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ウルトラ・ガーネット ――花嫁の翼――  作者: 佐倉 いつき
第2章  ハイランダー
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3.花嫁の翼

 突然の銃声に、慌てて窓から顔を出す。

 二両目の壁に貼り付くひとりの影。風になびくは赤いショートヘア。ちょうど屋根の上へと続く梯子に手をかけたところらしい。

 屋根にあるものと言えば昼寝用のハンモックと中古品の機関銃だけだが、前者に用があるわけでないことだけは確かだ。


 後方を振り返り、彼女の()()()()を視認した。

 澄んだ東の空に確かに響き渡るエンジン音。紛れもない、ウィンド・ビークルのそれだ。

 どうやらすでに取り囲まれつつある。


「ま、待て、キディ! そいつはいざという時の秘密兵器じゃ。非常時以外は……!」


 レオーネの必死な叫び声が聞こえてきた。

 取り乱すレオーネの様子が目に浮かぶ。けれど、もう手遅れだ。

 あらん限りの弾丸を残らず撃ち尽くすまで、彼女は引き金を引くのをやめないだろう。ラウルの予想通り、彼女は制止を振り切って銃座に飛び乗った。


「今が非常事態だろ、レオーネ!」

「……待てぇ言うとるじゃろうが! ワシの機関車を戦場にする気かぁや!?」

「冗談よせよ、レオーネ。とっくの昔に、――ここはもう戦場さ!」


 言うや否や、キディはそのいくさ場に二番槍を突き立てた。

 けたたましい銃声とともに無数の六ミリ弾が弾幕を張る。数秒の時間差で空から反撃の銃弾が襲いかかった。

 襲撃者は十人を下らない。みな高機動のウィンド・ビークルを駆り、軽機関銃で応戦する。数発の銃弾が『ディーノ』の鉄の車体を抉った。

 ラウルは思わず窓から出していた頭を引っ込める。


 形勢は俄然不利だ。

 だが、そんなことよりも重要なことが他にあったことに、ラウルたちはまだ気付いていなかった。

 形勢などキディの前では意味をなさない。問題なのは()()()()()()()()()()()()()()()ということだった。


「………だめ」


 その光景を見ていたシェリルが、何かに気付いたように顔を青ざめさせる。


「撃っちゃ、だめ。あれは――空賊なんかじゃない!」

「――なに?」


 シェリルの口から襲撃者の正体が明かされる。

 それを聞いて青ざめるのは、今度はラウルの番だった。

 震える足で一目散に機関室まで走り、ラウルはキディに向かって叫んだ。


「キディ! やめろ、撃つな!!」


 そう言ったところでキディがやめるはずないなんてことは百も承知だ。

 だが次の言葉を聞くと、キディも思わず引き金を引く指を戻した。


「そいつらはシャーロット家の私兵隊だ!」

「………………は?」


 キディはしばらくそのまま固まって、その言葉の意味を思索した。理解するまでの数秒間、彼女の傍らを数発の銃弾がすり抜ける。

 そして、キディはまるで叱責するみたいに怒鳴った。


「なんだって!? どうしてそんな奴らが――」

「一人娘を奪った()()()を追いかけてきたんだろう! 相手は貴族だ、いいから撃つのをやめろ!」

「どうして私兵隊だと分かる…!?」

「マシンのボディを見れば分かるわ。あれが本物のシャーロット家の家紋。それを付けることが許されるのはシャーロット家の隊機だけ」と、遅れて追いついたシェリルがキディを見上げた。


 見定めるように、キディはぎらついた瞳をそのままシェリルに向ける。気丈にもシェリルはキッとキディを睨み返した。


「――嘘はついていない。ウォルフ神に誓って」

「おい、キディ!」


 血色を変えて叫んだのはレオーネ。


「お尋ね者はごめんじゃ。今すぐ撃つのをやめろ。ワシら真っ当な運び屋を巻き込むな!」

「………何の警告もなしに撃たれたんだ」

「真っ先に仕掛けたのはお前の方じゃろうが、キディ!」


 キュン、と跳弾が車内に飛び込み、レオーネはたまらず跳ね上がった。


「一機でも墜としてみぃ、シャーロット家に言い訳できんようになる。ほんまもんの誘拐犯になっちまう!」


 途端に不意に気まずそうに顔を逸らすキディ。レオーネの表情に苦みが増した。


「おい………。ちょっと待て、まさか……墜としたんか?」

「………あ、ああ」言いにくそうに、キディはうなずく。

「い、一機、いや二機くらいなら許してくれるかもしれん。殺しちゃおらんのじゃろう?」

「ば、馬鹿いえ、こんな()()()で殺せるわけ――」

「――何機墜とした?」

「………………十から先は数えないことにしてるんだ」


 レオーネは天を仰ぎ顔を覆った。


「と、とにかく、状況を説明しよう。今なら何とか分かってくれるはずじゃ」

「だ、だめよ!」と、割って入ったのはシェリルだった。

「もしも捕まったら、私はあなたたちに攫われたと言い張るわ。あなたと私、どちらの言葉を信用するかしら」


 震える声で、だがはっきりとシェリルはそう言った。

 かちん、とキディの頭の中で何かの音が鳴るのに気付いた。慌ててラウルはシェリルの名を呼んで制止したが、もう遅かった。


「お前、………自分が何を言ってるのか分かってるのか?」


 降り注ぐ銃弾の嵐を気にもせず、怒りの矛先はすでにシェリルに向かっている。

 ラウルにはもう止めようがなかった。何たって、シェリルお嬢様の方に止まる気配がないのだから。


「好都合なのはあなたの方でしょう? 思う存分、好きなだけ暴れればいい」

「そして捕まればあたしたちは貴族に刃向かった反逆者だ」

「……捕まれば、でしょう?」


 強気なお嬢様だ。

 ラウルが彼女の立場なら同じことはできない。たとえどんな深い事情があったとしても、だ。何故なら目の前に対峙している女は、この世でドラゴンの次に恐ろしい女なのだから。


「――へぇ」とキディは感心したようにつぶやき、ラウルは何か恐ろしいものでも見たみたいにぎょっとして目を見開いた。


 この世で二番目に恐ろしい女の口元に、笑みが浮かんでいた。


「あははっ。……あたしを脅しているのかい、お嬢様」

「これは脅しなんかじゃない。私はただ、仕事を依頼をしてるだけ。仕事が済めば、すべて私の口からみんなに説明するわ。あなたたちに迷惑はかけない」

「…………ふふ、はははっ。………面白いな、お前」


 色を変えたのはレオーネの方だ。

 自分がどれくらい取り乱しているかをその大きな身振りで教えてくれた。


「じょ、冗談じゃろ、キディ!? 分かっとんのか? そこらのお尋ね者とは違う。貴族を敵に回すんじゃ。……()()()になるんじゃぞ!?」

「何言ってる。――それが面白いんじゃねぇか!」


 キディの判断の基準はいつもこうだ。

 つまり、『おもしろい』か、『つまらない』か。シェリルの持ち込んだ『依頼』は、どうやらキディの眼鏡にかなうほどの厄介事であるということらしい。

 こうなったらもうキディを止められる人間はいない。


「よく笑っとれるのう……。……これで晴れてワシらもお尋ね者の仲間入りじゃ」

「なに、ティフェルヴァルト卿がいつもの口車で何とか丸め込んでくれるさ」


 ミレニア運送の出資者にしてパトロンでもある人物の名を口にしてキディはこともなげに言った。

 保安隊の上層部とも懇意である彼の力があるからこそ、有限会社ミレニア運送のやや乱暴と言えなくもない職務は咎められることなく全うされうる。誠に遺憾ながら怪我人、物損の絶えない職場であるが、それが許されているのもFANTOM局長ティフェルヴァルト卿の御力に所以するものに他ならない。

 本来ならば感謝に堪えない至極素敵なお方であるのだが、ただ唯一残念なことにキディの好まない()()の人間であるらしく、悲しいかな彼女によって仕事を増やされる可哀想な苦労人だ。

 当の本人はといえばフン、と鼻を鳴らし、新たな面倒事をこしらえたことに満足感さえ感じている様子だ。


「どうせ元はと言えばあいつが持ち込んだ依頼だろ。それくらいやってもらわなきゃ――」


 と、その時一発の銃弾がキディの肩を掠めて機関車の窓ガラスを割った。

 矢のような速さで腰の銃を抜くと、キディは構えもせずに空へ弾丸を放った。いつの間にか急接近していたウィンド・ビークルの翼に三発目の銃弾が突き刺さる。


「――行こう、シェリル。緊急発進(スクランブル)だ」

「え――」


 不意に名前を呼ばれたからか、シェリルは戸惑うように声を漏らした。

 その肩を取って、ラウルは貨車に走る。


「逃げるんだろう?」


 髪を揺らして走るシェリルは少しだけ目を見張り、そしてすぐにこくんとうなずいた。


 貨車にたどり着くと、ウルフドッグⅡが待っていた。決して物言わぬ鋼鉄の塊だが、その静かな佇まいで誰よりも雄弁に、二人に語りかける。

 いつでも飛ぶ準備はできている、と。

 ラウルは差したままのイグニション・キィを――。


 ――そこで、ラウルの手が止まった。


「キィが……………ない……!?」

「あ――」

「ない! ないぞ!? そんな、こ……、これじゃ逃げられない……!」


 途端にラウルは焦り始めた。

 彼にとって『空を飛ぶこと』は彼の全てだ。彼の身体は空で生きるようにできていて、つまり空を失った彼は陸に上がった魚も同然で。

 ラウルの頬に冷や汗がたらりと流れる。視界がゆがみ、目眩が襲う。

 あからさまに頼りなくなるラウルの姿を見て、シェリルは気まずそうに提案した。


「え、……ええと、他に逃げる手立ては……」

「ないね」と間髪入れずにラウルは切り返した。

「自慢じゃないが、俺は飛ぶだけが取り柄のハイランダーだ。ウィンド・ビークルがなきゃ俺なんて戦いもできない、道にも迷う、女にも押し倒される、ゴミ溜め以下の存在さ……」

「ちょ……わ、私は押し倒してなんか……!」

「ああ……、えっと、………くそ、どうする……!?」

「あの、ええとね……?」


 シェリルは少し頬を染め、何かを言うのをためらうような様子で――。


「………その、怒らないで聞いてほしいんだけど――」


 ――そしてラウルはすぐに理解した。


「………君、まさかキィを――?」

「う、奪うつもりじゃなかったのよ。……ただ、触っているところに急にあなたが来たから、つい――」

「わ、分かった! もう分かったから、それで、キィはどこなんだ!?」

「その、ええっと――服の、中に………」

「は?」

「服の中に……、その、――胸に隠したの!」

「…………………は?」


 ラウルは絶句した。

 シェリルが何を言っているのか、しばらくの間、理解することができなかった。

 シェリルはより一層顔を赤く染め、控えめな声で叫んだ。


「……だ、だから、早く手錠を外して! 逃げたりなんかしないから! じゃなきゃ胸の中のキィなんか取れない……」

「む、胸の……!?」


 思わずラウルはシェリルの薄い服の胸元に目をやり、そして慌てて目をそらした。控えめで主張しない、だがそれでいて存在感のあるふたつの膨らみの間に――。

 ごくり、と固唾を呑み、いやいや、とラウルは首を大きく振った。


「なんだってそんなところに――」

「わ、私だって知らないわよ! 急にあなたが来たからとっさに――。い、いいから、早く手錠の鍵を外して! これじゃキィを取れない!」

「わ、……分かった!」


 ラウルがポケットから手錠の鍵を取り出した、その時、図ったかのように機関車ディーノがカーブで大きく跳ねた。


『あ――――』


 二人は揃って大きく口を開け、ラウルの手から滑り落ちたキィの行方を追い、そして絶望した。

 綺麗な放物線を描いて窓の外へ消えたキィに伸ばしたラウルの手は虚空をつかみ、その先で何発かの銃弾が降り注いだ。

 キィを失った右手を見定めるように、ラウルは何度か握って開いてを繰り返し、


 ――その右手に何かを託すことを決心した。


「ひっ……」


 振り返ったラウルの表情は、いつも以上に固く無表情で、その冷徹な瞳がシェリルを見据える。シェリルは背筋に走る悪寒に震え上がった。


「な、何を考えてるの……?」

「シェリル」と、ラウルはラウル史上最もハードボイルドな声を腹の底から捻り出し。

「……………な、……なに?」

「………つらいのは、一瞬だ」

「ちょ、ちょ、ちょっとまって! 自分で取るから! 取れるからぁ!!」


 必死の形相にもラウルはひるまなかった。ひるむわけにはいかなかった。ここで退けば、待っているのは死だ。降り注ぐ火の粉がラウルの背を後押しした。


「オオカミに手を噛まれたと思って――」

「ちょ、ちょっとでも触ったら、ただじゃ置かないからぁ!」


 そう言って後ずさるシェリルの背に何かがあたった。ウルフドッグⅡのボディだ。逃げ場を失って、シェリルはぺたんと尻餅をついた。覆い被さるように、ラウルの魔の手がシェリルに近づく。


「お、おねがい、やめてぇ……!」

「いやなら目を瞑っていろ、お嬢様……!」


 嫁入り直前の箱入り娘に手を出すという行為は、しかしそれがやむを得ないことだとしても許されない気がして、ラウルの手は何度か宙をさまよった。背徳という言葉の意味に押しつぶされそうになる。

 だがそのたびに鳴り響く銃声とキディの叫び声がラウルに正気を取り戻させる。

 そうして何度か二人の間を行き来していた手が、ようやく覚悟を決めたように少女の胸元へ差し伸べられた、その時。


 やはり図ったかのようにディーノの車体が跳ねた。


「う、うわっ!」

「きゃああああああ!」


 渓谷の曲がりくねった線路を全速力で走っているためだろう。

 脱輪もいとわぬスピードでカーブを曲がるディーノの車内で、荷物や工具と一緒に二人はもつれるように転がった。


「いっつつつ………」

「……あい、たたた」

「え、ええっと、…………ラウル?」


 ラウルのものでも、シェリルのものでもない、あどけない声が二人にかけられる。

 それはどこか冷徹さを帯びていて――。


「ラウル、………何してるの?」

「ガ、ガンマ? ええっと、何してるって、そりゃあ――」


 と、そこまで答えて、はっと我に返った。

 気付けば両手を後ろで手錠にかけられたシェリルに馬乗りにまたがる形で、それでもラウルの右手は必死に任務を遂行しようとシェリルの胸元に向けられていて。

 何故だかシェリルの服は裾から大きくめくれていて。

 フーッ、フーッと手負いの獣のようなうなり声に慌ててその顔を覗きこむと、赤らんだ目元に大粒の涙を浮かべ、シェリルはラウルのことを睨み付けていて。

 ラウルの右手が必死に掴んでいたのはイグニション・キィにしては少し柔らかすぎて――。


「その、ええと――?」


 ラウルは、言い訳を諦めた。


「こ、の………、へんたいぃ!!」


 シェリルは耳まで真っ赤に染めて、大声で叫んだ。


「――なぁにやってんだ」

「うがぁ!」


 脳天を突き抜ける衝撃とともに、ラウルの視界に火花が散った。

 シェリルの代わりに鋼鉄のチョップをラウルの無防備な後頭部へと見舞ったのは、いつの間にか車内へ戻ってきていたキディだった。キディは両手で一人ずつ軽々引き起こすと、興味も無さそうに二丁の拳銃を腰のホルスターから引き抜いた。


「楽しむのは良いが、いつまでも馬鹿やってねえで、早く逃げろ、……よっと!」


 そう言いながら、ガラス窓の外から三人を狙う私兵隊にカストルの銃口を向けるキディ。銃を抜かせる前に四発の銃弾でガラス越しに墜としたキディは、左手のポルックスでシェリルの手錠を撃ち抜いた。


「……さすがに全部は墜とせねぇ。とっととずらかるぞ」

「お、俺は別に楽しんでたわけじゃ――」


 キッと睨み付けるシェリルの視線に怯み、ラウルはそこで言葉を失った。


「御託は結構だ。ラウル、とっととウルフのエンジンをかけろ! ……それから、一応先に言っておくが、ラウル。――『あたしは怒っていない』」

「………お、おう」


 ゴゴゴ……、と腹の奥底で渦巻いている何かの音が聞こえた気がしたが、ラウルはそれが噴火する前にウルフドッグのもとへと駆けた。

 シェリルが投げつけたキィを受け取り、エンジンに火を入れる。


「シェリル、あんたも手伝え。そっちのハッチを開けるんだ」

「わ、分かったわ」


 シェリルもまた、気丈に涙を振り払ってハッチに駆け寄り開閉ハンドルを回した。その頬にはまだ赤みが差している。

 ハッチが大きく口を開ける。冷たい空気が車内に流れ込んだ。

 大峡谷にさしかかったディーノはまさに峡谷一の吊り橋を渡っているところだった。眼下には深い谷が広がり、くらり、と軽いめまいが襲う。その時、私兵隊のマシンが頭上から襲いかかった。


「伏せろ、シェリル!」


 言うが早いか、キディはポルックスの残弾がなくなるまでそのマシンに穴を開けた。だが、それでも私兵隊員の銃口はいまだシェリルを照準に捉えていた。


 ――なぜ!?

 なぜ私兵隊がシェリルを狙う?


 そんな疑問よりも先にラウルは地を蹴っていた。

 シェリルの手を引き、身を投げ出す。天地の反転した視界に、私兵隊員の銃口が覗いた。醜く転がりながら逃れるように横っ飛びした先に、――地面はなかった。


「う、わああ!」

「ラウル!」


 谷に落ちるラウルを追おうとするキディに追撃の銃弾が襲い、足止めを食らう。


「――シェリル!!」


 たまらずキディは叫んだ。


「援護する。お前が行け!」

「私!? 私が――?」

「ウルフはもう目を覚ましてる。飛べるはずだ。……あんたも、ハイランダーだろう!?」


 シェリルは息を吹き返したマシンを見下ろした。傷だらけで、塗装の剥がれた、それでいて力強い生命の息吹さえ感じさせる白いマシン。


「私が――これを飛ばす――?」


 はっとシェリルは目を見開いた。

 古い記憶が呼び覚まされる。かつて、彼女は似たような状況に置かれたことがある。逡巡する暇もないと悟った。


「……分かった」


 シェリルの取った行動は、()()()()()()と同じだった。


『いま、助けに行く!』


 迷いなく駆け出したシェリルの後ろ姿を見送り、少し驚いたように目を見開いたキディは、すぐにその口元に笑みを取り戻した。


「――やっぱりな、同類め」


 二丁拳銃の弾倉を換えると、キディはウルフドッグⅡの進行方向に弾幕を張った。

 シェリルはウルフドッグⅡに飛び乗り、コックピットに跨がる。ペダルに爪先をかけ、レバーに指をかけると、触れた瞬間にこのマシンの飛ばし方が分かった。それは、ハイランダーとしての血なのか、それとも、このマシンの素性なのか。

 フットペダルで引斥反転装置を調節して宙に浮くと、全てがどうでも良くなった。


「いくよ、ウルフ――」


 気づけば、あれだけ馬鹿にしていたラウルと同じように、マシンに声をかけていた。

 ウルフドッグⅡは当たり前のようにその声に呼応し、飛んだ。貨車を飛び出し、舵先を垂直方向、地面に向ける。

 スロットル全開、風圧で涙が視界を隠すが、それでもその姿ははっきりと捉えていた。


「ラウル!」


 差し伸べる手が、ラウルの手をつかむ。ラウルはすぐにツナギのカラビナをウルフドッグⅡにかけ、叫んだ。


「シェリル! 転回だ。………飛べぇ!」


 シェリルは力一杯ハンドルを引き、ウルフドッグの鼻先を上空へと向け直した。体勢を立て直し、ウルフドッグⅡは最大速度でクルージングを開始した。


 ――かに思えた、その時。


 ウルフドッグのエンジンが突如ストールした。

 急激なミセル濃度の変化に対応できなかったためだろう。一瞬の静寂の後、ウルフドッグは音もなく落下を始めた。

 谷を真っ逆さまに。

 風にあおられて景色は二転三転し、すぐに平衡感覚を失う。ウルフドッグに身体をつながれ身動きの取れないラウルは、思わず叫んだ。


「シェリル、エンジンをかけ直せ!」

「もう……、やってる………!」


 シェリルはほとんど飛翔経験がないとは思えないほど的確な手つきで、かつ冷静にエンジンの再始動を試みていた。

 眼下に水面が迫る。

 だが、ウルフドッグのエンジンはまだ火が入らない。代わりにシェリルの悲鳴が響いた。


「か、かからない! 捻るだけでいいって言ってたのに!」

「落ち着け! ウルフは寝起きが悪くて、コツがいるんだ……!」


 ラウルはカラビナを外して一度身体を自由にすると、ウルフドッグのボディを這い上がり、ハンドルを握るシェリルの左手の上からレバーに手をかけた。

 ぴくん、とシェリルの肩が跳ねる。だが、構わずフットペダルをわずかに踏み込んだ。


「な、何するの!? くっつかないでよ、この変態!」


 遠慮のない言葉がラウルの心を抉る。が、気になどしていられない。


「文句ならあとでいくらでも聞く。今は時間がない。もう一度だ、()()()

「………ッ!?」


 きゃあきゃあとわめき散らすシェリルが、途端におとなしくなった。固唾を呑み、何かを覚悟したように前を見据えた。眼下に広がるのは、深い峡谷。


「飛べるはずだ、君はハイランダーだろう?」


 そしてまたラウルはぎゅっと身体を寄せる。今度はシェリルも言い返さなかった。


「もう一度、……子猫を撫でるようにそっとだ」

「あとで覚えてなさい……!」


 そう低く唸り、シェリルは繊細な手つきでキィを捻る。小さく原動機の息吹が聞こえた。

 すかさずシェリルはスロットルを開け、左右のペダルでバランスを取る。機首を上げ水平飛行に移ったときには、もう川の水しぶきを感じるほどの高さだった。


『――飛べえッ!』


 二人は同時に叫んだ。

 瞬きの前と後とで大河が大空へと変わる。ふらつきながらもウルフドッグは水面すれすれをしっかりと滑空していた。シェリルがペダルを軽く踏むと、応えるようにわずかに上昇する。少しの時間差で、ウルフドッグは息を吹き返したように突如強く加速し、ラウルの左手が耐えられずハンドルからもぎ取られた。

 反射的にシェリルは身体をねじって反転させ、大きく手を伸ばした。

 再び宙に放り出されたラウルの手を、シェリルの左手が即座に掴む。

 油で汚れた、シェリルよりも少しだけ大きな手。その存在を自身の掌でしっかりと確かめ、そして、ほっと安堵の吐息を漏らした。

 そしてシェリルはラウルの方を見下ろし、ぎょっとした。


 ラウルは笑っていた。

 これまで、一度も見せたことのない、屈託のない笑顔にシェリルは一瞬戸惑い、だがすぐに理解した。この男は生粋のハイランダーで、彼の住処はどこでもない、この大空なのだと。地上で出会った、いつも無表情で無愛想な男は偽物で、


 ――本物の彼とはここでしか出会えないのだと。


 自然とシェリルの顔にも笑顔が浮かぶ。そして、声に出して笑った。ラウルがそうしているように。

 とても爽快な気分だった。彼女もまた、ハイランダーだった。

 ひとしきり笑い合った後、


「そういえば」とシェリルは投げかけた。

「これは、……私の胸を触った分」

「――へ?」


 シェリルは、ラウルの手を取った左手と逆の手を振り上げ、満面の笑みはそのままに、ラウルの頬に強く叩き付けた。


「へぶぅ!」


 突然の平手打ちに、ラウルは困惑の表情を浮かべる。

 両手を離されたウルフドッグはまたふらつきはじめたが、すでにシェリルのコントロールの下にあり、シェリルは慌てることなくフットペダルでマシンの挙動をコントロールしいとも簡単に左手一本でラウルを引き上げた。

 そして、


「それから、………これは、助けてくれた分よ」


 シェリルはラウルの頬にそっと口付けた。

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