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天哮丸戦記  作者: 五月雨輝
聖地武想郷編
165/221

覇天の剣

 そして日が暮れ、辺りが薄暗くなって来た頃。

 如月斎の屋敷の広い座敷の一室で、武想郷の住民たちによる礼次郎らをもてなす宴が行われた。

 膳に乗って運ばれて来る料理は、見た事のないものが多かった。外には無い、武想郷独自の郷土料理である。だが、どれも驚くほどに美味であった。酒もまた特別で、何と透明で澄み切っていた。この時代の酒は、所謂濁り酒が一般的で、清酒はまだまだとても珍しかったのである。


 音曲が奏でられ、皆で舞踊り、美酒美食に心地良く酔いは回り、宴は和やか且つ賑やかに進んだ。

 礼次郎は、自分の麾下の者ら、武想郷の住人らと酒を酌み交わした後、伊達政宗とも盃を交わした。

 礼次郎と政宗は、何故か不思議ととてもウマが合った。会話が弾み、酒が進み、二人は意気投合した。


 政宗が厠に立った帰りに別の者と飲み始めた後、入れ替わりに仁井田統十郎がやって来て礼次郎の前に座り込んだ。

 礼次郎が真顔になった。


「統十郎……」

「もうこのような機会は訪れないだろう。共に一杯飲もうか」


 統十郎はにやりと笑って瓶子を差し出した。


「もらおうか」


 礼次郎も不敵な笑みで盃を出す。

 統十郎はそこへ清酒を注ぎながら、


「俺達が顔を合わせれば、剣を交えるしかねえ。だがここで交えるのは盃の方が合っている」

「ふふ。お前は見た目に似合わず洒落たことを言うんだな」


 礼次郎もまた、統十郎の盃に酒を注いだ。


「俺はこれでも歌が得意でな」

「へえ……」

「俺は明日、ここを出て西国に戻る」

「え? もう?」

「ああ。最早ここに用は無い。良い薬も手に入れたことだし、早く妻の下へ帰ってやりたいからな」

「…………」

「だが天哮丸のことは諦めたわけじゃねえぞ。今はただ、ここまでの流れではとてもてめえに勝負を挑む気にはなれないし、早く妻に薬をやりたいからな。だが時期が整えば、俺は必ず戻って来て、お前から天哮丸を奪い返す。それまではてめえに預けておくだけだ。せいぜいしっかり守っておけ」

「わかった。その時は再び決着をつけよう」


 礼次郎が真っ直ぐに統十郎の顔を見据えて言った。

 統十郎は酒を飲み、ふふっと笑った。


 それから、いくつかの会話をした後、統十郎が、少し離れた場所で女衆と談笑しているゆりを見て言った。


「おい、あの小娘どうするんだ?」

「え? どうするって……何を?」


 礼次郎の言葉が乱れる。


「とぼけるよな。崖の下の洞穴に避難していた時に何かあったんだろう?」


 統十郎は意地悪げに笑った。

 礼次郎は、酔いも手伝ったのであろう、珍しく顔を真っ赤にした。


「えっと……まあ……その……」

「許婚と言うのは関係なく、あの小娘は相当お前に惚れ込んでいるようだな」


 統十郎は微笑した後、


「あいつの明るさは、自分の心に闇があるが故だろう」


 と、突然言った。


「え?」

「あの小娘は、心の底に常に空虚なものを抱えてる。それを埋めようとして、必要以上に明るく振舞っている」


 それは、礼次郎にも何となくわかる。

 いつも明るいゆりであるが、ふとした時に見せる横顔に、冬の曇天のような色があるのだ。


「あの小娘が無理に笑顔を作らなくていいように、お前が心の空虚を埋めてやれよ」

「ああ……」


 礼次郎は真剣な顔で頷いた。


「お前はもうわかっているだろうが、人と言うのはいつどうなるかわからん。今日笑っていたとしても、明日には笑うこともできなくなっているかもしれない。特にこの戦乱の世だ。だから、大切でかけがえの無い存在だと思ったら、何があっても手放すんじゃねえ。全力で守り抜け」


 統十郎の言葉が、槌を打つように礼次郎の心に響いた。


「お前があの小娘の心の空虚を埋められずに、逆に笑顔を奪うような事があれば、その時は俺があの小娘をもらいに行くからな」


 統十郎は、礼次郎を見て切れ長の目をにやりとさせた。

 礼次郎は一瞬、驚いて目を大きくしたが、すぐにふふっと笑った。


「悪いがそんなことはありえない」

「ふふ。そうか」


 統十郎は笑って盃を口に運んだ。


 その時であった。

 外から猛烈な突風が吹く音が聞こえ、屋敷のあちこちが揺れた。


「何だ?」

「あんな風が吹くとは珍しい」


 武想郷の者らは、口々に訝しんだ。

 礼次郎も不審そうな顔で、開け放たれた障子から外の暗闇に目をやっていたが、やがてはっと色を変えた。


「千蔵!」


 呼びかけると、部屋の隅にいた千蔵はすでに察知していたようである。腰を浮かせて礼次郎の顔を見た。


「参りましょう」


 礼次郎と千蔵は、如月斎の屋敷を飛び出した。

 真っ直ぐに向かったのは、風魔玄介を閉じ込めていた村外れの牢小屋。


「しまった……!」


 礼次郎は唇を噛んだ。

 小屋の前に、見張りをしていた伊達家の侍二人が、首から血を流して倒れていたのである。

 中に入ると、風魔玄介が入れられていたはずの牢の中には、玄介の姿が無い。


「逃げられたか……!」

「やはり二人だけでは少なすぎたのだ」


 千蔵の嫌な予感が的中した。だがすでに遅い。それどころか、更なる嫌な予感が膨れ上がり、二人を天舞堂へ走らせた。


 天舞堂の洞窟は、聖炎池の熱のせいで、夜でも変わらずに熱かった。中に入り、奥へと走った。

 そして天哮丸を安置していた祭壇の前――

 そこに、天哮丸の姿は無かった。


 礼次郎は血を流さんばかりに拳を握りしめた。


「やられた……!」

「…………」


 千蔵も悔しげに唇を引き結んだ。

 そこへ、壮之介や統十郎ら、他の面々も追いかけてやって来た。皆すぐに、そこに天哮丸が無いことに気付き、礼次郎と千蔵の顔を見ると、何が起きたかを察して愕然とした。


「風魔玄介……!」


 酔いやこの天舞堂の熱さ故ではない。礼次郎の顔が、身体の奥底から沸き上がる怒りに赤くなった。


 翌朝。

 朝餉を食べて早々に、礼次郎らは武想郷を出立した。仁井田統十郎、伊達政宗らも共に下山する。

 菜々や小六たち、武想郷の者らが総出で見送りに来た。昨晩のことは皆すでに知っている。

 だが、皆、沈鬱な表情は見せなかった。明るい顔で激励するように礼次郎を送り出した。


「礼次郎様、きっと天哮丸を取り戻してくださいね」


 まだ少女の菜々は、不安そうな色を隠しきれない表情で礼次郎に言った。


「ああ。次こそは何があろうと風魔玄介を斬り、天哮丸を完全に取り戻して見せる」


 礼次郎は力強く頷いた。その引き締まった表情には、並々ならぬ覚悟と決意が凛として溢れていた。


「礼次郎よ」


 見送りに来た人々の奥から、如月斎が少々不安定な足取りでやって来た。

 如月斎は、昨晩からまた床に臥せっている。その青い顔を菜々は心配したが、如月斎は眼光だけは変わらずに強い。首を振った。


「礼次郎がこの武想郷を出るのじゃ。見送りには来ねばなるまい。それに、これを渡さねばならぬ」


 如月斎は、皺だらけの右手に一振りの剣を握っていた。


「これを持って行くがよい」


 如月斎は、天哮丸と同様、瑠璃や瑪瑙、琅玕などの宝石で装飾された黄金色の鞘に納められた剣を差し出した。


「これは?」

「この剣は号を"覇天"と言う。天哮丸と同じく、古よりこの武想郷に代々伝わっている名剣じゃ。今の天哮丸には、並の剣では到底叶うまい。十合と打ち合わぬうちに折られてしまうであろう。お主が今持っている桜霞長光ですらどうなるかはわからぬ。だが、この覇天であれば天哮丸に抗し得る。天哮丸と同じような製法で作られたとされ、天哮丸には及ばぬものの、天哮丸と十分対等に戦える力を持っておる」

「このようなものを……ありがとうございます」


 礼次郎は頭を下げた後、覇天の剣の鞘を両手で握りしめた。


「うむ、励めよ。良い知らせが来るのを待っておる。わしもそれまでは何とか生きて見せよう」


 如月斎は半ば自虐的に笑った。


 そして、礼次郎らは武想郷の者らに別れを告げて出発した。

 途中、浅田源太郎ら雲峰衆らと別れ、更に山を下り、麓に着いた時にはすでに八つ半を回っていた。

 伊達政宗が馬上から礼次郎に詫びた。


「すまんな。俺が甘かった。まさかあの牢を簡単に破られるとは思ってはいなかった。いや、そもそも、俺が奴を交渉の道具に、などと甘い欲を持たず、すぐに斬っておけば良かったのだ」


 政宗は、珍しく神妙な顔をしている。本当に申し訳ないことをしたと思っていた。

 そんな政宗の重い感情を吹き飛ばすように、礼次郎は大きな声で笑った。


「似合いませんな。気にしないでいただきたい。敵ながら風魔玄介は日ノ本一の術者だ。あんなことは誰にも読めない。それに、もう一度あいつと戦い、今度こそ斬ってしまえばそれですむ話だ」

「そうか……」


 政宗は少し表情を取り戻した。


「ちょうどいい。七天山とそこにいる幻狼衆の連中ごと、俺が叩き潰す」


 礼次郎は目を光らせ、不敵に言い放った。


「わかった。痛快な知らせを待っているぞ」


 伊達政宗は微笑を見せた。

 そして、政宗は部下達を引き連れて米沢城への帰途を進んで行った。


 この後、礼次郎と政宗は、終生に渡って不思議な友情が続いて行くことになる。


「礼次郎」


 今度は、統十郎が寄って来た。


「ここまでだ。俺は西国へ帰る」

「わかった」


 礼次郎は真っ直ぐに統十郎の目を見て頷いた。

 統十郎も礼次郎の目を見て、


「協力してやりたいところだが、一刻も早く妻に今回手に入れた薬をやりたい。すまんな」

「気にするな」

「きっとあの糞野郎に勝てよ。そして天哮丸を取り戻せ。あれは"俺達"の物だ」

「ああ、わかってる」

「そして、お前が天哮丸を取り戻したら、再び勝負だ。今度こそ決着をつけよう」


 統十郎はにやりと笑った。

 微風が吹き抜け、肩にかかる髪が揺れた。


「わかった、その日を楽しみに待っていよう」


 礼次郎もにやりとした。


 そして、統十郎と、芥川右近らその部下達は、北陸路を目指して街道に出た。

 去り際、赤みを帯び始めた陽の中に消えて行きながら、統十郎は振り返らないままに左手を上げて言った。


「お前と共に戦えたのはなかなか楽しかったぜ」


 そして、統十郎は西に向かって去って行った。


「結構キザな男よね」


 美濃島咲が苦笑した。


「そうだな。だけど俺は……嫌いじゃない。生まれが違えば友になっていたかも知れないな」


 礼次郎は、晩秋の短い西陽の中に遠ざかって行く統十郎ら一行をじっと見つめた。


 そして、礼次郎らも上州への帰途に着いた。

 蘇った天哮丸を手にした風魔玄介も、すでに上州七天山へ走っているであろう。そして七天山に帰り着けば、玄介は天哮丸を手に幻狼衆を率いて自らの野望に向けて動くはずである。となると次は、礼次郎も上杉家より借りて来た兵士たちを率いて幻狼衆らと全面戦争を行うことになるであろう。


「七天山を攻めるぞ」


 城戸礼次郎の、天哮丸を巡る最後の戦いが始まった。

蘇った天哮丸ですが、そこでまたも風魔玄介に奪われてしまいました。

こういう展開、最近の人は好きじゃないんですよね(;´∀`) でもブクマが減るのは覚悟の上で書いています。だってこっちの方が話としては面白いですから。しかも次の色々入り乱れる最後の展開に繋がりますしね。

とにかく、これで武想郷編は終了です。そして、次章でいよいよ最終章、完結です!

ここまで読んでくれた皆様方、本当にありがとうございます。どうか、次章もおつきあいくださいませ。

次章のタイトルは、七天山決戦編(暫定)です。どちらかと言うと戦争の話が多くなると思います。

城戸礼次郎と風魔玄介ら幻狼衆との戦いに、北条家、徳川家が絡んでドンパチやります。そこに千蔵と風魔小太郎の関係、ゆりの実母の話、礼次郎とゆりの愛の行方、などの話を経て、物語は完結します。

どうか最後まで宜しくお願いいたします!

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[良い点] 聖地武想郷編まで読みました! ゆりと礼次郎のラブラブ部分、時代小説みたいで本当に好き笑。 最後もいいですねー! あんまり書くとネタバレになってしまうので、書かないですが、なかなかいい終わり…
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