六条原の戦い
そして、徳川軍が諸山城に向けて出陣したとの報がもたらされ、礼次郎もそれに応じて諸山城の後詰をするべく一軍を率いて城戸を出立した。
倉本虎之進率いる徳川軍は、その総兵力は一千八百人であったが、半分は本国から連れて来た兵ではなく、こちらで切り取った領地などから徴集した新兵であった。対する城戸軍は諸山城の壮之介たちが四百人、礼次郎らが率いて行く兵数が八百人、合計一千二百人である。
徳川軍に諸山城攻撃の気配あり、との情報を得てから、礼次郎と龍之丞の二人は、壮之介に諸山城に籠城させた上での迎撃の作戦を練っていた。
だが、進んで来た徳川軍は諸山道には入らず、その南に広がる六条原一帯を臨む小丘上に陣を構えた。
「六条原か。先日の戦で、城攻めを警戒しているのか?」
礼次郎が馬上で腕を組んだ。
「でしょうな。どんな罠を仕掛けているかわからない諸山道と言う隘路も嫌がっているのでしょう。奴らの方が兵数は上。まず、兵の数を活かせる平地に我らを誘き寄せ、そこで我らを叩いてから一気に諸山城を攻めたいのでしょう」
龍之丞が軍配を叩いて答えた。
「では、城に籠っている方がいいか?」
「いや、望み通り出て行ってやりましょう。奴らは我ら城戸軍を叩きたいとは言え、究極の目的は我らに七天山攻略を邪魔させなければそれでいいのです。奴らが六条原に陣を張ることで我ら城戸軍を諸山城に閉じ込めておけるならば、それはそれで一つの目的達成です。我ら城戸軍が動けぬ間に、七天山を攻略してしまえば良いのですから。しかし、それは我ら城戸家にとっては非常にまずい」
「そうなるな」
「ここは出て行きましょう。立てた作戦は無駄になりますが、それもまた戦と言うものです。六条原で正面から戦い、奴らを粉砕してやりましょう」
「しかし俺達は一千二百、奴らは一千八百だ。平地の六条原で正面から戦って勝てるか? 今からでは高中原の時のような作戦も取れない」
「勝ち目は十分にございます。私は奇策を使うよりも、戦場で兵を自在に動かして戦う戦の方が得意です、ご安心を」
こうして、城戸軍も六条原に進出した。
六条原は、西に山地があり、東には川が流れている。
倉本虎之進率いる徳川軍は、六条原の南に陣を構えていた。対して礼次郎ら城戸軍は、六条原の北東にある小高い山上に陣を張った。
「ほう、礼次郎は出て来たか」
倉本虎之進は、報告を受けて薄笑いを浮かべた。
「この一戦で奴の首を挙げてやる」
虎之進は、六条原に出て軍勢を展開した。
その動きを山上の本陣から見ていた礼次郎と龍之丞。
礼次郎はすぐに直感的に作戦を思いつき、龍之丞にそれを諮った。聞いた龍之丞は膝を打ってそれに賛同したが、そこに何点か隙があることを述べた上で、その隙を埋める方策を建言して、最終的な作戦を決定した。
倉本虎之進は、中央に一千百人の歩兵、左右両翼にそれぞれ三百人ずつの騎兵を配した布陣を取った。
対する城戸軍は、西の川沿いに布陣した。大鳥順五郎率いる六百の歩兵を中央に配し、右翼に美濃島咲の二百騎の騎馬隊、左翼に宇佐美龍之丞が率いる百人の鉄砲隊を川のすぐ隣に配した。龍之丞の鉄砲隊の前には、あらかじめ用意して来ていた馬防柵を立てた。そして後方にはまた、礼次郎の二百の歩兵がある。
そして正午少し前、両軍は開戦した。
まず、両軍の中央の歩兵が前進し、互いの矢ごろに入ると、矢を打ち合った。
無数の矢が空を埋め尽くさんがばかりに飛び交う。
宇佐美龍之丞率いる川沿いの百人の鉄砲隊も、馬防柵の内側から射撃を開始した。
だが、倉本虎之進は、宇佐美隊の鉄砲隊と馬防柵を見ると、
「ふん、我らの右翼の騎馬隊をそれで防ごうと言うのだろうが、それならばこちらは右翼の騎馬を左翼の騎馬に合流させ、共に左側から回り込んで包囲すればよいだけのことよ。そちら側の右翼にも騎馬隊があるようだが、見れば二百程度、楽に蹴散らせよう」
と言って、右翼の騎馬隊を左翼の騎馬隊と合流させた。そして、まずは城戸軍の右翼にある美濃島騎馬隊二百を攻撃させようとした。
だが、その前に礼次郎の軍配が動き、合図の貝が響き渡った。咲の騎馬隊二百人が先に動き、合流直前の徳川軍の騎馬隊に襲いかかった。
赤備えの咲の騎馬隊は、紅の疾風となって徳川軍の騎馬隊に突撃し、凄まじい勢いで敵の前線を搔き回した。だが、やがて三倍の数になる徳川軍の騎馬隊が勢いを巻き返し、徐々に押し返し始めた。すると、咲の騎馬隊は即座に退却を始めた。時機絶妙で、美濃島騎馬隊は綺麗に手際良く退いて行く。
倉本虎之進は、それに対して追撃を命じた。六百の騎馬隊が美濃島騎馬隊を追って行く。咲はそれを見ると、再び取って返して戦った。だが、少し戦うとまたすぐに軍を退かせ始めた。これは作戦であった。このように取っては返し、取っては返して徳川軍の騎馬隊を引き付け、咲は六条原の西の山岳地帯に入り、そこに徳川軍の騎馬隊を引きずり込むことに成功した。
勾配があり、樹木が錯雑する山岳地では、騎馬は思うように戦えず、むしろその戦闘力は格段に落ちる。
「むう、致し方なし、ここは戻るぞ!」
徳川の騎馬隊を率いていた将が、思うように行かぬ状況に業を煮やして撤退命令を下した。
だがそこを、城戸軍が背後から襲った。
それは、礼次郎率いる二百人の歩兵であった。
礼次郎隊は、咲らが徳川の騎馬隊を山地に引きずり込んだのを見ると、即座に風の如く動き、その背後に迫ったのである。
「かかれっ! だが馬は狙うな、馬上の武者だけを狙え!」
礼次郎の号令が鋭く飛んだ。
礼次郎自身も下馬し、手槍を取って戦った。
そこへ、咲の騎馬隊も下馬して襲いかかり、前後から挟撃するかたちとなった。
山地で思うように動けぬ徳川の騎馬隊はいいようにやられまくり、あっと言う間に潰走した。
「よし、奴らの馬に乗れ!」
馬を狙わずに馬上の武者だけを狙ったので、主を失った馬がそこら中に右往左往していた。礼次郎隊の歩兵二百人は、その中で無傷の馬を選んで飛び乗った。
「このまま敵の側面と背後を突くぞ!」
礼次郎の号令が、血汗で生臭くなった山間に響き渡った。
騎馬隊となった礼次郎隊二百と、咲隊二百が鬨の声を上げて山地を駆け下りた。
その時、中央では両軍の歩兵が激突し、激しい白兵戦を繰り広げていた。だが、数で言えば城戸軍が圧倒的に劣っている。城戸軍の犠牲者の数が増え始め、崩れ始めそうになっていた。順五郎が前線で獅子奮迅の動きを見せているおかげで何とか持ちこたえているところであった。
しかしそこへ、山地を駆け下りて来た咲隊二百が徳川軍の西側面から襲いかかり、礼次郎隊二百が更に背後に回り込んで突撃すると、様相は一変した。
徳川軍は側面と背後から痛恨の騎馬突撃を受けた上で、三方から包囲されてしまった。
徳川軍は瞬く間に混乱に包まれ、士気は一気に崩壊、戦うどころではなくなった。三方からの攻撃に、どう対応していいかわからず、またどこへ逃げてもいいかわからず、阿鼻叫喚の中を逃げ惑った。
「堪えい、堪えよ! 今しばし耐えよ!」
主将倉本虎之進は、自らも討ち死にを覚悟しながら、兵士らを叱咤して回った。
逆に城戸軍は勢いづいた。押されて崩れそうになるところを寸前で持ち堪えていた順五郎の部隊が息を吹き返し、猛攻に転じた。
「仕方ない、川に逃げ込め!」
やがて、徳川軍は少しでも生き延びられる可能性があるなら、と、すぐ隣に流れる川に逃げ込もうとした。
だが、川に殺到した徳川兵らは、青灰色の水面の向こうを見て仰天した。
対岸に、鉄砲を構えた武者の一隊があり、こちらに銃口を向けていたのである。それは、龍之丞率いる鉄砲隊であった。
川のもっと上流の方に、橋がある。龍之丞は、開戦直後に徳川の右翼騎馬隊が左翼の騎馬隊に合流するべく移動したのを見ると、急いで馬防柵から離れ、全速力でその橋へ向かい、向こう岸に渡ったのであった。
「撃てっ!」
龍之丞の大音声が響くと、およそ百の銃口が一斉に火を噴いた。轟音が戦場の空気を切り裂くと同時、川に入り始めていた徳川兵たちが水飛沫を立てて水中に倒れた。
完璧な展開であった。これで、勝敗は完全に決した――かと思われた。
だが――
「何?」
礼次郎は驚いて表情を変えた。
「はっ、敵の後詰め約六百の騎馬が恐るべき速さで迫っております」
物見に出ていた兵が慌てて飛んで来て、早口で報告したのであった。
「六百の騎兵、まだそれほどの騎兵がいたのか」
「鷹巣城の徳川家康が、急遽派遣したようです」
礼次郎は唇を噛んだ。心臓が動悸を打った。
今、眼前の徳川兵たちは、城戸軍により成す術もなく斬り倒され、突き伏せられ、踏み潰され、完全に崩壊している。勝利は礼次郎の手中におさまりつつある。
だが、六百はそこまでの多勢ではないとは言え、無傷の騎兵六百である。それが今また敵軍に加勢に来るとなると、まだどうなるかわからない。今、城戸軍は徳川軍を包囲しているが、やり方によっては逆包囲される可能性もある。




