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天哮丸戦記  作者: 五月雨輝
上州大乱編
168/221

風魔父子

 だが、玄介もすでに天哮丸を抜いていた。振り返りざまに天哮丸を上へ振る。激しい金属音を立てて刃が噛み合った。しかし、小太郎の斬撃の威力は凄まじく、玄介は受け止めたものの、後方へよろめいてしまった。

 そこへ、小太郎が巨躯を躍らせて更に斬りかかる。しかし、その一撃は空を斬った。今度は、玄介が小太郎の背後にあり、天哮丸を袈裟に走らせていた。小太郎は横に飛んでそれを躱す。

 父子の壮絶な斬り合いが展開された。互いに本気であった。相手が息子、父であってもその太刀筋の冴えは鈍らず、互いに本気で相手を斬ろうとしている。

 周囲にいる小太郎、玄介、それぞれの配下たちだけが、どうしていいかわからず狼狽えているばかりであった。

 だが、二十数合目、鋭い音が響き、小太郎の剣が中央から折れた。

 小太郎は大きく四間ほども飛び下がると、鬼のような顔に驚愕の色を浮かべて折れた刀身を見つめた。


「刀が折れただと……?」


 玄介自身も驚いていた。だが、そこには痛快な感情が混じっている。


 ――折ったんじゃない。斬ったんだ。


 玄介はふふっと、不敵に笑った。

 小太郎はそれを睨むと、折れた剣を投げ捨て、もう一本の大刀の柄に右手をかけた。だが、柄を握ったまま、玄介に問いかけた。


「息子よ。何を考えておる? 大殿が奪って来いと命じた天哮丸を我が物とし、勝手に七天山の軍備を増強し、美濃島、大雲山小雲山を攻め取る……どう言うつもりだ?」


 玄介はそれには答えず、にやにやと笑うと、


「ふふ……ちょうどいい。もう少し後にしようと思っていましたが、折角親父様もいることだし、今ここで宣言するとしましょう」

「宣言?」

「我々はもう、北条家の指図は受けん。風魔幻狼衆はここ七天山に自立する」


 玄介は高らかに言い放った。

 小太郎の両目に一瞬で憤怒が燃え上がった。


「貴様……大恩ある北条家に背くと申すか!」

「恩? 何の恩ですか?」

「盗賊であった我らの祖先は、北条家始祖、早雲公に拾っていただき、お抱えの忍び衆としていただいたのだ。それを大恩と言わずに何と言う?」

「なるほど。しかし……北条の奴らはその恩以上の仕打ちを我らにしている。北条家の侍どもが手を汚せぬ悪行は全て我らに押し付け、それが露見しても知らぬふりして責任を取らない。その癖、我らから他国に抜け出た者が出ると、諸々の機密が漏れるのを恐れ、我らの手によって始末させる……しかも、十歳の子供にその姉を殺させる……それだけではない。いつぞやの戦では、まだ我ら風魔の者が敵方の砦に忍び込んでいるにも関わらず、それらの者どもごと火攻めにしましたな。また二年前には……」


 と、玄介は流れるようにしゃべると、


「これだけで十分にわかりましょう。奴らは我らを使い捨てとしか考えていないのです。もしこの先……まあ、あの鳥頭ではありえないと思いますが、北条家の手により天下静謐が成ったならば、我らはどうなると思いますか? すでに用無しとされ、捨てられますぞ。いや、北条家の数々の暗部に関わって来た我らだ、それが世に知られてしまうのを恐れ、皆殺しにされてしまうかも知れない。万が一、それを免れたとしても、その先我らに待っている運命は……また早雲公に拾われる前の盗賊に逆戻りでしょう」

「…………」


 玄介の口調は、火を吐くかのように熱を帯びて来ていた。


「そんなのは御免だ! 冗談じゃない! だから、我々の手で、我々の為の国を作るのです。この天哮丸の力でね」


 玄介は不敵に高笑いを上げると、天哮丸を左から右に一振りした。

 小太郎は、赤みを帯びた両眼で玄介を睨みつけていたが、


「……そうか、わかった」


 と言うと、大刀の柄をぐっと握った。

 小太郎の巨体より発せられる異様な殺気が大広間を駆け巡った。


 その時、玄介の最側近、三上周蔵の目が動いた。と、同時、多数の足音が聞こえ、十数人の幻狼衆の男達が廊下より入って来た。

 男達は、玄介と小太郎が対峙しているのを見て、ぎょっとした。


大頭(おおかしら)……」

「これは……」


 男達はたじろいだが、周蔵は冷静にそれを叱りつけた。


「狼狽えるでない。先程、お頭は宣言された。我らは今日よりはっきりと自立することとなった。相手が大頭(おおかしら)とは言え、お頭に刃を向けるとなれば敵である。いざとなればお頭を守れ」


 その言葉に、男達は未だ戸惑いを隠せていないが、多少の落ち着きは取り戻し、それぞれ抜刀した。

 小太郎は嘲笑しながら彼らを見回すと、


「貴様ら如きがこのわしを斬れると思うてか! 分際をわきまえよ!」


 と、大喝した。猛獣の咆哮にも似た怒声が、幻狼衆の若い男どもを再びたじろがせた。

 そして小太郎は、柄から手を放して、再び玄介を見た。


「お前がそう決めたならば、これ以上話して無駄であろう」


 と言い、小太郎は背を返すと、足音を響かせて大広間の入り口へと向かった。伴の二人もその後に続く。

 取り囲んでいた幻狼衆の男達は思わず後ずさり、割れて道が出来た。

 その間を悠然と歩いて行く父親の背へ、息子が言った。


「私は千蔵に会いましたぞ」


 小太郎の足が止まった。振り返らないままに答える。


「千蔵? 何者だ?」

「お鶴姉さまの一人息子ですよ」

「…………」


 小太郎は返事をしなかったが、その身体がぴくっと動いた。

 玄介は冷笑しながら言葉を続ける。


「存在は知らなかったでしょう? 姉さまに息子がいることを教えれば、きっと殺せと仰せになると思い、ずっと黙っていたのですよ。それが先日、奇妙な縁で再会しましてな。何と城戸家の嫡男、礼次郎頼龍の家臣となっておりました」

「…………」

「流石に我々風魔の血を引いているだけあります。戦闘能力の高い優秀な忍びでしたよ」


 小太郎は背を向けたまま、何も答えずにしばらく沈黙していた。

 だが、すぐに再び歩き出した。縁側に出たところで猛烈な風が吹き、次の瞬間には小太郎たちの姿が消えていた。


「あの大刀、抜きませんでしたな。あれならば天哮丸に折られることはなかったでしょうに」


 三上周蔵が、小太郎が消え去ったあとを見つめて言った。


「ああ。風魔小太郎にも少しは人の血が流れているということだ」


 玄介は呟くように言うと、


「だが、俺は逆にこれから人の血を薄めて行かねばならんだろう」


 と言って、血を払うように天哮丸を振った。

 そこへ、別の側近の一人が不安そうな顔で言った。


「しかし良かったのでしょうか? 大頭様にあのような態度で」

「構わん。俺達はもうすでに自立したのだ。風魔小太郎はすでに俺達の頭領ではない」

「しかし……」


 側近は尚も言いかけると、玄介がじろりと見やった。


「くどい」


 言うと同時であった。玄介の手から剣光が鋭く飛んだ。天哮丸の刃が、側近の首を刎ね飛ばしていた。

 周囲の部下達がざわついた。だが玄介は構わず、


「この俺に意見をした罰だ」


 と、残忍さに満ちた笑みを浮かべて、転がった首と倒れた胴体を見下ろした。

 そして、天哮丸を掲げると、鮮血滴る刀身を惚れ惚れと見つめた。


「何と言う斬れ味……流石に稀代の宝刀よ。ふふ……これがあれば、俺達の国……いや、俺が天下の覇権を握ることも夢ではない」




 風魔玄介が北条家に対してはっきりと謀反し、自立を宣言したと言う情報は、幻狼衆の動向を探っている千蔵らの働きによって、二日後には城戸に届けられた。


「そうか、ついにやりやがったか」


 その時、礼次郎は中庭で木剣を振るっていたが、それを聞いて手を止め、縁側の簀子の上に腰を下ろした。

 斜め後ろに、その情報を報告にし来た龍之丞が座っている。

 ゆりが茶を運んで来た。礼次郎はそれを受け取り、口に運ぶと、


「北条はどう出るかな?」

「もちろん、鎮圧に動くでしょう」

「そうか……北条と幻狼衆が潰し合ってくれるのはいいが、北条が簡単に幻狼衆を滅ぼしてしまうのは、それはそれでまずい。天哮丸が北条家に渡ってしまう。北条家に渡ってしまったら、取り戻すのは更に難しくなるからな。その前に、俺達が幻狼衆を討って天哮丸を取り戻さないと」

「ご安心を。そう簡単には行きますまい。推定二百万石近い大勢力の北条と、七天山を中心に上州甘楽郡のいくつかの砦と大雲山小雲山しか有していない幻狼衆とでは歴然とした力の差があります。ですが、幻狼衆には得体の知れない不気味さがあります。そして七天山と言う難攻不落の自然の堅城に拠り、また何より、蘇った天哮丸を持っております。そうすぐには鎮圧できぬと思われます。それどころか、逆に北条を食ってしまう可能性すらございます」

「本当か?」


 礼次郎は驚いて龍之丞の顔を見た。


「ええ。可能性の話ですが……風魔玄介と幻狼衆にはそれほどの不気味さがあります」


 龍之丞は真面目な顔で答える。


「そうか。しかしそれもそれで問題だな……」

「まあいずれにせよ、我らは奴らが争っている隙をついて行きましょう。これが小勢力の基本戦略です」

「よし。では早速軍議を行おう」


 と、礼次郎は忙しげに立ち上がったが、ゆりが呆れた声を上げた。


「また始まった。今日はこれから供養でしょう?」

「あ? ああそうか、そうだった……」


 礼次郎は思い出し、気まずそうに苦笑した。


 城戸の城下の外れに、宝泉寺と言う寺がある。

 寺であったが故に徳川軍も手を出すのを憚ったのであろうか、半壊した城戸の町の中にあっても、ここだけは無傷で残っていた。


 季節は冬に入った十二月十五日。

 この本堂から、経を唱える声が朗々と響いて来ていた。

 その声の主は、道全こと軍司壮之介。萌黄色の法衣を纏い、本堂中央正面の仏像の前で、厳粛な表情で経を唱えている。

 その後ろには、当主城戸礼次郎が正座し、その更に後ろに、順五郎、千蔵、龍之丞、茂吉、咲、ゆり、喜多など、城戸家の家臣団が並んで正座し、それぞれ神妙な面持ちで壮之介の経を聞いていた。


 ゆりは、斜め前に座る礼次郎の横顔をちらりと見た。

 礼次郎は目を閉じていた。

 何を思っているのであろうか、身動きせずに、ずっと目を閉じていた。


(お藤さんのことを思い出しているのかな……)


 胸の奥が、わずかに疼くのを覚えた。

 だが、すぐに小さく首を横に振る。

 じっと、礼次郎の端正な横顔を見つめた。


(お藤さんの分まで、私が支えて行くんだから……)


 ゆりは、心中で再度決意を固める。


 ――今はまだ無理だけど……そのうち夫婦になって……私たちは……。



 そして、宝泉寺の裏の墓地の一角に、供養塔が建てられ、その前で再び壮之介が経を唱え、供養は終了した。

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