乱世の奸雄
翌朝、米沢城本丸の廊下を、伊達政宗が大広間に向かって少々かったるそうに歩いていた。
背後について行くのは側近の軍師役、片倉小十郎景綱、そして数人の家臣、小姓ら。
「まさか城戸家の次期当主の姉が右京亮(永谷時房)の妻だったとはな。しかもその本人が訪ねてくるとは……天哮丸は諦めよう」
政宗はぼやくように苦笑した。
景綱も困ったように笑うと、
「仕方ありませんな。しかし、その城戸頼龍と言う男、なかなかの器量を持っているとのことです。先日までは越後の上杉家にいたそうですが、越後での戦の際、たった一人で新発田方の砦に乗り込み、守兵が少なかったとは言え、粗方の兵をほぼ一人で斬り倒して壊滅させてしまったとのこと。後々のことを考えれば、恩を売って味方にしておくのも悪くありますまい」
「本当か? 何という武勇、そして豪胆さだ」
政宗が隻眼を大きくした。
そこへ、小姓衆の一人が顔色を変えてやって来て跪いた。
「殿、一大事でございます。槇伊之助が斬られました」
「何っ?」
政宗の左眼が大きく開いた。
「ま、誠か?」
「はい。岩戸村で揉め事を起こした末、相手の商人風の男に斬られたそうです。共にいた、重兵衛たちも皆斬られてしまったとか」
「嘘じゃないのか? たかが商人に斬られただ? 重兵衛たちもいてか?」
「はい。見ていた村の者によれば、えらく腕の立つ強い商人であったと」
「信じられねえな……しかし……伊之助が……何ということだ……おのれ……」
政宗は瞬時に憤怒の形相となった。だが、引っかかる何かが彼に声を荒げさせるのを止めさせた。
「揉め事とは何だ?」
「見ていた村の者によれば、伊之助たちが一人の少女をかどかわそうとしていたところ、その商人の男が止めに入ったとのこと」
「またか……であれば、元はと言えば伊之助に非があるな」
政宗が苦渋の顔で呻くと、小十郎景綱が頷いた。
「左様でございます。昨日も言いました通り、近頃の伊之助の素行には問題がありました」
「そうだな。しかし、伊之助は、揉め事の際に自らの正体を明かしたか?」
政宗は小姓に向かって聞いた。
「はっ。殿の寵愛深き者と言って脅かしてみせたそうです」
「だろうな。その商人を探して来い」
景綱も、報告に来た小姓も、処罰するものだと思った。
だが、政宗の意図は違った。
「商人ながら、伊之助の正体を知っても臆することなく挑む豪胆さ。そして四人全部斬ってしまう腕の冴え。商人にしておくにはもったいないほどの男だ。褒美をやる。いや、できれば武士として取り立てたい」
「承知いたしました」
米沢城の二の丸の大広間。
礼次郎らが姉の凜乃、義兄の永谷時房と共に中央で正座して待っていると、やがて伊達政宗が入って来た。
礼次郎は頭を下げて平伏する。
政宗は上段の間の中央にどかっと腰を下ろすと、
「面を上げられよ」
と微笑んで見せた。
礼次郎は頭を上げて、真っ直ぐに政宗の顔を見た。
――この男が伊達政宗か。なるほど……上杉様、直江様、どちらの言うことも正しい。
礼次郎は、瞬時に政宗と言う男の器量を感じ取った。
(確かに英雄だ。しかし何を企むかもわからん危険な男だ。恐らくは、自分の信ずる正しさの為に正しくない事も平然とやるだろう。間違いない。この男は乱世の奸雄だ)
礼次郎は口を開いた。
「城戸礼次郎頼龍と申します。この度は拝謁賜り……」
「ああ、構わんよ」
挨拶しかけたところを、政宗が右手を上げて制した。
「そう言うのは嫌いでな。聞けば同じぐらいの歳だと言うではないか。堅苦しいのはなしで行こう」
政宗は砕けた口調となった。
「ありがたきお言葉」
「伊達藤次郎政宗だ。よくぞ参られた」
「はっ」
「ふふ……大体の話は聞いているよ。我らの兵を借りたいとな」
「はい、しかし元より勝手な願い。無理であればそれは構いませぬ」
「五十や百の兵、出すのは何も問題ない。しかし、一つ聞かせて欲しい。先の越後での戦、礼次郎殿はたった一人で新発田方の槙根砦に乗り込み、それを壊滅させたと聞いたけど本当か?」
政宗の問い。これに驚いて口を開けたのが凜乃と、夫の永谷時房である。二人とも、この事はまだ知らなかった。
「ええ……しかし、槙根砦も人数は少なかったので、大したことでは……」
「少なかろうが、一人で砦を壊滅させるなど聞いたことがない。できれば、その時の話、聞かせてくれないか?」
「お聞かせするような面白い話ではございません」
「まあまあいいじゃないか。頼む」
政宗が懇願するように言うと、礼次郎は少々困った顔で、「では……」と、話し始めた。
そして礼次郎があらましを話し終えると、政宗は痛快そうに膝を打った。
「それは凄い。昔、唐土には趙子龍と言う豪傑がいて、まだ乳飲み子であった主君の息子を懐に抱いて敵軍の中を一人で突破したと言う話があるが、それに匹敵する武勇伝だな」
「いえ……」
「ゆり殿も嬉しかっただろう?」
政宗はからかうような笑みをゆりに向けた。
「え、ええ……」
ゆりは照れながら頷いた。
その顔を、凜乃は興味津々と言った面持ちで見つめる。
――この娘が礼次のねえ……。
「では、礼次郎殿にもう一つ聞きたい。正直に答えてくれ、俺は天下を取れると思うか?」
礼次郎は一瞬固まり、政宗の目をじっと見つめたままとなった。
だが、やがて静かに答えた。
「無理でしょう」
「何故そう思う?」
政宗は隻眼を光らせる。
「藤次郎様は、天下を治めえる器と見えます。しかし、如何せん生まれるのが遅すぎました。今、都の方では関白豊臣秀吉が圧倒的な力を持っており、他の諸大名も続々と臣従しているとか。今からこの差を埋めるのは到底難しいかと思います」
「ふ、ふふ……そうだな。俺もそう思っている。しかし、この俺の目の前でよく堂々とそれを言ったな」
「あ、ご無礼を。大変申し訳ござりません」
礼次郎は慌てて平伏した。
「はは、冗談だ、気にするな。それより……では、その関白との差を埋める為に、俺が天哮丸を貰う、と言ったらどうする?」
その場の空気が一瞬で張りつめた。
伏せていた礼次郎の顔色も一変する。
そして政宗の顔は不気味な薄い笑いを浮かべていた。
礼次郎は顔をゆっくりと上げると、鋭い眼光で政宗を見据えた。
「あれは我が城戸家の宝剣にして、源頼朝公の命により、外に出さぬよう代々守護して来たもの。お渡しするわけには参りませぬ」
「では、力づくでもいただくと言ったら?」
空気が凍りついた。
政宗と礼次郎、両者の視線がぶつかる。
礼次郎は一時の間の後、殺気をくるんだ声色で言った。
「この場で貴方様を斬ります。お覚悟を」
「何……」
これには小十郎らが色を変えた。だが、政宗はふふっと低く笑うと、
「流石だな。いい返答だ」
「………」
政宗は大笑する。
「気に行ったぜ礼次郎殿。兵は出そう。しかも五十や百じゃねえ。二百を出す。その盗人の風魔玄介とやらを斬り捨てて天哮丸を取り戻して来いよ」
礼次郎は微笑した。愉快そうに笑う政宗の顔を見つめる。その後、頭を下げて、「ありがとうございます」と答えた。
「だが礼次郎殿、一つ条件だ。今は確かに豊臣秀吉に大きな差をつけられているが、それでも俺は諦めるつもりはない。いずれ南奥州を平らげた後は、天下取りの戦に向かう。その時は、俺の味方になってくれないか?」
「………」
「と言ったところで、代々中立を保って来た城戸家だ。うんとは言わないだろう。だから、その天下取りの戦の過程で何か困り、礼次郎殿の武勇が必要になるような時は、力を貸して欲しい、どうだ?」
「それならば構いません。喜んで」
礼次郎は笑顔を見せて快諾した。
「うん、いいねえ。礼次郎殿とは良い友になれる気がするぜ」
政宗は手を叩くと、立ち上がった。
「具体的なことは時房、お前に任せる。頼んだぞ」
「ははっ。お聞き届けくださりありがとうございまする」
凜乃の夫、永谷時房は頭を下げた。
「じゃあ、礼次郎殿、いい報告を待ってるぜ」
政宗は礼次郎に微笑を向けると、礼次郎の横を通って広間から出て行った。
その時である、一人の小姓が走って来て、礼次郎の方をちらっと見た後、政宗に何事かを囁いた。
すると、政宗は一瞬驚いた表情となり、礼次郎を振り返った。そしてしばらくその顔のまま無言でいたのだが、やがて左眼が怪しい光芒を放ち始めた。
「礼次郎殿」
「はっ」
礼次郎は振り返る。
「実は、今朝、槇伊之助と言う俺が重用していた小姓が何者かに斬られた」
礼次郎の顔がさっと青ざめる。
「で、今入って来た調べによると、斬った男は年の頃大体十八、九ぐらいだったそうだ。そして珍しい黒い毛皮の羽織を羽織っていたとか。黒い毛皮の羽織……貴殿と同じだな」
「………」
礼次郎は答えなかった。いや、口を開くことができなかった。
「そして、斬った男は伊之助だけでなく、他の三人も瞬時に斬り伏せたとか……凄まじい腕の冴えよな。……斬ったのは貴殿で間違いないだろう?」
政宗は淡々と言うが、その口調は不気味な響きを宿していた。
礼次郎は背中に冷たいものが流れるのを感じたまま、政宗の顔を見つめていた。言葉は出なかった。
「やっぱりそうか」
政宗はにやりと笑った。
――そうか、礼次郎殿だったか。では、殿は礼次郎殿に何か褒美を上げるつもりか。
ここに来る前の話から、景綱はそう思った。
だが、政宗が次に言った言葉はその逆であった。
「許すことはできん。皆の者、この男をひっ捕らえよ!」