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ウルトラ・ガーネット ――花嫁の翼――  作者: 佐倉 いつき
第1章  セント・エルモ
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2.ミレニア運送

 白暦〇七五二年。世は斜陽の大鉄道時代――。


 蒸気機関が発明され、機関車はすぐに人間の『足』となる。やがて世界中の全ての街に鉄道が敷かれ、機関車で行けない場所はなくなった。今から遡ること二百余年、大鉄道時代の幕開けである。だがその大鉄道時代も、今や終わりを告げようとしていた。


 落日の始まりは内燃機関の発明と、五度に及ぶ凄惨な大鉄道事故。

 内燃機関によって生産が可能になった小型の乗り物――オートビークル――は徐々に世界中に浸透していき、交通のあり方に一石を投じる。石炭油という新しいエネルギー源を抽出する技術が確立されたことも大きい。

 そして何より決定打となったのは、約五十年前に起きたサドレアターミナル鉄道事故だった。未曾有の大被害をもたらしたその鉄道事故により機関車から離れた民心は、空さえ飛べるオートビークルへと移りつつあった。


 空飛ぶオートビークル――ウィンド・ビークル。

 その登場により空は鳥とマキナとドラゴンだけのものではなくなり、ヒューマンは次々に空へ飛び上がっていった。冒険者、旅行者、レーサーに空賊。そして世の流れに逆らうことなく、戦争もまた空という舞台に上がった。それでもまだ空は、選ばれた適合者――ハイランダーにのみ門戸を開く限られた世界だった。


 彼らもまた『適合者』の一人だ。


 運び屋(ポストマン)と人は呼ぶ。身動きを取れないとき、必ず運んで欲しいとき、自分では運べないとき。そんなとき、人はその荷を彼らに委ねる。

 彼らの名は『セント・エルモ』――ここカディーナの街に拠点を持つ空の運び屋だ。もしも彼らの力を借りたいなら、まずはカディーナの商業地区へ足を伸ばす必要がある。


 ――目印は、小さな赤いポスト。


 市内環状線に沿って西へ進めば、ランドマークと呼ぶには控えめすぎるそのポストと同時に、これまた宣伝をする気があるのか疑問の残る薄汚れた看板が目に留まるだろう。『ミレニア運送』と、ぶっきらぼうに書かれた文字が読めるなら、そこで間違いない。少しばかり看板が傾いているのはご愛嬌。立て付けの悪そうなくたびれた建物にも目を瞑って欲しい。見た目に気を遣わない類の人間なのだと思えばいい。そう、職人気質の熟練者たちがそうであるように。

 だから心配なんていらない。安心して、大事に抱え込んでいる『それ』を彼らに託すといい。これ以上ないってくらいに見事に、華麗に、完璧に、彼らはやってのけるだろう。

『一度承った荷物は、必ず送り届ける』

 それが彼らの、ミレニア運送の鉄の掟なのだから。


 ここはカディーナ商業地区D-23ブース。

 今にも崩れそうなおんぼろ事務所の中に足を踏み入れると、外見に反することなく見た目通りに薄汚れた小部屋が依頼人を出迎える。書類と伝票で溢れかえる受付を通り過ぎ、応接室という詐欺まがいの名がつけられた物置を横目に進むと、最奥に『STAFF ONLY』とペンキで殴り書かれたドアが姿を現す。

 フローリングの床をカツカツと鳴らしていたハイヒールを振り上げると、


 ――彼女は。


 その細い足でドアを蹴り開けた。

 ドアノブが弾け飛び、そしてまた事務所の要修理リストに新しい項目が名を連ねる。

 もちろん彼女の両手が塞がっているわけでもなければ、そのドアに『KICK ONLY』と書かれていたわけでもない。『O』の文字のちょうど真ん中に風穴を開けてみせたヒールを再び床に戻すと、彼女は不自然に笑って中の二人に声をかけた。


「ラウル、キディ、とりあえずそこに座りなさいな」


 言われるまでもなく冷たい床に正座で待っていた二人は、やにわに足を組み直して背筋を伸ばした。

 一人は黒髪のヒューマン。名をラウル・ラッセル・デ・ラ・シエロ。

 ミディアムショートヘアの優男だが、中身はその容姿以上になよっちく、小心者で頼りない。その上無口で無愛想で口べただ。争いを好まないと言えば聞こえは良いが、喧嘩ごとはからっきし。

 顔だけは悪くないので本人の意志とは裏腹に当社では宣伝部長兼マスコットキャラクターとしての役割を与えられている可哀想な男だ。


 長い三つ編みを揺らしてびくりと反応する彼の横で、もう一人のマキナは憮然として座っていた。

 生傷だらけの彼女の名はキディ・ガーネット。

 牙のように尖った八重歯はマキナの証だ。ぼさぼさの赤髪と粗暴な態度から勘違いされがちではあるが、もちろん、正真正銘の乙女である。喧嘩っ早い性格と乱暴な口癖を除けば、ではあるが。


 そんな彼女も、今だけは――格好だけのおざなりな態度ではあるが――ラウルに倣ってちょこんと正座をして声の主に従った。

 何より自由を愛するキディが規律に従い素直に言うことを聞いているのにはわけがある。それが、対峙するように仁王立ちするハイヒールの女性に起因するものだということに反論の余地はない。


 そう、()()は怒っていた。ただでさえおんぼろな店の備品(ドア)を感情にまかせて破壊してしまうほどに。


「ル、ルヴィ……。これには深いわけが――」

「喋ってもいいと。…………言ったかしら? ラウル」


 もとより小さなラウルの身体が一層縮こまる。

 本来ならばミレニア運送宣伝部長であるラウルの仕事なのだが、口を封じられてはできることもできない。不本意ながらラウルに代わってミレニア運送の少々破天荒な仲間(クルー)たちを紹介することにしよう。


 ミレニア運送は全部で五つのチームから構成されている。

 即ち、A<アリア>、B<ビアンカ>、C<チェレーザ>、D<ディーノ>、E<エルモ>の五チーム。それぞれ一人から数人で構成されている。依頼の種類によって派遣されるチームも異なるのだが、その管理を一手に担うのがそこで仁王立ちしている彼女だ。

 仏頂面を偽りの笑顔で隠し、彼女は、


「まぁた街をメチャクチャにしてくれやがっちゃって、もう。何度言ったら分かるのかしら、てめえらは。アホなの? 真性のアホ? それともレドリード語も分からないクソッたれのドアホなの?」

「……せ、選択肢がアホしかないよ、ルヴィ………」


 ルヴィ、ことアリア=シルヴィーナ・セヴン。チーム『アリア』リーダーにして、ミレニア運送の社長である。ミレニア運送の(あのやや心許ない)看板の下にあって彼女の言葉は金剛石より重く、硬い。


「毎度毎度請求書持って帰ってくれちゃって、誰が立て替えてあげてると思ってるのかしら。もうちょっとでもあなたたちの懸賞金が跳ね上がったら保安隊に突き出そうかと考えてたけど、どうも懸賞金が請求書に追いかないみたい。……言っている意味が分かるかしら?」


 ラウルの目の前で、木製のデスクがみしりと音を立てた。

 不幸にもシルヴィーナに掴まれたデスクは、毎度彼女の説教を喰らう二人のせいでもはや原形をとどめていない。これ以上デスクの悲鳴も聞いていられず、二人は二様にうなずいて応えた。


 他の誰にも頼めないいわく付きの荷物を運ぶ、いわば裏の仕事を専門とする荒事専門の空輸部隊。それがチーム『エルモ』である。

 それ故必然的に彼らの行為は法律に抵触する機会に恵まれ、保安隊からは目の敵にされている。従ってミレニア運送の中では一応非公式の運送チームなのだが、ミレニア運送に所属していることはこの街に住む者ならば周知の事実であり、つまり彼らに所以する損害賠償のたぐいは誠に遺憾ながらミレニア運送本社に負担していただく他ないわけで。

 要するにミレニア運送の事業主であり彼らの上司でもあるシルヴィーナは、やや婉曲的な方法でそれを伝えてくれようとしているわけで。


「仕事に戻りなさい、エルモ。次にまた街を壊したら、請求書ごと保安隊に突き出してあげるから」

「――し、仕事?」


 ラウルは恐る恐る首をかしげた。不機嫌そうに、キディが続ける。


「仕事なら終わったはずだよ、ルヴィ。そう、あたしたちはウェディングドレスを運ぶはずだった。帝都レドラスティークからはるばるこのカディーナまでな。けどそのドレスは偽物で、おまけに()()()()()()()()()()()()()()。非の打ち所のない、完璧な契約違反だ。相手が貴族じゃなきゃあ二度と結婚なんてできない身体にしてやるところだ」

「――キディ」と。


 諫めるようなシルヴィーナの鋭い視線も、このときばかりはキディの怒りを抑えることはできなかった。ふぅ、とため息を一つ、そしてシルヴィーナは腰に手を当て振り返る。

 彼女の視線の先、部屋の隅でひとりの男が壁にすがって立っていた。


 中肉中背の身体を高級そうなスーツに包み、肘を折った腕には二つ折りの外套と紺のハット。

 袖から覗く手は女のように白く、骨張った細い指がすらりと伸びる。頭には白いものが目立ち、本当は見た目よりも若いのかも知れない。眼窩は大きくくぼみ、鷲の嘴のように鼻が高い。

 その男は、ラウルもよく知る男だった。


「シャーロット家との契約はまだ続いてるわ。()()()()()()()()。……そうでしたわね、ティフェルヴァルト卿?」


 男は答えず、それが肯定の意であることをほんの少し肩を上下させるだけのジェスチャーで伝える。

 キディの反応はわかりやすかった。嫌そうな顔を取り繕うこともせず、口を尖らす。ティフェルヴァルト卿にではなく、彼女はシルヴィーナに喰ってかかった。


「胡散臭いぜ、ルヴィ。嫌だよ、奴ら何を企んでるんだか分から――」

「――断れると。………思っているの?」


 ぞくり、と二人の背筋に悪寒を走らせたのは、低く抑えられたシルヴィーナの諫言だった。


「それとも、もっといい仕事があるのだけど、どうする? 可愛い服を着て、可愛い仕草をして、可愛い声をかけるだけの簡単なお仕事。……うちの看板を背負って、ね」


 どこから取り出したか、フリルだらけの(彼女の趣味全開の)洋服を両手に、シルヴィーナは笑った。

 辛うじて笑顔と呼べる表情を少しばかり崩すと、マキナらしく尖った八重歯がシルヴィーナの口元で鋭く光る。是非もなく、二人は首を横に振った。


「物わかりのいい子で助かるわ。さあ、仕事に戻りなさい、エルモ。次にまた街を壊したら、請求書ごと保安隊に突き出してあげるから」


 とぼとぼと部屋を出て行く二人を見送って、シルヴィーナの視線は出入り口の傍に立つ男に向けられた。


「……これで良かったのかしら、ミスター・ティフェルヴァルト」

「ええ、十分ですよ、ミス・シルヴィーナ」


 我がもののようにソファにどんと座ると、ティフェルヴァルトは答えた。

 艶やかな三つ揃いスーツの胸元には趣味の悪い真っ赤なワイシャツが覗く。その胸の前でハットを手に持ち、男は慇懃に深々とお辞儀をするそぶりを見せた。


 彼はミレニア運送を構成する五つのチームの、どれにも属してはいない。

 連邦機人研究機関Federal Association for New Technology Of Machina――通称FANTOM。

 機人とは即ちマキナのことであり、マキナの生体・構造の研究とともに新たなる可能性の開発に日夜いそしむ科学者集団、というのが表向きの顔である。

 スーツの男、ガルニア・フォン・ティフェルヴァルトは、その国家機関の局長を務める男だ。


 FANTOMのことを理解するにはまず、『貴族』と呼ばれる人間(ヒューマン)たちの派閥争いについて知る必要があるだろう。その中心に、マキナという存在がある。


 この世界を動かす貴族たちは大きく分けて二つの派閥、即ち、反マキナ派と、親マキナ派に分かれている。

 古くより神話によって語られるように、ヒューマンとマキナは全く異なる生命体だった。ヒューマンとマキナは互いに力を与え合い、地上を制覇したとされる。そんな神話を真摯に継承し、復興させようとする親マキナ派に対し、反マキナ派はマキナの社会参画を恐れ労働階級として利用しようとする保守派である。


 親マキナ派の多くは敬虔な信徒であるが、中には逆にマキナを利用しようと考えるものも存在する。連邦機人研究機関FANTOMもそちら側の人間だ。

 近年マキナの配備が急速に進む保安隊内にも絶大な力を持ち、親マキナ派の貴族とも懇意であるため、彼の存在はミレニア運送にとって非常に大きい。時に法を犯すことさえあるミレニア運送は彼の庇護のもと任務を遂行することができ、それ故下げたくもない頭を下げねばならないこともある。


 シャーロット家は親マキナ派急先鋒で知られる貴族家の一つ。ウェディングドレス運送の依頼はティフェルヴァルトの仲介のもと行われたものだった。


「……本当に、何を企んでいるのかしら。私たちが断れないことをいいことに」

「なに、私は保険をかけているだけですよ。今回の結婚式、すでにいくつかの組織が水面下で動いている。我々にはそれが何か、まだ完全にはつかめていないが、政治さえひっくり返しかねない何かが、確かに動いているんです。そこに、我々の手で動かせる駒をひとつでも増やしておきたい。ウェディングドレスなど、本当はどうでもいいのですよ。それ以上の何かが、我々の手の届かないところで起こるかもしれない」

「それはあなたたち自身の手でどうにかすべき問題では?」

「鋭いご指摘で恐縮するね。我々の組織はどうも大きくなりすぎていて、デリケートな問題には手を出しにくくなった、というところでどうでしょう?」


 のれんに腕押しをするようなものだと悟ったシルヴィーナは、小さくため息をついた。


「何をお企みか知りませんが、あの子たちを危険な目に合わせるのだけは許しませんよ」


 シルヴィーナの笑顔の圧力に、だがティフェルヴァルトは平然と笑って見せた。


「当の本人たちがそれを望んでいたとしても?」


 一瞬垣間見えた感情を押し殺し、とはいえ一度消えてしまった笑顔を取り戻すことを、シルヴィーナはしなかった。代わりに凍てつくような無表情をティフェルヴァルトに向け、


「ミスター・ティフェルヴァルト。あなたの頼みとあらば聞かざるを得ないのが私たちミレニア運送です。あなたが望むならどんなに汚いドブの中にでも潜ってこの手を汚しましょう。ですがこれだけはお忘れなきよう。……私たちは、あなたの部下ではないし、駒でもない。噛み付く牙は、私たちのものであって、()()()()()()()()()()


「肝に銘じておきましょう」


 ティフェルヴァルトは形式だけのお辞儀で答えると、そのまま席を立った。


「手厚いもてなしをありがとう、ミス・シルヴィーナ。いい報告を待っていますよ」

「ええ」


 シルヴィーナの表情にはすでにいつもの笑顔が戻っており、


「また困ったときにはいつでもお越し下さい」


 彼女もまた丁寧に一礼して、来客を見送った。

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