風と消える一族
約半刻後――
城戸軍の野営地はようやく落ち着きを取り戻した。
しかし、今晩の被害は死傷者約百人と、またしても決して小さくはない。
礼次郎を始め、順五郎や壮之介などは、一様に地団駄を踏んで悔しがっていた。
そして喜多は、礼次郎の前で、地に額を擦りつけて謝っていた。
「申し訳ござりませぬ。人員を増加しながら、またもこの失態。詫びようもござりませぬ」
普段、あまり感情を表すことの少ない喜多が、泣き出しそうな勢いであった。
礼次郎は、喜多を責めるつもりなどもちろんなかった。だが、これだけの厳戒態勢を突破し、しかも罠を仕掛けて待ち伏せている龍之丞らの伏兵を、逆に背後から襲うと言うことをやってのけた風魔の連中の凄さにただただ驚かされ、呆然としていた。
それ故、喜多にも何と声をかけてやればよいのかわからず、
「気にするな、喜多……」
と、言うのが精いっぱいであった。
だが、そこへ龍之丞が真田信繁と共にやって来て言った。
「その通り、気にすることはありませんぞ、喜多どの」
何か意味ありげな口ぶりに、皆が龍之丞を見た。
それに応えるように、龍之丞は鋭い顔つきで言った。
「喜多どの、千蔵どのの警戒態勢には何の落ち度もござらん。むしろ、完璧ゆえに、奴らは七天山から出ることができなかったのだ」
「何言ってるの。奴らは夜襲をしかけて来たじゃない」
慰めるように喜多の肩を抱いていた咲が訝しむと、龍之丞は「真田どの」と、真田信繁を見た。
信繁は、龍之丞に代わって答えた。
「いや、そもそも風魔軍は、七天山を下りてこちらへ出て来ているわけではないのだと思います」
「え?」
「これは、まだ仮説でありますが、恐らく七天山には、山を下りずともその外に出られる、何か地下道のような抜け穴があるのではないでしょうか」
「抜け穴……」
「ええ。風魔軍はその抜け穴から外に出て、七天山へ意識が集中している我らに奇襲を仕掛けているのではないか。私はそう考えます」
信繁が穏やかな目を光らせて言い終えた時、ちょうど千蔵が風と共に戻って来た。
「どうであった?」
龍之丞が歩を進めて訊くと、千蔵は跪き、
「源次郎様の申された通りでございました。奴ら風魔の夜襲部隊は、七天山とは逆の方向へ戻って行きました」
「やはりか」
龍之丞は軍配を叩いた。
「奴らは七天山から出て来ているわけではないのだ。これで、真田どのの考えが正しい可能性が高まった。そして……」
「もし本当に秘密の抜け穴があるのならば、俺たちが逆にそこを通って七天山の中に侵入することができるな」
礼次郎が言った。
「そういうことです」
龍之丞が会心の笑みで頷いた。
「じゃあ、その地下道の入り口はどこにあるんだ?」
順五郎が訊いた。
「それです。千蔵どの、そこまではわかりましたか?」
龍之丞が千蔵を見ると、千蔵は申し訳なさそうに首を垂れた。
「申し訳ござらん。慎重に後をつけて行ったのだが、途中で気取られて、巧妙に撒かれてしまったのです」
「そうか。その辺りは流石は風魔と言ったところか。まあ、仕方ありますまい。物見を出して、少し探ってみるとしましょう。いや、私自身がやろう」
と、龍之丞が言った時だった。
突然、夜気が荒れて、猛烈な突風が吹き荒れた。
皆がよろめき、思わず顔を手で覆ったほどであった。
――この風は……!
礼次郎、千蔵と喜多は顔色を変えた。
同時に、覚えのある禍々しい殺気を感じた。
風が止み、眼を開けると、そこに鬼のような赤ら顔をした黒装束の巨漢が立っていた。
「風魔小太郎!」
礼次郎が咄嗟に叫びながら抜刀した。
「爺さま……」
千蔵が唇を結んだ。
「何をしにきおった」
壮之介が、目を怒らせて皆の前に立ち、槍を構えた。順五郎も同じように槍を取って壮之介に並んだ。
小太郎は、にやりと笑うと、
「案ずるな、千蔵を取り戻しに来たわけでもなければ、貴様らを襲いに来たわけでもないわ」
と、猛獣のような牙を剥きだしにした。
「七天山が外に通じる地下道を持っていることに気付くとはなかなかやるではないか」
小太郎は、肺腑に響くような低い笑い声を響かせた。
「そこで、我がその先を教えてやろうと思うてな。七天山の地下道の入り口に連れて行ってやろう」
「何?」
礼次郎が目を見開き、壮之介の前に出た。
「知っているのか?」
「当然。七天山の城の地下道は、我ら風魔党が掘ったのだからな」
「何、風魔党が……それにしても、何を企んでいる? 何故俺達にそれを教える」
「何も企んでなどおらぬ」
「しかし、七天山に通じる地下道の入り口を俺達に教えるなど……お前には何の得にもならないだろう。むしろ、息子である玄介の危機につながる」
すると、小太郎は鬼のような不気味な笑みを見せた。
「おかしなことを言う。行動には必ずしも理由がいるのかね?」
風魔小太郎と共に七天山の地下道の入り口に向かったのは、順五郎と千蔵、龍之丞の三人であった。
だが何と言っても、相手は北条家に属する風魔党の頭領、風魔小太郎である。そして、風魔党から離反したとは言え、風魔玄介の父親なのである。
もしかしたら、それは謀略で、ついて行ったら風魔の忍びたちや、幻狼衆の伏兵が待ち伏せしているかも知れない。
「謀や伏兵などないわ。安心せい」
そんな礼次郎らの危惧を見透かしたかのように小太郎は言ったが、それでも礼次郎は油断せず、兵二百人をつけて行かせた。
そこには、四半刻もしないうちに、すぐにたどり着いた。
付近の住民、樵や猟師なども踏み入らぬような難所で、鬱蒼とした森の奥だった。峻嶮な岩山があり、その真ん中に、人一人がちょうど入れるぐらいの洞穴が開いていた。
その洞穴の前には、見張りらしき四人の風魔幻狼衆の下忍たちが立っている。
風魔小太郎と三人は、その半町ほど手前の樹木の中で止まり、木々の間から見透かした。
「あそこだ」
風魔小太郎は、指を差し、無表情に言った。
「このようなところにあったとは。これは近隣の住民も気付くまい」
龍之丞は息を吞んだ。
「だけど、ここは七天山からかなり離れてるんじゃないか? 本当に七天山まで通じているのか?」
順五郎が怪しむと、小太郎はにいっと笑った。
「行けばわかる。間違いなく七天山まで通じておる。入口はあのように広くはないが、中へ入るに従ってどんどん広くなる。そして、途中で他にも道が分かれており、やはり同様に別の地に出られるようになっておるが、真っ直ぐに行けば七天山の内部に出られるようになっておる」
「真っ直ぐか。かなり時間がかかるだろうな」
「長さはおよそ半里ほどもある」
「は、半里?」
三人は同時に驚いた。
「そんなに長いのか」
「我ら風魔党が、十年かけて掘り進め、整えたのだ」
「十年……」
龍之丞が絶句した。
そこで、千蔵が「爺様」と、言って小太郎を見た。
「再び問うが、何故この地下道のことをお教えくださる。これで、七天山が陥落する可能性は一気に高くなり、玄介は我らの手によって討たれるかも知れぬのですぞ」
「ふふ」
小太郎は、酷薄そうに笑った。
「玄介を我ら風魔党に戻し、北条家に帰参するように説得するのはもはやかなわぬであろう。奴はすでに天哮丸の魔性に呑み込まれておる。ならば千蔵、貴様に玄介を始末させようと思うてな。身内の不始末は身内でかたをつける。それが我ら風魔の血の掟である」
小太郎が明かした真意に、三人は言葉を失った。
またも同じことをやろうとしている。実の孫に、息子を殺させようと言うのだ。
どこまで風魔と言うのは残忍酷薄なのであろうかと、背筋が寒くなる思いであった。
千蔵の心には怒りが動いた。だが、千蔵は深呼吸をして気を落ち着かせ、ひとまずそのことは置いておいて、小太郎に言った。
「……しかし、それでは風魔の跡を継ぐ者がいなくなるではありませぬか。爺様、はっきりと申し上げておくが、俺は地下道の入り口を教えてもらったことを恩に感じて、では風魔に入ろうなどと言う気持ちには決してなりませぬぞ」
すると、小太郎は笑った。
「はは……そのようなもの、もはやどうでもよいわ」
「どうでもよいと?」
「ああ。できるかどうかはわからんが、七天山を落とした後は好きにせい。真田に戻るなり城戸家にそのまま仕えるなり、貴様の好きなようにせい。風魔に来ずともよいわ」
そして小太郎は背を返すと、
「戦乱の世はもうすぐ終わる。そして、我ら風魔も役目を終え、風の中に消え去って行くであろう」
と言ったその時、猛烈な突風が四方より吹き荒れた。
その風が止んだ時、小太郎の姿はすでにどこにも見えなくなっていた。