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天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
越後内乱編
115/221

車懸りの陣

 阿賀野川の陣を襲った景勝らの部隊が、新発田勢の待ち伏せにより危機に陥ってるその時、同時刻に槙根砦に襲いかかった本庄繁長、色部長実らの部隊も、新発田勢の奇襲を受けようとしていた。


「今頃は眠りこけているはずじゃ! この虚をついて砦を破り、ゆり殿を助けるぞ!」


 本庄、色部らは、砦をぎりぎりまで近づくと一気に速度を上げ、天地を揺るがす勢いで槙根砦に殺到した。

 しかし、砦の門の間近まで来たところで、先頭を走っていた者達が突如として大地に沈んだ。


「うわっ!」

「何だ!」


 それは新発田勢が仕掛けた落とし穴であった。

 先頭の者達は人馬共に体勢を崩し、穴の中に転げ落ちた。

 そして、後続の騎馬武者達も避けようとするものの避けきれずにそれにつまずき、次々と将棋倒しになって行った。

 本庄、色部隊はたちまち混乱に陥った。

 だがそこへ、容赦なく次なる攻撃が襲う。


「放てっ!!」


 号令と共に、槙根砦より火矢が飛んで来た。

 火の雨が、悲鳴を上げて右往左往する騎馬武者達に降り注いで追い打ちをかけ、本庄、色部隊は更なる大混乱に包まれた。


「退けっ! 退けえええぃっ!」


 穴から這い出た本庄繁長は、必死の目を剥いて大怒号を飛ばした。

 そして同じく穴より出ていた色部長実に、


「修理、阿賀野川の陣へ向かうぞ!」

「何っ? 一旦退いて立て直せばまだ行けるのではないか?」

「いや、新発田はどうも周到に準備をしておった様子。これでは阿賀野川の陣もどんな用意をしているかわからん。御屋形様が危ない」

「しかしそれではゆり殿は……」

「まずは御屋形様が第一じゃ! 急ぐぞ! 兵をまとめるのじゃ!」



 その頃、槙根砦の牢にいるゆりは、先程から不意に外で沸き起こった怒号と悲鳴に、何事かと耳を澄ませていた。

 上部の窓からは青黒い闇が見えるだけであるが、そこからは火の匂いが感じ取れる。

 砦内も何やら慌ただしく、さては上杉軍が自分を助けに来てくれたか、と期待した。


 そこへ、牢の前を一人の兵が走り抜けて行くのを、ゆりは呼び止めた。


「ねえ、何があったの?」


 兵は立ち止まって振り返ると、せせら笑って言った。


「上杉軍が俺達を騙して夜襲を仕掛けて来たのさ。だけどうちの殿はそれを見破って逆に待ち伏せ、奇襲をかけた。上杉軍は直に全滅だ。ざまあねえぜ」

「え……」


 期待に明るくなっていたゆりの顔が、途端に暗くなった。


「まあ、これで結果的に上杉を叩く事はできたが、上杉が俺達をたばかろうとした事に殿は激怒している。ここを襲って来てる本庄、色部隊を追い払ったらすぐにお前の首を斬るとよ。残念だったな」


 そう言い捨てると、兵はまた走って行ってしまった。


「そんな……」


 ゆりの顔が呆然と絶望に染まった。

 しばしの間、何も考えられずに頭が真っ白になった。


 だが、やがてその真っ白な靄のようなものの向こうに、ぼんやりと人の顔が浮かんだ。

 今、一番会いたい人の顔。


 そして、


「逃げなきゃ……」


 と呟くと、鉄格子の錠を何とか開けようとがちゃがちゃと動かした。



 ――こう言う時、不識庵様であればどうしたであろう? 不識庵様なら……


 景勝は、苦悶と焦慮に手綱を握る拳を握りしめていた。


 上杉軍にとって唯一幸いだったのは、今は止んでいるが、先程までは雨が降っていた為に新発田軍が鉄砲を使うことができなかったことである。

 だが、それでも四方の闇より襲いかかって来る矢の雨の威力が弱いわけではない。

 馬を射られ、甲冑を射ぬかれ、次々と兵達が倒れて行く。

 あっと言う間に兵が半数近くまで減った。

 このままでは全滅は時間の問題である。


「放てっ! 放てっ!」


 囲みの外では、新発田重家自身が出て来て指揮を取っていた。


「今こそ積年の恨みを晴らす時ぞ、放てっ!」


 重家の声を枯らす大音声が響く。


 どうしていいかわからず、混乱に倒れて行く上杉兵達。


 やがて、新発田軍が全ての矢を射終わると、


「かかれっ!」


 重家の軍配が振り下ろされ、新発田兵達が手に手に刀や槍を持って上杉軍に襲いかかった。



「宇佐美!」


 景勝は、宇佐美龍之丞を見て叱咤するような大声をかけた。

 だが、龍之丞は、恐らく生まれて初めてと言える策の大失敗に、茫然自失としていた。


「……」

「宇佐美っ! しっかりせい!」

「お、御屋形様……」


 景勝の大声に、龍之丞は我を取り戻したようであった。


「宇佐美、どうする!」

「あ……」


 だが、激しい動揺に、龍之丞の頭は鉛の如くとなった。


 ――駄目か。


 景勝は唇を噛んだ。


(とにかくこのままでは全滅だ。退かねばならん)


 景勝は退路を探すべく、四方を見回した。

 しかし、四方は全て絶望的なまでに新発田軍に包囲され、未だ混乱している上杉兵は次々と倒れて行く。

 逃げられるような隙はどこにも見当たらなかった。


(俺の命も最早これまでか……。やはり俺は、所詮不識庵様の跡を継げる器ではなかったか)


 景勝の心の底を、無念と絶望、悔しさが広がって行く。


 だがその時、あちこちより、襲い来る新発田兵に応戦する上杉兵達の必死の叫びが聞こえて来た。


「ここが踏ん張り時じゃ!」

「御屋形様をお守りしろ!」


 景勝は、目を見開いた。


 矢の雨で散々に崩され、四方より包囲され、もはやそこに陣形も統制も無かったが、兵達は自ら気力を奮い起こして混乱より戻り、それぞれが手槍、刀を持って必死に新発田兵と斬り合い、一人が三人を相手にする奮戦ぶりを見せ始めていた。

 すでに敵の刃に倒れてうずくまっているにも関わらず、最後の気力を振り絞って立ち上がり、尚も戦おうとする者までいた。


「謙信公以来の……う、上杉の武を……見せてくれん!」

「今こそ御屋形様の御恩に報いる時ぞ!」

「御屋形様をお守りせよ!」


 一度は大混乱に陥ってしまったが、それぞれが互いに互いを励まし合い、口ぐちに檄を飛ばし、景勝を守ろうと必死に新発田兵を食い止めていた。


 この時代、越後上杉の兵と甲斐武田の兵は、その精強さを全国に轟かせていた。

 その勇名に恥じぬ上杉兵の見事な奮戦ぶりであった。


 そして、皆が景勝を守ろうと戦ううち、自然と景勝とその馬廻り衆を守るような円陣の形になっていた。


 景勝は唇を震わせてその光景を見つめていた。



 ――そうだ、俺は不識庵様になれなくともよいのだ。



 ――不識庵様は孤高の天才であったが、それ故に皆がついて行けぬところがあった。



 ――だが俺は、凡才であるが故に、皆が俺の為に倍の力を尽くしてくれる。



 景勝は、龍之丞を振り返って言った。


「宇佐美、軍配を寄越せ!」

「え?」

「早うせい! ここからはわし自身で指揮を取る!」

「は、はい」


 龍之丞は慌てて軍配を景勝に手渡した。同時に、目を擦って景勝を見直した。

 一瞬、景勝が上杉謙信に重なって見えたのである。



 ――これで良い。これが俺の道だ。



 軍配を手にした景勝は、素早く四方の戦線を見回した。

 そして、彼我の状況を確認すると、龍之丞に、


「とりあえずはこのまま、兵達の生きようとする力を引きだしつつ、徐々に陣形を整えながら戦う。そしてあそこを見よ。新発田の囲みはあそこが手薄になっている。あそこから兵を少し左右にどかせよ」

「はっ」

「そして、わしの馬廻り八十人を五隊に分け、まず第一隊をあそこに突撃させ、その後すぐに第二隊を突撃させる。第二隊が突撃したと同時に、第一隊は素早く退く。そして第一隊が退いた時、第三隊が突撃する。第三隊が突撃すると同時に、第二隊が退く、と言う具合に、五つの隊で次々に突撃をしかけるのだ」


 景勝が言ったその戦法に、龍之丞は思わず息を飲んだ。


「そ、それはもしや……」


 景勝は頷いて言った。


「車懸りの陣よ」

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