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天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
最終章
199/221

因縁の宿敵

 千蔵が諸山道の戦いで生死不明となってから、もちろん礼次郎も何もしていなかったわけではない。

 遺体が発見されず、徳川軍が討ち取ったと言うような情報も伝わって来ないことから、千蔵はどこかで生存しているものと信じ、喜多に命じて各地に諜者を放って捜索させていた。


 しかし、何日かに一度、喜多から上がって来る報告は、どれも礼次郎に溜息をつかせるものばかりであった。

 だがこの日、礼次郎は屋外の稽古場で木剣を素振りしていたのだが、やって来た喜多の報告を聞いて木剣を下ろした。


「本当か?」

「はい。時々、鬼の如き形相の巨漢が林の中を自在に飛び回っていると、近隣の住民たちの間で気味悪がられているようです」

「場所は?」

「多胡郡白縄山の麓にある集落です」


「そうか。樹から樹へと自在に飛ぶ鬼の如き巨漢。あの戦の日、丸蔵山で樵が見たと言う、若い男を担いで飛んでいた巨漢と似ているな」

「はい。そして、丸蔵山の樵は天狗だと言っておりましたが、その白縄山麓の集落でも天狗だと噂されています。同じような容貌なのではありますまいか。しかも、です。その樹から樹へと飛び回る者は、その巨漢だけではないそうです。時には、その巨漢と共に、別の者たち数人も一緒に林や山中を飛び回っているそうです」

「なるほどな」


 礼次郎は腕組みをして、


「喜多、どう思う?」


 喜多は、はっ、と軽く頭を下げてから、


「私はやはり、その巨漢を始めとする山中を飛び回る者達と言うのは忍びの者だと思います」

「俺もそう思う。天狗なぞいるわけない。……多胡郡白縄山の辺りは、先日徳川が幻狼衆から奪った地域だな」

「ええ。ですが、その前は一時的に幻狼衆、それより以前は元々は北条家の支配するところです」

「北条か」


「はい。北条、忍び、この二つを聞けば、思い当たるのは風魔衆です」

「ああ。そして風魔と言えば、千蔵はあの風魔小太郎の孫に当たる」

「はい」

「ついに掴んだかも知れないな。喜多、白縄山一帯を調べてくれ」

「はっ。すでに諜者の数を増やしております」

「流石だ。頼むぞ」


 喜多は頷くと、再び風の如く飛び去って行った。



 そして、季節は四月に入った。

 人々の目を楽しませた桜は、夢であったかの如くあっと言う間に散り消え、木々には眩い新緑が色づき始めた。風にも時折暑いものが混じり、初夏の匂いが運ばれて来る。


 だが、そのように季節が爽やかに移ろうのとは逆に、ここ北武州から南上州の一帯は変わらずに血生臭かった。


 徳川軍と風魔軍(幻狼衆)の争いは激化し、両軍は各地域を巡って激しい戦闘を繰り広げていた。それは、当初は一進一退の攻防と言った様相であった。戦力で言えば劣る風魔軍であったが、それが天哮丸の力なのか、一時は徳川軍を圧するような勝利を収めることもあった。だが、五月に入ると、やがて物量と兵力で勝る徳川軍が徐々に優勢になり始め、歴戦の名将たる徳川家康の軍事指揮能力もあって、徳川軍が風魔方の城を一つ一つと陥して行った。


 そんな中、城戸礼次郎は焦っていた。

 徳川と風魔は両者共に城戸には攻め入って来なかった。それは、諸山城での"逆"空城の計が強烈な印象を残して警戒感を与えたことと、「それでも今の城戸家は戦力が半減しているので後回しにしても良し、それよりは目の前の強敵に注力すべし」と、徳川と風魔が互いに争ったからである。


 この状況は、今の城戸家にとっては幸運であった。できれば、このまま両軍が争い続け、互いに疲弊してくれれば尚のこと良い。だが、状況を見ていると、徳川軍が徐々に風魔軍を圧し始めている。このままでは、やがて近いうちに、徳川軍が七天山を陥落させてしまうかも知れない。そうなると、天哮丸は徳川家康の手に渡ってしまう。その前に、何としてでも礼次郎が風魔を討ち滅ぼして天哮丸を取り返さねばならない。しかし――


「今の俺達の力では、とてもこちらから攻め入ってなど行けない。どうすればいい」


 礼次郎は焦慮を隠すことなく、広間の自分の位置を立ち、その辺を行ったり来たりしていた。

 左右には、龍之丞とゆりが座っている。


「ねえ、少しは落ち着いて座ってくださいな」


 ゆりが呆れたように笑ってたしなめた。

 この頃のゆりは、以前に見られた少女っぽい天真さが影を潜め、言動や態度、雰囲気までもが急に大人びて来ていた。

 今日も、落ち着いた大人の女性のような口調である。その様には、どこか実母の瑤子に似ているところがあった。


「落ち着いていられるか。一度天哮丸が徳川家康の手に渡ってしまったら、奪い返すのは容易じゃない」


 礼次郎は、歩きながら答える。


「だからと言って、そうやって忙しく歩き回ってたって何も変わらないでしょう? 落ち着いて座って、じっくり考えを練ったら?」

「俺は動いている時にいい考えが浮かぶんだ」

「でも、一国のご当主様がそうやって落ち着かない様子でいるのはみっともないよ。家中の人たちにも不安を与えてしまいます。今は城戸家の当主なんだから、どっしりと構えていないと」


 その言葉に何だかむっとし、礼次郎は眉尻を上げてゆりの顔を見たが、


「ね? 落ち着いて?」


 と、言ったゆりの、色気を帯びた可憐な微笑を見たら、毒気が抜かれてしまった。

 礼次郎は首のあたりを搔き、自分の位置に戻って座った。

 そして、吐息をつくと、龍之丞を見やった。

 龍之丞は、先程からずっと、自身の前に広げた地図に無言で見入っている。


「龍之丞。何かいい知恵はないか?」


 礼次郎が訊くと、龍之丞は顔を上げ、弱り切ったように苦笑した。


「いや、私もずっと考えているのですが、乱取りで他の土地から人を連れて来るぐらいしかありませんな。しかし、それでも多寡が知れています」

「まあ、そうだよなあ」


 礼次郎は腕を組んで溜息をついた。


「そもそも、短期間で戦力を増強できるような上手い手があるのならば、皆簡単に領国を広げられるでしょう。元々ありえないのです。地道に力を蓄えていくしかありません」

「だけどそれでは何年かかることか……」

「そうです。今の我々にはそんなに待っていられる時間はありません。ではどうするかと言えば、結局はこれまでと同じです」

「これまで?」


「戦うのですよ。どうにもならぬ戦略上の劣勢は、戦術で撥ね返すしかありますまい。古来より、こう言った例は何度もあります」

「…………」

「私は常々、戦は敵よりも多くの兵と物資を揃えた上で戦うべし、それができなければ戦は避けなければならない、これを信条として参りました。ですが、考えてみれば我ら城戸家は、最初の戦の時よりずっと、相手よりも少ない兵で戦ってばかりでした。それでも勝ち抜いて来たではありませんか」

「そうだけど、この前の戦では……」

「ええ。負けました」


 龍之丞は気まずそうに苦笑いしたが、すぐに表情をがらりと変えて、


「ですが、もう二度とあのような失策は犯しまぬ。この宇佐美龍之丞、必勝の作戦を幾通りも練っております。先日の汚名挽回の為にも、いや、私のことはどうでも良い。殿と城戸家、そして天哮丸の為に、次は必ず勝って見せます」


 龍之丞は、両眼に覇気を湛えて言った。

 礼次郎は、そうか、と少し表情を和らげ、


「頼むぞ。だが、できるのか?」

「ええ。今は、例え徳川の大軍が相手であろうと勝つ自信がございます。某、先日の負け戦よりこの方、日夜戦術の研究と工夫に明け暮れて参りました」


 龍之丞は胸を張り、朗々とした声を響かせた。

 だが、龍之丞の向かいから、ゆりが白い目でぼそっと言った。


「日夜ねえ……夜更けにこっそり女郎屋行くことが何の研究と工夫になるのかしら」

「うっ、それは……」


 龍之丞がびくっと身体を震わせ、途端に気まずそうな顔となった。


「いや、あれはちょっとした息抜きと言うか……その……」

「うふふ、冗談ですよ。別にいいと思いますよ、たまになら」


 ゆりは可笑しそうに笑った。

 龍之丞はふうっと息を吐くと、頭を掻きながら苦笑いした。


「いや全く、ゆり様にはかないませんなあ」

「ははは、程々にな」


 礼次郎も笑った。

 その時、広間の入り口の向こう、庭先に喜多が現われた。


「殿、火急の知らせでございます」


 その表情が硬かった。

 礼次郎はさっと表情を変えた。何かを予感し、背筋を正して訊いた。


「何があった」

「徳川軍が鷹巣城を落としました」


 礼次郎が顔を険しくした。ゆりは驚いて手を口元にやった。

 鷹巣城は、 風魔軍の本拠地である七天山より東方、上野甘楽郡東南部の要衝にある大きな城で、ここを落とされると七天山はもうすぐそこであり、風魔軍にとっては七天山が脅かされることとなる。


「それだけではございません。鷹巣城に入った徳川軍に、諸山城に攻め寄せる気配がございます」


 喜多が早口に言った。


「何だと?」


 それを聞いて、礼次郎とゆりは更に顔色を変えたが、龍之丞は特に驚く様子はなく、冷静に喜多に訊いた。


「喜多殿、それは確かか? より詳しく」

「はっ。徳川軍は鷹巣城に入ったのも束の間、すぐに出陣の準備をしております。鷹巣城を落とした勢いのまま、七天山へ攻め込むのかと思いましたが、城内に忍び込ませた下忍の一人が、次は城戸家の諸山城だ、と侍たちが話しているのを聞いたとか」

「なるほど」


 龍之丞は頷いた。


「鷹巣城を攻め落としたらすぐに七天山へ向かっても良さそうなのに、何でここで私たちを攻めようとするのかしら?」


 ゆりが不安そうな色を浮かべて言うと、礼次郎が苦々しい顔でそれに答えた。


「まあ、簡単なことだ。諸山城の城戸軍が目障りなんだろう。確かに鷹巣城から西に行けばすぐに七天山だが、鷹巣城から北の位置には俺達の諸山城がある。自分たちが七天山を攻撃している間にもしかしたら俺達に鷹巣城を攻撃されるかも知れない、あるいは七天山攻撃中に横槍を突かれてしまうかも知れない、そう、恐れたんだろう。だから、七天山攻略に本腰を入れる前に、今度こそ諸山城を落として俺達を叩き、後顧の憂いを絶っておきたいんだろうよ」


「殿の言う通りでしょうな。鷹巣城を落としたことにより、七天山攻略が見えて来て余裕ができた。ここで一旦城戸家を叩いておき、七天山攻略の邪魔が入らないようにしたいのでしょう」



 その時、取次の小者がやって来て、「諸山城の軍司様よりの書状です」と告げた。

 礼次郎は、進み出て来た小者よりその書状を受け取り、中を見ると顔を険しくした。


「殿、何と?」


 龍之丞が訊くと、礼次郎は顔を上げた。


「喜多の報告とほぼ同じだ。徳川軍が鷹巣城を落としたことと、その徳川軍が諸山城を攻める準備をしている模様、至急、後詰の準備を願いたい、と」

「なるほど、これで徳川襲来は確実となりましたな」


 龍之丞が持っていた扇子を畳んで床についた。

 ああ、と、礼次郎は頷くと、続けて言った。


「もう一つ書いてある。その徳川軍の大将は、倉本虎之進だ」

「…………」


 広間に緊張が満ちた。龍之丞とゆりが、礼次郎の顔を見た。

 礼次郎の目が覇気と殺気に光っていた。


「龍之丞、勝つぞ」


 礼次郎は短く鋭く言った。


「はい」


 龍之丞もまた、目をぎらつかせて答えた。

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