礼次郎の行方
徳川家康は一人で本陣にいた。
床几に腰かけ、爪をかみながら篝火の揺らめきを見つめている。
「殿、眠れませぬか?」
倉本虎之進が入って来た。
虎之進の服装は戦いの血と泥にまみれている。
「おお、虎之進か」
「もうだいぶ遅うございます」
「うむ、気になっての。してどうであった?天哮丸は?」
家康が待ちきれないと言った様子で膝を乗り出す。
虎之進は跪くと、
「全員で探させておりますが未だ見つかっておりませぬ」
と、報告した。
家康が少し驚いた表情で、
「これだけ時間をかけてもまだ見つからぬと申すか」
「はい、城戸の館のみならず、町中の隅から隅まで探させているのですがやはり見つかりません」
「そうか……一体どこに隠してあるのか……」
「逃げた城戸の者何人かを捕まえて問い詰めたのですが皆一様に全く知らないし見たこともないと言うばかり。やはり城戸宗龍の言う通り、当主となる者しか天哮丸のある場所は知らないのだと思われます」
「そうか。宗龍を自害させてしまったのは失敗だったの」
家康は溜息をつき、
「となると嫡男である城戸礼次郎が知っているはずだが、礼次郎の行方はわかったか?」
「申し訳ございません、こちらも未だ捕らえたと言う報告は上がっておりませぬ」
「ううむ……仕方ない。あやつの方がこの辺の地理には明るいであろうからのう」
そう言うと、家康は立ち上がって数歩歩いた。
虎之進はその背中に向かって、
「それと殿、もう一つ報告申し上げることが」
「何じゃ?」
「仁井田統十郎殿の姿がどこにも見えません」
「何?」
家康が振り返って眉をしかめた。
「用があり仁井田殿を探したのですが、どこにもおりません。配下の者にも聞いたのですが、誰も見ていないと」
「どういうことじゃ?」
「わかりませぬ。配下の者の話では、城戸礼次郎と戦っていたそうなのですが、途中で中断するや、あとは任せると言って城戸の館に走って行ったとのこと」
「ふむ、それは加勢に行ったのであろう」
「そうであればいいのですが……その後、別の者が城戸の館内部で走り回る仁井田殿を見たと言っており、それが最後です。それからどこにも姿が見えません」
虎之進がそう言うと、家康がはっとして目を剥いた。
「まさか、統十郎は……」
虎之進が冷たい目を鋭く光らせた。
「そうです、もしかすると天哮丸を先に探し出し、奪って逃げたのかも知れません」
「うぬ……」
家康が虚空の一点を睨み、爪をかんだ。
「そうであれば納得が行かんわけではない……。あやつは半年ほど前突然我が家中に現れ、今回はあやつ自身からわしの護衛を願い出て来た。しかし最初からどさくさに紛れて天哮丸を奪うのが目的だったわけか」
家康は歩きながら低く呻いた。
「そもそもあの者は全く自身のことを語ろうとはせず、どこか怪しいと思っておりました」
虎之進が言う。
「うむ……わしもそれは感じていたが、お主に匹敵する剣の技、平八郎に次ぐ戦場での剛勇から、役に立つ男だとつい油断してしまった」
「ではあの者を追わせますか?」
すると家康は歩を止め、しばし考え込んだ後に言った。
「しかしわしらがこれだけ探しても見つからない天哮丸を、統十郎があの状況下で先に見つけ出せるとも思えん」
「それは確かに」
「ふむ……しかし勝手に姿を消すは軍紀違反ではある。とりあえず統十郎を探させよ」
「はっ」
「それと、これほど探しても見つからないのであれば、礼次郎を捕らえて天哮丸の場所を吐かせる方が速いであろう。礼次郎の追手をもっと増やして探させい。残りの者は引き続き城戸での捜索をせよ」
「はっ、承知いたしました」
虎之進はすっと立ち上がるや、出て行こうとした。
「待て、虎之進」
家康はその背中を呼び止めた。
「はい」
虎之進が振り返る。
「城戸の者達はどうなった?」
「城戸家の兵士達は全滅させました。住民達も極一部は逃げのびたようですがそれ以外は全て殺しました」
虎之進は表情を変えることもなくさらっと言ってのけた。
「そ、そうか……大儀であった……」
そう言う家康の顔は複雑そうな表情を浮かべていた。
城戸の町のあちこちから火の手が上がっていた。
その間を悲鳴を上げて逃げ惑う人々。
それを追う徳川軍の兵士達。
これまでおよそ四百年間、ずっと平和を保って来た山間の小さな土地は、わずか一日にして阿鼻叫喚の地獄と化した。
やがて領主である城戸家の館からも火が上がる。
城戸の館内では、すでに門を開き突入した徳川の兵士と、それを防ごうとする城戸の兵士たちが入り乱れて戦っていた。
その中を、礼次郎は白刃下げて必死に走り回る。
父、城戸宗龍の部屋の前まで来た。
「父上!」
礼次郎は障子を開けて入った。
宗龍は腹を切る準備をしていた。
「父上、なりませぬ!ここを逃げましょう!」
礼次郎が駆け寄って言うと、
「それはならん。もう逃げても無駄であろう」
「しかし……!」
「お前が逃げのびた末に、わしがここで死ねば徳川は天哮丸の所在を知る術がなくなるのだ。城戸家当主の使命は天哮丸を守ること。わしは文字通り命を懸けて天哮丸を守るのだ」
「父上……」
「天哮丸継承の儀を済ませておかなかったのは残念だが、お前が生き延びて天哮丸を守ってくれればそれで良い」
「しかし……」
「よいな、礼次郎、必ず生き延びよ。天哮丸を頼んだぞ。そして城戸家を再興してくれ」
そう言うと、宗龍は気合いと共に刃を自身の腹に突き立てた。
「父上!」
「父上!……」
自身の叫び声と共に、礼次郎は目を覚ました。
開けた目の先に木張りの天井が見える。
眠っていたようだ。
礼次郎の身体には布団のような布がかけられていた。
礼次郎はぱっと身を起こした。
そして周りを見回した。
どうやら民家らしい。
広くはない。
礼次郎の隣には火鉢がある。
壁には農具等がかけられてあり、部屋の隅には釜のある台所がある。
しかし不思議なことに誰もいなかった。
窓から強い日差しが射し込んでいる、どうやらすでに朝を迎え、日が高くなっているらしい。
――なんだここは? オレはどうしてこんなところに……?
礼次郎は記憶を辿る。
――美濃島の連中に追い詰められて崖から落ちて……必死に泳いで何かに捕まったところまでは覚えてるが……。
その時、突如として戸が開き、眩い朝日が部屋に満ちた。
「目が覚められたか」
そう言う声と共に、一人の男が入って来た。