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ウルトラ・ガーネット ――花嫁の翼――  作者: 佐倉 いつき
第1章  セント・エルモ
4/24

3.花嫁とウェディングドレス

 二日酔えば、宿酔(ふつかよい)。酒を迎えりゃ、迎え酒。

 とかく浮き世は色と酒。

 世の中それはもうシンプルにできている。

 要するにそう、昨日はしこたま飲んだってことだ。あんまり気分が悪いので、いつもより少しだけ高い場所を選んで飛んでいた。雲と土埃の狭間、澄んだ空気の層が、わずかウィンド・ビークル一台分。ここから見える景色はいつもよりも少しだけ良い。


 眼下、地上はお祭り騒ぎだ。

 否、本当の()()()は二日後に控えている。

 12月25日に行われる、年に一度の祝祭(カーニバル)を前に、カディーナの街は準備に追われていた。熱気をはらんだ数多の靴底が石畳を踏みならし、砂塵が空へと舞い上がる。埃臭いのを嫌って機首を上げると、マシンは砂埃の層を抜け、澄み渡った青が眼前に広がった。


「飲み過ぎだ」と、横を飛ぶキディが顔をしかめた。


 彼女たちマキナは、背中の翼でいつでも空を飛ぶことができる。

 眉間の皺をより一層深めるラウルが今握っているのは、彼の所有するウィンド・ビークル――機体名を『ウルフドッグⅡ』というマシンのハンドルである。

 キディの身体には昨日の一件で怪盗ブーケに配線をいじられた後遺症が残っており、ラウルが彼女に()()ことを控えたため、この錆びだらけのロートルマシンが倉庫の奥から引っ張り出されたというわけである。


「――昨日のことを気にしているのか?」


 何も答えないラウルに、キディはやれやれ、と首を振った。

 昨日のこと、とは怪盗ブーケのことではない。カフェ・バー『ジュエル』のウェイトレス、レイチェルとのことだ。

 ラウルとつきあいの長いキディのことだ。すべてお見通しなのに違いなく、だからラウルは一瞥もすることなく黙り込んだ。


『どうしてこんなもの運んできたの』と。


 あの時、レイチェルはラウルにそう、言い放った。

 彼女はきっと、ユーリという名の送り主の身に何かがあったことを察したのだろう。それを突きつけたラウルたちに対しての、これはただの八つ当たりだ。

 もちろん、ラウルだってそれは承知していた。


 そもそも、誰かを喜ばせるために運び屋という仕事をしているわけではない。

 それ以外に彼の数少ない特技を生かせる職がなく、この世界では手に職のない者から食い扶持を失っていく仕組みになっており、だから今回のことだって、ラウルは別に彼女の喜ぶ顔を見たくて昔の恋人からの贈り物を運んだつもりではなかったのだ。


 ――なかった、のだが。


 それでも彼女の涙を見て少なからずショックを受けたのは、ラウル自身が偽善にも近い感情を捨てきれずにいた証拠だった。レイチェルはきっと気付かなかっただろうが、無表情のの仮面の奥で、ラウルの心の中ではショックと自己嫌悪とが渦を巻いていた。


 彼は無表情だが、決して無感情ではなかった。

 胸の奥で渦巻く負の感情を薄めるよう、昨夜は酒を飲み明かし、三本目のウィスキーのボトルが空きかけたあたりで、ラウルは記憶と恐らく意識も失った。


「お前は深く考えすぎなんだ」と、キディは笑い飛ばした。

「そのくせそいつを口に出して話そうとしない。だからあんな女なんかにいいように言われるんだ。あたしだったら言わせっぱなしになんかさせないね」

「……お前はいつもけんか腰だな。彼女に言われたのが俺で良かったよ。お前だったら先に手が出てるところだ」

「そうならないよう、先に口を出すんだよ」


 キディはそう言って少し口を尖らす。


「思ってること全部を言う必要はねぇさ。軽口で良いんだ、冗談めかして笑い飛ばすんだ。ユーモアの一つでも入れてやりゃあ相手の毒気だって抜けるってもんさ」

「お前も意外と考えて喋ってるんだな。……お前が相手の毒気を抜くところなんて滅多に見ないが」

「やけに突っかかってくるじゃねぇか。……いや、昨日はあたしが悪かったよ。ちょっと頭に血が上っちまって……。だから、今のお前の気分も分かる。さぞや気分の悪いこったろうよ」


 そこでラウルはやっとキディの方に振り返った。彼女はばつが悪そうにそっぽを向いてうしろ頭を掻いていた。

 ルヴィに怒られたのが堪えているのだろうか、どうやら彼女にしては珍しく、昨日保安隊の連中と一悶着を起こして街を半壊させたことを反省している様だった。


「ただ、お前はその性格のせいできっと損をしてると思うんだ。口に出さないと伝わらないことだってある。……ほら、練習だ。『大きな耳ね、どうしてそんなに大きいの?』」

「『君の可愛い声を良く聞くためさ』――俺はオオカミか?」


 童話の一節を使ってキザなセリフを言わせようとするキディの思惑に、ラウルはすぐに気付いた。()()との共通点は頭が赤いってところくらいだが、気にしないことにした。


「まだ棒読みだな。もっと感情を込めろよ。――『それに鋭い瞳。少し怖いわ』」


 キディは銀幕の女優を真似て、大げさな身振りとともにそうそらんじた。やれやれ、と肩をすくめながらも、ラウルは続けた。


「……『君の可愛い顔が見れないだろう?』」

「お、ノッてきたね。その調子だ。――『いくら何でもその口、大きすぎるわ』」

「『それはね、君を――君を食べてしまうため………』って、おい」


 ラウルは、くくくっと笑いをこらえているキディに気付いて演技をやめた。

 そして大きくため息をひとつ。キディは誰かをからかうためだけに、こんな事を始めたりはしない。大きく吸い込んだ大気の匂いが微かに甘く香って、酔いが少し醒めたんだろうと気付く。

 淀んだ気持ちも少しだけ、晴れた気がする。


「つまりお前は、……俺を慰めてくれてるんだな」

「………そういうことは真顔で言えるんだな」


 キディは決まり悪そうにつぶやいた。その頬は、冬の寒さのせいか、微かに赤く染まっていた。


***


 ミレニア運送のブースを出てから十数分、ようやく気分が良くなってきたところで目的地が見えてきた。

 人でごった返す繁華街を抜けたその先は、カディーナの居住地区の中でも市街環状線から少し外れた比較的閑静な場所だ。路面鉄道の騒音を嫌う貴族が好んで住居に選ぶその地に、ひときわ大きな邸宅が静かに佇んでいた。


 片手に持っていた酒瓶(スキットル)を胸のポケットにしまうと、ラウルは両手でハンドルを握りマシンを降下させる。青いマシンは豪華な門を飛び越え芝生の庭に着陸した。

 けたたましい音を立てていた原動機が息をつくように停止すると、それがウィンド・ビークルであることを象徴付ける一対の主翼が前方に跳ね上がる。コクピットが露わになり、ボディに刻まれた『ウルフドッグⅡ』の名が姿を現した。


 大型のアナログパネルと、その両脇には真横に伸びる棒状のハンドル。左手側に一つ、右手側に二つのレバーが鋭く配置されている。鐙状のフットペダルを高い位置に構える濃紺のボディは両サイドを抉り取られたような細身に設計されており、お世辞にも流線型とは呼べないその無骨なシルエットは、だがそれゆえに猛獣のような荒々しさを小型の機体に秘める。

 荷台にくくりつけておいた焦げ臭いスーツケースを取り外すと、マシンに施されたやや乱雑なペイントに日の光が反射した。


『生モノから巨大コンテナまで、何でも運びます。愛と信頼のミレニア運送。ご用命の際はカディーナ商業地区D-23ブースの赤いポストまで』


 シャーロット家の別荘は街の南部、ミレニア運送のある地区とは反対側の海沿いに位置する。

 めっきり口数が少なくなったシルヴィーナからおそるおそる聞き出した数少ない情報によると、結婚式は明後日――つまり各地で『降臨祭』の前夜祭が行われる日に、ここより更に西に位置する港町サドレアで行われるという話だ。

 シャーロット家本邸のある帝都レドラスティークからは直線距離にして五百マイル。その中継地点として選ばれたのが、別荘地であるカディーナという街だった。レドラスティークから中継地カディーナまで無事ウェディングドレスを運び届けること。それが今回の仕事、のはずだった。


 しかし現実はそうではなかった。

 ドレスが入っているはずのスーツケースは偽物で、それどころか強引に開ければ爆発する代物だった。頑丈なのが取り柄のキディが一時気を失うほどの重症を負い、ラウル自身も全身に怪我を負った。これは、すぐにでも依頼主を追及せねばならない大問題だ。


 ――が、しかし。

 忌々しいことに、さしあたって解決せねばならない別の問題がラウルの前には立ちはだかっていた。


 深い絨毯を踏みしめ角を曲がるとその先には大きな窓。開いたカーテンの合間からは中庭に着陸したウルフドッグⅡの姿が見える。自然とため息が口を割った。


「………別荘だろ? 何でこんなに広いんだ……」


 ラウルは、方向音痴だった。


 シャーロット家のやたらと大きな別荘にたどり着いたのはもうかれこれ二十分も前になる。

 着くやいなやキディと分かれて手洗いを探して五分、胃の中が空になるまで便座と相対して十分。そしてキディが案内されているのであろう応接室を探してさまようこと十五分。

 この窓からウルフドッグⅡの姿を確認するのはもう三度目だ。もう同じところを何度もぐるぐると回り続けているような気がするのが、彼が酔っ払っているからでないことは明白だった。


 人が少ないのはここが別荘だからだろうか。この手の家にありがちな使用人の姿が全然見当たらないのも原因の一端ではある。せめて誰かひとりでもいいから鉢合わせれば……。

 と、そんなことを考えていると、ちょうど窓の外に人影を見つけた。青いマシンの傍らで、コクピットを覗きこんでいるようだ。この僥倖を無駄にする手はない。ラウルは中庭に飛び出し、その人影に歩み寄った。


 あの、と声をかけようとして、キディとのやりとりを思い出した。反射的に言葉が出て、すぐに後悔した。


ウルフ(そいつ)に興味があるのかい?」


 振り返ったのは少女だった。

 使用人(メイド)が着るような臙脂色の外套を羽織り、肌寒いのかフードまでかぶっている。一瞬だけ見えた驚いたような表情も、彼女がうつむくとすぐにフードの鐔に隠れて消えた。


「ああ、いや、驚かせるつもりはなかったんだ。ただ少し、道を尋ねたくて……」


 と言いかけてラウルは言いよどんだ。最後まで言ったとして、彼女の耳にはきっと届いていないだろうと、ウルフドッグの鋼鉄の翼を見上げるその瞳を見て気付いてしまったからだ。


 ――惹かれている。だけど近付くことを理性が拒絶する。


 そんな風に見えるのはきっと勘違いではないと、そう確信する。彼女は、()()()()()()()()。フードの影に見え隠れする瞳は彼女の心を映すように揺れて、言葉を失ったラウルは、慌てて言葉を探した。脳裏にキディの言葉がまた浮かび、そしてラウルはまたすぐに後悔する。


「怖がらなくていい。ウルフ(オオカミ)は君を食べたりはしないよ、赤ずきんちゃん」

「あ――、あか、ずきん……?」


 少女が怪訝な表情を浮かべたのにはすぐに気付いたが、ラウルもすでに引き返せなくなっていた。どうせこの場限りのやりとりだ、どう思われようが関係ない。それに少し、ラウルにしては珍しく、彼女には興味が湧いていた。

 惹かれていたのは、ラウルの方だったのかもしれなかった。


「空を飛びたいんだろ? 君の目を見れば分かる。どこへ行きたい? どこへだって連れて行ってやるよ。……それとも、もしかしてここから逃げ出したいのかい?」


 もちろん冗談のつもりだった。だがメイド服姿の少女は驚いたようにはっと顔を上げた。そしてすぐに冷ややかな目でラウルを睨む。初めて目と目が合った。


「冗談は真顔で言うものじゃないわ。……それに、オオカミはあなたの方でしょ、『()()()()()()()』」


 鈴がりん、と鳴るような涼やかな声がラウルの耳をくすぐる。

 今度はラウルが驚く番だった。

 フードの影から見える髪の毛は栗色。風になびくと形の良い耳が時折顔を出し、左の耳朶で小さなイヤリングが揺れる。ふっくらと緩やかな曲線を描く頬にはうっすらと朱が差し込み、見上げる黒い瞳は吸い込まれそうなほど大きくて、何故だか今にも泣き出しそうに涙の膜を張っていた。


「………オオカミは、嫌い?」


 自分が目を奪われていたことに気付くのに、随分と時間がかかった。悟られないように何か言おうとして、何とかそれだけ絞り出した。


「あなたよりは、マシ」

「………参ったね」


 ラウルは改めて少女の姿を観察した。身なりはメイド服だが、纏っている雰囲気は使用人のそれとはまるで違っていたからだ。そしてすぐに、胸元で光る宝石に気が付いた。


 ヒントは他にもたくさんあった。

 片耳のイヤリング、控えめな髪飾り、編み上げのブーツ。みな大小の宝石をあしらわれ、輝いている。そしてひときわ美しい光を放つのは彼女の()()()()()。けれどそのどれも、彼女の容姿を前にしては引き立て役にすらなりえない。


 ラウルはほんの少しだけ逡巡した。美しすぎる女は赤い月や黒猫と同じ、不幸の予兆だ。決まって良くないことが起こる。事実彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()|し、実のところどうしてそんなことをしているのかもラウルには何となく分かっていた。少なくとも、厄介事を抱え込んでいるのは間違いない。だからこそ、ラウルは迷っていた。


 ――ここは()()()()


 もう一歩踏み出せば渡し船に乗って対岸へ。そうしなければ川のこちら側にいられる。その一歩を踏み出すかどうかはラウルの意思次第。


「………知っているかい、この世には二種類のヒューマンがいる。空を飛べる者と、飛べない者だ。ほとんどのヒューマンは空に()()できず『グラウンダー』として一生を地べたで過ごす。空を飛べるのは、残りのほんの一握りのヒューマンだけだ」

「――『ハイランダー』」と、少女はつぶやいた。


 つぶやいてしまってから、しまったとでも言うようにうつむいて、そっぽを向いた。彼女にしてみればラウルと会話すること自体が嫌なのかも知れない。


「あなたがそうだって言うんでしょう? 知ってるわ、『契約』のことだって。………自慢のつもり?」


 彼女の言う『契約』とは、ハイランダーがマキナとの間に交わす血の盟約のことだ。ハイランダーと契約を交したマキナはその姿を変える特殊な力を得る。『フォーム・チェンジ』と呼ばれるその力はマキナの身体を普段の『ヒューマン・フォーム』から『ビークル・フォーム』へと変身させ、その契約者――()()()と呼ばれる――の操縦によって空を飛ぶことができる。その機動はウィンド・ビークルはおろかヒューマン・フォームのマキナをも凌ぐ。


「『セント・エルモ』は二人組の空の運び屋。――どうせあなたも()()()なんでしょう?」

「物知りなメイドさんだ」

「話はそれだけ? それじゃ私は失礼させてもらうわ。あなたみたいに暇じゃないの」


 肩をすくめるラウルの傍らを、少女はすました顔で通り過ぎる。瞳は夜闇のように黒く、まだ涙が薄く膜を張っていた。

 漏れるため息は自分へ向けて。そして。


 ――()()()()()()()()()()()()()


「………そういえば」と、ラウルはわざと大きな声を上げる。

「この屋敷には今、俺の他に()()()()、ハイランダーがいるんだったな」


 少女の足がぴたりと止まった。ちょうどラウルの真横だ。風がそよぎ、香水でも、整髪料でもない女性特有の甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「いいことを教えて上げよう。ウィンド・ビークルってのはエンジンを動かすのに鍵がいるんだが、その鍵を差しっぱなしにしてマシンを放置するのは良くない。他のハイランダーにマシンを盗まれるからね」


 そう言ってラウルはウルフドッグⅡの鍵穴にキィを差し込んだ。


「左手のレバーを引きながら、ゆっくりキィを捻れば点火だ。あとは右のペダルを踏み込むだけで宙に浮く。()()()()()()()()、あとの飛び方は空が教えてくれるだろう」


 少女は振り返り、怪訝そうな表情をラウルに見せた。


「どうしてそんなことを教えるの?」

「忠告だよ。シャーロット家の血筋は代々ハイランダーだと聞いた。つまり俺と同じ種類の人間さ。そのお嬢様が、たとえばウィンド・ビークルを所有したいとか言い出せば俺の忠告は役に立つはずだ。少なくとも、()()()()()()()()()()()()()鍵を付けたままのウィンド・ビークルを放置したりなんかしない」

「………そんな野蛮な乗り物になど乗らないわ」

「気が変わるかも知れない」

「変わらないわ。決して。――()()()()()()()()()


 語気を強め、少女は言い放つ。きょとんとラウルは不思議そうに目を少しだけ見開いた。


「どうやら()()()()()()は相当の頑固者のようだ。それに変わってる。空を飛ばないハイランダーなんて。……一度ちゃんと顔を拝見してみたいね」

「残念だけどそんな日は来ないし、()()はあなたと同じ種類の人間でもないわ」

「そうだろうね」と、ラウルは少し残念そうに言った。

「顔を合わせるには、俺とシェリルお嬢様とじゃ身分が違いすぎる」


 そう言ってウルフドッグⅡに鍵を残したまま、ラウルはくるりと踵を返した。そして立ち止まり、頭を掻く。


「――ところで……。応接室ってのはどっちかな?」


 教えられた通りに階段を上り、廊下を渡るとひときわ大きな扉に突き当たった。重い扉を押し開けると、広い部屋に二人の姿。キディともう一人はシャーロット家の使用人と思われる女性、二人のマキナに見据えられ、ラウルは本能的に少したじろいだ。


「遅いぜ、ラウル。長い小便だったな」


 座ると頭まですっぽり隠れるくらいの大きなソファに深く腰掛け、キディは振り返りもせず言い放った。決まり悪そうに、けれど顔色一つ変えずそっぽを向く。


「道を尋ねてたんだ。……迷っちまって」

「お前の方向音痴はもう病気だよ。……全く、地上じゃとことん役に立たねぇ奴だな。案内されなきゃトイレにも行けねぇとは」


 キディはイライラしたような口調で毒づく。

 その原因はおそらくラウルの帰りを待っていたからではない。彼女の目の前に無造作に置かれたスーツケース、そのスーツケースがどうして原形をとどめず焼け焦げているのかを思い出せば、すぐにそれがただの八つ当たりだと気付く。


「そもそも昼間っから酒なんかあおるからそういうことになるんだ、このアル中め」

「迎え酒っていう言葉を知ってるだろ? 送り迎えは紳士のたしなみだ」

「それで吐いてちゃ世話ァねぇな。反吐と一緒にその減らず口も吐き捨ててくりゃよかったんだ」


 不機嫌がコートを羽織ってマフラーを巻いている。この姿が本当のキディ・ガーネットだ。頬を染めたさっきのキディの表情を、ラウルはすぐに忘れることにした。


「訓練された使用人以外は迷い込む。きっとそういう作りになってるんだよ。強盗対策だ。さすがはシャーロット家だね」

「もったいないお言葉……、まさかお褒めにあずかるとは思いもよりませんでしたわ」


 答えたのはシャーロット家の使用人らしきマキナの女性。確かサルディーナという名だとシルヴィーナの話に聞いている。今回の依頼主――シャーロット家の当主――の代理人だ。


「……が、当家の邸宅にそのような仕掛けはございません。むしろ客人を招くためできるだけ簡素な家造りになっております」

「強盗のたぐいがみんなお前みたいな奴だったら世の中どれだけ平和だった事やら……」


 もはや呆れた口調でキディはつぶやいた。

 その視線をやや強ばらせ、使用人のサルディーナに向けなおす。ただそれだけのことで、もとより淀んでいた部屋の空気がピンと張り詰められる。


「それより話の続きだ。納得のいかない説明だったら、()()()()()()()()()()()()()()少々手荒な方法で分かってもらう。教えてもらおうか、どうしてあたしたちに嘘をついた?」


 単刀直入に、キディはどうして自分が不機嫌なのかを切り出した。

 依頼内容の虚偽は契約違反だ。おかげでキディもラウルも死にかけたが、問題はそこではない。それは、キディとラウルが保安隊から狙われる()()()()だということに所以する。

 もし仮に二人がしくじって保安隊に捕まるようなことがあれば、二人に依頼をしたシャーロット家はお尋ね者と()()()()()()()と見なされる。

 つまりこの依頼主はそのリスクを避け、偽物のスーツケースを利用して二人を囮に使ったのではないかという話だ。現に二人が保安隊と一戦交えている間に、本物のウェディングドレスは自前の私兵隊を使って運び込んでいる。それがキディの神経を余計に逆なでしていた。


「『囮』を運ぶのは構わない。それが依頼ならな。……だが、違った。お前はこれが偽物だとは一言も言わなかった。あたしが聞きたいのはね、言い訳じゃない。どう落とし前を付けるのかってことだ」


 キディが言っているのは面子の話だ。今回の一件でシャーロット家がエルモを信用していなかったことは明白だ。信頼がものを言うこの世界で、それは何よりも大きな問題だった。


「……答えを聞こう」


 その答え次第では血の雨が降ることになる。たとえ相手が貴族であろうと王族であろうと、それは変わらない。双銃カストルとポルックスはキディという名の法のもと火を噴くだろう。

 シャーロットはミレニア運送を馬鹿にした。誰かが馬鹿にすれば、別の馬鹿が真似をする。割を食うのはミレニアの運び屋だ。

 足を組み直したキディの腰で二丁の『抑止力』が揺れた。


「まずはお詫びを申し上げます。今回のことは代理人のわたくしまで話が伝わっておりませんでした」

「ハッ。言い忘れたってのか? 言い訳にしちゃ陳腐なもんだ」

「いいえ。当主様は初めから荷物が偽物であることをお伝えしないおつもりだったようです。……ざっくばらんに言いましょう。当主様はあなた方を信頼しておりませんでした」

「………言うじゃねぇか」

「失礼ながら、試されていらしたのでしょう。そしてあなた方は合格されたようです」


 さしものキディも憮然とし、いつもの軽口すら影を潜めた。サルディーナは淡々と続ける。


「あなた方は怪盗ブーケを退け、帝都レドラスティークの本邸から少なくともここカディーナまで運び遂げた。そのあなた方に改めて依頼をしたいと当主様は申しております。カディーナから婚儀の地、サドレアまで。残り半分の行程をあなた方にお任せしたいのです。……もちろん、今度は本物のウェディングドレスの運送を」

「………開き直ったってわけか」


 キディは鼻で笑ったが、目だけは笑っていない。


「分からないね。それこそ自前の私兵隊とやらを使えばいいだろう?」

「――それが、そうもいかないのです」


 サルディーナは。少し顔を曇らせた。


「知っての通り我がシャーロット家は親マキナ派の急先鋒であり、当主様も議会で強い発言力を持っております。それ故反マキナ派に敵も多く――」

「今に始まった話じゃない。結婚式を邪魔しようなんてケチな空賊風情に大袈裟すぎるぜ」

「――相手はただの空賊じゃない」と、ラウルは口を挟んだ。

「『怪盗ブーケの予告状』は口実に過ぎなかった。そういうことか?」


 サルディーナは静かにうなずき、キディに向き直った。


「聖騎士部隊が動いています」

「何?」

「何だって!?」


 ラウルとキディは一様に驚いて声を上げた。そしてサルディーナを睨み、キディは唸った。


「軍にも警察にも属さない王帝府直属の部隊だ。帝国の組織が、たかが結婚式ひとつ潰すために動いてるってのか!?」

「『たかが』ではありません。この結婚式はシャーロット、シュミット両家にとって、そしてすべての親マキナ派にとって大きな意味を持つのです」

「『シュミット』――。………そうか、シュミット家は王族だ。なるほど、彼らが親マキナ派に傾けば、政治が変わる」と、ラウルは唸った。


 だがその結婚式を邪魔しようという動きが水面下で起きている。それを阻止するために白羽の矢が立ったのが、運び屋『エルモ』だったというわけだ。


「あのドレスはシャーロット家に代々伝わる家宝、あれがなくては結婚式も挙げられません。次にドレスを狙うのはブーケのような空賊だけではないでしょう。今度は我々の私兵隊が囮となります。三つのチームに分け、三つのルートでサドレアへ向かわせる予定です。あなた方には別のルートで、本物のドレスを運んでいただきたい」

「……………話は分かった。それで――」


 静かに話を聞いていたキディは、ゆっくりと唇を割った。赤い視線が依頼主を射貫く。


「――そこまでコケにされて、あたしたちがその依頼を受けるとでも?」

「報奨金は三倍の額を用意しております。それにあなた方は断れない。そうでしょう?」


 意味ありげなサルディーナの言葉の裏にあるものに、ラウルはすぐ気付いた。なるほど、ミレニア運送がその依頼を断れない相手など、()()()を除いて他にいない。

 FANTOM局長、ガルニア・フォン・ティフェルヴァルト。彼のような大物が仲介をしている時点で気付くべきだった。

 ぎり、と歯軋りは横に座るキディの方から聞こえた。


「……分かっていると思うが、あんたたちは命の代わりにもっと大事なものを失った」


 そう、言葉にするならさしずめ『信頼』とでも言ったところか。

 誠意の代わりに圧力を、真摯な言葉の代わりに傲岸な態度で。そんな貴族の対応にラウルはもう慣れっこだったが、キディの性格がそれほど素直でないことも先刻承知だ。


「理解しております。ですが私たちにはそれ以上に価値のあるものを持っています」

「………金か? それとも地位か?」

「どちらでもありますし、どちらでもありません」


 サルディーナは厳然たる口調でそう告げた。しばらくその顔を睨み付けていたキディは、


「……条件が一つ」


 そのおっかない表情を一切崩すことなく注文をつけた。


「運び方はあたしたちが決める。……あんたたちの指図は受けない」

「結構ですわ。必ず送り届けていただけるのなら」

「必ずだ」間髪を入れず、キディは息巻いた。

「必ず運び届ける。どんな荷物だってな。あたしたちは、()()()()()だ」

 そう言って赤髪の乱暴者は席を立った。


***


 中庭に戻ると、鍵を差しっぱなしだったウルフドッグⅡはおとなしくそこにいて、持ち主の帰りを待っていた。当てが外れたか、とため息をつきかけたその時、無線機が鳴り響く。シルヴィーナからだった。


「………状況が変わったみたいだ、キディ」


 空で待つキディの背に追いつき、ラウルは店長からの言付けを報告した。


「サドレアには今、ただごとじゃない警備がしかれてるらしいんだ。帝国中の保安隊の半分が駆り出されてるって」

「なんだ、A級戦犯でも見つけたか?」


 キディは興味も無さげに笑った。


「いや、どうもその逆らしい。ルヴィの情報だと、近く極秘の首脳会議がサドレアで行われるらしくて。各地方の有力者、権力者、貴族がサドレアに集まる。……きっと街中検問だらけだ」

「なるほど。じゃあ、ありったけの武器を持って行かなくちゃな」

「………もちろん、冗談だよな?」

「じゃあどうしろってんだ。言っとくがあたしたちはお尋ね者だぞ。この街じゃポストマンとして黙認されちゃいるがサドレアの保安官なら問答無用で撃ってくるだろうぜ、このあいだみたいにな」


 その主たる原因はキディにあるのだと、そう言いたいのをラウルはぐっとこらえた。


「分かってるよ。だからルヴィは協力しろ、だって」


 キディは眉をひそめ、首をかしげた。


「協力? 誰と?」

「『ディーノ』だよ」


 ラウルはそう言ってウルフドッグⅡに跨った。

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