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天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
最終章
201/221

義心止まず

「よし」


 礼次郎はすぐに心を決めた。


「対岸にいる龍之丞(たつのじょう)にこのことを知らせろ。そして、敵の後詰めが現われたら俺達を援護しろと伝えて来い」


 と言って、礼次郎は物見の兵を再び走らせた。そして、美濃島咲にもこのことを知らせてこの場を任せると、自隊の二百の兵を率いて後方へ向かい、陣形を整えて敵の後詰め六百騎を待ち構えた。


 六条原――凄惨な殺戮の音が、この狭い天地に響き渡っていた。


 礼次郎は、今離れて来た戦場を振り返った。

 礼次郎の部隊が離れたことで、囲みの一方が解かれたことになる。すでに士気を失っている徳川軍は、一部がそこから逃げ出し始めたが、健気にも未だ奮戦している者もいる。主将の倉本虎之進も、包囲されている中にあっても後詰めが来ることを知ったらしい。


「後詰めが来るぞ、今少し踏ん張れ!」


 と、必死に声を嗄らして兵達を鼓舞していた。


 ――半数近くは討ち取ったな。残りは六百と言ったところか。


 現在、そこでは一千百人から数を減らした倉本隊約六百人と、順五郎隊約五百人が正面から激しく戦い、倉本隊の側面を美濃島咲隊約二百が襲っている。


 礼次郎は唇を引き結んだ。


(敵の後詰め六百騎が来る前に奴らを殲滅し、全兵力で六百騎を迎え撃つ。そうすれば何も恐れることはない。だが、奴らを殲滅する前に敵の後詰め六百騎が来てしまうと、またわからなくなってしまう)


 再び、前方を見た。青緑の草地の先に原生林が広がっており、その中に切り開いた林道がある。後詰めはそこからやって来るはずである。


 ――急いでくれ。敵の後詰めが来る前に。


 礼次郎は表情を引き締め、前方を睨んだ。

 だが、やがてすぐに、地響きが鳴り始めたのを聞いた。


 ――もう来やがった。


 礼次郎は目を見開いた。

 そして見る間に、林道の入り口に騎兵の一団が姿を現した。

 先頭に、率いている武将がいた。武将は一旦進軍を停止させた。どうやら戦場の状況を確認しようとしているらしい。


 ――やるしかない。順五郎と咲が敵を駆逐してこちらに来るまでに、何とかここで食い止める。


 礼次郎は右手を見て、川の対岸の龍之丞の部隊が移動して来て援護射撃の態勢を整えたのを確認すると、迎撃の用意をした。


 そして、敵将が大太刀を抜いて振り上げ、何か叫んで振り下ろした。それが合図である。同時に、敵将の背後の騎馬兵たちが一斉に駆け出して来た。

 礼次郎も迎撃の命令を下そうと、大太刀を振り上げた。

 だがその時、礼次郎は何かを察知して背後を振り返った。


 ――何かが迫っている?


 再び地鳴りが聞こえた。今しがた姿を現した敵の後詰めと同じく、騎馬隊のものと思われた。大地を揺らす響きは、瞬く間に大きくなって来る。

 そして、一団の騎馬兵たちが、美濃島咲隊が交戦している背後を駆け抜けて出現した。


「何だ?」


 あるはずのない騎馬隊の出現に、礼次郎は驚いて目を瞠った。

 諸山城には百の兵を残して来ている。城将の壮之介が自分の判断で率いて加勢に来たのだろうか? と礼次郎は思ったが、すぐに違うと思い直した。諸山城の兵は騎馬ではない。それに、数が違い過ぎる。ざっと見て、五百はいる。しかも、彼ら騎馬武者の背に、城戸家の三つ葉竜胆(りんどう)紋を染め抜いてある軍旗が無い。


 ――いや、それどころか旗を一つも差していない。こいつらは何者だ? 敵か?


 礼次郎は緊張に身を固くし、殺到して来る一団を見つめた。するとすぐに、その一団の軍装には見覚えがあることに気付いた。


「あれは……」


 その時、川向こうの龍之丞も、突如として現れた不審な騎馬隊を凝視していたが、彼の方が礼次郎よりも早く気付いた。


「あれは越後兵だ! そうか、ついに来たか!」


 龍之丞は一人歓喜して叫んだ。

 やや遅れて礼次郎もそれに気付いたが、


「越後の兵? 何故?」


 彼は困惑したように驚き、疾走する騎馬隊を見つめた。

 先頭には、黒い甲冑を纏った武将がいる。何者が率いているのかとじっと見つめたが、遠目であるのと面頬をつけているのではっきりとはしない。


「しかし何故ここに?」


 礼次郎が重ねて驚いていると、その騎馬隊の先頭の武将が大声で叫んだ。


「回り込んで徳川軍の側面を突け!」


 越後の騎馬隊は、大きく迂回すると、徳川軍の後詰め六百の兵の側面に激しく突撃した。

 徳川方の騎馬隊を率いる将は、越後騎馬隊の出現を見て、驚きつつも何か喚き、対応の用意をしようとしたようだが、すでに礼次郎の部隊目掛けて突進してしまっている。間に合わずに、その突撃をまともに食らってしまった。

 横から突っ込まれて騎馬武者達が次々に砂塵を上げながら横転し、隊列は一気に崩れた。

 それを見た礼次郎は慌てて、


「俺達も行くぞ」


 と、自隊を率いて馬を駆った。


 ここに、勝敗は完全に決した。


 徳川軍の後詰の部隊は程なくして潰走し、中央でも倉本虎之進の本軍は粗方殲滅されて、残兵は散り散りに逃走、あるいは捕まって捕虜となった。


 しかし、仇敵の倉本虎之進本人は取り逃がしてしまい、礼次郎はひどく残念がった。


「残念だが仕方ない。まあいい、次だ。次は必ず奴の首を挙げてやる」


 礼次郎は悔しそうに天を睨んだが、すぐに顔を下して視線を別の方向に向けた。


「だが、あの越後の騎馬隊が来てくれなかったら逆の結果になっていたかも知れない、助かった。しかし、何でここに?」


 戦闘は終わったものの、まだ血生臭さが濃く残る騒然とした戦場で、礼次郎は遠くの越後騎馬隊を見つめた。

 やがて、その騎馬隊の中から、率いている黒装の武将がこちらにやって来た。

 武将は、礼次郎に近付いて来ると、冑を脱ぎ、面頬を外して「やあ、礼次郎殿」と、気さくな声をかけた。

 礼次郎はその顔を見て、思わず馬から落ちそうになるぐらいに仰天した。


「な、直江様!」


 その武将は、越後上杉家の執政直江兼続であった。


「久しぶりだなあ。半年ぶり、いや昨年の十一月以来だからもっとか」


 兼続は、懐かしそうに目を細めて礼次郎を見た。


「直江様、何故ここに? これはどういうことですか?」


 礼次郎は困惑しながら訊いた。


「うん? 邪魔だったかな?」

「いえ、直江様の加勢で助かりました」


 その時、龍之丞がやって来た。龍之丞は笑いながら、


「やっと来たのか。しかし、旦那自身が率いて来たのは意外だったぜ」


 兼続は龍之丞を振り向いて、


「おう、(たつ)。久しいな」

「いつ来るのかと思ってたら、すごい時に颯爽と現れやがって。憎たらしいぜ」

「ははは。古来より英雄とはこういうものよ」


 兼続は冗談めかしながら、愉快そうに笑った。

 その二人の会話を訝しがりながら、礼次郎は龍之丞に訊いた。


「龍之丞、知ってたのか? これはどういうことだ?」

「はい。ええっと……どう言えばいいでしょうかね」


 龍之丞が困ったように言葉を探していると、兼続は意外そうな顔をした。


「うん? お前、我らが来ることを礼次郎殿にお知らせしていなかったのか?」

「まあ、ちょっとな……」


 龍之丞は、少し気まずそうな顔で礼次郎を見て、


「殿、隠していて申し訳ござりませんでした」

「うん、まあそれはいい。まずこれはどういうことなのか聞かせろ」

「ええ、実は先々月、ちょうどあの日ですよ。ほら、殿がゆり様と……あの日、越後から使いが参ったでしょう」

「あ? ああ、そう言えば来てたな」


 ゆりが瑤子と共に京へ旅立ち、それを礼次郎が引き止めに追いかけたあの日のことである。あの日、越後からの使いと言って、龍之丞のかつての家来がやって来た。

 礼次郎はそれを思い出した。だが、思い出すと同時に、急に狼狽えたように大声を上げた。


「ああ、すまん! 後で訊こうと思ってたのにそのことすっかり忘れてた。しかしお前も言ってくれればいいものを」

「はは、構いませんよ、仕方ありません。あの時、殿はゆり様のことで頭が一杯でしたからな」


 龍之丞がにやついた。


「うん? 何かあったのか?」


 兼続が興味津々の顔で身を乗り出すと、礼次郎は赤くなりながらもじろりと龍之丞を見た。


「おい、やめろよ」

「はは、申し訳ござりませぬ。旦那、これは後でゆっくりな」


 龍之丞は、兼続に意味深な笑みを見せると、また礼次郎に向き直り、


「で、まあ……あの時の越後からの使いが、春日山の御屋形様からの書状を持って参りましてな。内容を簡単に言えば、『新発田討伐の目途が立ったので、そのうち折を見て再び礼次郎殿に力を貸すつもりである』と言うことだったのですよ」

「何? そうだったのか。じゃあ……いや、お前、何でそれを俺に言わなかったんだ?」


 礼次郎が驚きながらも龍之丞を責めると、龍之丞は頭を掻いた。


「いや、言うつもりだったんですがね……俺にはちょっと思うところがありまして。まず、折を見て、とのことでいつになるかわからなかったので、もしその話が無くなってしまったら、今の我らの状況です、皆失望し、意気消沈してしまうかも知れないと思いましてね」

「おいおい、俺達がそれぐらいで意気消沈などするわけないだろ」

「はは……まあ、私もそう思いますがね」

「何だよ、変な奴だな」


 礼次郎は眉をしかめた。龍之丞は、それ以上この話をしたくないのか、強引に話題の方向を変えた。


「だけど、今日来るなんて知らせは私の下にも届いておりませんでしたので、私も先程は驚きましたよ」


 すると兼続はそれに答えた。


「ああ。実は先々週、我らはついに大軍でもって新発田城攻略に出陣したのだ。今も御屋形様たちは新発田城の南西に陣を張っておる。だがつい三日ほど前に、徳川軍が城戸家の諸山城に攻め込むかも知れないと言う情報を軒猿(のきざる)から聞いてな。我らは、その前の諸山道での敗戦を聞いておる。御屋形様は、これは城戸家の危機、捨て置けぬと申され、上杉と新発田の戦力差を鑑みて少々の援軍であれば出しても問題ないと判断した上で、礼次郎殿をお助けする時は(まさ)に今、と兵の派遣を決められたのだ」


 兼続が言い終えると、礼次郎は驚きながらも感激した顔となった。


「なんとありがたい……」


 礼次郎は胸を打たれた。今、上杉軍が陣を張っているであろう方角の空を見上げた。


「ああ、流石は御屋形様」


 龍之丞もまた、感動したようであった。


「しかし、今は徳川も関白様に臣従し始めている。そんな中で、我らが礼次郎殿に力を貸したことが徳川に知られると、何かと面倒になりそうなので、この事は極秘だ。故に、我らは旗も差さず……」


 と、兼続が言いかけると、すかさず龍之丞がからかうように口を挟んだ。


「だからあのおかしな"愛"の冑も被っていないわけか」


 兼続はむっとして、


「そうだが。龍、おかしな、とは何だ。あの愛の前立ては、先代不識庵様が飯綱権現を冑の前立てにあしらったものに倣ったのだぞ。そもそも我々は皆、不識庵様の弟子であろうに、お前は……」


 と、また長い話が始まりそうだったので、龍之丞は苦笑いして制止し、


「わかった、わかったよ。それはいいとして、今回は何で旦那自ら来たんだ? 旦那が戦陣を離れちゃまずいんじゃないのか?」

「うむ。そうだが、今の上杉と新発田の戦力差は、我ら上杉家が圧倒している。俺が少し離れたところで問題ないぐらいだ。それなら、久々に礼次郎殿に会いたいし、上州や城戸の地、そして徳川軍を自らの目で見ておきたいと思ったのよ。戦乱は豊臣の下に収束する気配があるとは言え、将来どうなるかわからん、もしかしたら上杉家と徳川家が事を構える日が来るかも知れんしな」


 と、兼続は鋭く目を光らせた。だがすぐに破顔して笑った。


「それに、龍がしっかり役目を務めておるかどうか、見ておかないと行けないしな。お主は反省したように見えても、しばらくするといつの間にか遊女遊びを再開してたりするからな」


 それを聞くと、礼次郎が笑って言った。


「ご懸念の通りです。最近ではよく深夜にこっそりと女郎屋に通っているようです」

「ああっ、殿、それは言わないでも……」


 龍之丞が狼狽すると、その場に笑い声が弾けた。

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