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天哮丸戦記  作者: 五月雨輝
上州大乱編
181/221

礼次郎の想い、咲の涙

 礼次郎は馬を乗り回して兵士らをまとめ、散らばっていた備えを再編成すると、潰走して行った幻狼衆軍を追撃しようとした。

 龍之丞がそれを見て、


「礼次郎殿、何を? すでに大勝利でございますが、味方の兵士らも疲れている。ここは追撃せぬ方がよろしいかと」

「いや。このまま小雲山を攻めるぞ」


 礼次郎は冑の緒を締め直しながら言った。


「何ですと? 今日のところは兵士らを休ませ、また明日小雲山を攻めるべきかと存じますが」

「いや。明日になればまたどうなるかわからない。幻狼衆が後詰めをよこして来るかも知れない。それよりも、兵士らは疲れているとは言え、今の勝利の勢いがある。戦は勢いに乗るのが肝要だ。そして敵は城に逃げ込んだとは言え、今の敗北で気勢を削がれているだろう。今の俺達の勢いに乗って攻め込めば、きっと難なく攻め落とすことができる」


 礼次郎は迷いなく言い切った。龍之丞は何か言おうとしたが、思いとどまり、頷いた。


 すでに東の空は明るくなって来ている。

 礼次郎は、兵士らに半刻ほどの休息と軽食を与えた後、再び進軍を開始、小雲山に攻め寄せた。


 だが、小雲山の守りは固かった。

 幻狼衆が美濃島衆を攻め滅ぼし、占拠して以後、幻狼衆は城を増改築し、防御施設を増やし、その守りを堅固なものとしていた。

 礼次郎は檄を飛ばして兵士らを叱咤し、盛んに攻めかけたが、わずかに百人ほどしかいない小雲山の城門をなかなか破ることができない。

 そのうちに、城戸軍の兵士らの顔に明らかな疲労の色が濃くなって来た。

 それを見てとった龍之丞は、深刻な顔で礼次郎に進言した。


「礼次郎殿、ここはやはり退きましょう」


 美濃島咲も、礼次郎のところに駆けて来て、曇った顔で言った。


「礼次郎、ここは一旦退く方がいいよ。今は優勢だけど、それでも攻めあぐねている今、どこかに綻びができたら、疲労が溜まっている私たちの軍は一気に崩壊するわよ」


 しかし礼次郎は、歯を食いしばって、咲の顔を睨むようにじっと見つめた。


「何よ?」


 咲は不審そうに見返した。


「……駄目だ。攻めるぞ。何としても今日中にあの城を落とす!」


 礼次郎は目を血走らせて叫んだ。そして馬を駆り、


「攻めろ、あと一息だ。かかれ、かかれっ!」


 礼次郎は激しく兵士らを煽った。

 それだけではない。下馬し、手槍を捨てて桜霞長光を抜き、攻城に加わろうと駆け出した。


(これは一体どうしたと言うのだ……何故こうまで無理攻めをしようとする)


 龍之丞は訝しみながらも、礼次郎を止めようと馬腹を蹴った。


 その時であった。

 使番が飛んで来て、十数人の見知らぬ一団が麓より駆け上がって来て、礼次郎に目通りを願い出ていると言う。


「今は忙しい。あとにしろ」


 礼次郎は言い捨てたが、使番の者は、彼らはこの戦に是非とも加わりたいと言っており、それぞれすでに甲冑も着込んでいると言う。

 それを聞いた礼次郎は、では連れて来させるように、と命令した。

 やがてすぐに、歴戦がわかる傷だらけの甲冑を着込んだ武士の一団がやって来た。

 それを率いている壮年の男の顔を見て、礼次郎はあっと声を上げた。


「貴殿は確か……美濃島の……」


 壮年の男は眉庇の下から微笑んだ。


「城戸殿、お久しゅうございます。咲様の家来であった、加藤半之助でございます」


 男は、かつて美濃島家の家老を務めていた、加藤半之助であった。


「咲様が城戸殿の下におられると聞き、またこの度小雲山、大雲山を攻めると聞き、急いで馳せ参じて参りました」


 半之助は跪き、頭を下げて言った。背後の者たちも皆跪いた。


「そ、そうか。ちょっと待ってくれ」


 攻城戦の最中であるが、礼次郎は咲を呼んだ。

 知らせを受けた咲は、大いに驚き、にわかには信じられぬ様子であったが、すぐに馬を駆ってすっ飛んで来た。

 現れた咲は、半之助を見ると、顔を輝かせた。


「半之助、生きていたのか! あ……小平太も、お前たちも……」


 半之助、そして小平太たち若い衆らは、咲を見ると堪えきれずに涙を流した。


「咲様、お久しゅうございます。またこうしてお会いできるとは思いませなんだ」


 半之助は手で涙を拭いながら言った。


 咲は馬から飛び降りて駆け寄った。


「お前たち、一体どうしたのだ? これまでどうしていた?」


 咲も、目尻から涙を流していた。

 半之助が一同を代表して答えた。


「あの小雲山が落ちた時、儂は手傷を負いながらも辛くも脱出いたしました。すぐに咲様を探そうとしたのですが、幻狼衆の追撃は厳しく、儂は逃げるのが精一杯でした。そして、同じく重傷を負っていた小平太らと合流し、必死に逃げ、信濃の佐久郡の山の中に隠れていたのです。すぐに咲様を探したかったのですが、幻狼衆の追跡を躱す為、また、私や小平太らの傷も重かった為、これまで信州の隠れ家にじっとしていたのです。そして最近、ようやく我ら全員の傷が完治し、さあ咲様を探そうとなった時、咲様が城戸殿の下にいることを知りました。しかも我らの旧領である美濃島を攻めようとしていることも。そして、我らはこうして駆け付けて来たのです」


 咲は、うんうんと頷きながら聞いていた。


「そうか……とにかく、無事で良かった。あの時討死にした者らには申し訳ないことをしたが……お前たちだけでも生きていてくれて本当に良かった。そして、この場に駆けつけて来てくれたこと、嬉しく思うぞ」


 刃鳴りの音と怒号と悲鳴が響き合い、雨の如く矢が飛び交う戦場の中で、かつての主従は、再会を喜び合った。

 ひとしきり会話をした後、加藤半之助は真剣な顔で礼次郎に向き直った。


「城戸殿、我らわずかな人数の上、皆非才の身ではありますが、どうかこの戦の端に加わらせてくださいませ」


 礼次郎は笑顔で頷いた。


「もちろんだ。こちらこそ頼む」


 そして、半之助らが加わり、先頭を切って攻撃に参加したことで、城戸軍の萎えかけていた士気は、大いに奮った。

 ますます猛攻を加え、申の刻(16時)頃には、ついに小雲山を攻め落とした。


 礼次郎は、小雲山城に入ると、二の丸の広場に兵士らを集め、勝鬨を上げさせた。

 兵士らは皆、一様に酷く疲れていた。だが、その顔にはどれも満足そうな達成感が見えた。


「やればできるもんだ」


 見回しながら、順五郎は、槍を肩に担いで、泥と返り血に塗れた顔を満足そうにさせた。


「少々無茶ではありましたがな。戦は勢いに乗るものとは言え、今回は無理をしすぎた。このような無茶攻め、二度とするべきではない」


 龍之丞は顎を撫でながら苦笑する。

 美濃島咲は、紅の冑を脱いで従者に渡すと、礼次郎に歩み寄って言った。


「全くよ。一歩間違ったら総崩れよ。あんた大将なんだからもう少し考えなさい」


 礼次郎も冑を脱ぐと、気まずそうに肩をすくめた。


「悪かった。もうこのようなことはしない」

「今日はどうしたのよ。時々狂ったように攻撃的になるのはあんたの悪い癖だけどさ」


 礼次郎は、苦笑しながら、


「反省するよ。もうしない。だけど……これで少しは弔いになったんじゃないか?」

「は?」


 礼次郎は、ふうっと溜息をつくと、微笑を浮かべた。


「確か今日じゃなかったか? お前の親父さんと許婚が討ち死にしたのは」


 咲は、あっと声を上げた。

 思い出した。確かにそうであった。ちょうど一年前の今日、大雲山が落ちて、咲の父、美濃島元秀と、婚約者であった橋崎新三郎が討死にしたのである。


「あんた、覚えてて……?」


 咲は表情が変わっていた。


「ああ、良かった。あ、良かったと言っちゃ駄目か。とにかく今日で間違いなかったか。お前にこれを言うと、気合いが入りすぎて危ないことになりそうだと思ったから黙っておいたんだ」


 礼次郎は笑いながら、兵士の一人が持って来た床几に腰かけた。

 咲は形の良い艶やかな唇を震わせていた。呆然としていた。半之助、小平太らは言わずもがなである。


「それを覚えてて……だからどうしても今日中にここを落とそうと、あんなに必死に攻めたの? 私たちの為に……」


 咲は礼次郎を見つめながら呻くように言った。


「まあ……それだけが理由じゃないけどな。でも、今日攻め落とせば、何よりも弔いになると思ってさ」


 礼次郎は、乱れ落ちて来た前髪をかき上げながら言った。

 咲は、ただ呆然と礼次郎の顔を見つめていた。やがて、胸に熱いものがこみ上げて来て、その目が潤んだ。


「さて、まだ大雲山が残っているが、とにかくこれで小雲山は幻狼衆の手から解放された。そして、加藤殿らも戻って来た。お前は堂々とこの城の主に戻れるな」


 礼次郎は咲を見て微笑みながら言った。

 咲は、またもや唖然とした。


「何言っているの?」

「だから、もう幻狼衆は追い払った。これでお前はまたこの城の主だ」


 咲は強い衝撃を受けた。

 彼女も戦に加わったが、実質的には城戸家が小雲山を攻め落としたのである。だが礼次郎は、咲にまた美濃島家の当主として、小雲山の城主になれと言っているのだ。

 咲は唾を飲み込み、言った。


「待ってよ。ここはあんたが攻め落としたのよ。それに私ら美濃島家はもうすでにない。ここは城戸家の城よ」

「何言っているんだよ。元々はお前たちの城だろう。それに加藤殿らも帰って来た。これで美濃島衆が再興できるじゃないか」


 咲は、とうとう何か不思議な異界の人間を見るかのような気持ちで、礼次郎の顔を見つめた。


「あんた……戦国の世に生まれたのよ? もっと領土を広げたい、沢山の富を得たいって欲は無いの?」

「無いよ」


 礼次郎は笑いながらさらっと言った。


「俺は領土になんて大した興味が無いんだ。俺が戦をするのは、ただ、天が俺に課した使命、天哮丸を守ることと……そして非力だけど、俺の助けを必要としている人がいれば、それに応えたい。それだけだ」

「…………」


 咲はもちろんのこと、聞いていた一同、そして近くにいた兵士らも皆、言葉が出なかった。

 戦国武将としては特異と言える礼次郎の考えに、衝撃を受けていた。

 中でも強い衝撃を受けていたのは龍之丞であった。

 耳の奥に、かつての遠い日、彼が敬愛して止まない人が言った言葉が蘇っていた。


 ――儂は領土拡張には大した興味が無い。ただ、毘沙門天が命ずるままに、儂の助けを求めて来る者たちを助けたいだけである。


「じゃあ、と言うことで、しばらくはここに滞在するが、その後はお前は以前のように美濃島家の当主としてここを治めろ。だけど、幻狼衆を倒して天哮丸を取り戻すまでは、力を貸して欲しい。それはいいだろう?」


 礼次郎はそう言うと、背をぐっと伸ばしてから、城内のあちこちを見て回ろうと歩き出した。

 しかし、咲が呼び止めた。振り返る礼次郎に、咲は真剣そのものの表情で、しかし優しい口調で言った。


「確かに、小雲山を取り戻して、半之助らも帰って来たから、これで美濃島家は再興できる。 だけど……まだ二か月と少しだけど……私はもうすでに城戸家の人間のつもりよ。だから美濃島家は再興するが……」


 突然、咲は赤く染まった土の上に両膝をついた。そして礼次郎の顔を真っ直ぐに見上げて、


「我ら美濃島衆は、城戸家に仕えることにする」


 と言って、頭を下げた。戦の後にも関わらず、絹のように艶やかな黒髪が揺れて陽光に煌いた。

 礼次郎始め、皆驚いた。半之助らも仰天し、


「咲様、それは……」


 と、狼狽えたが、咲はそれを一喝した。


「昔は武田家に仕えていたんだ。それが城戸家に代わるだけだ。そもそも、城戸家の力が無ければ、私たちは再び小雲山に入ることはできなかった! 美濃島家は再興するのだ、それだけで十分だろう」


 すると、半之助らは黙り、互いに顔を見合わせた後、咲の後ろに並んで、同じように両膝をついた。


「おい、いいのかよ……」


 却って、礼次郎が狼狽する有様であった。


 その夜、半壊した小雲山城内の広間で、小宴が開かれた。

 しかし、まだ大雲山に敵はいるので、ほどほどにして終わった。


 その後、咲は匂い立つような薄紫の小袖着流し姿で、一人で渡り廊下に佇んで中庭を見つめていた。

 久しぶりの、かつての我が城。沢山の悲喜入り交じった思い出が残る、この城。

 咲は様々な思いに耽っていた。

 その背後へ、加藤半之助が歩み寄って来て、そっと声をかけた。


「丸一日戦った後に、薄着でこのようなところにいたら、風邪をひきますぞ」


 咲は振りかえらないままに、笑って答えた。


「戦と"あれ"の後はいつもこう。気の昂ぶりがまだ冷めないのよ。熱いぐらいだわ」


 半之助は苦笑し、小さく頷いた。だが、


「咲様、よろしかったのですか? 折角城戸殿がああ言ってくださったのに……」


 咲は、視線を中庭から夜空に移した。


「構わない。私たちはすでに一度滅んでいるのよ。この城に戻れただけで十分じゃない?」

「そうですか……。まあ、咲様がそうされたいと言うのであれば、もう何も言いませぬが……。しかし咲様が城戸家に仕えるなどと言うとは……私はまだ驚いております」


 咲は、振り返ると、妖艶さは変わらないがとても穏やかな笑みを見せた。

 それを見て、半之助は少々の驚きを覚えた。咲を幼少の頃から見て来ている半之助自身、記憶にあるかないかと言う、女の表情が垣間見えたからである。

 しかし、次の一言で、半之助は更に驚いた。


「ふふ……女が惚れた男に全てを差し出すのは何もおかしいことじゃないでしょう?」

「え……?」


 半之助は、聞き間違えたのかと思った。だがその後、また夜空に視線を戻した咲の後ろ姿を見て、「ええ?」と大声を上げた。


「咲様、まさか……」

「ふふ、勘違いしないで。前に言ったことがあったわよね。私はね、新三郎が討ち死にしたあの時に恋だ愛だなんて感情は捨てたのよ」


 咲は妖艶に笑うと、宝石をばらまいたように輝く星空を見上げた。

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