決着
礼次郎が動いた。
桜霞長光を、やや水平気味の袈裟に振り下ろした。
突風の速さ。
「うっ」
統十郎は咄嗟に打ち払ったものの、その剣速に驚きを隠せなかった。
そして礼次郎自身も、
――何て扱いやすさだ……!
軽くもなく、重くもなく、心地良い重みと、振れば振るほど速さを増して行くような感覚に、自身驚愕していた。
警戒する統十郎は、数歩退いて間合いを取った。
構えは正眼。
礼次郎も正眼に。
薄闇に眼光がぶつかり合い、再び気の攻め合いとなった。
互いに摺り足で進退しながら隙を伺う。
礼次郎は統十郎の思考を探る。
――恐らく奴からは仕掛けて来ない。ならば……。
間合いがわずかに交差した時、先に動いたのは礼次郎だった。
二本の銀光が十字に衝突する。
礼次郎は心を剥き出しにし、更に感覚を研ぎ澄まして行く。
統十郎の動き、思考を読み、その隙をついて打ち込んで行く。
だが、統十郎の技量も恐るべきものがあり、それらの攻撃を全て防ぐのみならず、礼次郎の隙を見ては鋭く斬り込んで来るのであった。
二人は、上下左右に、目まぐるしく体勢を入れ替えながら激しく打ち合った。
両者の剣、桜霞長光と撃燕兼光がぶつかり合う度、互いの魂の欠片のような青白い火花が闇に飛び散る。
剣光乱裏の斬り合いは、いつ終わるとも知れないものになるかと思われた。
しかし、均衡が崩れた。
体力の面で不利な礼次郎が徐々に斬り込まれる場面が目立ち、次第に追い込まれて行った。
隙を見て、礼次郎が蹴りを放った。
統十郎の身体が数歩後ろに飛ばされる。
同時に、礼次郎も五、六歩程後ろに飛び退いて間合いを取った。
彼の体力は、すでに限界を超えていた。
呼吸は激しく震え、脚は身体を支えきれずに膝が折れた。
礼次郎は堪えるが、その膝が笑っている。
「次で終わりだな。城戸家の星はここに墜ちる」
統十郎はにやりと笑って言ったが、
――まだ目は生きてやがる。
と警戒は解かず、間合いは保ったまま、やや高めの正眼に構えた。
礼次郎も残る力を振り絞り、右脇構えを取った。
両者、睨み合った。
礼次郎の眸は闘志を失っていない。
だが、未だ体力に余裕がある統十郎に対し、限界を越えている礼次郎は、震える足下が頼りない。
――こうなっては一撃で決めるしかない。
礼次郎は統十郎の動きと呼吸を読む。
――突き……いや、袈裟で来る……。影牙だ。奴が振り上げた瞬間、その喉元を突く。
しかし、すぐに愕然と気が付く。
――届かない!
長身の仁井田統十郎の腕は長く、また、直刀撃燕兼光も通常より長めの剣である。
すなわち、間合いが遠いのである。
その為、統十郎が振り上げる瞬間を読んで影牙の突きを放って行っても、それが統十郎の喉に届く前に、統十郎の剣が礼次郎を斬っているであろう。
――手が無い。
襲い来る絶望。
礼次郎は脂汗を流して唇を噛む。
そんな礼次郎を見つめながら、統十郎はじりじりと間合いを詰める。
礼次郎は、ふと思い当たった。
――いや、隙は振り上げる瞬間だけじゃない……振り下ろした瞬間にもある。
闇に微かな光を見出した。
秋の夜風が血の匂いを乗せて、睨み合う二人の間を吹き抜ける。
二人の瞳が、静かに激しく燃えながら薄闇の中で刺し合う。
両者共にわかっていた。
――勝負は次で決まる。
二人の攻撃の間合いが徐々に狭まる。
そして僅かに重なった時、二人の脚が同時に動いた。
――逆袈裟!
統十郎が気合いと共に左上段から逆袈裟に斬り下ろした。
撃燕兼光が烈風を吹く。
だが同時に動いていた礼次郎、その切先を僅か五寸程で右に躱した。
統十郎の左半身ががら空きとなっている。
そこへ、右脚を出し、桜霞長光を突いた――
しかし、
――何っ……。
礼次郎が目を剥く。
空振りして地面についていた統十郎の剣が、突きとなって目の前に飛んで来たのである。
咄嗟に左手を柄から放し、左半身を開いた。
だが間に合わなかった。
直線の閃光となった撃燕兼光が、礼次郎の左肩を貫いた。
「あっ……!」
礼次郎は固まったまま、激痛に顔を歪ませた。
統十郎がにやりと笑って剣を引き抜いた。
血飛沫が吹いて統十郎の腰から足を赤く染めた。
礼次郎は左からゆっくりと崩れ落ちた。
ゆりの悲鳴が夜空にこだました。
何が起きたのか――
統十郎は、一太刀目の逆袈裟斬りが空振りしたと同時、剣を中心にして右に身体を捻らせていた。
そして振り下ろした撃燕兼光を、飛び込んで来た礼次郎に向かってそのまま下から突き上げたのであった。
返しの二太刀目を突きとした変則の燕返しであった。
礼次郎は咄嗟に左半身を開いて躱そうとしたが、一瞬の事である、間に合わずに左肩を貫かれた。
統十郎は礼次郎を見下ろして、ふふっと笑った。
「貴様の師匠の肩もこの突きで壊してやったのだ。秘剣"月砕き"」
礼次郎は全身を責める激痛に苦悶する。
だが、その脚は尚も立ち上がろうとしていた。
「立つな。すぐに楽にしてやる」
統十郎は無慈悲に刀を振り上げた。
だが、その腰ががくっと折れた。
「うっ……」
突如として左脇に感じた激痛に、統十郎は前のめりになった。
左脇腹より少し上の箇所から、血が噴出していた。
膝を立てて立ち上がろうとする礼次郎が、青白くなった顔でにやりと笑う。
礼次郎は統十郎の秘剣月砕きによって肩を貫かれていたが、礼次郎の突き出した桜霞長光も、同時に
統十郎の左脇腹を抉っていたのだった。
しかし、統十郎の燃えるような闘志の高揚が感覚を鈍らせ、痛みを感じていなかった。
それが今、勝利を確信して気が緩むと、その痛みが急に暴れ出したのである。
「貴様……」
左手で血の滴る箇所を押さえながら、統十郎の眸が再び燃えた。
礼次郎が絶叫に近い気合いと共に立ち上がった。
左腕は動かない。
右腕一本で剣を握ると、身体を半身に開いて構えた。
しかし櫻霞長光の切先は震えている。
統十郎はそれを見つめながら、
「礼次郎……」
と下の名前を口にし、不敵に笑った。
痛みを堪えながらも、悔しそうに、そしてどこか嬉しそうに。
左脇からは血が流れ続けている。
だが構わず、統十郎は再び高めの八相に構えた。
その時、砦の外から地響きが聞こえた。
それは瞬く間に大きくなると、やがて軍勢が走る大音となった。
「あれは……」
統十郎にはわかった。味方ではない。上杉軍であろう。
統十郎は、舌打ちをすると剣を下した。
そして滑るように後ろに下がりながら、
「また邪魔が入ったな……続きはまただ」
と薄く笑い、撃燕兼光を納刀した。
「新発田因幡は恐らくこれで終わりだ」
「………」
「俺は元々因幡に兵を借り、幻狼衆を倒すつもりだったが、それもこれで駄目になった。しかし諦めたわけではない。別の方法を考え、必ず風魔玄介を斬り、天哮丸を取り返す」
「それはオレが先だ」
礼次郎が言うと、統十郎はふふっと笑い、
「奥州に武想郷と言う場所がある、知っているか?」
「……ああ」
「恐らく七天山か、あるいはその武想郷……俺達が風魔玄介と天哮丸を追うならば、その途中で俺達は再び会う事になるだろう」
「な、何?」
「その時に決着をつけよう。次は対等な条件でな」
と言うと、統十郎は背を返して走り出した。
「武想郷……」
礼次郎は震える唇で呟きながら、遠ざかるその背を見つめた。
急に力が抜けた。
腰から崩れ落ちた。
桜霞長光が転がる。
「礼次……!」
ゆりが悲鳴を上げて礼次郎に駆け寄った。
慌ててその身体を抱き起す。
礼次郎の左腕が血で赤く染まっていた。
目は開いているものの、その顔は青白く、呼吸は不規則に震えている。
ゆりは礼次郎の左肩の傷を検めた。
彼女の顔色もまた青ざめる。
「大変……!」
ゆりは礼次郎の脇差を取って自らの着物の袖の部分を切り取ると、傷口をぐるぐると縛って応急措置をした。
その時、一軍団が雪崩れ込んで来た。
上杉軍であった。
先頭にいたのは直江兼続。
彼は目の前の死屍累々の惨状に言葉を失った。
だが礼次郎とゆりの姿を見ると、何があったのかを察知してごくりと唾を飲み込んだ。
すぐに、背後の兵らに指示をした。
「礼次郎殿を!」
兵らが礼次郎に駆け寄った。
しかし礼次郎は気丈に手を振る。
「大丈夫……それより馬を貸していただきたい」
直江兼続は言葉が出なかった。
――これは全て礼次郎殿が?
これより少し前。
上杉景勝と新発田重家の大将同士の一騎打ちは、それぞれ景勝馬廻り衆、重家本隊同士の乱戦の中に激しい火花を散らして果てなく続くかと見えた。
しかし、西方に一軍団の走る音を聞いた重家は、隙を見て太刀を引き、
「退けっ、退けいっ!」
と馬首を返して逃げ去って行った。
少し手傷を負っていた景勝は追わなかった。
しかし、その顔には打ち合いの最中に得た揺るぎない自信と満足げな色があった。
やがて、直江兼続が血相を変えて景勝の下に駆けて来た。
重家が聞いた一軍団の音は、阿賀野川の陣の奇襲が失敗した事を知って全速力で駆け付けて来た直江兼続らの部隊であった。
兼続らは到着すると、新発田軍を背後から襲った。
そして兼続自身は、一部隊を率いて、重家本隊と交戦している景勝らへ加勢に来たのであったが、重家はすでに逃げて行った後であった。
景勝は、兼続に命じた。
「山城、槙根砦へ向かえ! ゆり殿が危ない!」
命を受け、兼続はそのまま槙根砦へ急行した。
だが、おかしい。
槙根砦の門は開け放たれている上に、中に入っても守兵らしき新発田兵らの死体が続いているのみで、こちらを襲って来る兵の気配が無い。
訝しみながら進んで行き、本郭に入ると、全身返り血塗れの上に満身創痍の礼次郎と、武田百合がいたのであった。
――礼次郎殿一人で百合殿を救うべく乗り込み、この砦を壊滅させたと言う事か?
兼続は、言葉を忘れて、ゆりともう一人の上杉兵に身体を支えられながら歩いて行く礼次郎の背中を見つめた。
――何と言う……こんな男がこれまでいたか?
兼続の背筋に寒いものが走った。
それは魂の震えであった。
兼続は、重たげな雲を背負い始めた南方の夜空を見上げた。
――風魔玄介、そして徳川家康。いずれ顔を青くするだろう。手を出してはならない男に手を出してしまったと。