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ウルトラ・ガーネット ――花嫁の翼――  作者: 佐倉 いつき
第1章  セント・エルモ
5/24

4.花嫁の決心

 ――シャーロット家別荘を飛び立ってから三十分後。

 見慣れた赤いポストの前に二人はいた。


「キディ!」


 到着するや否や、待合室で待っていた女の子が飛びついてきた。煤にまみれた少女はキディが嫌がらないのをいいことに汚れた頬をこすりつける。


「またキディったらこんなに傷だらけになって! こんなに綺麗な肌を傷つけるなんて、どこのどいつの仕業なの!?」

「………ガンマ、汗くさい」


 微動だにせずキディは告げた。麻袋に穴を開けただけのようなぶかぶかの服から伸びる細い腕で頭を抱え、ガンマと呼ばれた少女はあんぐりと口を開けた。


「はっ……! もしかしてキディもそういうの気にするお年頃……!? しまった! 私としたことがぁー!!」

「……お前は気にするお年頃じゃないのか?」と、ラウル。

「そもそもキディの肌のどこが綺麗なんだ? 鉄みたいに固くて痛いんだぞ」

「そこが良いんじゃない」


 頬を赤らめ、うっとりとするようにガンマはキディの身体を眺めた。


「この金属フェチめ……」

「………あ、それより準備ならもうできてるよ! オヤジが駅で待ってる」


 ガンマは我に返ったようにそう言うと、二人を店の裏手に誘導した。

 店の裏手の踏切を渡り、線路沿いに店を回り込む。輪留めの手前に駐まっている貨物車両は、ウルフドッグⅡの車庫兼整備室だ。その後方に連結されている住居車両――ミレニア運送の従業員寮になっている――を切り離すと、ガンマは慣れた手つきで安全装置を解除した。

 先頭には『ミレニア』と書かれたディーゼル車両。ガンマは手早くエンジンを始動し、勢いよく警笛を鳴らす。発進の合図だ。


「よし、それじゃ、しゅっぱつしんこー!」


 他の二人が乗ったのを確認すると、ガンマは運転台に立ち、レバーを握った。警鐘とともに踏切の遮断機が降りる。そろそろと動き出した三両編成は線路を軋ませて踏切を通過し、表通りに姿を現した。

 ゆっくりとスピードに乗る。

 運転台に顔を覗かせながら、ラウルはフロントガラスの外を眺めた。


「――市街線を走るのは久しぶりだな」

「えへへー。私も運転するの久しぶりー。気持ちいいよね、街の中を機関車で走るのって」

「あたしも、空を飛ぶよりこっちの方が好きかもな」


 黒いロングマフラーと赤毛のショートヘアを緩やかな風になびかせ、キディも応えた。

 カディーナに限らず、街と呼べるだけの街には全て、市街環状線が街中に張り巡らされている。三百年にもわたる大鉄道時代の名残だ。元は公的鉄道として役立っていたが、オートビークルの普及に伴い市街環状線の所有権は帝国から民間へと明け渡された。


 現在、この環状線に駅という概念は存在しない。代わりに時折枝分かれするように伸びた線路が、いくつかのブースに分かれて駐車場を設けている。

 そこは使用許可を得た民間法人の営業ブースとなっており、ブースの数だけ店舗が存在する。その種類は多岐にわたり、金物、食品、嗜好品にエンターテイメント、エトセトラ。

 その性格上ヤドカリのように街を渡り歩く行商人もいれば、一つの街に居着いて固定客を得る商売人もいる。『ミレニア』は後者と言えよう。シルヴィーナの手腕で、今やこの街の顔となる運送会社に成長した。


「そんなこと言ってー。私はやっぱり空を飛ぶ方が気持ちいいと思うなぁ。……ラウルが羨ましいよ。私もウィンド・ビークルに乗れるようになりたい」

「それなら羨ましがる相手が違う。キディはウィンド・ビークルなしで飛べるんだから」

「ううう。だって、逆立ちしたってマキナにはなれないもん……」


 およよ、と涙を流しながらガンマはさらにディーゼル車『ミレニア』号を加速させる。髪をなでる風がまた少しだけ強くなり、怪盗ブーケを取り逃がしたベティーユ地区を通過する。

 人通りの多い繁華街を颯爽と横切ることができるのも市街環状線の醍醐味である。

 それほど速いスピードでは走らないので、時には先を急ぐ徒歩の通行人が勝手に車両に掴まって乗り合わせることもある。それも、趣があると言えばあるのかもしれない。


「ラウル、もうすぐだよ」


 ベティーユを過ぎると、線路の先に大きな建物が見えた。

 車両基地にしては大きく、トンネルにしては小さい。そこはカディーナ駅、大陸縦貫鉄道と市街環状線をつなぐハブ駅だ。大陸縦貫線にも、市街線と同じプライベート・ルート、すなわち民間車両専用の路線が公共路線に併走しており、ハブ駅で市街環状線から乗り換えることができるのだ。


 鉄道でサドレアへ向かうには乗り換えの必要があった。だがその前に済ませておくことがある。

 ミレニア号はターミナルに入ってすぐのフリースペースに停まった。横には別のディーゼル車がすでに停車しており、三人が来るのを待っていた。


「ミレニア運送だな?」


 降りてきた男はそう短く問いかけ、ラウルがうなずくとすぐさま仕事に取りかかった。

 自ら運んできたコンテナ車をミレニア号に連結させる。男はシャーロット家の使者で、コンテナ車には依頼品が積まれているはずだ。男は黙って仕事を済ませると、あいさつもせずに去っていった。


「無口な奴だな」

「良い仕事をする職人はたいてい無口なもんだよ、ラウル。おしゃべりは無用な厄介事を呼び込む」

「………それ、キディが言う?」ガンマは眉をひそめた。

「そんなことより、もう受け取りは終わったんでしょ? そんじゃ、いっくよー!」


 かけ声と共にミレニア号は再び動き出す。

 駅員に通行証を提出し許可を得たところで転車台(ターンテーブル)に乗って二十三番線へと進路を取った。信号が青になるのを待ち、一番端のその線路へとディーゼル車両を進める。

 車線番号を記す質素な看板以外にはプラットフォームさえないその線路上に、車両基地から出てきた一台の蒸気機関車が待機していた。


「オヤジ!」

「オーライ、ガンマ。そのまま連結させろ。傷つけたらただじゃおかんけぇの!」

「了解であります、機関長!」


 おどけてすちゃりと敬礼してみせると、ガンマは巧みにディーゼル車両を動かし、見事に機関車に連結させた。そしてエンジンを切る。

 ここから先は大陸縦貫鉄道規格の線路――要するに馬力のある機関車でなければ走れない線路だ。ディーゼル車『ミレニア』から引き継いでこれから貨車を曳くのは『ディーノ』と看板を掲げたこの大型蒸気機関車。

 一段高いところに設けられた運転席からごついひげ面が顔を出した。


「ラウル! キディ! 一日ぶりじゃのう!!」


 針金のようなぼさぼさの金髪に太い眉、その下にはぎろりと鋭い瞳が覗き、無精ヒゲに覆われた口元にはマキナの証でもある鋭い八重歯が牙のように突き出ている。もう一つのマキナの象徴である翼は左翼しかなく、広い背中にはもう一方の翼が根元から千切れた残骸。

 チーム『ディーノ』は長距離運送、あるいは大量の荷物が専門の二人組の運送チームだ。ガンマとコンビを組むこの男の名前はレオーネ。大陸横断鉄道路線を利用して全国各地の届け先へ荷物を運ぶのが二人の仕事だ。

 許可証を所有する真っ当な運び屋であるディーノの手を借りれば、サドレアの検問を越えることに何の支障もない。


「レオーネ。ガンマから聞いてると思うけど、今回の目的地はサドレアだ。たまの休みだってのに俺たちの仕事で手を煩わせて悪いね」

「構うな。ワシらもまた正規配達物の依頼が入ったけぇの。ついでじゃ、ついで」


 豪快に笑ってレオーネは応えた。


「……ただし! 分かっとると思うが『ディーノ』の車訓は働かざる者乗るべからず、じゃ。乗っとる間は全員機関士、しっかり働いてもらうけぇの!」


 ししっとガンマは笑い、対照的にラウルの表情はずうんと暗くなった。


「――やれやれ、これだから機関車の旅は楽じゃないんだよ」


***


 機関車ディーノの()()()は三交代制。炉の火を落とさぬよう、ガンマと見張り続けて数刻。その間にディーノの牽くミレニア号は二つの山を越え、一つの峡谷を渡った。

 薄暮を照らす前照灯は薄霧を裂き、半世紀現役を続ける老馬(ディーノ)は山越えの難所を息継ぎしながら乗り越える。


 交代の時間がきた。

 石炭を運ぶスコップをキディに手渡し、汗だくのラウルは、


「……肉体労働は向いてないんだ。知ってるだろ?」そう力なく愚痴をこぼした。


 キディは苦笑したまま何も言わず、そのスコップを受け取った。ヒューマンが持つには少々重いそれをひょいと片手で肩に背負い直すと、キディはラウルの肩をぽんと叩いた。


「ゆっくり休んでな。今日はもう遅い。あたしたちの本番は明日だからな」


 ラウルは無言で貯水車両との隙間から空を見上げる。気付けば天は闇に覆われ、煌々と瞬く星々が煤煙の影から顔を覗かしていた。


「私ももうお風呂入って寝るぅ……。そういえば昨日からほとんど寝てなかったよぅ」


 今にも閉じそうなまなこを煤汚れた手でこすりながら、ガンマもスコップを置いた。


「……ラウルももう寝るのぉ?」

「いや、俺はもう少しだけ起きてるよ。仕事が残ってるんだ」


 何かに気付いたようにキディは鼻で笑った。


「ハン、また()()()の機嫌取りかい? もてる男は大変なこった」


 カディーナ駅を出て約半日。

 休みなく走り続ける『ディーノ』がサドレアの駅に着くのは明日、24日の昼頃になるだろうか。それまでに済ませておかなければならないことがあった。

 ラウルは最後尾の車両、即ちオートビークル保管車両まで移動すると、ウルフドッグⅡ――キディにお姫様と呼ばれた傷だらけの青いマシン――にかぶせられた厚手の布を取り去った。機嫌取りというのは要するにマシンの整備のことだ。

 いざという時に『調整中』では仕事にならない。手早くウルフドッグをスタンドに立たせると、ラウルはまず翼を大きく開かせ、まず燃調系のチェックから始めた。


 ウィンド・ビークルというマシンについて、少し説明しておこう。


 そもそも、オートビークルは大きく分けて陸上用のツーホイール・ビークルと水上用のウォーター・ビークル、そして飛翔用のウィンド・ビークルに大別される。

 この翼はウルフドッグⅡのウィンド・ビークルたる証であり、そしてその構造はある『乗り物』に酷似している。それは『ビークル・フォーム』と言われる、マキナのもう一つの姿だ。


 まだ空が鳥とドラゴンとマキナだけのものだった頃、空を飛べるヒューマンはマキナと契約したハイランダーだけで、そうでない者は地を這うより他なかった。それを変えたのがウィンド・ビークルというマシンであり、それがすべてのオートビークルの始まりだった。

 以後、あらゆるオートビークルがウィンド・ビークルを模して作られる。

 機械、即ちマシンという言葉がマキナを語源とすることからも分かるように、ヒューマンの文明の発展にマキナの存在は欠かせないものだったのだ。


 そんな彼ら(マキナ)が空を飛ぶ上で欠かせないものが二つある。

 一つは『引斥反転器官』。

 発見者の名を付けベイガング器官とも呼ばれており、肘と膝に一対ずつと腰背部に一つ存在する。その名の通り引力を斥力に変換することができ、その力だけでも宙を浮くことが可能とされている。

 そしてもう一つは、『推進器官』。うなじから肩甲骨、肋骨の下縁に至るまで、専門的にはバルクレイター器官と呼ばれる、いわばウィンド・ビークルで言うところの原動機エンジンにあたる推進器官が組み込まれている。

 可変式の翼型ノズルからジェット流を噴出することによって、その反作用で推進力を得るこの器官はウィンド・ビークルのジェットエンジンにも応用されている。まるで天使が翼を開いたように見えるその姿から、彼らのことを『アンジェロイド』と呼ぶ者もいる。


 それらの器官は形を変えてウィンド・ビークルに応用されており、空を飛翔するメカニズムもマキナのビークルフォームと変わらない。即ち、ベイガング装置によって宙に浮き、バルクレイター装置によって姿勢の保持と加速、減速を行う。

 エネルギー触媒として()()()()()()()()を利用している点も一緒だ。


 セイラー・ミセルとは空気中に存在する物質の一つで、エネルギーを発生させる触媒作用を有する。

 エネルギー源はマキナとウィンド・ビークルで異なるが、エネルギー効率を飛躍的に高めるという点でどちらにも欠かすことのできない存在だ。ただしセイラー・ミセルは、高度を上げるほどにその濃度を累乗的に増してゆくという扱いにくい特性を持つ。

 従ってウィンド・ビークルの出力装置であるバルクレイター装置の根幹をなすセイラー・ミセル吸入装置、あるいはその制御機器に問題があると、どんな優秀なマシンも高度によって挙動を変えるじゃじゃ馬へと変貌し最悪の場合原動機自体がストールしてしまう。

 ウルフドッグⅡというマシンは元々その制御機器が脆弱な軍用プロトタイプマシンを改造したものだ。従って機嫌を損ねたウルフドッグは決まってまず最初に燃調系のトラブルを抱える。ラウルが最初に燃調系統に手を付けたのもそういった理由からであった。


「――じっとしてろよ、ウルフ。いいかい、腕の良いハイランダーってのはすべからく腕の良い整備士(メカニック)なんだ」


 まるでひとりの少女を相手にしているみたいに楽しそうに独りごちると、ラウルは嬉々として工具を両手に取り出した。

 規則的に振動する他はこの上なく静かな車両に、工具と部品が触れ合う金属音が間断なく響き渡る。ラウルは、そんな時間が大好きだった。もしかしたら、空を飛ぶこと以上に。翼を持ったマシンと触れ合い語り合うことは何よりラウルの心を奮い立たせた。

 鼻歌交じりに一通りの点検を済ませ、立ち上がる。

 エンジンをかけると、ガオオオン、とウルフドッグⅡは吠えて応えた。


「……よし。良い子だ、ウルフ。それにしても、………暑いな」


 と、ラウルはおもむろにツナギを脱ぎ捨てた。

 貨車に冷房設備はない。それどころか落下防止のため窓一つついていない密室はサウナのように熱気を閉じ込め、すでに雪も降ろうかという季節だというのに、部屋の不快指数は極限状態まで達していた。

 シャワーを浴びよう、とラウルは思った。

 ディーノの貯水車は改造されてシャワー室が併設されている。きっともうガンマもシャワーを浴び終えている頃だろう、と汗まみれのシャツをはだけた、その時だった。


 部屋の隅で物音がした。


 灯りも届かない暗がり。貨車にはマシンの他にも荷物が保管されている。無造作に積まれた木箱に荷袋。その傍に、無頓着なキディの拳銃もぽいと置き去りにされていた。

 ラウルはため息をついた。愛用の二丁拳銃『双子ジェミニ』のことを『二丁で一つ』といつも言っているくせに、これでは可哀想に生き別れの兄弟ではないか。おおかた荷を積んだときから置き忘れていたそれが何かの拍子に床に落ちたのだろう。

 そもそもあの『歩く凶器』に二丁も(もしかしたら一丁でさえ)拳銃なんて必要はないだろうが、このままにしておくと取り残された双子の片割れが不憫だ。どうせ貯水車まで行くのだ、ついでに機関室まで届けてやろう、


 ――なんて、そう思ったのが間違いだった。


 ふらりと積み荷に近寄り、何の気なしに手を伸ばしたその先で、黒い影がパッとよぎった。

 ほんの一瞬、ラウルの思考は停止する。伸ばした手の先にあったはずの黒いリボルバーが姿を消していることに気付いた時には、もう手遅れだった。


「う、動かないで!」


 積み荷の中に潜んでいたらしい声の主は、聞いているこちらが可哀想に思えるほど震える声でラウルに命令した。視界の端で、揺れる銃口がラウルの側頭部に狙いを定めている。

 顔は見えない。

 が、素人だ。声で分かる。きっと銃を握ったこともないのだろう。声色からして年端も行かない、それも女だ。対するこちらは百戦錬磨の空賊と来ている。

 悪いが、敵ではない。


「ふん……。お嬢さん――」


 振り向きもせず、ラウルは、とびきり低音の利いた営業用の声色を作って、


「どぶ――ど、どういうつもりか知らないが、――怪我してもしらなりぜ」


 か、噛んだ――!

 ラウルは泣きたくなって真っ赤に染まった顔をうつむかせた。

 だが動転しているのは相手も同じようだ。半ば狂乱したように銃を振って、


「しゃ、喋るなっていったでしょう!?」

「な――。しゃ……、喋るなとまでは言ってな――」

「う、う、うるさいうるさい! 撃つわよ!」

「わ、分かった! やめろ、もう喋らないから、撃つのだけはやめてくれ……!」


 両手を頭の上に上げて無抵抗のポーズを作ったラウルの口調はすでにいつもの弱気なラウルに戻っていた。


「向いてないんだよ、こういうのは……」


 侵入者に聞こえないくらいの小声でつぶやき、銃を置き忘れたキディの無神経さを呪う。


「こ、こっちを向かないで! 武器を捨てて、よ、四つん這いになりなさい!」

「――武器?」


 命令を続ける侵入者の混乱具合が知れる。どうやらラウルが下着一枚だということさえ理解できないらしい。この格好で持てる武器なんて股間に付いてる男の最終兵器ぐらいのものだ。

 そいつも今は縮み上がって役には立ちそうにない。


「………武器なんて持ってないぞ」

「う、嘘おっしゃい! 知ってるわよ、空賊なんてみ、みんな嘘つきなんだから!」

「嘘だと思うなら調べてみろ。見たら分かるだろ? こっちはパンツ一枚なんだ」

「え――」


 どうやら今まで本当にラウルが半裸だということにすら気付いていなかったらしい。ほんの数瞬の絶句の後、金切り声にも似た罵声がとっちらかった。


「ど、どど、どうして裸なのよ! へ、変態! 馬鹿! 色魔! 変質者ぁ!!」

「裸の俺を襲ったのはそっちの方だ」

「な……!? ち、近寄らないで、汚らわしい!!」


 害虫でも見つけたような言いぐさだ。駆除せんとばかりに少女は銃を振りかざした。慌ててラウルはかぶりを振る。


「よ、よせ、撃つな。気にくわないなら今すぐ服を着るから…!」


 害虫扱いされて撃ち殺されるなど死んでも死にきれない。ラウルは慌てて脱ぎ捨てた服に手を伸ばした。


「う、動かないでって言ったでしょう!」

「ど……、どうすればいいんだよ……」


 助けは期待できない。キディもレオーネも二両先の機関車に詰めているから、この騒音の中ではどんなに大声を上げたって気付かないだろう。


「と、とりあえず話を聞こう。あんたは何者――」


 ――と。


 ラウルの交渉は、機関車の粋な計らいによりまたしても妨げられた。

 勾配のきつい下り坂のカーブを駆け抜け、遠心力で床が大きく左に傾く。何が起こったのか、考えるよりも早く身体は動いていた。

 バランスを崩した侵入者の、銃を持つその細い腕めがけてラウルは飛びついた。


 一発の銃声。


 銃弾は天井に当たり、風穴を開けた。

 じん、と脳内麻薬漬けになったラウルの視界には、目を見開いた少女の駭然の表情がスローモーションのように焼き付く。

 艶のある栗色のロングヘアが揺れ、色素の濃い漆黒の瞳が惑い、少女は必死に抵抗した。もみ合うようにして貨車の床を転がり、崩れた積み荷に身体をぶつけ、散らかった工具の上で二人の身体は制止した。


「……ッつつ…」

「う、んん………。………!」


 異常事態に先に気が付いたのは少女の方だった。

 見開いた彼女の眼前には、吐息すら感じ取れるほどの距離でラウルの薄い唇があった。視線を下にずらすと、男とは思えないほどに細く色白の身体。胸の真ん中にある()()に少女の目が留まったのと時を同じくして、遅れてラウルも状況を把握する。

 半裸のラウルの身体は、少女の上に覆い被さるようにして四つん這いになっていた。

 少女の服は乱れて胸元をはだけさせ、高価そうなスカートも裾が大きく破れている。

 慌てて目をそらしたラウルの視線の先で、放り出された工具類に混じって漆黒の拳銃が転がっていた。銃把には『ポルックス』の刻印。少女が伸ばしかけた腕を、ラウルは慌てて掴む。

 一瞬の睨み合い。その時になってやっと少女の正体に気が付いた。


「………君は――」


 ラウルは、その少女を知っていた。

 種族はヒューマン、性別は女。栗色のロングヘアに澄んだ瞳。名前も知っている。


 シェリル・シャーロット。


 昼間出会ったときにはメイドの格好でウルフドッグⅡを見上げていた、荷物と呼ぶには高貴すぎる人間。それが、いったいどうして――。


「――どうしたの、ラウル?」


 客室の方から、聞き慣れた眠そうな声が背中に降りかかった。

 最悪のタイミングだ。……違う意味で。


「ガ、ガンマ……?」

「なに、してるの? ――ラウル」


 視線が痛い。慌ててラウルは立ち上がり、向き直った。


「い、いや、これはだな……」


 その隙を、シェリルが逃すはずがなかった。ぱっと身を翻すと、無防備なラウルの股間に蹴りを一撃。そして銃を拾い上げ、ラウルの頭に狙いを定める。


「う、うぐ………」

「観念しなさい、この変態空賊!」


 最低の枕詞付きで空賊呼ばわりされたラウルを、ガンマの冷たい視線が突き刺す。


「………へんたい?」

「ちょっと待て…! それはちが……。――ガンマ、これは誤解なんだ。俺が半裸で女の子を襲うと思うか?」

「でも、………襲ってる」

「襲われてたのは俺の方だ……! ガンマ、お前なら分かってくれるだろ?」

「………わ、わたしぃ、子供だからよく分かんなあい」


 寝ぼけ眼は、数秒の思案の後、見なかったことにするという結論に至ったらしい。

 わかんないなぁ、とうわごとのように繰り返しつぶやきながら客車に戻る。この分だと機関室のキディとレオーネの助けを呼びに行くわけではなさそうだ。


「ちょ、ちょっとガンマ?」

「し、静かにして! 本当に、う、撃つわよ!」


 落胆に暮れるラウルに、たたみかけるように苦難が襲う。こぼれ落ちるは半ばあきらめのため息。


「もう撃ったじゃないか……」

「今度は、……外さない」


 そう言ったシェリルの指は引き金の手前でカタカタと震えている。キディの銃(ポルックス)の軽い引き金が何かの拍子に引かれてもおかしくないほどに。


「――契約は、ウェディング・ドレスを運ぶことだったはずだ」


 両手を挙げたラウルは平静を取り戻し、シェリルを正面に見据えて言った。


「き、君が考えもなしにこんな事をするとは思えない。……何が目的なんだ?」

「契約は変更よ。ドレスはもう必要ない。私は――結婚なんてしないんだから!」


 予感はしていた。屋敷の庭で出会ったときからずっと。そうでなければいいのにという願いはたった今裏切られた。


「荷物は、私自身。これは依頼よ、セント・エルモ。私を、……()()()()()()()!」


 拳銃を突きつけながら言うセリフじゃない。そもそも、侯爵家の一人娘のセリフでもない。


「……分かった。とりあえず一度落ち着くんだ、シェリル・シャーロット」

()()! 私をその名で呼ばないで!」


 大きくこうべを振ってシェリル嬢は叫んだ。


「私の名前は()()()。私は、シェリルなんて名前じゃない!」


 少女の慟哭は響き渡り、こだまし、そしてラウルがその言葉の意味を理解する一瞬前。

 大きく跳ねた車両が、バランスを崩したシェリルに引き金を引かせた。


「え――」

「……………………へ?」


 彼女の意志に反して放たれた弾丸は、ラウルの胸をめがけて螺旋を描き、その胸の()()に当たる直前で何かに弾かれ軌道を変えた。


 ――野獣のような赤い瞳がシェリルを睨む。


「あ、ああ………」


 わななくシェリルの腕を、背後からレオーネの厚い手が優しく包み込んだ。


「ち、ちがう……わたしは――」

「力ァ抜かんか。そいつァ、あんたの細腕にゃァ重たすぎろォ」


 レオーネはそっとつぶやくと、銃把を硬く握るシェリルの指を一本一本剥がしてゆく。カタカタと震える指からそっと銃を奪うとレオーネは、落ち着いた声色を変えることなく、ラウルの前に立ちふさがったキディを諭した。


「……お前も。いつまでそんな目ェで睨んどるつもりじゃ、キディ」


 胸の前で交差させた腕の片方からうっすらと硝煙が漂う。

 燃え上がるように天を衝く赤い髪の影から、緋色の瞳が昏く、昏く揺れる。修羅の顔に浮かぶ色は、凍てつくような、滾るような、(くれない)

 怒りでも、恨みでもない。純粋な本能が、決して見せることのなかった彼女の『獣』を目覚めさせた。


 ――守るべき者を、守るため。


 その視線だけでシェリルを打ちのめすことができると知ってなお、一度スイッチの入った本能はそれをやめない。

 レオーネの声は届いていた。そうでなければ、彼女の中の『獣』はほんの数秒でシェリルを亡き者にしていただろう。


「………落ち着け、キディ。……ラウルは無事じゃ」


 その一言で、やっとキディの瞳に理性らしき光が蘇る。

 フー、フー、と威嚇するように上げていたうなり声をしまうと、キディは結局最後まで一言も発することなく背を向けた。


「――っ」


 どさり、とレオーネの腕の中にシェリルの細い身体が倒れ込む。

 極度の緊張から解かれた彼女の意識は、夜が明けるまで戻らなかった。

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