表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天哮丸戦記  作者: Samidare Teru
越後上杉家編
101/221

兵は詭道なり

 そして主将上杉景勝以下、およそ三千五百の軍勢が春日山城を出立した。


 見送りに集まった家族らが左右に居並ぶ中、主だった諸将、旗本、その他侍達が城下の大通りを進んで行く。

 その中に、借り受けた甲冑を纏い、馬に跨る礼次郎ら主従の姿もあった。


「三千五百の軍勢ってのは流石に壮観だね。城戸じゃこれだけの兵が集まるなんてありえなかったもんなぁ。そもそもまともな戦も無かったし」


 順五郎が驚嘆の声で軍列の前後を見回すと、


「まともと言えば、わしも久々にまともな合戦だ。腕が鳴るわ」


 壮之介は頼もしげに太い腕をさすった。

 千蔵はいつもの如く無言であったが、その顔にはいつもと違う意気込みのような色が見えた。


「三人とも頼むぞ、城戸の名を汚さぬ立派な戦いぶりを見せてやろう」


 礼次郎は並々ならぬ気合いの入った顔つきであった。


 そこへ、ゆりと喜多が息を切らして駆け寄って来た。


「良かった、間に合った」

「ああ、来てくれたのか」


 礼次郎が表情を緩ませ、ゆりを見下ろした。


 ゆりは、髪を綺麗に結い上げて花飾りのついたかんざしを挿し、華やかな桃色の着物を着ていた。

 見送る為にわざわざこのような装いに着替え、そしてその為に少し遅れたようであった。


 ゆりは、馬上の礼次郎ら主従の姿を見上げた。

 順五郎ら家臣三人の勇壮な姿も目を見張るものがあるが、彼女は、まるで絵物語に出て来るかのような礼次郎の凛々しい若武者ぶりに目を奪われた。

 程よい緊張感に包まれながらも、その瞳は強く輝き、口元には微笑が浮かぶ。そして身を包む煌びやかな甲冑と、跨る美々しい白馬が礼次郎の元々の美形の質をより映えさせていた。


 ゆりが思わず見惚れていると、


「どうした?」


 礼次郎は怪訝そうな顔でゆりの顔を覗き込む。

 ゆりははっと我に返り、慌てて笑顔を繕うと、


「あ、あの、気をつけてね」

「ああ」

「頑張ってね」

「もちろんだ」


 礼次郎は頼もしげに微笑み返す。


「死なないでね」


 ゆりが不安そうな顔になると、礼次郎はおかしそうに笑い、


「何言ってるんだ、大丈夫だよ」

「うん。あ、そうだ、これ持って行って」


 ゆりが急に思いついて首から何かを外し、馬上の礼次郎に駆け寄って渡した。


「これは……」


 礼次郎はすぐにわかった。

 それはゆりがいつも紐を通して首から下げている小さな観音菩薩の木像であった。


「お守り。ご利益はばっちりよ。きっとあなたを戦場で守ってくれるから」


 ゆりが照れながらも笑顔で言うと、礼次郎はそれを首からかけ、


「じゃあ借りておくよ。ありがとう」


 と微笑み、


「行って来る」


 礼次郎が手を振った。


「お気をつけて」


 ゆりはぎこちない笑みで手を振り返した。


 そしてしばらく礼次郎らの後姿を見送っていたのだが、やがて城下の先に見えなくなると、急に不安な気持ちになり、


「やっぱり私も行こうかな」


 と、呟いた。


「え?」


 側らの喜多が驚く。


「心配、私も行く!」


 ゆりが衝動的に駆け出そうとすると、喜多は慌ててその身体を押さえ、


「我らがついて行ってどうするのです。邪魔になります!」

「でも……」

「礼次郎様が腕が立つ事はよくご存知でしょう? 大丈夫です。それに伴の千蔵達三人どれも豪傑揃い、心配はございません」

「う、うん」


 ゆりは渋々喜多の言う事に従ったが、その顔にはまだ不安の色が残る。



(何でこんなに不安なんだろう? 戦に行ってしまうから? 違う、そうじゃない。礼次郎はきっと討死にはしない。でも……)



 ――どうしてかな? このままもう二度と会えなくなってしまうんじゃないかって気がしてならないの。



 嫌な予感が、ゆりの胸を締め付けた。



 春日山を進発した上杉勢は、野を歩き、谷を渡り、山を越え、途中三条城の甘粕景持とその手勢を加え、東島城のある要害山へ急いだ。


 途中、今回の作戦統括の宇佐美龍之丞は、通常の倍は放った軒猿らからの報告を絶えず受け取り、戦況の分析を進める。

 それによると、今も尚、東島城を包囲する新発田勢は囲むばかりで特に目立った攻撃をしていなかった。

 そして、龍之丞が睨んだ通り、どうも東島城要害山の西、白根と呼ばれる湿地帯の脇の森林地帯に新発田勢らしき一軍が潜んでいるらしかった。


(たつ)、お前の読み通りだな」


 駒を並べる兼続が、龍之丞に言った。


「ええ、ここまでは」


 龍之丞は、右手に持つ軍配で肩を叩きながらにやりと笑った。


「そう言えば旦那、何だよその兜の前立ては」


 龍之丞が苦笑して兼続の兜を指した。

 兼続が被っている兜の前立ては、"愛"と言う一字だった。


「仁愛の愛か?」


 龍之丞が笑うと、兼続はムッとして、


「たわけが。家中にもそのように言う者がいるが、戦乱の世に武将として生きる俺が仁愛の愛を前立てに使うわけがないだろう。これは、戦の神、愛染明王の愛だ。戦場でより強くあろうと決意を込めているのだ」

「ああ、なるほどな。不識庵様の毘に倣ったわけか」

「その通り。そもそも不識庵様も若き頃には……」


 兼続の長話が始まろうかと思われた時、景勝がそれを遮るかのように、


「では、予定通り、我らは白根を避け、要害山の東から迂回し、森に潜んでいる新発田勢の背後を突く!」


 大声で後に続く軍団に号令した。



 そして春日山を進発して三日目の朝、上杉勢は要害山の東、左手に東島城を望み、右手には能勢川と言う幅広の川がある平野を進軍していた。


 客将の身でありながら三百の兵を預けられ、軍の一翼を成して行軍していた礼次郎は、ふと疑問を感じた。


「壮之介。何かおかしくないか? 心なしか行軍速度が遅くなった。昨日まではあんなに急いでいたのに」


 背後を振り返って言うと、


「言われてみればそうですな。敵勢はもう近い。ここまで来れば逆に速度を上げ、一気呵成に森に潜む敵勢を襲わねばならぬのに、これでは敵勢にこちらの動きを気付かれる恐れもある」


 壮之介も疑問に首を傾げた。


「しかもだ。本庄越前殿の隊と、小山長康殿の隊がいつの間にか見えないようだ。どこに行ったんだろう?」


 礼次郎が前後左右を見回した。


 騎馬隊を率いる"鬼神"本庄繁長、鉄砲隊を率いる小山長康の両部隊が、いつの間にか軍中から消えているようなのである。



 その時、軍の先頭を進んでいた須田満親、斉藤景信らの隊が、彼方の異変に気付いた。

 同時に、放っていた斥候も戻って来てそれを知らせた。


「敵勢じゃ!」

「新発田軍だ、かなりの数がおるぞ!」


 渺々たる草地の前方の彼方に、突如として姿を現した一軍団。

 土埃を上げ、真っ直ぐに此方へ向かって来る。


「あれは三千はおる! 白根の森に潜んでいた兵がこちらに来たか!」

「どういうことだ。宇佐美の読みが外れたのか?」


 藤田信吉、色部長真らが顔色を変えた。



「真っ直ぐこっちに向かって来る。まるで俺達がここに来るのをわかってたみてえじゃねえか」


 城戸隊、順五郎が舌打ちした。


 だが礼次郎は冷静な顔で前方を見つめた。


「落ち着け。この距離であれば構えを取る余裕がある」



 上杉軍は俄かにざわつき、将兵の間に動揺が広がった。


 だが、中軍にある景勝、兼続、龍之丞の三人は、その報を受けても顔色を変えることはなかった。

 景勝は龍之丞を見て、


「宇佐美」


 と、促すように言うと、龍之丞は、はっ、と頷き、


「狼狽えるな! この距離があればこちらも布陣を整える余裕がある。それに今は疲労も少ないであろう。その為に行軍速度を落としたのだ!」


 まるでこれを予期していたかのように冷静に言い、


「我が言う通りに展開せよ」


 軍配を片手に、伝令の兵らに細かく指示を伝えた。




 そして対する彼方の新発田軍。


 軍の先頭にある主将新発田因幡守重家が大笑して言った。


「我らの策を見破った上で白根の森に潜む我らを逆に奇襲しようとは妙計であるが、まさかそれまでも見破られて我らがここに待ち受けていようとは思いもしなかったであろう!」


「流石だな」


 側らの仁井田統十郎が感心した。


「兵は詭道なり。義だ何だと言っても所詮戦は騙し合いよ。景勝の小僧には未だわからぬであろう。ましてや直江の如き口先だけの者にはな」


 重家が笑うと、背後にいる樫澤宗蔵と言う軍中でも屈指の猛将が、


「殿、さあ早く御下知を! 上杉軍は慌てふためいている事でしょう。この機に一気に突き崩しましょう」


 血気盛んに急かす。


「うむ、では者ども、景勝に目にものを見せてやれ! かかれいっ!」


 重家が軍配を振り上げた。


 その号令の下、新発田軍が鬨の声を上げて駆け出した。

 中央突破に有効とされる魚鱗の陣形を組み、砂塵を上げて上杉軍目がけて突撃する。



「来たぞ、構えよ!」

「弓隊、前へ!」


 対する上杉軍、龍之丞の命令により、すでに心を落ち着かせ、陣形を整えていた。

 取った構えは迎撃、包囲に有効な鶴翼の陣。

 だが、その陣形は少し変わっており、中央が縦にやや厚く、また左翼の長さに対し、能勢川に近い右翼の兵は短く途中で切れたような形になっていた。


「新発田よ。上杉軍は策を見破られ、今頃は慌てふためいている、とでも思っているのだろうな」


 宇佐美龍之丞は軍配を右肩にトントンと叩きながら呟き、


「兵は詭道なり。所詮騙し合いよ」


 彼方より殺到して来る軍勢を見つめ、楽しげににやりと笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ