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天哮丸戦記  作者: 五月雨輝
越後上杉家編
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軍議

「あの宇佐美定満殿の……」


 礼次郎は驚いた。

 越後の龍、軍神とも称された戦の天才、上杉謙信を影で支えた伝説の軍師、宇佐美駿河守定満。

 龍之丞はその息子だと言う。


「まあ、俺はまだまだ親父には及ばないけどな」


 龍之丞はそう言って笑ったが、その目はとてもそう思っているように見えなかった。

 明らかに己への自信に満ちていた。

 雰囲気も先日城下で会った時とは一変していた。

 無精髭とざんばら髪と言う風貌こそ同じであるが、先日の酒と女にだらしない、どこか軽く浮ついた雰囲気とは違い、今は才気に溢れる戦術家、と言った雰囲気である。


「何だ(たつ)、礼次郎殿と顔見知りだったのか?」


 兼続が意外そうに言うと、


「ええ、先日、ちょっと城下で色々ありまして」


 龍之丞は苦笑し、


「礼次郎殿、あの時は誠にすまなかった。どうかお許しを」


「え? いや、もう、お気になさらずに。上杉家のご家臣とは知らず、こちらこそ無礼をいたしました」


 逆に礼次郎が恐縮してしまった。


 兼続が言った。


「礼次郎殿、紹介しておこう。そこの龍之丞は、今当人も言った通り、あの宇佐美駿河守殿の子息。そして、駿河殿同様に、今の我が上杉家の軍法戦術を統括している」


「そうでしたか」


 礼次郎はますます驚く。


「だが、どうやら礼次郎殿もすでに知っているようだが、素行に大いに問題があり、昨年家中の者と喧嘩騒ぎを起こして蟄居謹慎処分となり、つい先日それが解けたばかりなのだ」


「いや~、約一年の謹慎は辛かったですぞ」


 龍之丞が白々しく言って笑うと、


「たわけが。知っておるぞ。影武者を屋敷に置いてこっそり旅に出たり、堂々と城下の酒屋で酒を飲んだり遊郭に入ったりしておったであろうが」

「ははは、流石旦那の目は誤魔化せねえな」


 そう言った龍之丞だが、その顔は少しも反省の色が見えない。


「全く……まあよし、龍、座れ」

「承知」


 と龍之丞は兼続の向かい側に座った。


 兼続は、左右二列の席の間に置かれた卓の上に絵地図を広げ、


「では簡潔に今の戦況を説明いたす。新発田重家自ら率いる新発田勢は、昨日早暁、新津城を急襲し、これを奪取した。城将の新津丹波守殿は、新津城南東の要害山に立つ東島城に退却したが、新発田勢はそのまま東島城をも攻撃した。東島城は持ち堪えているものの、今も尚新発田勢による攻撃と包囲は続いている。城を囲む新発田勢、その数およそ一千。対して東島城に詰める兵は六百」


「一千に対して六百か。籠城しておれば守ることは容易いと思うが」


 須田満親が言うと、


「その通り。だが、蘆名が新発田を支援し、東島城に兵を出すかもしれんと言う情報が入っているのだ」

「何、蘆名?すでに手切れとなっていたのではなかったか?」


 藤田信吉が驚くと、兼続は言葉を補足して、


「わしもそう思っていた。だが、最近の軒猿(上杉家の忍び)から頻繁に上がって来る報告によると、どうもまた蘆名が新発田を支援し始めたらしい。蘆名が対立する伊達への対策であろう」

「なるほど。であれば見過ごせぬな」

「うむ。だが、周辺諸城の兵数は少なく、とても後詰めを出す余裕は無い。新潟津の木場城、新潟城の両城は兵を多く置いてあるが、新潟津は戦略上の要衝。ここから兵を出すわけにはいかん。だが要害山の東島城もまた要地。そこで急遽春日山から援軍に向かう事となった」


 兼続が居並ぶ諸将を見回した。


「前回の戦では、山城殿の策であと一歩と言うところまで因幡めを追い詰めたが、何故か最後に策を見破られ、因幡に逃げられてしまったな」


 藤田信吉が言うと、


「うむ、今度こそ奴の首を取ってくれるわ」


 豪快に言う上杉家一の猛将、本庄繁長。


「しかし解せぬ。新発田とは長らく新潟津を巡って争っておる。それが何故急に新津城、東島城を?しかも新発田因幡自らが率いて来るとは」


 色部修理大夫長真が腕を組んで言うと、


「単純な事よ。新潟津をなかなか奪えぬので戦略を変えたのであろう。ちょうど新津、東島は防備が手薄となっていたからな」


 小山長康が笑みを浮かべて言った。


 宇佐美龍之丞は小山をじっと見て、


「であればいいがねえ。そんな単純かな?」

「む……何だ? まだわしを愚弄する気か?」


 先程の怒気が抜け切っていない小山は眼を吊り上げたが、


「いやいや、他意はござらん。そう思ったまで」


 龍之丞は手を振って弁解する。


「まあ、いずれにせよ急ぎ要害山へ向かい、東島城を囲んでいる新発田勢と一戦するのみじゃ。相手はたかが一千、ものの数ではない。一気に蹴散らしてくれよう」


 そう、早く槍を取りたくてたまらぬ、といった感じで本庄繁長。


「うむ。とりあえずは東島城の囲みを解かねばならん。我らは要害山への街道を最短で急行する」


 と、兼続が言った。


 礼次郎は、それまでじっと黙って諸将の話し合うのを聞いていたのだが、ふと何かの違和感に気付いた。


 ――急行? うん?


 だが、その違和感が何なのかはっきりとわからず、また自らの立場とその場の雰囲気からして口を開きにくかった。


 すると、それまで黙っていた景勝が言葉を発した。

 だが、それは龍之丞に向けてであった。


「宇佐美、何か言いたそうだな」


 龍之丞はざんばら髪を垂らし、じっと黙って絵地図を見つめると、


「はっ。一千、確かにものの数ではございませんが、六百の兵が籠る城に対してはやけに少なすぎませんか?」


 顔を上げて諸将を見回した。


「確かにそうだが……蘆名の兵を待っているのではないか?」


 との斉藤下野守景信の言葉に、


「それならば最初から蘆名の兵を待ち、共に一気に攻めればよい。蘆名の兵を待ちながら少数の自分達だけで城を攻撃するなど損害が増えるだけだ」


 龍之丞が再び絵地図に視線を落として言った。


 その時、礼次郎ははっと気がついた。

 先程から感じていた違和感の正体に。


 彼は、思いきって発言した。


「あの、すみません。誘いではないでしょうか?」


「誘い?」


 一同が、一斉に末席の礼次郎に視線を向けた。


「ええ、その意図はよくわかりませんが、我らが東島城に援軍に来るように仕向けているのではないでしょうか?」


 礼次郎が少し緊張しながら言うと、龍之丞は愉快そうな笑みを見せ、


「その通り!」


 と、手を叩いた。


「近頃頻繁に蘆名が新発田を支援し始めたと言う情報が上がって来るのも、新発田がわざと流した偽の情報なのでは……」


 礼次郎が続けて言うと、龍之丞は楽しげに笑い、


「鋭いねえ。流石は源氏の名門の血筋だけある!」


 と言い、すぐに真面目な顔に戻ると、


「実は私も自身の軒猿を放っているのだが、そこから上がって来る情報によると、新発田勢はだらだらと包囲するばかりで、どうも本気で東島城を攻撃しているようには思えないのだ」


「本気ではない?」


「うむ。それは何故か?我ら春日山の軍勢が援軍に来るのを待っているのではないか?」


「何? と言うことは……」


 察した藤田信吉が言うのと同時、


「そう、伏兵だ。新発田勢は、蘆名も兵を差し向けると言う情報まで聞いて慌てて援軍に来る我らを、どこかで待ち伏せし、奇襲をかけるつもりなのではないか?恐らく城を囲んでいる一千と言うのは囮の軍勢。他に主力が一千五百から二千程がどこかにいるはずだ」


 龍之丞が言う。


「ふむ。ではもしそうだとして、新発田はどこで我らを待ち伏せするつもりだ?」


 藤田信吉が問うと、龍之丞は人差し指を地図に落とし、


「奴らが、我々が最短距離で要害山の東島城へ向かうと思っているならば、恐らく山の西側、この川の手前の白根と呼ばれる湿地帯だろう。ここの脇にはちょうど兵を伏せるに手頃な森がある。」


「なるほど。森に潜み、湿地のぬかるみと川を渡るのに手間取る我々を奇襲するつもりか」


 兼続が頷くと、


「恐らく」

「では我々はどうすればよい?」


 龍之丞は一瞬考え込むと、地図の上で指を走らせ、


「少し遠回りになりますが隠密に要害山の東側に回り込み、迂回して奴らの潜む森の背後に出ましょう。そして一気に森に潜んでいる奴らの背後を攻撃するのです」


「なるほど、逆に奇襲を仕掛けるわけか」


 本庄繁長が膝を打った。


「やはり流石は龍之丞、見直したぞ。先程の無礼は許してくれ」


 小山長康も人が変わったように龍之丞に笑みを見せた。


「はは……まあ、まだこれが当たると決まったわけじゃないけどな」


 龍之丞が苦笑した時、一人の兵がやって来て跪き、


「小山様、ご家臣の藤島三之助殿が急用との事ですが」


「三之助が? 妹に何ぞあったか?」


 顔色を変えた小山は景勝の顔を見た。

 景勝は無言で頷くと、小山は、


「では、しばし失礼いたす。御免」


 と、その場を足早に出て行った。


「小山殿も大変だのう。大切な妹君が病とは」


 一同が同情の声を上げた。


 龍之丞は出て行く小山の背を見送ると、


「俺の言いたい事は以上だ」


「よし、ではその作戦で行くか。御屋形様、如何でしょうか?」


 兼続が顔を伺うと、


「よかろう。では早速出陣じゃ」


 景勝が立ち上がって号令した。


「おう!」


 と、口々に気合いを入れ、諸将が出立するべくその場を出て行った。

 もちろん、その中に礼次郎の姿もある。


 その後、景勝と兼続の二人だけは残り、何か細事を話していた。

 そこへ、皆と共に出て行ったと思われた龍之丞が引き返して来て、


「あの城戸家の坊ちゃん、なかなかやるぜ」

「ああ、この数日間、何度か話をしたり行動を見ていたりしたが、名将となる素質たっぷりだ」


 兼続が微笑を浮かべて返したが、訝しんで、


「どうした?そんな事を言う為に戻って来たのか?」

「まさか。御屋形様、旦那、今話した作戦の事でちょっとな……耳を貸していただきたい」


 と、龍之丞は景勝と兼続の耳に何か囁いた。


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