城戸家の真実
礼次郎は苦々しげに統十郎を睨んだ。
だが、すぐに清雲斎の別の言葉が耳の奥を走った。
「それで師匠は負けてしまったのですか?」
「まさか……頭に来たから右腕一本で一方的に滅多打ちにしてやったぜ」
思い出した礼次郎はせせら笑った。
「笑わせるなよ。最終的にはお師匠様に叩きのめされたんじゃねえか」
統十郎はふっと笑うと、
「あの時はな。だが今の俺なら負ける気はせん」
「お師匠様がお前に負けるものか。いや、その前にオレがお前を斬る」
「やれるもんならやってみろ」
統十郎は再び、高めの八相に構えた。
礼次郎もまた、八相に構えた。
しかし、その剣は左耳の横にある。
すなわち逆八相の構えであった。
統十郎が警戒の目となる。
剣を下し、正眼に構えた。
礼次郎が動いた。
逆八相から左袈裟に走る剣光。
統十郎は剣を振り上げる。
激しい金属音が鳴ると、礼次郎は剣を引き、同じ左の下段から右の逆袈裟に斬り上げた。
統十郎、打ち下ろして再び受け止める。
――角度を変えて左から二発か。
統十郎、次は自分から斬り込もうと剣を上げた。
だが、
――いや、違う!
目を見開いた。
礼次郎が再び左から剣を振っていた。
水平に刃光がほとばしる。
統十郎は慌てて飛び退きながら剣を真横に振った。
紙一重で防いだ、と思った。
切先がわずかに統十郎の腹を抉っていた。
「ちっ……」
鋭いが痛みが走り、瞬く間に腹に血が広がった。
礼次郎は追撃の袈裟斬りを放つ。
統十郎は斬り上げで受けると、間髪入れずに左足を真横に振った。
脇腹に強烈な蹴りを食らった礼次郎、数歩後ろに飛ばされた。
だが、すぐに体勢を整え、正眼に構え直す。
統十郎は八相。
両者は再び睨み合った。
「角度を変えて左からの三連撃とは驚いた。真円流は底が知れねえな」
「真円流の技じゃない。勝手に身体が動いたんだ」
「何?」
統十郎は一瞬驚愕した。
だが、すぐに愉快そうに笑った。
「流石だな。貴様は元々非凡なのだろうが、この土壇場で勝手に身体がそう動くとは、義経の血がなせるものなのだろうな。俺の血がうるさく騒ぐぜ」
統十郎は低い声で言い放つ。
しかし礼次郎は眉をしかめて言った。
「待てよ、勘違いするな。さっきから義経義経と言うが、城戸家の祖先はその兄の義円公だ」
「何だと……?」
統十郎が驚いた。
「知らなかったか?」
「いや、それはこっちの台詞だ。貴様こそ知らなかったのか?」
「何の事だ?」
「城戸家の祖、城戸七郎義龍は表向きは義円の息子となっているが、実は義経の子だぞ」
「何?」
今度は礼次郎が驚愕の顔となる。
「城戸家は源義経の血筋だ」
「何を馬鹿な事を……義経公の子供は全て頼朝公に殺され、その血は残っていないんだ」
「それは表向きの話だ……。貴様は本当に何も知らんのだな。そうか、城戸家には貴様がまだ済ませていない継承の儀と言うやつがあるらしいが、恐らくその時に初めてこの事実も教えるのだろうな」
「まさか本当に……?」
礼次郎の顔が色を変える。
「俺が教えると言うのも不思議な話だが、まあ教えてやろう」
と、統十郎は構えを崩さぬまま話し始めた。
義経が奥州で戦死した時、義経の子、男児一人と女児一人も共に誅殺された。
そしてもう一人、静御前との間に生まれたばかりであった男児も、頼朝の命令によって由比ヶ浜に遺棄され、義経の子は全て殺された。
頼朝に背けば大功を立てた実弟でもこうなると言う、御家人への見せしめとしてだった。
だが、実は義経にはもう一人、別の愛妾との間に男児がいた。
吉野の古寺に密かに匿われていたその男児の存在がわかったのは三年後、頼朝がかねてより熱望していた征夷大将軍となった直後だった。
頼朝は密かにその男児を鎌倉に召し出して面会した。
義経の子がもう一人生きている………頼朝は半信半疑であったが、初めてその男児を見た時、頼朝は大層驚くと共に納得した。その男児があまりに義経に似ていたからだ。
そして義経の生き写しかのようなその男児を見て、頼朝ははらはらと涙を流した。
実は当時、頼朝は時々、義経を討った事を悔いるような事を言っていた。
確かに義経は自分に背いたが故に討ったが、平家を打倒した最大の功労者である事は間違いなく、義経がいなくては今の征夷大将軍源頼朝はない。そして何よりも、血を分けた弟である。
冷酷と言われた頼朝であったが、義経の死から三年が経ち、その心にも変化が現れていたのである。
そんな頼朝に、この男児の命を奪う事などできなかった。
だが、御家人達の手前、義経の息子を堂々と生かしておくわけにもいかない。
そこで頼朝は、この男児を義経のすぐ上の兄、義円の末子と言う事にして、長じては城戸姓を名乗らせた。
「その男児こそが、貴様の祖先である城戸家初代、城戸七郎義龍だ」
「………」
統十郎の語り口からすると、到底嘘をついているようには思えない。
思いもしなかった衝撃の真実に、礼次郎は呆然と言葉を失った。
ゆりもまた、驚愕のあまり開いた口が塞がらず、手を当てていた。
だが、心の中では何か納得するものがあった。
礼次郎の性急さ、繊細であるのに大胆不敵な行動。そしてどこか狂気めく戦いぶり。
どれも、伝説に聞く源義経の風がある。
礼次郎が義経の子孫であると聞けば、それは血のなせるものであるかもしれない。
「そして頼朝は、その義経の遺児七郎義龍に、最も相応しい使命を与えた。それが、天哮丸を使って世を乱した実父義経の罪を償うべく、二度と天哮丸を世に出さぬよう、子々孫々に至るまで守護し続けると言う事だ」
「………」
礼次郎は言葉が出なかった。
いや、頭の中で言葉が散り散りになって混乱していた。
――城戸家の祖先は義経公……?
礼次郎は左手を柄から外し、手の平を見つめた。
「この事は、鎌倉幕府の最上層の者と、そして城戸家の当主筋の者にしか知らされない最高機密とされ、世間には一切公表されずに来たのだ」
そう言った統十郎の顔に、礼次郎は鋭い眼光を投げた。
「じゃあ何でお前がこの事を知っているんだよ」
「俺達一族は、義経に恨みがある。知ってて当然だろう」
「それもそうか……」
「さて、そうやってここまで残って来た義経の血脈だが、壇ノ浦より四百年の時を経た今日、俺がそれを絶つ」
統十郎は、再び撃燕兼光を八相に構えた。
「四百年も前の事をいつまでもしつこい奴だ………まあいい」
礼次郎の表情がかつて見せた事の無い色に一変した。
「時代はどちらの血を残すのか……オレとお前は天の答えを賭けて斬り合うんだろう」
そして礼次郎もまた、右の脇構えに構えた。
「そうだ。さあ存分に斬り合おうぜ」
統十郎の挑発。
だが礼次郎は動かなかった。
統十郎の呼吸を、全身の筋肉の動きを計っていた。
「来ねえんならこっちから行くぜ」
統十郎は言うと同時、風を起こした。
右肩から袈裟に光が落ち、再び激しい打ち合いとなった。
だが数合目、大きな金属音が響き、剣花と共に銀色の破片が闇に飛んだ。
礼次郎は咄嗟に数歩飛び退き、刀に視線をやった。
切先が無い。
何と先端三寸程から折れていた。
見ていたゆりも、驚愕に目を疑った。
――城戸家の刀が……
礼次郎は愕然と折られた部分を見つめた。
「うかつだったな。短い間にあれだけ斬り回ったんだ。刃こぼれも多かっただろう」
統十郎が冷笑する。
いくら名刀と言えども限界はある。限界を越えて使い続ければ必ず終りが来る。
すでに限界が来ていた礼次郎の刀に、統十郎の剛腕から繰り出される唐竹割りが真っ直ぐに炸裂した。
血を吸い過ぎた城戸家の名刀は、たったの一撃で終った。
礼次郎は折れた剣を捨てた。
そして悔しげに唇を一文字に結びながら、脇差を抜いて正眼に構えた。
「勝負あったか」
統十郎は薄笑いを浮かべながら、ゆっくりと間を詰める。
――脇差じゃあの長い直刀にはかなわない……
礼次郎は摺り足で後ろに下がる。
だがすぐに思い出した。背中に背負っているもう一本の刀の存在を。
即ち、上杉景勝から賜った名刀"桜霞長光"
礼次郎は脇差を納刀すると、素早く背中の剣を取った。
中の剣を抜き、鞘を無造作に捨てた。
桜霞長光を正眼に構えた。
「………」
統十郎の顔色が変わる。
流石に歴戦の剣客である。すぐに、礼次郎の持つ剣が並の物ではないと見抜いた。
全身に警戒の気が上る。
桜霞長光の青白い刀身は、ただそこにあるだけでこの世の物とは思えぬ妖気を放っていた。




