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天哮丸戦記  作者: 五月雨輝
越後内乱編
124/221

涙の理由

 数日後、越後春日山城の大広間。


 礼次郎と龍之丞が揃って呼ばれ、中央に座して上杉景勝が来るのを待っていた。

 その後ろには、順五郎、壮之介、千蔵が控える。


 やがて、景勝が、直江兼続を従えて入って来た。

 景勝は上座に腰を下ろすと、此度の戦大儀であった、と声をかけた後、


「礼次郎殿、少しは疲れがとれたかな」


 と礼次郎に聞いた。


「ええ、もう疲れは残っておりません」

「そうか。しかし左肩は良くないと聞いたが」

「はい、こればかりはまだどうにも……」

「治るのか?」

「百合殿が言うには、しっかり養生すれば動かせるようにはなるはずだと。ただ、完治するまでどれだけ日数がかかるかはわからないそうで」


 礼次郎が眉を曇らせる。


 着物の下、礼次郎の左肩には痛々しく晒しの布が巻いてある。


 統十郎の"月砕き"の秘剣で貫かれた礼次郎の肩の傷は、深刻な症状であった。

 当初はまだ何とか左腕を動かせていたが、春日山に帰る途上で、段々と動きが利かなくなって行った。


 師匠葛西清雲斎と同様、礼次郎も左肩が不自由になってしまうのか、と自身も周囲も心配した。


 だが春日山に帰りついた後、ゆりが奔走した。

 景勝に頼んで、集められる全ての古今東西の医術書を借り受けると、目の色を変えて治療法を調べた。

 そして鍼を取り寄せたり、自分で薬を調合したりするなどして、不眠不休で礼次郎の治療をした。

 そのかいあって、礼次郎の左肩は何とか回復の目途が立った。

 しかし、完全に回復するまであとどれぐらいかかるかは、ゆりにもわからなかった。


「そうか。まあ、百合殿の医術は確かだ。焦らずゆっくり治して行くがよかろう」

「はい」


 景勝は一つ咳払いをして、


「山城」

「はっ」


 兼続が答えて、礼次郎に向き直り、


「礼次郎殿、此度の戦の働き、誠にお見事。樫澤宗蔵を討ち取ったのみならず、槙根砦を壊滅させるなど、その武功の素晴らしさは言葉では言い尽くせぬ」

「恐れ多いお言葉でございます」

「礼次郎殿の働きが無ければ我らの勝利は無かったであろう。そして此度の勝利によって、我らの新発田に対する優位は決定的なものとなった。よって、御屋形様は、褒美の代わりと言っては何だが、兵四百、及び必要な軍需物資を貸し与えることを決められた」

「そんなに……?」


 龍之丞より聞いてはいたが、改めて直にそれを聞くと、大きな驚きであった。

 いくら戦で武功を挙げたとは言え、縁もゆかりもなく頼って来た男に、兵四百と軍需物資を貸すと言うのは破格である。

 だが、それが上杉景勝と言う男であった。

 頼って来た者には見返りも求めずに手を差し伸べ、受けた恩には倍以上のものをもって報いる。

 義父、上杉謙信から受け継いだ義の魂である。


 だが、それにも関わらず、


「本当はこの倍、八百の兵を貸すつもりであった。しかし計算してみたところ、どうやっても四百が限界であったのだ。すまんな」


 と言って、あろうことか、景勝は頭を下げた。

 礼次郎は慌てた。


「四百も貸していただけるだけで十分すぎるほどでございます」

「いや、我らの力が足りんばかりに申し訳ない。不識……」


 そこまで言って、景勝はふと言葉を止めた。

 そして、一瞬の間の後、背を正すと、


「もし、今後まだ我らの力が必要であれば遠慮なく頼ってくれ。この景勝、いつでも全力で礼次郎殿をお助けしよう」


 広間に響く明朗な声で堂々と言った。


「ありがたきお言葉でございます」


 両手を畳につけた礼次郎は、目に心の内から何かが込み上げて来るものを感じた。

 景勝の義心の熱に、魂を熱く揺さぶられていた。


 そして景勝は、次に龍之丞を見た。


「宇佐美」


 景勝は一転、厳しい表情となった。


「はっ」


 宇佐美龍之丞は、いつものざんばら髪を後ろでまとめ、無精ひげも剃り落としていた上、似つかわしくない神妙な顔で平伏していた。


「此度は何とか勝利を得たものの、我らも沢山の犠牲者を出した。そちの失策の責任はやはり重い。」

「心得てござります」

「喧嘩騒ぎによる蟄居が解けたばかりでのこの失策、いくら譜代の臣であるお前でも、重い処分をせざるを得ない」

「如何なる処分も謹んで受ける所存にござります」


 龍之丞は、顔を伏せたままであった。

 景勝は、大きく呼吸をすると、


「宇佐美勝輝、その領地、及び現在の役目の全てを召し上げる」


 真っ直ぐに龍之丞を見据えて言った。


「え……!?」


 場に無音の衝撃が走った。


 龍之丞は面を伏せたまま呆然とした。


 礼次郎らも驚きに言葉が出ない。


 領地、役目の全てを召し上げる、それはつまり、追放と同じである。

 いくら何でもその処分は重すぎる。


 兼続はそれを知らなかったらしい。堪らず横から進み出て言った。


「殿、お待ちくだされ。(たつ)の此度の失策は確かに重大ですが、これまで重ねて来た武功を鑑みれば、それはあまりにも重すぎます」


 対して、景勝は手で兼続を制し、


「これは此度の失策だけではない。わしはかねてより、宇佐美の素行の悪さを度々注意して来た。だが直らなかった。此度の失策の遠因の一つには、その素行の悪さもあったであろう。此度の処分は、これを機に自分を徹底的に見直せと言う意味合いもあるのだ」

「しかし……領地も召し上げられるとならば、(たつ)はこれからどうするのですか?」

「ずっと召し上げたままではない。暫時じゃ。いずれ時が来れば元の領地、役目は戻す。それまでの間、宇佐美には新しい役目を与える」


 と言って、景勝は再び龍之丞を見据え、


「礼次郎殿に貸し与える兵四百、それの統率役となって礼次郎殿について行け」

「え……?」


 龍之丞は思わず面を上げ、景勝の顔を見つめた。

 礼次郎らも、驚いて景勝に視線を向ける。


「礼次郎殿は越後兵の扱いにも不慣れであろう故、最初はこれを統率する将が必要であろう。宇佐美、お前にこの役目を与える」


 そう言った景勝の顔には、微笑があった。


「そのまま礼次郎殿に付き従い、その志を助け参らせよ。」

「御屋形様、それは……」


 龍之丞は、呆然と景勝の顔を見つめた。


 景勝は礼次郎を見て、


「礼次郎殿、わしが勝手にそう決めてしまったが如何であろうか? この男、少々口と性格に問題はあるが、その才はわしが保証する。きっと礼次郎殿の役に立つと思うが」

 

 礼次郎もまた開いた口が塞がらないでいたのだが、ふっと微笑むと、


「異存はございませぬ。ありがたき事にございます」

「それは良かった。宇佐美、今の通りだ。お前は全力で礼次郎殿をお助けせよ。そして礼次郎殿が志を遂げたら越後に帰って来い」

「ははっ……」


 龍之丞は再び面を伏せた。

 その目がうっすらと光った。


 景勝の下した処分、それは表向きこそ厳しいものであったが、その実は、面白い戦をして刺激ある毎日を過ごしたいと言う龍之丞の希望を叶えたものであった。



 ――お見事……喜平次様、ついに不識庵様に追いつかれましたな。



 その裁定の見事さに、兼続の目も光っていた。


 景勝は言葉を続ける。


「そして礼次郎殿を助けながら、お前ももう一度修行し直せ」

「はっ」

「励めよ……。宇佐美龍之丞、その名の"龍"と言う字に相応しい男になって帰って来い。お前こそが次の"越後の龍"だ」


 景勝は微笑んだ。


 龍之丞は再び面を上げ、景勝の顔を見つめた。

 やがて、ぼろぼろと涙をこぼした。


「御屋形様……」


 顔を伏せ、声を上げて男泣きに泣いた。


 こうまで泣いたのは、彼にとって生涯初であった。




 大広間を出て、自分達の部屋へ戻ろうとする礼次郎たちを、廊下で呼び止めた者がいた。

 景勝の妻、菊であった。


「礼次郎殿、ちょっといいかしら?」


 と、菊は礼次郎のみを茶室へ招いた。


 二人は三畳ほどの広さの一室で向かい合う。

 菊が自ら茶を点てて礼次郎に出した。


「どうぞ」

「いただきます」


 礼次郎は茶碗を取り、中の濃い緑色の茶を口に運んだ。

 彼は茶の経験がほとんど無い。

 舌に感じるのは苦味のみであった。


 しかし、


「どうです?」


 菊が聞くと、


「あ、美味しゅうございます」


 礼次郎は咄嗟にそう言ってしまった。

 だが菊はじっと礼次郎の顔を覗き込む。


「嘘おっしゃい」

「え?」

「正直に言ってごらんなさい」


 菊にはお見通しであった。

 礼次郎は気まずそうに顔を赤らめて、


「あ、申し訳ございません、苦いです」

「ほほほ、やっぱり」


 菊が口に手を当てて笑った。


「申し訳ございません、茶の嗜みはほとんどなき故」


 礼次郎はばつが悪そうに頭をかいた。


「そうでしょうねえ。そのお若さですから」


 と言って菊は笑うと、


「まだ茶の味もわからない若さなのに、よくあれだけの武功を立てたものね。殿も山城も本当に驚いていたわよ」

「いや、運が良かっただけです」

「貴方の実力よ、胸を張りなさいな」

「そんな……」

「今回の武功で兵四百を貸してもらえることになったそうね。おめでとうございます」


 菊は両手をついた。

 礼次郎は慌てて頭を下げた。


「いえ、過分な褒美、右少将様には感謝してもしきれません」


 ふふ、と菊は笑い、


「すぐに上州に戻るのかしら?」

「そうですね。こうしている間も天哮丸は風魔玄介の手にあります。一刻も早く取り戻したい」


 礼次郎は居ても立ってもたまらぬ、と言った風に身体を揺らした。


「まあ……ゆりや山城、皆が言う通りのせっかちね」

「あ、ああ、申し訳ございませぬ」


 礼次郎は恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「そこで聞きたいのですが、ゆりはどうするのかしら?」


 菊が礼次郎の目を見つめて尋ねた。

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