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天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
最終章
212/221

極みなき天の下で

 立ち上がった礼次郎は、剣を左右に閃かせて敵兵の攻撃を撥ね返して行く。


 しかし、


「敵の総大将じゃあっ」

「城戸礼次郎の首を取れ!」


 徳川軍本隊の旗本らは砂塵の中から次から次へと飛び出し、大将首を挙げようと目の色を変えて殺到して来る。


 ――畜生! 家康が逃げちまう。


 だがその時、「かかれっ!」と鋭い声が響くや、左から巨大な馬が激しく躍り込んできて、敵兵らを蹴り飛ばした。その後に続いて、数十騎の赤い軍装の騎馬武者らも飛び込んで来て徳川兵らの側面に突撃する。

 それは美濃島咲であった。咲たち騎馬武者らは、躍り込んで来た勢いそのままに、正に人馬一体となって縦横に駆け回って敵兵らを蹴散らして行く。ある程度押し返すと、咲が礼次郎の前に戻って来て、馬から飛び降りた。


「私の黒雪に乗って行け! 黒雪は並の馬の倍は速い、今からでも家康に追いつけるはずだ!」

「いいのか?」

「構わない。ここは私らが引き受けるから早く!」

「すまん、頼むぞ!」

「急げ、向こうから迂回して行けば早いはずだ」

「おう」


 礼次郎は急いで黒雪に跨るや、馬腹を蹴った。


「小平太、作十郎! お前たち、殿に続いて援護しろ!」


 咲は、徳川の旗本らと戦っている部下たち十数騎に叫んだ。

 彼らは「心得ました!」と応え、礼次郎の背を追いかけて行った。



 礼次郎は、大乱戦の中を右に突っ切って飛び出すと、馬首を左へ巡らせて前方へ走った。

 巻き起こる砂塵を潜り抜けて行くと、遠くに十数騎の騎馬が駆け去って行くのが見える。


 ――徳川家康!


 礼次郎は目を剝き、黒雪を更に激しく駆った。流石は美濃島衆頭領、美濃島咲の愛馬であった。黒雪は緑野を駆ける一陣の黒風と化してぐんぐんと加速し、見る見るうちに家康とその旗本らの背に迫った。


 家康はそれに気付くと、大きな目を丸くして驚愕した。


「れ、礼次郎、まさか追いついて来るとは……! 急げ、急げ!」


 家康は必死に馬を駆りたてた。

 しかし、礼次郎が乗る黒雪の方が圧倒的に速い。


「家康、逃げるなっ」


 礼次郎と黒雪は、その距離をぐいぐいと縮めて行く。


「致し方なし、我らで食い止めるぞ!」


 家康の後に続いていた旗本ら十数騎が、礼次郎の驚異的な速さを見て、追いつかれるのは必定、ここで食い止めるべしと判断した。

 一斉に馬首を返すや、横に広がって包み込むように礼次郎に向かって突進した。


「どけっ!」


 礼次郎は大喝し、太刀を振り上げた。

 だがそこへ、後方から必死に礼次郎を追いかけて来ていた咲の部下たちが叫んだ。


「殿、ここは我らにお任せを! 家康を追いかけてくだされ!」


 それを耳に聞きつけると、礼次郎は黒雪の速度を緩めた。

 そして小平太や作十郎ら、咲の部下たちが礼次郎を追い越してその前に躍り出るや、向かって来る家康の旗本らに向かって突撃した。

 瞬く間に双方が激しい音を響かせて激突した。砂塵がばっと噴き上がり、馬のいななきが悲痛に響いて数騎が草の上に倒れた。


「頼んだぞ!」


 礼次郎はその左側から迂回し、更に家康を追いかけた。

 前方を必死に逃げる家康の向こうに、野栗原の範囲がそこで終わることを告げる一面の雑木林と、その背後に横たわる高い山が見えて来た。


 因縁の宿敵同士。


 ただ一騎で逃げる家康。

 その背後に、ただ一騎で追いかける礼次郎。


 家康は、生きた心地がしなかった。

 脳裏に浮かんでいるのは、およそ九ヶ月前、礼次郎を捕えて来たあの日、礼次郎が見せた狂気交じりのあの目つきである。若き日に彼が恐れた織田信長に似たあの目をした男が、自分を仇敵と狙い、凶刃を振り上げて襲って来ている。

 家康は青い顔で必死に馬を駆った。しかし、ついに礼次郎はその背に追いついたのだった。


「家康、思い知れ!」


 礼次郎は思わず声を上げていた。

 太刀を振り上げ、肉薄した家康の背へ向かって振り下ろした。

 だが、必死に逃げているとは言え、家康も普段から武技の修練を欠かさない戦国武将である。鋭く剣気を感じるや、反射的に右に背を傾けて避けた。

 その瞬間、黒雪の速さが余って、礼次郎が家康を追い抜かした。


「おのれっ!」


 礼次郎は右斜め後ろを向いて、太刀を右薙ぎに振った。


 だがその時、家康も武士の本能で太刀を抜いていた。そして太刀を握った瞬間、家康も一個の武士に戻ったようであった。礼次郎に対する恐れはあったが、一人の武士としての闘争心が燃え上がり、気合いと共に太刀を振っていた。

 刀身が激しくぶつかり合い、青い剣花が弾けた。


「ちっ」


 礼次郎は家康に並ぶと、再び上段から斬りつけた。

 家康も目を剝き、太刀を振り上げる。

 再び激突する二本の銀光。


 三度、四度、五度……と、両雄は並んで馬を走らせながら太刀をぶつけ合った。


 礼次郎の天をも焦がすような気魄。一人の武士としての魂を見せる家康の意地。

 激しい斬り合いが続いた。


 しかし、礼次郎は家康の左側に位置している為、比較的刀を振りやすい。

 加えて、今や一流の剣士に成長していた礼次郎の技量が優った。


 ついに十数合目――


 火を吐くような気合いと共に放った礼次郎の斬撃が、家康の左肩に炸裂した。

 礼次郎の手に、刃が袖を割り、肉まで裂いた感触が伝わった。

 家康が激痛に顔を歪めた。


「食らえっ!」


 礼次郎は再び太刀を振り上げ、家康に向かって振り下ろした。


 だがその時――突然、黒雪が悲鳴を上げて身体を仰け反らせ、そのまま横転した。


「あっ――」


 礼次郎の身体も宙に投げ出されて、草の上に落ちてしまった。そのはずみで、太刀も手から離れて行った。


「何だ?」


 礼次郎は驚きながら起き上がり、黒雪を見やれば、その尻に小刀が突き立っていた。


 ――誰がやった?


 と思ったが、それよりも、


「家康は」


 慌てて前方を見やれば、家康の背がどんどんと遠ざかっている。

 礼次郎は急いで黒雪に駆け寄ろうとしたが、その眼前に、黒雪を飛び越えて襲い掛かって来る一騎の騎馬武者が迫った。

 礼次郎は咄嗟に左に転がり飛んでそれを避けると、振り返ってその騎馬武者を見た。

 その馬上の武者もこちらを振り返り、視線がぶつかった。


「あっ――お前は」


 礼次郎は一瞬驚いた後、目を怒らせた。

 馬上にいる人間は倉本虎之進であった。黒雪に小刀を放ったのも虎之進だったのだろう。


「城戸礼次郎、ここからは行かせん!」


 虎之進は馬首を返すと、再び礼次郎に向かって馬を躍らせた。


「倉本!」


 礼次郎は左に飛びながら覇天の剣を抜き、荒々しく襲って来る虎之進の馬の脚を左なぎに斬った。

 虎之進の馬も悲鳴を上げながら倒れ、虎之進の身体が草の上に投げ出された。

 虎之進は舌打ちして素早く起き上がり、大刀を構えた。

 礼次郎は、覇天の剣を正眼に構え、切先の向こうに虎之進を睨んだ。あの日、城戸総攻撃を家康に決めさせ、父宗龍を自刃に追い込み、その首を掻き切った仇敵である。

 礼次郎の全身が闘志に燃え立ち、瞳は爛々と強く光った。


 虎之進は酷薄そうな表情を更に冷たくしていたが、礼次郎を睨むその目には憎悪が光っていた。


 その距離、およそ四間。

 両者は睨み合ったまま動かなかった。

 だが、激しく燃えるような視線から殺気を放ち、気で攻め合っていた。


 やがて、風がサッと吹いて、足下の草が揺れた時、虎之進が動いた。

 同時に、礼次郎も前に飛び出した。


 両者の身体が鋭い金属音と共に交錯し、左右に弾けた。

 互いに相手に向き直り、再び地を蹴る。


 虎之進は八相からの袈裟斬り。礼次郎は下段から斬り上げの剣。天と地から二本の白銀の閃光が走り、激突した。

 間髪入れず、礼次郎は左に飛びながら剣を真横に振った。虎之進は防ごうと剣を振り下ろしたが、礼次郎の(はや)さがそれに勝った。虎之進の剣が落ちる前に、礼次郎の覇天の剣が光の尾を引いて虎之進の胴を斬った。だが、浅かった為、鉄札を斬り裂いただけであった。


「ちっ――」


 どちらの舌打ちかはわからなかった。

 だが、先に攻撃を受けてしまったことで、虎之進は目を怒らせた。

 素早く一歩飛び下がり、必殺の一撃を浴びせるべく剣を振り上げた。


 しかしその瞬間、刃光が鋭く閃いた。

 同時に鮮血が噴いた。

 虎之進は剣を上段に上げたまま、手を震わせながら呻いた。


 覇天の剣の切っ先が、虎之進の喉首を貫いていた。

 間を完璧に読み、剣を振り上げた瞬間のわずかな隙をつく、真円流秘剣、影牙であった。


「き、き、貴様……」


 虎之進は、かすれた声を出した。

 血走った目を見開き、唇を震わせながら礼次郎を睨んだ。


 喉首から、刀身に血が伝わり、滴り落ちた。


 礼次郎は燃えるような眼光で虎之進を睨みながら、剣を思いっきり抜いた。

 虎之進の喉から血が噴出した。しかし彼は、それでも礼次郎に一太刀浴びせようと、執念で剣を振り下ろした。だが、剣は力なくよろめきながら落ちただけであった。

 そして、虎之進はがっくりと膝をついたが、目は憎悪に血走ったまま、礼次郎を睨み上げていた。

 だが程なくして、虎之進は自らの血で赤く染まった草の上に倒れ込んだ。そしてしばらく呻きながら動いていたが、やがて呻き声も止まり、その身体も動かなくなった。


「やったぞ……斬った……」


 礼次郎は、動かなくなった虎之進を見下ろしながら、乱れた息を吐いた。

 仇敵を自らの手で討ち取った喜びが、礼次郎の口元をわずかに緩ませた。


 だがすぐに、前方を見た。

 少し離れた先に、風に揺れる雑木林とその背後の山があるだけである。

 そこに、徳川家康の姿は、とうに見えなくなっていた。


 ――逃してしまったか。


 礼次郎は、無念の残る悔しそうな表情で、覇天の剣の柄を握りしめた。

 

 後方を振り返った。

 その遥か先では、濛々と上がる砂塵の中で、戦闘が終わりつつあった。


 喜多の仕掛けた、風魔軍が裏切ったと言う流言、そして礼次郎が徳川軍の中央を突破して家康本隊にまで突撃し、家康本人を敗走させたことで、全軍は大混乱に陥った上で総崩れに至っていた。

 悲鳴を上げながら散り散りに逃げる徳川軍を、壮之介、順五郎、千蔵、真田信繁、咲らの城戸軍が追い回している。


 風魔軍の姿はすでに無かった。

 風魔玄介は、礼次郎が徳川軍中央を蹴散らし、家康本隊に突撃したと聞くと、


「何てザマだ。家康め、まるで頼りにならん」


 と、さっさと見切りをつけ、致命的な被害を避けようと、残っていた兵士らをまとめていち早く戦場から離脱して行ったのである。



 礼次郎は、尻に小刀が刺さったまま、その痛みに呻いている黒雪に駆け寄った。


「大事ない。安心しろ」


 小刀を抜いてやり、黒雪の頭を撫でて落ち着かせた。


 その後、大きく吐息をついて、離れた草むらの上に倒れている虎之進の死骸を見た。


 ――だが、勝った……勝ったぞ。徳川家康に勝った。


 礼次郎は、空を見上げた。


 ――勝ったんだ。


 天は、凄惨な光景を続ける地上とは逆に、今や一つの雲もない澄み渡った蒼さを見せている。

 どこまでも広がる、極みなき蒼い空。

 その眩さに、礼次郎は目を細めた。


 ――父上、やりましたぞ……ふじ、見てたか……? 仇を取ったぞ。

あと、四、五回ぐらいってところですかねー。

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