天哮丸奪還
そして、玄介の剣が統十郎の右上腕を掠った。
続けて水平気味の袈裟斬りが統十郎を襲う。
そこへ礼次郎の剣が横から飛び、それを打ち払った玄介に、統十郎は渾身の回し蹴りを放った。だが空を蹴った。
玄介は大きく後方へ飛び退いていた。
にやりと笑い、玄介は構えを取ることなく剣をだらりと提げた。
「おい礼次郎。残念だがてめえの策は失敗だ。あいつの言う通り、あいつの体力は底無しだ。疲れを待つ前に俺達がばてちまう」
統十郎は息を乱しながら言う。
礼次郎もまた呼吸を乱している。
だが、その目は冷静に玄介の全身を観察していた。
「体力じゃないんだ」
「何?」
「もう少し……もう少し粘ってくれ……」
息継ぎをしながら言う礼次郎。
「粘ってどうなるって言うんだ?」
玄介はくくっと笑った。
だが、次の瞬間、玄介は「うっ」と小さく呻き、眉をしかめた。
何かに驚いたようでもあった。
礼次郎は直感した。
(これだ。意外と早かった)
すでに叫んでいた。
「仁井田、かかるぞ!」
「何?」
そして礼次郎は踏み出し、玄介に斬りつけた。
遅れて統十郎も飛び出した。
礼次郎の一撃目。玄介は右に飛んで躱した。
それを読んでいた礼次郎、素早く刀を返して左なぎ。玄介は打ち払う。
だが、さっきまでと違い、その反応が遅くなったように見えた。
続けて統十郎も得意の突きを繰り出す。
玄介は身を捻って躱したが、それもまた反応が遅れたように見えた。
しかも玄介の顔に余裕が無い。
礼次郎と統十郎は続けて斬りかかって行くが、玄介の動きは明らかに先程までとは違っていた。
先程までは、玄介は礼次郎と統十郎の二人を同時に相手にしながらも、こちらを押しまくる圧倒的実力を見せていたが、今は防戦一方、防ぐだけで精一杯と言った感じであった。
隙を見つけて、玄介はトントンと大きく後方へ飛んだ。
間合いを取った玄介は、左手でこめかみを押さえながら、苛立たしげに舌打ちした。
今度は礼次郎が不敵に笑った。
「頭が痛く、胸がかきむしられるように苦しいんじゃないか?」
「何?」
玄介は、何故わかったとでも言いたげな驚いたような顔となった。
「当たりか」
礼次郎はにやりと笑った。
「お前は精神の限界に来たんだ」
「何だと?」
玄介は礼次郎を睨んだ。
「真円流精心術で心の皮を剝けば、全身の感覚を数段上の領域にまで持って行くことができる。だが心の皮を剥くと言うのは心を剝き出しにすると言うこと。身体ではなく、精神と心に物凄い負担がかかるんだ。そしていずれ限界に達し、相手の考えを読むどころか、自身の動きすらままならなくなる」
「…………」
「知らなかったんだろう? 何故ならお前が真円流を修行したのはガキの頃のたった半年足らずだ。そしてお前は強すぎるが故に、ここまで長時間真円流で戦ったことがなかった。だからこれまで精神と心の限界に達したことが無かったんだ。だがお前は今初めてその限界に達したんだ」
「限界だと……?」
玄介は礼次郎を睨んでいるが、その表情にはわずかに呆然とした色がある。
「そうだ。そしてお前はここまでだ」
礼次郎は眼光鋭く睨むや、八相に構えた。
だが玄介はくくっと皮肉に笑う。
「なるほどな……理屈はわかった。だが貴様も同じように真円流を使っている。俺が限界に達したなら、貴様も同じように限界に来ているだろうが。やはり条件は同じだ」
「同じにするなよ」
礼次郎はにやりと笑った。
「何?」
「お前は確かに真円流精心術を習得したかも知れないが、その修行期間はわずか半年足らずだ。だが俺は十年だ。そして何度も限界に達する戦いをして来ている。俺はまだまだ余裕なんだよ」
玄介は唇を噛んで礼次郎を睨んだ。
だが、すぐにまた例の薄笑いを浮かべて言った。
「まあいい。俺を舐めるなよ。真円流を使わなければいい話だ。真円流なぞ使わなくとも貴様ら二人を斬るのは造作もないことよ」
礼次郎は鋭く目を光らせた。
「てめえこそ舐めるなよ……真円流を」
同時に、礼次郎と玄介が互いを目がけて駆けた。統十郎も踏み込んだ。
再び二対一の激しい斬り合いとなる。
三つの影が目まぐるしく動き、巻き起こる風で地面の落ち葉が舞い上がり、銀の刃光がぶつかり合う度に青白い剣花が乱れ飛ぶ。
一見互角に見えた。
だが、次第に礼次郎と統十郎の二人が玄介を圧し始めた。
不思議なことであったが、ここに来て礼次郎と統十郎の動きがぴたりと合い始めた。
二人は息の合った絶妙な連携攻撃を繰り出して玄介を追い込んで行く。
先程まで涼やかであった玄介の白い顔に汗が浮かんでいた。
「どういうことだ」
玄介は一層太刀筋を鋭くして行くが、礼次郎は先回りするかのように玄介の斬撃を打ち払って行き、その後に統十郎が鋭く斬り込んで行く。
そして、遂に玄介の動きに狂いが生じた。
統十郎の一撃を外した後、放とうとした袈裟斬りが大振りとなった。
礼次郎の眼が笑ったように見えた。
刹那、礼次郎の桜霞長光は玄介に向かって流星の光を引いていた。
真円流秘技、影牙。
玄介が剣を振りかぶったと同時、長光の剣が玄介の胸を貫いた――
と思われた。
玄介は流石であった。
咄嗟に右に身体を傾け、正に紙一重でそそれを躱していた。
だがしかし――
礼次郎はその動きまで読んでいた。
虚空を突き裂いた桜霞長光は、そのまま左に走った。
玄介は受け止めながら飛び退こうとしたが、横合いから統十郎の斬撃が襲ったこともあり、体勢を狂わせてしまい、脇腹を浅く掠められてしまった。
――しまった!
鮮血が噴出し、玄介が目を見開いた。
玄介が自らの身体から流血するのを見たのは十数年ぶりであった。
「ちっ……」
玄介は一旦安全な場所へ逃れようと、大きく後方へ跳躍した。
そして近くの木の枝に飛び乗るつもりで、更に飛び上がった。
だが、それへ一本の矢が唸りを上げて飛んだ。
そこから十間ほど離れた樹上に菜々が立っていた。
菜々が意を決して放ったのであった。
しかし玄介は見えていたらしい。宙で身体を舞わせ、矢を躱した。
だが――
同時に一発の銃声が轟いた。
その瞬間、玄介の右脚から血が噴いた。
銃弾を受けてはたまらない。飛び上がりかけていた玄介は短い悲鳴を上げて地に落下した。
「やった……」
菜々とは逆方向、ゆりが短筒を構えていた。
銃口からは白い煙が揺れ昇っている。
礼次郎と統十郎が咄嗟に駆け出した。
玄介は苦痛に顔を歪めながらも身体を起こそうとする。
だが身を起こし、取り落とした剣を掴んだ時、
「動くな!」
短く鋭い言葉と共に、桜霞長光の切っ先が眼前に突きつけられた。
玄介は苦悶の表情のまま動きを止めた。
統十郎は怒鳴った。
「てめえ、何故斬らねえ」
そして自らが玄介にとどめを刺すべく、撃燕兼光を振りかぶった。
だが礼次郎は早口に叫んで制止する。
「天哮丸を出させるのが先だ。こいつは今持っていないんだ」
統十郎はぴたっと腕を止めた。
「風魔玄介、剣を捨てろ」
礼次郎は玄介を見下ろしながら迫った。
玄介は痛みに顔を歪めながらも、その目は強く礼次郎を睨み上げている。
「捨てろ」
礼次郎は切っ先を玄介の頬に当て、そっと押した。
白い頬から真っ赤な血が流れ落ちた。
だが、玄介は無言で睨み上げたまま動かない。
統十郎が苛立った顔で舌打ちし、玄介の手から剣を取り上げた。
そして後方、壮之介や右近らが乱戦を繰り広げている方を見回すと、大声で叫んだ。
「てめえら皆武器を捨てろ! てめえらの親玉はこの通りだ。聞かねばこいつの命はねえぞ!」
それを聞いた幻狼衆の男たちは皆驚いたが、礼次郎の剣の下にある玄介を見るとすぐにそれぞれの得物を捨てた。
礼次郎は再び玄介に迫った。
「天哮丸はどいつが持っている? 出させろ」
玄介は視線を礼次郎から逸らすと、小さく舌打ちした後、大声で部下の名を呼んだ。
「権之助、天哮丸を持って来い」
すぐに、男たちの中から一人が進み出、小走りで寄って来た。
その手には、天哮丸が握られていた。
「こちらによこせ」
礼次郎は玄介から視線を外さぬまま、左の手の平を権之助の前に突き出した。
権之助はためらっていたが、玄介が、
「渡してやれ」
と促すと、礼次郎が突き出した左の手の平の上に天哮丸をそっと置いた。
「…………」
手の平に、ずしりと重みが伝わった。
平安の世から天哮丸が辿って来た時の流れの重みか、それとも城戸壊滅後からここまでの苦労の重さか。
いずれにせよ、その重みは礼次郎にとって懐かしく、温かく、心地良く感じられた。
礼次郎は左手を身体の前に戻すと、握っていた天哮丸を目の高さまで上げた。
黄金の鞘が、落ちる寸前の赤い陽の光に照らされて煌めいた。
ついに、天哮丸が本来の持ち主である城戸礼次郎の手に戻った。
天哮丸を見つめる礼次郎の目がわずかにうっすらと潤んだ。
壮之介たちも皆、万感の思いでその様を見守っていた。
ゆりの目からは涙が零れている。
統十郎だけは一人、複雑そうな表情で礼次郎を見ていた。
その胸中に何を思うのか――だがふっと苦笑した後、急に厳しい顔となって言った。
「おい、感傷に浸るのはここまでだ。こいつを斬るぞ」
「あ? ああ」
礼次郎は我に返った。
「斬るのは俺にやらせてもらうぜ」
統十郎が血を振り払うように撃燕兼光をぶんっと一振りした。
玄介は下から礼次郎の顔を真っ直ぐに見つめていた。
もうすぐに斬られるであろうと言うのに、微塵も動じた素振りを見せず、落ち着いた表情で礼次郎の顔を見つめていた。
統十郎が剣を振り上げた。長い刀身が残照に照らされて冷たく煌めく。
そして、まさに玄介目がけて振り下ろされようとした、その時であった。
ドン、ドンと二発の銃声が轟いた。
弾丸の一発は、礼次郎と統十郎の間を掠め抜けて行った。
「全員動くな」
礼次郎らにとっては聞き覚えのある声が響いた。
礼次郎が驚いてその方向を振り返ると、先程礼次郎らも通って来た木立の間から、鉄砲を手にしている甲冑姿の隻眼の男が現れた。続いて、同様に鉄砲を持った武者たちがぞろぞろと現れた。その総勢、百人近くにもなると思われた。
「伊達政宗……」
隻眼の男を見て、礼次郎は呟いた。




