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天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
上州大乱編
186/221

徳川軍との決戦

 千蔵は、およそ四百の兵士の先頭に立って、険しい丸蔵山の間道を進んでいた。

 ここは、地元の猟師や樵ぐらいしか使わない道であり、勾配は急で、左右の樹木は深い。

 しかし、千蔵は何も言わず、兵士らを率いて黙々と進む。


 配下の兵士たちは通常の武装をしているが、千蔵は胴と籠手と脛当てだけの軽装である。


 笹川千蔵は、生来の性格故に無口で無表情であるが、その心の内には静かな熱いものを持っている男である。

 今日も、一見無表情に見えるが、その顔の下には、青白い炎が如き闘志を燃やしていた。


 ――ご主君の宿願を果たす機会だ。この一戦で家康を討ち取るのだ。


「そろそろ諸山道に出るな。誰か、この先を行って様子を探って来てはくれぬか?」


 千蔵は、普段諜者として使っている配下の忍び数名を走らせた。

 忍びたちは、すぐに戻って来て報告した。


「もうすぐにでも諸山道に出られます。そして、徳川軍はわずかに先を進んでいます。このまま行けば、その背後をつくのは容易でございましょう」

「よし、このまま進み、諸山道に出たならば、真っ直ぐに駆けて徳川軍の背後を襲うぞ」


 千蔵は速度を上げた。


 (まずは俺がしっかりと役目を果たすことだ)


 一連の作戦の最初を担う。責任は最も重大であると言える。

  並々ならぬ気合いと決意を持って、千蔵は間道を進んで行った。


 しかし――


 ――殺気。


 千蔵は振り返った。

 その目に、遠くの樹上を飛ぶ影を捕らえた瞬間、叫んでいた。


「敵襲だ、備えよ!」

「え……?」


 配下の兵士達が狼狽えて四方を見回した。


 周囲の樹木が音を立てて揺れた。

 と、間道の向こうより武装した兵士達の一団が現れ、こちらへ殺到して来た。徳川軍であった。

 更に、周囲の樹上がざわめいたかと思うと、胴と籠手だけの軽武装の者どもが次々と飛び降りて来て兵士らに襲いかかった。

 たちまちにこだまする怒号と絶叫。


 ――しまった、忍びか!


 千蔵は唇を結び、刀を抜いた。


「落ち着け! 落ち着いて戦えば負けることはない!」


 千蔵は近くの敵に斬りかかって行きながら、兵士達を叱咤した。

 しかし、突然の敵襲に、兵士達の応戦準備は整わず、心身に動揺を残したままの戦いは不利であった。

 両軍の兵士らは吼えながらぶつかり合い、剣花を散らして激しく刃を噛み合せる。だが、揺れる木々と舞い落ちる葉の中に血飛沫を上げながら倒れて行くのは千蔵配下の兵士達の方が遥かに多かった。


(奇襲をかけに行くはずの我らが逆に奇襲を受けるとは。策を読まれていたか!)


 千蔵は縦横に飛びながら必死に斬り回る。


(まずい。急いで諸山道に出ねば、徳川軍がどんどん進んで行ってしまう)


 そうなれば、次に待ち構える順五郎と咲も打って出ることができず、礼次郎ら主力部隊の待ち伏せも意味をなさず、作戦は失敗する。それどころか、大敗の危機である。

 流石の千蔵も、心中に焦りが生じた。


「千蔵、俺が相手だ」


 聞き覚えのある声が響いた。


「半蔵殿か!」


 千蔵は叫びながら右に飛んだ。

 その後を、刀を振りながら飛び降りて来たのは、かの徳川伊賀衆頭領、服部半蔵正成。


「これは貴殿の指示か。我らの策を読んだとは流石」


 千蔵は刀を正眼に構える。


「読んだのは本多殿で、それに対する手を打ったのは我が殿よ」


 半蔵は悠然と笑みを見せた。


「ここで足止めを食らっては我らの策が失敗し、引いては城戸軍全軍が壊滅する恐れがある。邪魔はさせん」

「それはこちらも同じこと。お主らをここで討たねば、我が徳川軍が全滅するのだ」


 半蔵はゆっくりと八相に構えた。


「あの時に言った通り、全力で参る」

「望むところだ。かかって来い」


 血風に揺れる樹木の間に両者の影が走り、真正面から激突した。

 一瞬の剣花の飛散の後、ぱっと左右に離れる。

 そして再びぶつかり合う。激しい刃鳴りの音を立てながら、二人は旋風の如く上下左右に飛びながら打ち合った。


 ――強い。流石は鬼の半蔵。


 以前、小雲山で会ってはいるが、刃を交えるのは初めてである。

 噂通りの半蔵の腕に、千蔵は舌を巻いた。


 だが、感嘆している場合ではない。

 早く半蔵らを討ち、諸山道に出て徳川軍の背後を急襲せねば、作戦は失敗し、城戸軍は敗北してしまうのだ。


 だが、鋭く激しい半蔵の太刀捌きを前に、千蔵は斬り込む隙を見い出せない。

 ちらっと、周囲に視線をやった。

 千蔵配下の兵士達が次々と討たれており、いつの間にか半数以下になっていた。


 ――まずい。


 千蔵の焦りが大きく広がって行った。


 一方、丸蔵山と荒舟山に潜んでいる順五郎と咲。

 もういい頃合いだと言うのになかなか徳川軍の混乱の悲鳴が聞こえて来ないので、首を傾げていた。


「一体どうしたんだ? もう来てもいい頃だと思うんだけどな」


 順五郎は少し苛立ち、手槍の石突きをどんっと地に叩いた。


「おかしいわねえ」


 荒舟山に潜む咲も、訝しみながら溜息をついていた。

 すると、物見に出ていた兵士が顔色を変えて戻って来た。


「美濃島様、徳川軍がやって来ております」

「え? 千蔵の奇襲は?」

「わかりません。ですが、徳川軍には特に混乱も無く、襲撃を受けた様子もございません。それどころか、進軍速度を速めております」

「何?」


 咲は驚き、急いで自ら見に行った。

 すると、樹木の間から透かし見てみれば、確かに徳川軍には何も起きた様子がなく、静かに、しかも足早に進軍している。


「どういうこと? 千蔵が背後をつくのに失敗したのか?」


 咲は口元に手をやって考え込んだ。


(だとすればどうしたら……? 今、私たちだけで飛び出して側面を襲うか? いや、それにしても私たちだけでは……順五郎の部隊と連携してかかれればいいけど……元々、千蔵らが徳川軍の背後を混乱させたのを合図にして同時に飛び出す手筈だったから、それはできない。では今から順五郎に使いを出して……いや、それでは遅い!)


 咲は目まぐるしく思案するが、考えが決まらぬうちに、徳川軍は速度を速めながら通り過ぎて行ってしまった。


 それは順五郎も同じであった。


「千蔵はどうしたんだ? 徳川軍は何事もないじゃねえか。どうする、このまま飛び出して行っていいのか?」


 順五郎はどうしていいかわからず、ただ槍の石突きを地に叩きつけていた。

 額に嫌な汗がじんわりと浮いた。


 そんな彼らを、家康は嘲笑っていた。


「ふふ、甘いわ。そのような小賢しい策など、この儂に通用するものか」


 家康は高笑いを上げ、更に命令した。


「走るのだ! しかし声は上げるな! この先で待ち受けている城戸の小倅に一気に襲いかかるのだ!」


 徳川全軍はその命令の通り、声も上げずに走り始めた。


 そして諸山道の先で待ち受ける礼次郎ら。

 何も異変が起きないので、どうしたのかと訝しんでいた。


「そろそろ徳川軍がこちらに逃げて来てもいい頃だけどな……」


 礼次郎は馬上から目を凝らした。だが、うねる谷道の先からは、戦の音は聞こえて来ない。


「どうしたのであろうか」


 壮之介は、首からかけた大数珠を触りながら呟いた。


「…………」


 龍之丞は無言で軍配を左手に叩いていた。

 その表情が険しい。すでに何かを察知しているようであった。


 空気が乾き、緊張していた。

 礼次郎は、その空気の中に何かを感じ取って顔色を変えた。

 何かが、静かに押し迫って来ている。

 大地が揺れている。


 ――足音?


 と、空から黒い影が唸り声を上げながら翔け下りて来た。

 雷風であった。


「雷風、どうした?」


 礼次郎が左手を突き出すと、雷風はそこに止まり、忙しく鳴いた。

 礼次郎は、ただならぬ何かが起きていることを確信した。


「龍之丞、作戦は失敗したかもな」

「ええ、そのようですな」


 龍之丞は悔しげに軍配を叩いた。


「礼次郎様!」


 喜多が、風の如く飛んで来て馬前に跪いた。


「どうやら、丸蔵山の間道を進んでいた千蔵の部隊が徳川軍に見つかり、襲われた模様です」


 三人の顔色がさっと変わった。


「そうか、それで千蔵はどうした?」


 礼次郎は、ふうっと息を吐き、気を落ち着かせて聞く。


「戦っておるようですが、詳しいことはわかりませぬ。狭い場所での激しい乱戦故に、私も容易に近づくことができず……」


 喜多の報告に、礼次郎は表情に無念を滲ませた。


「そうか。もし可能であれば、千蔵に責任などは考えず、何としても逃げるように伝えて来てくれ」

「はっ」

「その前に」


 龍之丞が横合いから進み出て、


「まだ終わったわけではない。急ぎ美濃島殿と順五郎殿に伝えて来ていただきたい。すぐに山を駆け下り、こちらへ向かって来ている徳川軍を背後から襲えと」

「承知仕りました」


 喜多は一礼し、再び風となって飛んで行った。

 礼次郎が龍之丞を見やる。


「大丈夫なのか?」

「まだ勝機はございます」


 龍之丞は、鋭い眼光で答える。

 その時、うねる谷道の前方に、突如として徳川の大軍が出現した。


 全員の顔色が変わる。


「もう来たか」


 礼次郎が徳川軍を睨みながら太刀を抜いた。


「随分と早い。しかも物音を立てることなく来るとは。完全にこちらの策を読まれておりましたな」


 壮之介は、険しい顔で豪槍を一振りして構えた。


「迎え撃つぞ! 慌てることはない。敵の背後に順五郎殿、咲殿が現れるまで持ち堪えればいいのだ」


 龍之丞が自軍の兵士らを見て軍配を振り上げた。


 その時、家康もまた、軍配を振り下ろした。


「かかれっ! 城戸礼次郎の首を取った者には一万石を与えるぞ!」


 破格過ぎる恩賞である。

 この言葉に、徳川全軍は燃え立った。

 それまでの静けさから一転、大地をどよもす鬨の声を上げ、一斉に城戸軍目がけて突撃した。


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