玄介の涙
「風魔玄介と?」
「はい。あつかましき願いとは存じますが」
「いいだろう。別に俺に許可を取るまでもない。たが、玄介は今は伊達殿の捕虜扱いだ。伊達殿に許可をもらわないと」
「はっ」
礼次郎と千蔵は如月斎の大きな屋敷を出て、伊達政宗を探しに行った。
伊達家の侍たちは、村の中央にある広い場所で、やはり間食を食べながら、思い思いに寛ぎ休息していた。
だが政宗の姿が無かったので、どこにいるかを問うと、村中の鍛冶場を見学していると言う。
そこで一軒一軒尋ねて回ると、比較的大きな鍛冶小屋に伊達政宗がいた。片倉景綱を伴い、職人らと何か相談をしていた。
「いや、これよりもう少し軽くしてな……それでいて通常の鉄砲と同じぐらいの射程が欲しいんだ」
政宗は、携えて来た鉄砲を地面に並べ、時折手振りを加えながら、何か熱心に話している。
「ううむ……難しい注文ですなあ」
「いや、色々見させてもらったが、お前らの技術ならできるはずだ。何とか頼む」
「研究はしてみますが……」
「銭ならたんまりと弾む」
そこで、政宗は、入って来た礼次郎に気付いた。
「おう、礼次郎。どうした?」
政宗は振り返って尋ねる。
「お邪魔でしたか」
「いや、構わねえよ」
「何をそんなに熱心に?」
「いやあ、この武想郷の連中の技術は素晴らしい。こいつらの技術があれば、俺の構想も実現できるんじゃないかと思ってな」
「構想とは?」
「騎馬鉄砲だ」
政宗は得意気ににやりとした。
「騎馬鉄砲?」
礼次郎は眉がぴくりと動く。
「ああ。騎兵が鉄砲を使えれば最強だと思わないか? だけどな、片手で扱える短筒は射程も短い上に命中精度も悪い。しかも、発砲の大音で馬は驚いて動かなくなってしまう。とても現実的じゃない。だが、そこを改善できれば最強の部隊になると思うんだ」
「なるほど……」
礼次郎は感心したように頷いた。
「で、どうした? 何か用か?」
「いや、捕えている風魔玄介と話をさせてもらいたいと思いまして」
「そんなことなら構わねえよ。勝手にやってくれ。小十郎、連れて行ってやってくれ」
礼次郎と千蔵は、片倉景綱に案内されて牢へと向かった。
そこは、武想郷の村の外れの鬱蒼とした森の入り口にあった。
だが、牢と言っても、とても簡素な物である。
恐らく、武想郷では滅多に外から人間が来ない上、この人口が少なく、住人たちは皆家族のような集落では、まず犯罪者は出ぬからであろう。
小さな木造の建物の中に、板格子で囲った空間が四つあるだけであった。
その中の一つに、風魔玄介は入れられていた。
板格子の前には、見張りの兵が二人いる。
――牢に入れてあるとは言え、この男相手に二人は少なすぎる。
千蔵はすぐに思った。
だが、生来の無口と、伊達家への遠慮から、それを口には出さなかった。
「では、私はこれで」
景綱は立ち去って行った。
礼次郎も、一瞬何か考えた後、
「俺もいない方がいいかな。外そうか。だが何があるかわからないから、外で待っているぞ」
と言い、小屋から少し離れた大樹の下に座り込んだ。
千蔵は、玄介が入れられている牢の板格子の前に立った。
玄介は、中で壁にもたれかかり、瞑想していたが、千蔵の気配を感じ取ると、目を開けて振り向いた。
千蔵と目が合うと、薄笑いを浮かべた。
「千蔵。助けに来てくれたのか?」
玄介は壁にもたれたまま言った。
「まさか」
千蔵は表情を動かさぬままに答える。
「ふっ、だよな。冗談だ」
「…………」
「どうした。何しに来た?」
「…………」
千蔵は答えず、板格子の前にゆっくりと腰を下ろした。
そして、無言で風魔玄介をじっと見つめた。
玄介は薄笑いのままその視線を受け止めていたが、やがて真面目な顔になると、
「お前はわかりやすいな」
と呟いた。
玄介は、千蔵の心の内を読んだ。
壁から背を離し、座ったまま体勢を変えて、板格子を挟んで千蔵に向かい合った。
「俺だってな……お前の母親を殺したくて殺したわけじゃないぞ。俺にとっても実の姉だからな」
「…………」
「だが、北条氏康と、親父殿が強く迫ったからな……」
玄介は、記憶を拾い起こしながら話し始めた。
千蔵の母、風魔鶴は、風魔衆頭領風魔小太郎の娘でありながらも、自身も腕利きの女忍びとして活動していた。
風魔衆は、諜報や工作活動を主とする一般の忍者集団とは少し毛色が違い、戦場で少数精鋭を率いての後方攪乱、破壊工作など、戦の際の特殊奇襲部隊と言った色合いが濃い。
だが、もちろん平時の諜報や工作なども行う。
千蔵の母、風魔鶴は、若年かつ女子でありながら、その諜報活動を担う組の長であった。
しかしある時、出先で伊賀者であった千蔵の父、笹川三四郎と出会い、恋に落ちる。
どういう経緯で出会い、どうやって恋仲になったのかはわからない。
だが、二人の恋は余程燃え上がったものらしい。
鶴は全てを投げ捨てて、三四郎と共に駆け落ちした。
その逃げた先が、当時はまだ武田家傘下にいた真田家の忍者衆である。
だが、それを知った北条家当主、北条氏康は当然許さない。鶴は、風魔の諜報組の長なのである。当然北条家の機密の数々を知っている。
北条氏康は風魔小太郎に命じ、鶴を呼び戻すように命じた。
命を受けた小太郎は、鶴に何度も使者を送ったが、鶴は頑として帰参を受け入れなかった。
最後には風魔小太郎自身までも変装して出向き、鶴を説得したが、それでも態度は変わらなかった。
そうこうしているうちに二年が経った永禄十一年(1568年)、北条家と武田家との同盟が破綻した。
それ以前より武田家との同盟関係は悪化していたのだが、この年に完全に手切れとなってしまった。
こうなると、北条家の機密を知っている鶴の存在は危険極まりない。
北条氏康は、風魔小太郎に鶴の暗殺を命じた。
しかも、小太郎の息子で鶴の弟にあたる、まだわずか十一歳であった風魔玄介に暗殺させるように命じたのであった。
まだ少年である弟に姉を始末させる。あまりに残酷なことである。
だが、忍びの者が裏切ればどうなるかと言うことをわからせる為の、ある種の見せしめであった。
この時、北条氏康はこう言い放ったと言う。
「できなければ玄介自身を殺すまでじゃ。代わりの忍びの者などいくらでもいる」
そして、十一歳の風魔玄介は、数人の伴と共に、姉とその夫を殺す刺客として真田の郷へ送られた。
風魔玄介は、風魔小太郎の息子らしく、まだ少年でありながら並外れた技量を持つ忍術の天才であった。
だが、少年時代の風魔玄介の心はとても優しく、繊細であった。
実の姉とその夫の命を奪う――このあまりにも重すぎる任務に、小さな心は潰されんばかりに苦しんだ。
しかし玄介は、次の風魔衆頭領としてのけじめを見せなければならん、やらねばお前が消えることになるぞ、と、父の風魔小太郎、主君北条氏康に厳しく言いつけられていた。
情に負け、果たせないような場合には、同行の伴の者が玄介を始末すると言う手筈になっていた。
そして玄介は、真田の城から離れた山中で、涙を流しながら姉の命を奪った。次いで、その夫を手にかけた。
姉の鶴は、こと切れる間際、息絶え絶えながらも微笑みを見せた。
「いずれはこうなるだろうと思っていました。覚悟はできていました。まさか弟のお前にやられるとは思っていませんでしたが……」
「姉上……も、申し訳……」
玄介は、手を震わせた。姉の命を奪った血刀が落ちた。
「いいのですよ……玄介、お前は悪くない。次の風魔小太郎として当然のことをしたのです。そして、父上も悪くありません。父上を恨んではいけませんよ……」
「そ、そんな……」
「悪いのは、風魔を抜けたこの私です。そして……そうさせた今のこの時代です。戦乱の世です……」
「この時代……」
「ですが玄介、私は風魔を抜けたことは後悔しておりませんよ。私は……三四郎殿と一緒になれて本当に幸せでした……」
「あ、姉上……」
少年風魔玄介は肩を震わせて号泣した。
姉は優しかった。だがその優しさが、あまりにも辛すぎた。
そして翌朝、川辺から少し離れた木の上で、鶴の亡骸にすがって号泣している幼子の千蔵を見た。
――姉上の息子か……子供がいたのか……。
玄介は青い顔で愕然とした。
(父上や殿があの子供の存在を知れば、きっと殺せと言うだろう。だけど……俺には……俺にはもうできない)
玄介は千蔵を見つめて唇を震わせた。
「お、俺は……実の姉を殺し……甥であるあの子を……親無し子にしてしまった……」
再び、涙が零れ落ちた。
しばしの後、気付かれぬように木から木へと飛び移り、その場を去った。
(千蔵か……ごめんよ。許してくれ……)
玄介は涙を千切れさせながら真田の郷の山中を駆けた。
耳元を掠めて行く風の音の中に、昨日の鶴の言葉が響いた。
――悪いのは、風魔を抜けたこの私です。そして……そうさせた今のこの時代です。戦乱の世です……。
玄介は、泣き腫らして赤くなった目をカッと剝いた。
(武士どもの言うことなんぞもう聞かぬ。千蔵……お前への罪滅ぼしの為にも、俺は俺の理想とする国を作ってやる)
そして風魔玄介は、朝夕に術の鍛錬に励み、その天稟を更に磨くこと十数年。
北条氏康の跡を継いだ北条氏政に、要衝である七天山の守備を任された時に、秘めていた積年の宿願を果たすべく動いた。
自分たちの為の国を作る。
七天山城の大広間で、玄介は部下達に宣言した。
「その為に、まず天哮丸を奪うぞ」
聞き終えた千蔵は言葉を失っていた。
初めて聞く、両親の死の真相。そして玄介が野望を抱いた理由。
千蔵は、細い目を見開いたまま、語り終えた玄介の顔を呆然と見つめていた。
「どうだ千蔵。これを聞いたら少しは協力する気にならないか?」
「…………」
「確かにお前の両親の命を奪ったのは俺だが、それを命じたのは親父であり、北条家だ。だが逆にお前の命を救ったのは俺だ。俺と一緒に新しい国を造り、北条の奴らに復讐しようじゃないか」
玄介は薄笑いで言った。
千蔵はまだ無言でいた。呆然とした表情は消えていたが、じっと玄介の目を見つめていた。
やがてぼそっと言った。
「憐れだな」
「何?」
「そのような主君しか持てなかったお前が憐れでならぬ」
「…………」
「我が主君であれば、かように非道なことはしなかったであろう」
千蔵は真田源三郎信幸を思い、次に、七天山に潜入した時の城戸礼次郎の言葉を思い浮かべた。
――千蔵……家臣を置いて逃げて何が主君だ。
「我が主君城戸礼次郎は、我ら家臣を仲間と思い接してくださる。食事では一つの鍋をつつき、寝る時には同じ部屋で眠ることを厭わず、家臣に悲しむことがあれば共に悲しみ、良いことがあれば共に喜んでくださるお方だ。そして、たかが一人の忍びである俺の為に戦おうとするお方だ」
「千蔵……」
玄介は鋭い目で千蔵を睨んだ。
「俺はそんな礼次郎様を助けたいと心から思うのだ」
千蔵はすっと立ち上がった。
玄介は尚も千蔵を睨んでいたが、ふふっと冷笑した。
「まあいいだろう。だが忘れるなよ。お前には風魔小太郎の血が流れていることを」
千蔵もまた冷笑した。
「それがどうした。お前こそ忘れるな。俺は城戸礼次郎の手足となり影となる男、笹川千蔵だ」
そして千蔵は背を返すと、牢小屋を出て行った。
大樹の下に座っていた礼次郎は、居眠りをしていた。
その前まで歩いて行った千蔵は、起こそうとしたが、少し迷ってからやめた。
千蔵は礼次郎から三歩ほど離れたところに腰を下した。
(一晩眠ったとは言え、昨日は丸一日激戦続き……お疲れであろうからな)
千蔵は礼次郎の寝顔を見つめた。
(いつぞやも思ったが、こうして見ると本当にまだ少年のようだ。戦ともなればあれほどの鋭い立ち回りを見せるのに)
礼次郎は気持ちよさそうな寝息を立てていた。
(心もまだ未熟な少年なのかもしれん。危機の際に家臣を見捨てることができず、女子の為に単身敵陣へ乗り込んでしまう……。君主としては如何なものであろう)
その時微風が吹き抜け、礼次郎の前髪を揺らした。
それで礼次郎は目を覚まし、顔を上げた。
「お……千蔵、いつからそこに……もういいのか?」
礼次郎は目をこすりながら言う。
「ええ」
「来てたんなら起こしてくれよ」
「気持ち良さそうに眠っておりました故」
「そうは言ってもな……こういう時に敵に襲われたりしたらどうするんだよ」
千蔵は笑った。
「拙者が全力で戦い、ご主君の安眠をお守りいたします」
「はは……何言ってるんだお前。お前だけ一人で戦わせるわけに行くか……さて、戻るか」
礼次郎は立ち上がり、一つ大きく背伸びをすると、歩き始めた。
千蔵もその後について歩いて行く。礼次郎のやや細身の背中を見つめた。
――だが、俺には日ノ本一の主君だ。