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ウルトラ・ガーネット ――花嫁の翼――  作者: 佐倉 いつき
第2章  ハイランダー
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4.邂逅

「――うそつき」


 シェリルはそう言って唇を尖らせた。


「仕方ないだろう? 俺たちが『反逆者』扱いになったのは誰のせいだと思ってるんだ」


 ラウルは地面すれすれの高さでウルフドッグⅡをホバリングさせ、後部席に座るシェリルに向かってつまらなさそうにそう返す。

 シェリルが答えないので、ラウルはため息をついてウルフドッグⅡの舳先に視線を移した。

 目の前に広がるのは、錆びた線路と使われなくなった車両基地。回転台ターンテーブルを中心に放射状に敷かれた線路の上には、捨てられて人の手を離れた蒸気機関車が数台、野ざらしにされている。


「そもそも俺たちはそうでなくてもお尋ね者なんだ。しかも今のサドレアは厳戒態勢ときてる。――のこのこ顔を出してみろ、君は結婚式場の控え室、俺はかび臭い独房が待ってる」

「サドレアが、厳戒態勢……?」

「――そうか、君は知らなかったな。明日、十二月二十五日の降臨祭にあわせて、サドレアのどこかで極秘のサミットが行われるらしい。帝国の宰相を始め近隣国のお偉方が一堂に会すんだって、軍も保安隊も各地から呼び集められているんだ」

「サミット……? そんな話、誰も知らないわ」

「誰も知らないから『極秘』なのさ。……きっとこれまでも繰り返されてきたはずだ。そうじゃなきゃ、十年以上も前のお粗末な休戦協定が()()()()()()()()()()()()()。明日だって()()()話し合いがひっそりと行われるんだろう」


 信じられない、とでもいうようにシェリルは絶句した。

 だが『信じられない』とその通り口にすることはなかった。ラウルの言葉に一定の説得力があることを、彼女も理解していた。


「気にしなくていいさ、俺たち市民は何も知らない顔をしていれば良いんだ。――そんなことより、要するに君を『約束の地』へ送り届けるのは俺たちじゃなく他の真っ当な運び屋じゃなきゃならないってことだ」


 話なら、もうついていた。

 ウルフドッグⅡに装備している無線機を通してシルヴィーナに現状を報告、さすがのシルヴィーナも今回ばかりは怒る気力も失ったらしく、苦肉の策として彼女のツテをたどってサドレアの運び屋を手配してくれた。

 シルヴィーナのそんな対応に、正直ラウルは驚いていた。

 きっとキディやレオーネたちのように、そんな面倒な荷物は放ってさっさとウェディングドレスだけ運びなさいとでも言われるかと思っていた。エルモの雇い主としてはむしろそれが当然だともラウルは思う。

 だが、実際にシルヴィーナの口から漏れたのは、それとはまったく対照的な言葉だった。

 曰く、


『気が済むまでやってらっしゃい』と。


 そのあと小さな声で、


『親が親なら子も子ね』とつぶやくのが聞こえた気がしたが、ラウルは聞こえないふりをした。


『お嬢様のお迎えは私が用意しておくわ。後のことは彼に任せなさい、昔は正規軍のウィンド・ビークル部隊にも所属していた、信頼できるウィンド・ビークル乗りだから。……いま、サドレアの前にいるんでしょう? ならそうね、待ち合わせ場所は――』


 ――機関車の墓場。


 それがこの場所の名前だ。

 かつて大鉄道時代の全盛期に活躍していたのであろう車体には苔が生え、蔦が巻き付き、そこに根を張っているようにしんと静かに佇んでいる。次に人の手が触れるのは新しい戦争が始まるときだろう。今回の極秘サミットで何かの間違いが起きれば、ここの線路も機関車も、すべて鉄くず経由の銃弾行きだ。


「………最後まで運んでくれるって言ったのに」


 聞き分けのない幼児のように、シェリルはまだそんなことを言っている。


「そう言うなよ。俺だって、一度請け負った荷物を途中で他の誰かに託すのは不本意なんだ」


 ラウルもまた一段と不機嫌そうに低い声で唸った。

 それに、懸念事項はそれだけではない。

 ディーノを襲ったシャーロット家の私兵隊。彼らは躊躇なく当主の孫娘たるシェリルに銃を向けた。一瞬のことで気付かなかったという可能性もある。だが彼らもディーノにシェリルが搭乗していることは分かっていたはずだ。

 何かが心の奥に引っかかる。

 だが、ラウルの思案もそこで終わった。彼女の迎えがやってきたからだ。


 空気を震わせるエンジン音とともに、一台のウィンド・ビークルが空から近づいてきた。

 濃紺のボディに、銀色の光の粒子を振りまく両翼。汎用ウィンド・ビークルに比べればやや小柄で、角張った無骨なフォルムは、何となくキディのビークル・フォームに似ているような気もする。必要最小限に抑えられたむき出しのベイガング装置も、そのマシンの機能美をさらに際立たせていた。

 ラウルがひと目見て嘆息したそのウィンド・ビークルは、木の上の猫が地面に飛び降りるみたいに素早く、しなやかに、地響きひとつ立てることなく着陸し、さらにラウルを感心させた。

 腕の立つハイランダーだ、と一目で分かった。

 決して扱いやすいマシンではないはずだが、それをあれほど滑らかに、まるで自分の手足みたいに扱うとは、シルヴィーナが推すだけのことはある。

 心の奥に引っかかっていた何かは、すぐに消え去った。


「シェリル、ここでお別れだ。……ともだちに会えるといいな」


 だが、ホバリングするウルフドッグⅡの後部席に座るシェリルは動く気配を見せず、ラウルは少しだけ焦って振り返った。


「シェリル――」

「うるさい」


 間髪入れずそう言い返したシェリルは、同時にラウルの背中を突き飛ばし、ラウルが振り返るのを拒んだ。ラウルが横目で送った視線が、うつむくシェリルの姿を捉えた。


「……うるさい、ばか」


 シェリルは震える肩で何かをこらえるようにうつむいて、もう一度そう言った。

 そして、うつむいたまま後部席からパッと飛び降りる。

 ラウルには一度も目を合わそうとはしなかった。だが、その少し寂しそうな背中で、


「その――、ありがとう。…………お願いを聞いてくれて。私を、助けてくれて」

「シェリル………」

「――うそつき」


 シェリルは最後に小さな声でそう言い残し、サドレアの運び屋の方へと歩き出した。

 責めるでも、激昂するでもなくそう言ったシェリルの言葉に、ラウルは息をのみ、言葉を失ってしまった。

 少しずつ小さくなっていくシェリルの背中を目で追いながら、ラウルの胸の中には言い訳ばかりが浮かんでは消えた。


 ――だって、しょうがないじゃないか。俺たちは賞金首で、犯罪者だ。


 相手は貴族のお嬢様で、これから大事な結婚式を控えていて、それは今の反マキナ政権によって虐げられているたくさんの人たちにとっては希望の光なのだ。

 その希望を、失ってはいけない。

 その光を、独り占めしてはいけない。


 ――そうだ。

 彼女があまりにまぶしすぎて、明るすぎて近づきすぎた。そばにいるのが心地よすぎて、いつの間にかずっと一緒にいたいと思ってしまっていた。

 彼女の仕草に、声に、笑顔に、手のぬくもりに、――近づきすぎた。

 蝋で固めた翼は、太陽に近づきすぎると溶けて散ってしまう。これ以上近づけば、ラウルだって――。


 ――だけど。

 それでも。

 ラウルは、彼女を引き留める口実を必死で探していた。


 ふと、サドレアの運び屋と目が合った。

 濃紺のウィンド・ビークルに乗っていたハイランダーは、ラウルが想像していたよりもずっと小柄で、華奢で、それはまるで――少女だった。

 銀色のミディアムショートヘアは前髪をまっすぐに揃えられており、その下の瞳はヴェネチアン・マスクのような仮面で隠されていた。

 その口元に、笑みが浮かんだ。


「――シェリル!」


 即座にそう叫んだのは、ラウルがそう叫びたいのをぐっと堪えていたからかもしれない。

 だがそれ以上に、悪い予感がラウルにそうさせた。


 ぴくり、と肩を跳ねさせ、シェリルは歩みを止める。

 ちょうど、ラウルと銀髪の運び屋とを結ぶ直線の中点で、シェリルは後ろ髪を引かれるように小さく振り返った。

 ラウルと視線が交錯する。だがラウルの瞳に映っていたのはシェリルの向こうの、一台のウィンド・ビークル。キディのビークル・フォームによく似た雰囲気の――。


 ――いや、違う。

 そうじゃない。

 同じなのだ。

 ()()は、ビークル・フォームだ。

 設計開発が確立されつつある現代のウィンド・ビークルは、すでにマキナのビークル・フォームとは見分けがつかなくなってきている。両者を見ただけで判別するのは至難の業だ。それでもラウルは、自分の直感を信じた。


「待て、シェリル。――()()()()


 慎重に言葉を選ばなくてはならない。

 なぜならラウルは空を飛ぶ以外には能のない生粋のハイランダーで、ここ地上ではまるで役に立たないでくの坊で。

 いつも彼を守ってくれるキディという相棒はいま、ディーノからウェディングドレスを奪還するためにもっぱら戦闘中のはずだ。じきやってくると言ってはいたが、あの戦闘マニアがどのあたりで飽きて待ち合わせ場所に現れるかは分からない。


『待ち合わせ場所は――機関車の墓場』


 シルヴィーナの伝言が脳裏によみがえる。


『後のことは彼に任せなさい』


 シルヴィーナは、()()()、とは言わなかった。


『信頼できるウィンド・ビークル乗りだから』


 ウィンド・ビークル乗り、と。

 シルヴィーナはわざわざ言った。

 契約者(バディ)ならあえてそんな言い方はしないはずだ。


「……忘れ物?」


 と怪訝な表情で首をかしげるシェリル。

 当然だ。彼女は手ぶらでディーノに転がり込んできた。はじめから忘れるものなど何も持ち合わせてはいない。

 下手なことは言えない。怪しまれれば、戦闘になる可能性もある。そうなればもはや勝ち目はない。

 だが、気の利いた言葉は何ひとつ思い浮かばず、ラウルはただただ何かを訴えるようにシェリルを見つめた。


 シェリルが何かを察したように目を少し見開いた、その時。

 先に動いたのは銀髪のハイランダーだった。

 あまりに自然な飛翔開始で、ラウルはそれに気付くのにほんのコンマ数秒遅れた。ほぼ同時にラウルは地を蹴りウルフドッグⅡは風を切ったが、そのコンマ数秒が致命的だった。

 銀髪のハイランダーはあっという間にシェリルの前に立ちはだかり銃を構えた。


 ――やはり、敵だった。


 悪い予感が当たったことを、後悔する暇はなかった。

 一直線に突っ込むラウルの額に寸分の狂いもなく弾丸が放たれる。銃声が耳に届く一瞬前、ラウルは左右に避けるでも上に躱すでもなく、機体をローリングさせた。天地が反転する直前、超低空飛行していたウルフドッグⅡの翼が地面に突き刺さる。巻き上げられた砂利が銀髪のハイランダーめがけて降り注ぎ、ウルフドッグⅡは反動で上空に跳ね上がった。


 一発目の銃弾は翼の脇をすり抜け、二発目の弾丸は弾倉から撃ち出されることなく、銀髪のハイランダーは砂利を避けるように横飛びした。そして後ろに跳び距離を取る。

 空中できりもみし、コントロールを失った――いや、そう思われた――ウルフドッグⅡは、左右の翼から不均等に光の粒子を噴射し、ばたばたと不格好に暴れながら、地面にたたきつけられる一歩手前で、斜めに傾いたまま空中で静止した。


「………な!?」


 銀髪のハイランダーが初めて漏らした言葉は、驚きの混じったものだった。

 まだ幼さの残る甘い声。彼女がすぐに構え直したオートマチックの拳銃とは対照的だ。

 慎重に、かつ迅速に。ラウルは次の発砲に備えてウルフドッグⅡを上空へ持ち上げた。


 このウルフドッグⅡというマシンは、もともと軍事用に開発されたウィンド・ビークルだ。タンクは厚い鉄板で補強され、翼もバルクレイター機関を覆うようにカウル形状をしていて、多少の銃弾を浴びても飛び続けることができる。

 唯一の弱点はセイラーミセルの吸入口だ。ここはそのサイズの小ささから、まず流れ弾が当たることはないが、万が一破壊されればセイラーミセルをエンジンに送り込むことができなくなり、触媒を失ったエンジンはパワーダウンし、飛翔力を失ってしまう。

 万が一にもそんなことがないように、ラウルは不規則な曲線を描きながらシェリルのもとへと飛ぶ。こうしていれば、万が一は起こりえない。


 ――だが、起こりえないことが、起こってしまった。

 放たれたのはたった一発の弾丸だった。ラウルがハンドルを切り返し、曲がりかけたその瞬間、わずかな衝撃の後、大きな振動がウルフドッグⅡを襲い、翼からは光の粒子が絶えた。たまらずラウルとウルフドッグⅡは地面に落ち、滑り、小さな岩にぶつかって跳ね、そしてシェリルの目の前で止まった。


「ラウル!」


 シェリルの叫び声が聞こえる。

 シェリルの今にも泣きそうな顔が見える。

 だがラウルの手は、彼女には届かなかった。腕も足も痺れて動かない。指は動くが、力は入らない。

 ウルフドッグⅡも同じだった。エンジンは辛うじて動いているが、煙を上げて横たわっている。おそらくもう飛べないだろう。吸入口をやられた。


 信じられなかった。拳銃の弾丸で、こぶし大ほどの吸入口を射貫いたのだ、彼女は。

 腕が良いと言うだけでは説明できない。ラウルの動きを予測でもしない限り、狙ってできる芸当ではないのだ。


 ――偶然か?


 二十ヤードほど離れたところで銃を下ろした銀髪の少女の口元にはまた不敵な笑みが浮かんでいて、偶然ではないのかもしれない、とラウルは思った。

 少女の頭上には、――それは驚くことに――光の粒子が集まったような、言葉で表現するならば魔法陣のような円陣が浮かび上がっていた。その色は彼女の髪の色と同じ、銀色。

 ラウルにはそれに見覚えがあった。

 だからこれはやはり偶然ではないのだ、と確信した。

 そして同時にもうひとつ、確信する。これは窮地だ、と。


「は、しれ――シェリル」

「――え?」


 シェリルは問い返し、すぐに怒ったようにラウルに駆け寄った。


「走れって、逃げろってこと!? あなたを置いて? どこへ? あなたを見捨てろって言うの!?」


 その言葉を聞いて、ラウルは自分が以下に浅はかだったかを思い知った。

 ラウルは、シェリルを見誤っていた。身に危険が及べば、自分の命を最優先して逃げ出すものと思っていた。

 それは、彼女が自分と同じくルール無用のスラム街出身だと知ってしまったからなのかもしれない。

 それとも、自分勝手な貴族の色に染まりきってしまっていると思い込んでいたからだろうか。

 だが彼女はそのどちらでもなく、真っ先にラウルの身を案じた。

 ラウルはたまらなく悔しくて、表情には出さずに唇を噛んだ。そして傷んだ肺でもう一度、シェリルに訴える。


「お願いだから………、逃げてくれ、シェリル」


 銀髪の少女から。そして――


「シェリル………、()()()から離れろ……!」

「――え?」


 シェリルの背後で、銀髪の少女が乗っていた濃紺のマシンがかっと光り、その()()()姿()を現した。

 一陣の風がシェリルを包み込む。

 光が消えると、そこに立っていたのは一人の青年だった。彼もまた若い。短い黒髪に濃紺の翼。目元は相方の少女と同じく仮面をつけていて、表情は読みにくい。


 彼の腕は、すでにシェリルを捕らえていた。

 頭ひとつ分シェリルよりも背の高いそのマキナの青年は、シェリルの首を後ろから羽交い締めにし、シェリルはそのたった一本の細腕のせいで身動きが取れなくなった。

 ぎり、と遠くの方で音が聞こえた気がした。

 それは、ラウル自身の歯ぎしりの音だった。

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