仁井田統十郎vs風魔玄介
仁井田統十郎と風魔玄介、二人もまた互いに剣を構えて対峙した。
統十郎は上段に。玄介は下段に。
だが、睨み合ったのはほんの一瞬であった。一つか二つの呼吸の後、互いを目がけて飛び出すように踏み込んで行った。
二人の姿が交錯した。
金属音が響き、剣花が弾け飛ぶと、二人はぱっと左右に分かれた。
そして互いに向き直ると、再び相手に向かって飛んだ。
流石に風魔玄介の方が速かった。
瞬時に間合いを詰めると、低く飛び上がりながら下から斬り上げた。
統十郎は横薙ぎにそれを打ち払ったが、驚愕に目を瞠った。
――飛びながら斬り上げだと?
だが、その時はすでに玄介の姿が見えず、更に驚いた。
(後ろか!)
統十郎は気配を察知、振り返りながら後方へ飛び退いた。
玄介は確かにそこにいた。だがその姿を確認した時には、すでに追って来た玄介の刃が眼前に閃光を放って来ていた。
統十郎は剣を振り上げてそれを撥ね飛ばした。
再び、玄介の姿が消えた。
――そこだ!
統十郎は鋭く身体を左に回転させた。
読み通り、左斜め後方に剣を小脇に構える風魔玄介がいた。
その時、統十郎はすでに剣を八相から斜め下に向けて傾けていた。
風を起こして踏み込み、撃燕兼光の切っ先を玄介目がけて突き下した。
すなわち、統十郎が得意とする必殺の突き技、"夜叉の爪"
稲妻の如く斜めに走った剣光――
だが、それは宙を貫いただけであった。
玄介は躱した。と言うより、すでにそこにいなかった。
――何……?
統十郎は目を見開いた。
同時に直感が閃き、統十郎は左に飛んだ。
いつの間にか、玄介は統十郎の右側にいたのであった。
統十郎はそのまま更に数歩飛び退き間合いを取ると、真っ直ぐの正眼に構えた。
玄介は脇構えを取り、薄笑いを浮かべた。
「なあ……音に聞く朱色の統十郎の腕はまだそんなもんじゃないよな? 本当の腕はまだ隠してるんだよな?」
統十郎の目に炎が上り、一瞬で吊り上った。
だが、すぐに冷笑した。
「思ったよりやるじゃねえか。だがその程度じゃまだ俺には勝てねえな」
「そうか。じゃあ胸を借りるとしようかな」
玄介が殺気に満ちた不気味な笑みを見せた。
(とは言ったものの、こいつは侮れねえ。やはり並の使い手じゃない。まさかあの突きを躱すとは……)
統十郎は玄介の場所を読み、振り返ると同時に"夜叉の爪"を放った。
"夜叉の爪"は電光石火の高速剣である。今の流れであれば、いかなる達人であろうと躱すことはできないであろう。だが、玄介はたやすく躱して見せた。
(いや、躱したと言うよりも、今の動きは……と言うより先程からのこいつの動きは……)
玄介は、脇構えのまま動かない。
統十郎が動くのを待っているようであった。
――まさかこいつは……。
統十郎の胸のうちに、ある疑念が生じた。
その時であった。
周囲では、二人の配下の者たちが熾烈な乱戦を繰り広げていたのだが、その中で、
「統十郎様」
と、右近の大声が上がった。
統十郎が横目でその声の方を見ると、木の枝の上に立って頷いている右近の姿があった。
――やったか。
統十郎は心の内で密かに笑った。
だが、表情は喜色を抑え、真顔で玄介を睨んだ。
(こいつは簡単に勝てる相手じゃねえ。ならば……)
統十郎は鋭く踏み込んだ。
剣を水平に振る。
長身の直刀撃燕兼光が、豪風と共に半円の銀光をほとばしらせた。
玄介はそれを読んでいたかの如く、大きく後ろに一回転しながら飛び退いてそれを躱した。
二人の間には更に間合いが広がった。その時――
「お前ら、退けっ」
統十郎が大声で命令した。
「何?」
およそ四間ほど向こう、着地した玄介は顔をしかめた。
「勝負は一旦お預けだ」
統十郎は言うが速いか、抜き身を手にしたまま背を返して駆け出した。
統十郎の部下たちも攻撃を止め、互いに、「退けっ、退くぞ、」と声を掛け合いながら統十郎の後を追って走って行った。
「逃げるのか。待てよ!」
玄介はそれを追って駆け出そうとしたが、その足元に飛んで来たいくつもの鉄菱。
右近が牽制の為に離れた樹上から投げたものであった。
「ちっ、まあいい。」
玄介は舌打ちすると、
「お前ら追わなくてもいい。武想郷まではまだまだ距離がある。城戸礼次郎らもまだいることだし、逃げて行った者を追って余計な体力を使うことはない」
と、配下の者たちに命令した。
「さあ、先を急ぐぞ。そこの娘を立たせろ」
玄介は薄笑いを浮かべた。
菜々は、今の突然起きた乱戦の最中、隙を見つけて逃げ出そうとしていたが、左右をがっちりと幻狼衆の男二人に固められ、一歩たりとも動くことができなかった。
流石に、菜々ももう観念するしかなかった。
「わかりました。武想郷へ行きましょう」
菜々は無念そうな顔で立ち上がった。
だがその時、配下の者たちの間から、慌てているような震えているような声が上がった。
「あれ……無い……無いぞ!」
そう言った男は、取り乱した様子で周囲を見回していた。
風魔玄介は怪訝そうな目を向けたが、男を見て、はっとした。
「無い? まさかお前……」
玄介の声も一瞬震えた。
だがすぐに顔色を一変させて男を睨んだ。
その男は、天哮丸を預けていた側近であった。
「は、はい……も、申し訳ございません、預かっていた天哮丸が……」
男は、大切に持っていたはずの天哮丸を、いつの間にか失っていた。
「何だと……?」
玄介が静かな声で問い返すと、その場が水を打ったように静まり返った。
男は顔面蒼白となり、歯の根が合わないほどに震えていた。
風魔玄介は一瞬で怒りを沸騰させ、見る見るうちに鬼のような憤怒の形相となった。
次の瞬間、突風が吹き荒れて落ち葉が舞い上がったかと思うと、すでに玄介の剣が男の胸を貫いていた。
山道を駆け上がって行く統十郎ら一行。
少し緩やかな上り坂に差し掛かると、駆け足を止めて歩き始めた。
「よくやったぞ。流石は右近だ」
統十郎は、上機嫌で天哮丸を両手で持った。
「あのような芸当、日ノ本広しと言えど、右近ぐらいしかできまい」
小四郎も同調し、同輩の右近を讃えた。
「いえ、まだまだでございます」
右近は謙遜する。
だが、事実、右近の盗みの技は、その出身の甲賀の間でも随一と言われるほどの腕前であった。
「四百年ぶりか……ようやく天哮丸が我が平家に戻って来たぞ。この俺の手で」
統十郎は足を止めると、万感の思いで天哮丸の黄金の鞘を撫でた。
右近、小四郎を始めとする統十郎の部下達は、皆西国の海で暴れまわっていた荒くれ者たちであるが、彼らもまた統十郎の天哮丸に対する思いに打たれたかのように、無言で統十郎とその手にある天哮丸を見つめた。
しかしその時であった。
統十郎は、凄まじい殺気を背筋に感じた。
かと思うと、突風が吹き抜けて統十郎の髪を乱した。
そして次の瞬間――前方七間ほど向こうに、風魔玄介が樹上より飛び降りて来た。
「舐めた真似をしてくれやがって」
玄介の顔には一片の笑気すら無く、ただ怒りの色のみであった。
統十郎は苦々しげに舌打ちしたが、すぐに嘲笑した。
「まあ、てめえがあれで終わるわけはねえよな」
撃燕兼光の鯉口を切った。
「俺達幻狼衆、いや、風魔の恐ろしさを骨の髄まで思い知らせた上で殺してやる。地獄に行って閻魔に会っても風魔よりはまだマシだと思うぐらいにな」
冷たい目をした玄介が乾いた声を響かせると、再び烈風が吹き荒れて足下の落ち葉が舞った。
統十郎は背筋に寒いものを感じ、頭上を見上げた。
右近、小四郎ら、配下の男たちもざわめいて周囲を見回した。
いつの間にか、周囲の木々の枝の上に、幻狼衆の男たちが立っていた。
その数はさっきより多く、三十人はいるように見えた。
「てめえらは一体何人で来てやがる」
統十郎の顔から余裕が消えた。