を微笑みながら見ていたゆりだったが、再び顔を曇らせると、礼次郎の顔に視線を戻した。

 礼次郎はまだ、人形のように白い顔で眠っている。




「礼次、やったのね」


 艶やかな黒髪の美少女が、微笑みかけて来た。

 大鳥藤であった。


「ああ。やったぞ、ふじ」


 礼次郎は天哮丸の鞘を掴んで前に突き出して見せた。


「徳川家康を追い返し、倉本虎之進の首を取り、風魔玄介をも討って、天哮丸を取り戻した」


 ふじは頷き、見惚れるような美しい微笑を見せた。


「成し遂げたのね?」

「成し遂げた?」

「言ってたじゃない。一人の男として何かを成し遂げたら、その時は妻を娶るって」

「ああ……」

「今なら言えるでしょう。礼次は城戸家当主として徳川、風魔の野望を打ち砕き、天哮丸を守ると言う大きなことを成し遂げたって」

「そうかな」

「そうよ。誰にでもできることじゃないわ。胸を張って」

「ああ、わかった」


 礼次郎は笑い、冗談めかして文字通りに胸を張って見せた。


「じゃあ、私、行くね」


 ふじは言って、背を返そうとした。

 礼次郎は慌てて呼び止める。


「待てよ、どこへ行くんだよ」

「都へ旅立つのよ」


 ふじは振り返って答える。


「都? 待ってくれ。今も言った通り、俺はようやく、男として一つのことを成し遂げた。今なら、妻を娶れる。だからふじ……」


 と、言いかけた礼次郎の言葉を遮るように、ふじが言った。


「何を言っているのよ。駄目よ礼次。今の貴方には、私よりも大切で、大好きで、とても可愛い人がいるでしょう?」


 ふじは微笑みながら言った。そこには、一点の憂いも曇りも無かった。


「あ? ああ」


 礼次郎は思い出して頷き、


「そうだ。いる。すまん、ふじ……」

「いいのよ。礼次、貴方とそのゆりちゃんなら、きっと幸せな家……じゃない、皆が幸せになれる新しい城戸家を作れるわ」

「…………」

「その可愛い人のところへ帰って。それと、貴方を待っている沢山の人のところへ」

「あ、ああ……そうだった。帰らないと。ゆりや、順五郎、壮之介、千蔵、咲、喜多、龍之丞、それと茂吉におみつ、お師匠様……戦ってくれた兵士たち……皆のところへ戻らなければ……」

「うん、早く帰って、皆を安心させてあげて。皆、貴方が帰って来るのを待っているわよ」

「ああ、わかった」

「じゃあ、私はそろそろ行くからね。元気でね」

「ふじも……達者でな……」


 礼次郎は切なそうな目でふじの顔を見た。


「ええ」


 答えたふじの顔は、雪のように白く、いつもに増して美しく、神々しいほどであった。

 そして、ふじは背を返して歩いて行くと、やがて白い光に包まれ始め、その光の中へ消えて行った。



 そこで、礼次郎は目を醒ました。

 開いた目に、不安そうに覗き込んでいるゆりの顔が映った。


「礼次!」


 ゆりが歓喜の声を上げ、礼次郎の手を握った。

次回で最終回です! 読み進めてくれた皆様、ありがとうございます!

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