伊達政宗からの贈り物
そしておよそ一刻(約二時間)の後。
礼次郎は皆と共に、正装をして城下の入り口まで姉の凜乃を出迎えに行った。
やって来た凜乃は、駕籠の中から礼次郎らが整然と出迎えに来ているのを見ると、駕籠を止めさせ、顔を出して微笑んで見せた。
「姉上、お帰りなさいませ」
仰々しく大紋直垂の正装姿をした礼次郎が少し緊張しながら頭を下げて言うと、凜乃は駕籠から降りて、笑顔でその場の皆を見回して言った。
「礼次郎、皆の者、出迎えご苦労」
「姉上にはお変わりない様子、嬉しゅうございます」
うんうん、と凜乃はにこにことした笑顔で頷いた。礼次郎らが正装までしてしっかりと出迎えに来たことで、上機嫌のようであった。
「突然の里帰りですが、世話になりますよ」
「いえ、時間の許す限りいくらでもお過ごしください。しかし本当に突然のことで驚きました。何故また急に?」
礼次郎が恐る恐る訊くと、
「うん、それは館に入ってからにしましょう」
と、凜乃は言い、連れて来た十数人の伴周りの者らに、ここからは歩いて向かう、と告げた。
「え? 姉上、ここから館までは結構な距離がございますよ。駕籠があるのですから乗って行かれた方がよいのでは?」
礼次郎が言うと、
「いや、およそ二年ぶりの城戸です。どのぐらい復興が進んでいるか見てみたいし、歩いて行きます」
と、凜乃は大胆に打掛を脱いで伴の女中に渡し、すたすた歩いて行った。
凜乃と伴の者たち、礼次郎らは、城戸の目貫通りを歩いて館を目指した。
一時は半壊状態であった町は、今年の初めから急速に復興が進み、今は住民も増え、かつての姿をほぼ取り戻しつつある。
凜乃はその町の風景を興味深そうに眺め、また懐かしそうに目を細めて見回しながら歩いて行った。
そして館に着き、大手門を潜って中に入ると、凜乃は伴の者らに何か細々と指示を与え、また、持って来た沢山の荷を引いて行かせた。
その後、凜乃と礼次郎らは広間に向かった。
板張りの広間に入ると、
「おお、懐かしい」
と、凜乃は再び明るい笑顔になり、中央をすたすたと歩き、上段の礼次郎の位置に座ろうとした。
それを見て、茂吉がびっくりして慌てて止めた。
「凜乃様、そこは今や若殿の位置ですぞ」
しかし凜乃は気にせずに笑った。
「よいではないか。私は礼次郎の姉ぞ。前から一度ここに座ってみたかったのよ」
「しかし……」
茂吉が尚も言おうとすると、
「何じゃ茂吉?」
凜乃は、じろりと茂吉を睨んだ。凄まじい眼光で、恐ろしい殺気に満ちていた。
「ちょっと座るだけじゃ。何も問題なかろうが」
凜乃が鬼のような顔で茂吉に迫ると、茂吉は青くなって震え上がった。
「い、いえ。はい、構いませぬ」
見ていた礼次郎は苦笑して割って入った。
「茂吉、いいじゃないか、別に。姉上、どうぞお座りください」
と言って、凜乃を座らせた。
腰を落ち着けた凜乃と礼次郎らは、しばし歓談をした。
昨年の城戸の騒乱のことを話し、父宗龍や順五郎の父親である家老の大鳥順八郎、その他散って行った沢山の家臣の者らに触れて涙を流し、また、昔の思い出などを話しては笑い声を響かせた。
「しかし姉上、此度は何故またこのように突然お帰りになったのですか?」
礼次郎が折を見て訊くと、
「ああ、そうそう。その事よ」
凜乃は思い出したように手を叩いて、
「実はこうして帰って来たのは、伊達の殿様のご命令なのよ」
「伊達政宗殿?」
礼次郎は驚いた。背後の順五郎やゆり、咲たちも目を瞠った。
「決まったのは、本当につい十日ほど前のことよ」
と、凜乃は今回の事情を話し始めた。
ある朝、凜乃は夫の永谷時房と共に伊達政宗に呼ばれた。
早朝から何事であろうかと、夫婦で不審に思いながら米沢城の政宗の下に向かうと、
「おう、来たか。まあ、座れ座れ」
と、政宗は機嫌良さそうな顔で言い、運ばせて来た茶と南蛮渡来の菓子をすすめた。
そして、三人は雑談をしていたのだが、不意に政宗が凜乃に言った。
「ところで奥方、近頃城戸に里帰りなどはなさっておられるのかな?」
「いえ。ご存知の通り、伊達領と上野の城戸領の間には蘆名領、そして真田領がございます。こうして我らが伊達家にお仕えするようになってからは、一度も帰ってはおりませぬ」
凜乃が答えた。
夫の永谷時房は、元からの伊達家家臣ではない。元々永谷氏は会津の豪族で、長く蘆名氏に臣従していた。それが、伊達政宗が伊達家の家督を継いで蘆名家との間に争いが起きるようになった後、様々な複雑な諸事情を経て、永谷時房は蘆名家から離れて伊達家に臣従するようになったのである。
だが、伊達家に臣従すると言うことは、それまでの蘆名家は敵になると言うことであり、その蘆名領は城戸領の北の真田領と伊達領の間に広がっている。その為、蘆名時代には時々里帰りしていたのだが、伊達家に入るようになってからは一度も城戸に帰っていなかった。
「そうか。それは寂しいであろうな。さぞ城戸には帰りたいことであろう」
政宗は、さも気遣うような言葉を言った。だが、それとは裏腹に、顔は何故か明るく輝いている。どこか、悪戯をしようとしている少年のような表情にも見えた。
それを見た凜乃は、礼次郎と同じ持ち前の直感で何かを感じ取った上で、天邪鬼な気分になった。
「いえいえ。私はもう永谷家の人間、そして伊達家の人間でございます。城戸に帰りたいとは思いませぬ」
と、ツンとしたすまし顔で言った。
「え?」
予想外の答えに、政宗は一瞬、口を開けてぽかんとした。
「おい、実家だぞ、故郷だぞ。帰りたくないと言うのか?」
政宗が膝を乗り出して再び訊くと、
「ええ。城戸は辺境の田舎で何も無い退屈な土地。それに比べてここは、お殿様の政が良い故、何不自由ない上に毎日面白おかしく過ごせます。帰りたいとは思いませぬ」
「おう、そうか」
さり気なく褒められて政宗は悪くない気分になったが、すぐにまた、
「しかし何と言っても故郷。たまには故郷の景色など眺めたいであろう? 弟の礼次郎どのにも会いたいであろうし」
「いえ。城戸は一度壊滅してしまいました。弟からの文によれば、その後かなり復興したとのことですが、それでも以前私が暮らしていた頃の城戸とは違ってしまっております。その上、今は父や見知っている家中の者たちもおりませぬ。弟の礼次郎には昨年の暮れに会っておることですし、やはり帰りたいとは思いませぬ」
「そうか……だが、やはりたまには帰った方がいいのではないか?」
「いえ、そういうわけには参りませぬ。今は伊達家も戦でお忙しいことですし」
「む、そうか……」
政宗は消沈したように下を向いた。
その時、それまで青い顔ではらはらしながら聞いていた夫の永谷時房が、凜乃を肘で小突いた。
腹に笑いが動くのを堪えていた凜乃であったが、そこで顔をにやつかせると、ようやく言った。
「しかし、そうでございますねえ。もう二、三年帰っていないせいか、近頃、よく城戸にいた頃の夢を見ます」
すると政宗は、ばっと顔を上げて表情を輝かせた。
「おう、そうであろう。自分では帰りたいと言う気はなくても、無意識に望郷の念と言うものはあるものだぞ。それが夢に現れたのであろう」
凜乃はにやけたまま、
「ええ、そのようでございます。そろそろ帰るべき時かも知れませぬな」
「うむ、そうだそうだ。帰るがよい。そうだ、帰るべきだ、うん、帰れ」
「はい。いずれ機会を見つけて里帰りすることにいたします」
「いやいや、いずれなどと言うな。決めたなら早い方がよい。どうだ、急な話であるが、明日には城戸へ帰ったらどうだ?」
「明日?」
凜乃は驚いて思わず高い声を上げた。
だが、政宗はにこにことして、隻眼の目尻を下げた。
「うむ、早い方が良いぞ」
「それはいくら何でも早すぎます。路銀など用立てせねばなりませぬし、他にも諸々の用意が……城戸へも使いを出しておかねばなりませぬし」
「里帰りするのに使いなどいるか。突然帰れば礼次郎らの喜びも倍だろう。驚かせてやれ。うん、そうだ、使いなど出すな。それから路銀の心配はいらん。伊達家で出してやる。うん、これは俺の命令だ。明日、城戸へ向けて出発せい。道筋は心配するな。良い道がある」
政宗は一気に捲し立てた。
凜乃と時房の二人は、その勢いに押されてただ聞くばかりであった。
こうして、わけのわからないうちに、政宗の命令による凜乃の里帰りが決まった。
翌日の正午前。
米沢城下の永谷家の屋敷の門前。出発しようとする凜乃のところへ、政宗が近習の者らを連れてやって来た。
「おう、奥方、もう行かれるか、慌ただしいのう」
政宗は弾むような、うきうきとした声をかけて来た。
このように急いで行けと言ったのはご自分であろうに、と凜乃は半ば呆れながら、
「はい、殿様には色々と用意してくださり、感謝しております」
「気にするな。右京亮(永谷時房)には俺も何かと助けられている。これぐらいするのは当然よ」
と、政宗は言った後、さも今気付いたようにわざとらしい顔で手を叩き、
「おう、そうだそうだ! 実は今朝方、ずっと以前から研究していた物が出来上がって来てな。ちょうど良い機会だから、ついでにそなたの弟の礼次郎に持って行ってやるといい」
と、部下に命じて、大きな長持を十箱ほど持って来させた。
政宗は凜乃と時房を手招いて来させると、得意気な顔で箱の蓋を開けて中身を見せた。
夫妻は中の物を見るとあっと驚き、目を見張った。
「と言うわけなのよ……それを今、持って来させましょう」
凜乃は、連れて来た伴の者らを呼び、それを持って来させた。
運ばれて来たのは大きな長持十箱。
礼次郎らがその周りに集まると、凜乃は伴の者に命じて蓋を開けさせた。
その中身を見て、礼次郎らも皆、驚きの声を上げた。
そこには、銃身の短い鉄砲が何丁も収められていたのである。
「短筒ね」
真っ先に言ったのはゆりであった。だが、龍之丞がすぐに続けて言った。
「いや、ゆり様の短筒とはちょっと違うようですな。やや長い。これは……」
龍之丞が言葉を探していると、礼次郎が武想郷でのことを思い出して言った。
「馬上筒だ。以前、武想郷で政宗殿が言っていた。騎馬武者が馬上で鉄砲を放つ、騎馬鉄砲隊と言う構想がある、と。あの時、政宗殿は武想郷の者らに、馬上でも簡単に扱えて、射程も長く命中精度も高い鉄砲を作れないかと相談していた。あれからずっと開発させていたんだろう」
「ほう、騎馬鉄砲。それは凄い」
龍之丞は感心して頷いた。
「ついにできたわけか。素晴らしい」
礼次郎は、黒光りしている馬上筒を一丁取り上げて感嘆したが、ふと気付いて不審そうな顔となった。
「しかし、ついでに持って行けと言う割には、かなり多いじゃないか。全部でかなりの資金がかかっているだろうし、とても、ついでに持って行けって程度には見えないけどな」
ざっと見て、馬上筒は全部で七十丁近くはあるのだ。
「思うに、突然私に城戸へ帰れと言ったのは、これが目的だったのでしょう。礼次にこの鉄砲を届けさせる為に」
凜乃が笑いながら言うと、咲が眉をしかめた。
「やっぱり頭のおかしい奴ね。素直に礼次郎にこれを贈るから届けてくれって命令すればいいじゃない」
凜乃が、ふふっと苦笑した。
「武想郷のことがあって以来、殿さまは何かと礼次郎のことを気にかけているとか。片倉様のお話によると、規模は違えど、同じ年頃で同じように一国の当主と言う立場の礼次郎に親近感を覚えているそうです。一国のご当主様となれば、一見派手で華々しいですが、実際には孤独な立場です。なので、礼次と親しくして、何かあれば助けたいと思っているのでしょうが、そこで素直にできないのが伊達の殿様なのですよ。何となく気恥ずかしいのでしょう」
その頃、その伊達政宗は、米沢城内の射場で、自分で開発したばかりの馬上筒を試し撃ちしていた。
片手で引き金を引き、定めた的に狙い通りに弾丸を貫通させると、政宗は満足そうな顔を見せた。
「おう、やはり素晴らしい出来栄えだ。これならば、あとは馬を音に馴らせば戦場でも十分に使えよう。流石に武想郷の連中の技術は抜きんでているな」
そして、続けて言った。
「今頃は城戸礼次郎の下にも届けられているだろう。これで俺の凄さがわかるはずだ。奴め、これを見たら度胆を抜かすぞ。ははは、その顔を見てやりたかったぜ」
憎まれ口を叩いているようであるが、どこか嬉しそうであった。
その政宗に、背後に控えている片倉景綱が渋い顔をして言った。
「しかし、何も七十丁も持って行かせることはありますまい。莫大な金がかかっているのですぞ。いや、このような最新兵器、金がかかっているだけではありませんぞ。我らにとっても貴重な戦力でありますに、一体何をお考えか」
景綱の言葉には、怒気がこもっていた。
すると政宗は、一瞬困ったように言葉に詰まったが、
「ま、まあそうだが……一丁や二丁じゃ驚かないだろう。これが七十も八十も届いてこそ仰天して腰を抜かすのだろうが」
と、得意気な顔で再び馬上筒に弾丸を装填した。
「だから何だと言うのです。莫大な金をかけて礼次郎殿に馬上筒を贈って驚かせて、それで我らに何の利があるのでございますか?」
「…………」
政宗は反論ができず、気まずそうな顔で黙りこくった。




