美濃島の女頭領
「ふっ、意外か?」
頭領の女が妖艶な笑みを見せた。
「ああ、かつて精強な騎馬で鳴らし、今はこの付近を恐れさせてる美濃島家の頭領がまさか女だったとはな」
「女の頭領、城主がいたっておかしくはないだろう? 女の方がうまくやれる場合だってある」
女が脚を組み、懐から鉄扇を取り出して扇いだ。
そしてその美しい瞳で礼次郎の顔をじっと見て、女の脇に控える男に聞いた。
「で、この男は?」
男は、緊張の面持ちで、
「はっ、先程城戸に通じる山の中を一人で走っているところを捕まえました、聞いても何も答えませんが、城戸から逃げて来た者に違いありません」
「へえ……」
「甲冑は来てませんでしたが、なかなか良い刀を持ってやがりました」
そう言って男は礼次郎の刀を差し出した。
「ふん、そうか」
女はその刀を一瞥した。そして、
「お前」
と言うと、女は気怠そうな表情を一変させ、突然鉄扇でその男の顔を叩いた。
「痛っ」
男が叩かれた場所を押さえると、
「何故私が聞く前に報告しなかった!!」
と、その外見にはとても似つかわしくない凄みで怒鳴った。
「申し訳ございませんっ!」
男は慌てて土下座した。叩かれた場所からは血が流れている。
「使えない奴だ。しかもこいつが何者なのかも見抜けないとはね。もうよい、下がれ」
と、女が言うと、男は急いで立ち上がり、両脇の列に並んだ。
女は礼次郎を上から下までじっと見た後、ふっと笑みを浮かべ、
「私はこの美濃島党の頭領、美濃島咲」
と名乗った。
そして咲はすっと立ち上がると鉄扇を礼次郎に向けて言った。
「ふふ……お前は城戸家当主の嫡男、城戸礼次郎だな?」
広間両脇に整列していた者たちがざわついた。
「城戸家の嫡男?」
「本当かよ」
美濃島咲はじっと礼次郎の目を見ていた。
礼次郎もまた黙ったままその目を見返した。
「やはり……お前は城戸礼次郎だね。その背格好から言ってそうだろう。それにその立派な刀、それは普通の者が持つ物じゃない」
咲はニヤリと笑った。
美しいが恐ろしさを感じさせる笑みであった。
「オレが城戸礼次郎だったら何なんだ」
礼次郎が言う。
「最高だよ。いい拾い物をした。あはは」
咲は鉄扇で口元を隠して笑った。
「お前の目的は何だ?」
礼次郎が咲を睨みつけた。
すると咲はせせら笑い、
「お前を徳川家康に売るのさ」
「何?」
「お前のところの天哮丸って刀。あれを頂こうと思ってずっと部下をやってたんだけどねぇ……全然わからなくてさ。城戸家はすごいもんだよ」
「お前も天哮丸を使って天下を狙うつもりか?」
「いや、私は天下に興味など無い。もし天下が取れるならそれはそれでもちろん喜ばしいが、天哮丸はその代償に自身をも滅ぼすって言うじゃないか。だったら天下など欲しくはない。私は天哮丸を奪って高く売ろうと思ってたのさ」
「だから最近あの辺をうろうろしていたのか」
「ところが天哮丸のある場所がさっぱりわからない。諦めようと思ったら、徳川家康が城戸家を訪ねて来るって言う情報が入った。家康自身が来るとは尋常じゃない、これは必ず何か起こるはず、そうなったらその機に乗じて一儲けしようって思ったわけだ」
「美濃島も落ちたもんだな、山賊まがいじゃねえか」
「ふふ……そして案の定、徳川家康は城戸を攻めた。じゃあそこで城戸からの落ち武者狩りでもしようと待ち構えてたら、何とお前と言うこの上無い獲物が引っかかったと言うわけさ」
「……」
美濃島咲の薄笑いが、美しさ故に灯りに照らされて不気味に映える。
「ふふふ、最高だよ。徳川が攻めた城戸家の嫡男だったら、徳川には高く売れるだろうからねぇ」
「美濃島党が何故こんな人さらいのようなことをする? 恥を知れ!」
礼次郎が声を荒げて罵った。
「ふふ、ちょっと金がいるんでねぇ。悪く思わないでおくれ」
と言うと、咲は礼次郎に歩み寄り、鉄扇で礼次郎の顎をくいっと上げてじっと見つめ、
「一つ残念なのは、いい男だってことかねぇ。売ってしまうのがもったいないぐらいだわ」
咲は妖美の笑みを見せた。
そして鉄扇で礼次郎の頬を軽く叩いた。
「ふーん……」
咲はしばらく意味深に礼次郎の顔を見ると、立ち上がって命令を下した。
「こいつはあの天業牢に閉じ込めておけ!」
すぐに数人の男女が駆け寄って来て礼次郎を立ち上がらせた。
「さあ、来い」
広間から歩かされた。
冷たい空気が張る廊下を通り、階段を下る。
途中、一人の男とすれ違った。
その男は食料を持って運んでいたのだが、ぼーっとした表情で無気力な感じであったのが妙に気にかかった。
「ここだ」
礼次郎は鉄格子のついた牢屋らしき部屋に連れて行かれた。
中に入れられると、刀を突きつけられながら、その縄を解かれた。
「ここでしばらくくつろいでろ」
と、言い、彼らは部屋を出た。
「運が良いんだか悪いんだか」
「いや、悪いだろう」
「そうだな、まあせいぜい頑張れ」
彼らはそう言うと消えて行った。
「……?」
礼次郎には彼らの言ったことがわからなかった。
部屋の中を見回した。
それほど狭くはない。
牢なのに不思議なことに寝床がある。そして寝床以外に特に何も無い殺風景さであるが、清潔である。
鉄格子はあるが牢とは思えぬ部屋であった。
――おかしなところだ。
山賊のような美濃島党の行動。
そしてこの部屋。
勘の鋭い礼次郎にも何が何だかさっぱりわからなかった。
だがとりあえずわかる事は、
――逃げられそうにはないな。
部屋には窓がなく、鉄格子以外に外に通じているところはない。
仕方ないので、礼次郎はその場に座り込んだ。
――さてどうするか。
このまま徳川家康に売られてしまうのは確実なようである。
――その時にできる隙を狙って逃げ出すしかないか
疲れた頭でさっと考えを巡らせたが、現状それしか策は思いつかない。
――順五郎はどうしているだろうか?
あの道で自分を待っているだろうか?
それとも異変を察して自分を探し回っているだろうか?
しかしここがわかるかどうか?
――難しいな、順五郎がここを探し当てたとしても一人では無理だろうし。天哮丸は大丈夫だろうか? まずあの場所がわかることはないと思うが……父上は、どうしただろうか……?
そうあれこれ考えているうち、礼次郎は疲労から頭がぼーっとし始めた。
どれぐらいの時が経っただろうか――
はっと礼次郎は目を覚ました。
いつの間にか彼は寝床の上で寝てしまっていた。
身体を起こし、耳を澄ませた。
どこかの水が垂れる音でも聞こえそうなぐらいに、妙に静かであった。
――誰もいないのか?
そう訝しんだ時、何者かが歩いて来る音がした。
一人ではない、三人ほどいる。
礼次郎の身体が緊張した。
――この気配は……
三人が鉄格子の前に立った。
武装した女の部下を連れた美濃島咲であった。




