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天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
越後内乱編
119/221

槇根砦壊滅

 聞いたことのない、獣の叫びのような、天魔の咆哮のような音が脳裏を行き交い、礼次郎は苦悶に顔を歪めていた。

 だが、感覚は凄まじく研ぎ澄まされている。

 四方を囲む敵兵全員が何を考え、どう動くかがわかるようであった。


 礼次郎は唇を噛んだ。

 同時に、地を蹴った。


 振った右手の刀が敵兵を捕え、同時に左手の脇差が左の敵兵の顔を突き刺す。

 背後から刃の気配。

 礼次郎は身を捻ってかわしざまに刀を一閃、そのまま回転しながら更にもう一人を斬り伏せた。


 背後から、眼前から、襲い掛かって来る剣がどう飛んで来るかが読めた。


 ――わかる。この前よりもわかるぞ。


 礼次郎は走った。

 群れをなして襲って来る敵兵の攻撃の隙間を縫い、旋風となって走りながら、両手より剣を振った。

 礼次郎が動く度、神速の剣光が無軌道に乱れ飛び、鮮血の雨が降った。


 袈裟斬り

 左薙ぎ

 燕返し

 逆袈裟

 水月返し……


 天を失った龍の乱れが続いた。


 礼次郎は文字通り息つく間も無く剣を振り続けた。

 そして跳躍して袈裟斬りを放ち、ついに最後の一人を左払いに仕留めた。


 見ていた垣口摂津守は、今の凄まじい光景に魂を抜かれたように唖然としていた。


「こ、こんな事が……悪い夢でも見ているのか?」


 青ざめた顔で礼次郎を見つめた。


 ゆりもまた、衝撃的な光景に言葉を失っていた。


 ――今のは何? 何をしたの?


 だが、すぐに礼次郎の異変に気付いた。



 礼次郎はふらふらと身体をよろめかせると、重心を失ったかのように地に倒れ込んだ。

 刀が音を立てて転がった。

 

「はっ、はっ、はっ……」


 前回無天乱れ龍を使った時と同じく、呼吸が尋常ではなく乱れている。

 心臓が激しく鼓動を打ち、凄まじい焦燥感が全身を支配し始めた。

 漂う血と臓物の匂いに吐き気が込み上げ、礼次郎は胃液を吐いた。


 魔物に憑りつかれるが如き感覚が礼次郎を襲い始める。


「う……」


 礼次郎は両手で頭を抱え、髪をかきむしって呻き始めた。


 ゆりは流石に医術を心得ているだけある。

 すぐに、礼次郎が今の戦闘で身体に何らかの異常をきたし始めている事に気付いた。

 だが、どうにかしたくても縛られている身である。


「礼次郎、大丈夫!?」


 と、心配の声を叫ぶことしかできなかった。


 だが、それが耳に入った礼次郎、色を失いかけていた瞳に正気が戻った。

 顔を上げ、遠くの少女の姿を見つめた。


「ゆり」


 礼次郎は声を震わせながら立ち上がった。

 動悸と焦燥感が遠のき始めた。だが、疲労は深刻である。

 前回無天乱れ龍を使った時程ではないが、かすり傷も数か所に受けている。


 しかし、礼次郎は刀を拾うと、呼吸を乱しながらも、ゆっくりとゆりと垣口の方に向かって歩いて行った。


 ――鬼か、こいつは……


 垣口は完全に気を奪われ、顔面蒼白となっていた。

 全身を赤く染め、血に濡れた前髪の隙間から狂気めいた瞳を覗かせる礼次郎の姿、それはまるで地獄からの使いのように見えた。


 だが、垣口摂津守も、四隣に武名を轟かせた猛者である。

 また、この砦の主将として、たった一人の為にここまでやられて黙っているわけには行かない。

 

 垣口は唇をぐっと結ぶと、刀を抜いて正眼に構え、じりじりと距離を詰めて行った。


 礼次郎の殺気に燃える瞳はその手元を見つめる。


 垣口が気合いと共に踏み込んだ。

 だが、礼次郎はその攻撃の瞬間を読み取っていた。

 垣口が踏み込むのよりもわずかに速く動いた。

 垣口が刀を袈裟に振り下ろそうとした時、礼次郎の電撃の突きが垣口の左胸を貫いていた。

 真円流秘剣、影牙の太刀であった。


 こうして、最後の一人、主将の垣口も崩れ落ちて動かなくなった。


 静まりかえった本郭。


 礼次郎はゆりの前にたどり着いた。


 少女は目に涙を浮かべながら見上げた。


 礼次郎は片膝をつくと、刀を立ててゆりの縄目を切った。


「礼次郎……ありがとう……」


 縄目から解放されたゆりが恐る恐る言うと、礼次郎はそれを睨んだ。


「馬鹿」


 礼次郎は小さく言うと、赤子のような軽い力でぽんっとゆりの頬を叩いた。


「礼次……」


 ゆりは口を開けたまま礼次郎を見つめた。


 礼次郎もまた、しばらくゆりの顔を見つめていたが、


「すまなかった」


 と、ゆりの背に手を回し、抱き締めた。


 ゆりの両目に浮かんでいた涙が溢れ落ちた。

 ゆっくりと両手を礼次郎の首の後ろに回した。


「ごめんなさい……」


 ゆりは泣きながら言った。


「うん」


 答えた礼次郎は目を閉じていた。


「来てくれて……ありがとう」

「遅くなった。ごめん」

「ううん。でも、恐かった……」

「うん……」

「斬られるって思った時、死ぬのよりも、礼次郎と喧嘩したまま別れちゃう事が恐かった」


 礼次郎はうっすらと目を開けた。


「……うん」


 礼次郎は、しばしそのままゆりを抱き締めていた。


 やがて、手を放した。

 そして先程の修羅の形相とは打って変わった優しげな目でゆりの顔を見て、


「帰ろうか」


 と微笑んだ。


「うん」


 ゆりは泣き顔に笑みを作って頷いた。


 そして二人は立ち上がると、門の方へ歩いて行った。

 礼次郎の足元が時々ふらつく。

 その度に、ゆりが手を出して礼次郎の身体を支えた。

 そして門の前まで来た時だった。


 突如として目の前に何者かの影が飛び降りて来た。


 礼次郎は反射的にゆりを抱えながら数歩飛び退いた。


「誰だ」


 目の前を立ち塞いだ長身の男。

 束ねていない総髪が揺れた。


「見事だ、城戸」


 愉快そうに言うその男は、仁井田統十郎であった。


「お前は仁井田……」


 礼次郎はゆりを後ろに下がらせながら、自らもじりじりと下がる。


「全部見ていた。今新発田軍にいる俺としては残念なところであるが、素晴らしかったぜ。よくもここまで腕を上げたもんだ」


 統十郎はにやりと笑う。


「最後まで完璧だ。嫉妬するぐらいにな」

「……」

「ここからそのまま帰すわけにはいかねえ。正直なところ、このような状態になってしまっては俺にはもはや新発田軍もこの砦の事もどうでもいいんだ。だが俺はこの時を待っていた」

「待っていた?」

「他に邪魔が入らずに、お前と斬り合えるこの時を」

「……楽しみにしてくれてたのか」


 礼次郎は笑ったが、その顔には明らかに疲労の色が濃い。

 とてもそんな軽口を叩ける余裕は無い。


 ゆりが礼次郎の背後から進み出た。


「仁井田さん、やめて! 見てわかるでしょ、礼次郎はここまで何人もの敵と斬り合って来て、傷も受けてる。まともにあなたと戦える状態じゃないわ! 純粋な剣士として満足するまで礼次郎と斬り合いたいんでしょう? だったら別の機会にして!」


 統十郎はふふっと笑った。


「確かに、俺は一人の武士として、真円流城戸礼次郎と斬り合うのを楽しみにしていた。だが今の状態では城戸には不利だろう。俺にとって満足するような斬り合いはできないかもしれん。だが、今この時を逃せば、もう城戸と斬り合う機会は無いかもしれん。ならば、やるのみだ。それに、城戸礼次郎を斬るのは俺達一族の宿願でもあるからな」

「一族の宿願だと?」


「ああ。一族の宿敵、城戸家を滅ぼし、堂々と天哮丸を取り返し、再び天下の覇権を握る事だ」

「何で城戸家がお前らの宿敵なんだ? そもそも取り返すって、天哮丸は城戸家が守護する宝剣だ」

「お前は何も知らんのだな。天哮丸は元々は俺達一族の物だったんだ。それを、お前らの祖先、源義経が盗み出したんだ」

「義経公が盗んだ?」

「ああ」

「何をふざけた事を……」


 と礼次郎は統十郎の顔を睨んでいたが、ふと、何かに気付いて統十郎の全身をじっと見つめた。


 統十郎の朱色の小袖についている家紋に目が行った。

 それは、揚羽蝶の家紋であった。


「その揚羽蝶の家紋……一族……そして義経公……」


 礼次郎は、半ば愕然と統十郎を見つめた。


「お前の名前は確か仁井田統十郎……政盛と言ったな? 政盛……盛……その字はまさか……?」


 統十郎は薄笑いを浮かべた。


「ようやく気付いたか」

「……」

「そうだ、俺の本当の名は平政盛。平相国(平清盛のこと)より二十一代目の平家直系子孫だ」


 統十郎はにやりと笑うと、愛刀撃燕兼光の柄を握った。


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