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天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
上州大乱編
189/221

城戸軍の逆襲

 徳川軍は開け放たれた城門を潜り抜けるや、虎口を突破し、瞬く間に二の丸内に雪崩れ込んだ。

 家康が思った通り、そこには城戸軍の兵士らはどこにもいなかった。しんと静まりかえっている。


「やはりはったりか」

「それっ、城戸礼次郎の首を取れ」


 徳川兵らは勢いづいて本丸を目指して走る。


 その様を物見櫓の上から見ている礼次郎と龍之丞。

 龍之丞が笑いながら立ち上がった。


「殿、これはまずいですぞ」

「おう、急がないとな」


 礼次郎も答えて立ち上がり、


「家康の首を逃しちまうからな」


 と、不敵ににやりと笑った。


 その瞬間、どこからともなく沢山の火矢が鮮やかに夜闇を裂いて飛び、二の丸を走っていた徳川兵らに降り注いだ。かと思うと、あちこちで凄まじい爆発が起き、徳川兵らが吹き飛ばされた。

 一瞬で炎が舞い上がり、悲鳴と絶叫が上がる。


「しまった。やはり罠があったのか!」


 倉本虎之進が左上腕を押さえながら叫んだ。

 彼は運良く爆発に巻き込まれたなかったが、飛散して来た何かがぶつかり、左上腕を負傷してしまった。


「退けっ、急ぎこの城から脱出せよ!」


 虎之進は大声を張り上げて命令を下した。


 しかし、兵士らはすでに大混乱に陥っている上に、あちこちで炎が上がっている。兵士らは逃げ惑うものの、どこへ向かえば良いのかわからず、悲鳴を上げながら右往左往するばかりである。虎之進自身すら、身動きが取れなかった。

 そこへ、周囲の蔵や小屋などの建物の上に姿を現した城戸兵が更に矢を放ち、鉄砲まで射掛けた。

 徳川軍はますます混乱の深みにはまって行く。

 やがて、徳川兵らは、侵入して来た城門から少しずつ外に逃げ出し始めたのだが、遅れている者らは雨の如く降り注ぐ城戸兵の矢に貫かれて倒れて行った。


 そして、城外で指揮を取っていた徳川家康。

 諸山城内で突如起こった爆発音と共に悲鳴が響いたのを聞き、何事が起こったかと注視していたが、城門から逃げ出して来る自軍の兵士らを見て、全てを悟って顔色を変えた。


「しまった。空城の計ではない。本当に罠があったのか」


 慌てて軍配を振り上げた。


「退けっ、ここから撤退じゃ!」


 家康は、まだ城内に突入せずに残っていた兵士らに指示をした。逃げ出して来る兵士らも加えて、引き上げにかかった。

 だがそこへ、突如として響いた戦鼓の音。続いて耳をつく人馬のいななき。

 夜闇に沈んでいた大地を揺るがせながら、左右の森から城戸兵らが鬨の声を上げながら殺到して来た。


「伏兵があったか!」


 家康はもちろんのこと、兵士ら皆仰天した。

 すでに諸山城内の罠によって士気は挫かれている。応戦する気も起こらず、徳川軍は隊列を乱しながら、それぞれ転げるように後方へ逃げ出した。


「いかん。退けっ、急げ!」


 家康自身も、明らかに狼狽しながら、馬を駆った。


「逃がすか! 妹の仇を討ってやる」


 順五郎が吼えて、逃げる徳川軍に飛び込んで槍を縦横に振り回した。

 左右の森から出現した伏兵は、それぞれ順五郎と咲が率いていた。


 咲が率いているのは、言うまでもなく騎馬隊である。

 今日は、全兵、咲と同じ赤い甲冑に統一していた。

 いわゆる赤備えである。

 咲はその赤い騎馬隊を率いて、逃げる徳川軍の背後に迫った。


 その様を後方に見て、徳川家康は肝を冷やした。

 十三年前の三方ヶ原の敗戦が脳裏に重なったのである。


「あ、あれはまるで武田の赤備えではないか! 何故ここにおる!」


 それは、家康にとっては悪夢であった。かつていいように追い回され、馬上で脱糞すると言う恥辱まで味わった、忘れたくても忘れられない恐怖の記憶である。

 家康には、その武田の赤い騎馬軍団の亡霊が、地獄から蘇って追いかけて来ているように感じられた。


 美濃島咲が叫んだ。


「家康、逃げるな! 三方ヶ原を思い出させてやる!」


 美しき紅の女騎馬は、部隊の先頭を駆けて徳川軍の後方に肉薄、自ら太刀を引き抜いて縦横に斬り回り、徳川兵を追い散らした。


 状況が一気に逆転した。

 先程まで勝ち誇って城に攻め寄せ、一気に城戸軍を殲滅して礼次郎の首も挙げん、と意気盛んであった徳川軍が、一転して城戸軍に追い散らされ、逃げ惑う立場となった。


 家康は、馬廻りの者らと共に、無我夢中で諸山道を駆けた。


 そして倉本虎之進、井伊直政の二人も諸山城から脱出し、手勢をまとめてその後を追った。

 城戸軍の猛追撃を防ぎつつ撤退して行く。


 その様を、物見櫓の上から見ていた龍之丞、溜息をついて感嘆した。


「殿、お見事でございます。まさか家康が空城の計を使ったことがあることを利用し、それを逆手に取った計を仕掛けるとは」


 礼次郎は、張り詰めた顔をしていたが、それを聞くと、やや表情を緩めて微笑した。


「運が良かったんだ。天が俺に味方した」

「ご謙遜めされるな。毎晩の研鑽の成果が出たのです」


 礼次郎は、城戸に戻って来て以後、龍之丞に唐土の兵書についての講義を受けていたが、それ以外にも、毎晩自分一人で部屋に籠り、徳川家康の戦歴と戦い方を調べ、研究を重ねていた。


「誠に感服いたしました。礼次郎殿、貴方様ならば……」


 と、龍之丞は言いかけて、やめた。


 ――より領土を広げ、大名になることも可能でしょう。


 龍之丞はこう続けようとした。だが、やめた。

 彼は言葉を変えた。諸山道の先の追撃戦の様子を見はるかして、進言した。


「しかし、あまり深追いしない方が良いかと思われます。追い返すことに成功したとは言え、数はまだ奴らの方が上。何が起こるかわかりません。ここは奴らを退却させればそれで十分かと思われます」

「俺もそう思う」


 礼次郎も全く同じ考えであった。

 龍之丞は使番を出し、順五郎と咲に追撃を止めさせた。


 礼次郎の奇策で、徳川軍は完全勝利を目前にしながら、手痛い損害を受けて退却して行った。

 そして城戸軍は、諸山城落城と全軍壊滅と言う絶体絶命の危機を免れた。

 だが、元より城戸軍の損害の方が大きい。

 全軍のおよそ半数近くが犠牲となり、生き残った者らも半数ほどが負傷している。


 火を消した諸山城――その本丸、二の丸が、城戸軍の負傷兵で溢れ返っていた。

 呻きながら横たわる者、紫色になった唇を噛んで傷の痛みを堪える者、全身を布で巻かれている者、見るも痛ましい光景の中、必死な顔をした女中らが手当てに走り回っている。


 順五郎、壮之介、咲、龍之丞はもちろんのこと、礼次郎自身も薬や白湯などを持って負傷兵の手当てをして回った。


 一頻り落ち着いた後、礼次郎は険しい顔で負傷兵らを見つめていた。


 ――この者たちだけではない。諸山道には、沢山の討ち死にした者らが倒れている。


 唇を噛み、拳を握りしめた。


 ――負ければこうなる。そして、これが戦だ。戦国の世だ。


 そこへ、龍之丞が礼次郎のところにやって来た。

 彼は、礼次郎の前に来ると、突然膝を折り、地に額を擦りつけた。


「殿、此度のこと、誠に申し訳ございません。全ての責任は私にございます。かくなる上は……」

「やめろ、変な気は起こすな!」


 礼次郎は大声で一喝した。

 龍之丞の身体がびくっと震えた。


「お前は最善の策を実行した。だが、家康がそれを上回ったんだ。責任を負うと言うならば、次に必ず徳川軍に勝つ作戦を練っておけ」


 龍之丞は悔しそうな顔で下を向いた。

 やがて顔を上げると、悲壮な決意に満ちた表情で礼次郎を仰ぎ見た。


「必ずや。次こそは必ずや徳川軍を、いや、家康を討ち取る作戦を立ててみせます」

「頼むぞ。それができるのはお前しかいないんだ」


 礼次郎は微笑んで見せた。

 そこへ、順五郎がやって来た。


「なあ、千蔵はまだ戻らないのか?」

「ああ。喜多に行ってもらっているが、まだ帰って来ていない。随分と遅いが、大丈夫かな」


 礼次郎は不安そうな顔となる。

 ちょうどそこへ、早見喜多が帰って来た。


「どうだった?」


 その姿を見るや、礼次郎は飛びつくように聞いた。

 喜多は跪いて、


「申し上げます。丸蔵山の間道には千蔵の部隊の者どもが多数倒れており、どうやら全滅したと思われます」


 その言葉が終らぬうち、礼次郎は悲痛な声を上げて天を仰いだ。順五郎は顔を歪め、龍之丞は無念そうに両目を閉じた。


「しかし、いくら探しても千蔵の遺体は見つかりませんでした」

「何?」

「くまなく探したのですが、千蔵らしき者はどこにも」

「首は持って行かれたにせよ、胴はどこかに残っているだろう?」

「千蔵の胴ならすぐにわかります。しかし、配下の下忍たちと何度も探し回ったのですが、どこにもなかったのです」

「どこかに逃げたか? いや、ならば千蔵のことだ、すぐにここに戻って来るだろう」


 龍之丞が険しい顔で横合いから言った。


「生きたまま捕らえられてしまった、と言うことも考えられますな」


 しかし、喜多がすぐに首を横に振った。


「私もそう思い、実は徳川軍も探って参りました。しかし、どうも千蔵を捕らえたような様子は窺えませんでした。そもそも、家康は此度の戦にあたり、全員討ち捨てを命じていたようです」

「じゃあ、どういうことだ?」

「わかりませぬ」


 喜多が、力なく肩を落とした。

 夜の闇に沈むように、一同、言葉が出なかった。

 しばらくして、礼次郎が重々しく口を開いた。


「わかった。もしかしたら、どこかに逃げているのだが、徳川軍の追跡が厳しくて隠れているのかも知れない。とにかくもう少し待ってみよう。喜多、大儀であった。奥で休んでくれ」


 しかし、喜多は立ち上がって周囲の惨状を見回すと、悲しそうな表情となり、


「いえ。私も皆の手当てをいたしましょう」


 と言って、足早に奥へと向かった。


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