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5.約束

『ステラ!』


 危うくそう、叫ぶところだった。

 臥せるステラの傍らに立つのはユーリ・ケルクハート。そうだ、五年前のあの日も、そこに立っていたのはあの男だった。

 ほんの一瞬、自分の知っているステラと姿が重なり、それでもそう叫ばずにいられたのは、後ろからすぐにルクスが追いついたからだ。


「動くな! 全員、そのままだ!」


 聖堂全体に響き渡るユーリの声を合図に、教会内を制圧した隊員たちが手近な人質たちに銃口を向ける。ルクスもそれに倣い、銃を抜いた。


「『夜鷹』――」

「そっちは貴様らだけか『黒猫』」


 メルがうなずくと、ユーリは状況を確認した。

 聖騎士部隊の損耗は二割程度。一部の隊員を残し、精鋭たちは退路の確保に向かった。あえて作っておかなかった逃走経路を確保すれば、あとはただの空賊であるという痕跡だけを残し逃げ去るだけ。

 刃向かう者などもう誰もいない。

 当然だ。人を顎で使うことしか知らない貴族に、空賊と渡り合う術などない。


 ――と、敵味方を問わずその場に居合わせた全員がそう思っていた。

 メルもまたそう思っていた。

 そして願っていた。これ以上何も起こらぬようにと。クラウス・シュミットの誘拐をつつがなく完遂し、他に誰の不幸も起こらぬようにと。

 万が一にもこの銃口が『彼女』の方を向くことがないようにと。

 だが、予期せぬ事態は、メルの願いを踏みにじるように起きた。


「わああああああ!」と。


 叫んだのは、ステラだった。

 手に持った燭台を振り回し、メルに向かって振りかざす。当然、彼女は相手がメルだとは知りもしない。

 誰もが恐れる空賊で、私兵隊を全滅させた人殺し集団だ。

 そんな得体の知れない無法者に素手も同然で立ち向かう。およそ良家の娘とは思えない野蛮で、無鉄砲な行為。その場の誰もが、わずかの間呆れたようにその光景を見ていた。


 だがメルは知っていた。

 ステラの正義感、そして、頭より先に身体が動く無鉄砲さ。その性格が災いし、五年前の事件が起こったのだ。


 変わっていない。

 だが、今は感傷に浸っている場合ではない。メルはほぼ反射的に燭台を受け流すと、流れるような体捌きでステラを背後から羽交い締めにした。

 それでもステラは反撃の手を緩めようとしない。

 来賓も、新郎も、部隊員でさえ唖然とする。


「離せえぇ! 私は、あんたたちになんか……!」


 それでもステラは大声を上げ、必死に抵抗を続けた。


「誰に銃を向けているのか、あなた、分かっているの!?」


 武器を捨て、守ってくれる私兵隊を失い、プライドと恐怖心に駆られて動けない貴族たちから白い目で見られながらも、ステラは必死に喚いた。

 身を守る術を何もかも失った彼女は、無我夢中で最後の『武器』の名を叫んだ。


「私は――。私はシェリル。()()()()()()()()()()()よ!」


 その()()は、ただひとりメルに対してだけこれ以上ない力を発揮した。

 ハッとしてその手の力を緩めてしまったのは、まだ自分の中に未練が残っていたからに他ならない。目眩がするほどの脱力感に耐え、だが彼女を拘束し続けるだけの力は残っていなかった。


 構わずステラは飛びかかる。

 その額に、メルは反射的に銃口を向けた。仮面に隠されたその表情が断腸の思いに歪む。胸が張り裂けそうに、痛い。ステラは一瞬だけ動きを止めた。

 そしてそのまま動かない。

 彼女と、銃口の間には一人の男が割って入っていたからだ。


「クラウス様!」

「……逃げるんだ、シェリル。君だけなら、逃げられる」


 まるでおとぎ話のお姫様を守る王子様のように、ステラをかばうクラウス・シュミットの姿があった。

 クラウスは恐怖を隠しきれない瞳を果敢にもメルに向けたまま、シェリルに向かって小さな告白をした。


「知っているよ、君が空を飛べることを。だって僕はこの目で見たんだから。君がこのサドレアの空を飛ぶところを」

「………………え……?」

「……ああ、あれはちょうど五年前のことだ。創竜祭のあの日、僕たちの目の前で飛行船が爆発した。陽気な街の空気が一変し、地上に残された誰もが絶望した。現実から目をそらすように両手で顔を覆い、誰もが諦めた。ただ一人、君だけを除いて。墜ちてゆく飛行船に向かって、君は……、必死に手を伸ばしていた」


 ステラは大きく瞳を見開いた。

 クラウスが言っているのは、五年前の飛行船事故のことだ。その頃のステラは身寄りのない孤児で、貴族とは縁もゆかりもないみすぼらしい少女で。

 だからクラウスが見たのは、平民の身でありながら空を飛び、その結果『空に墜ちた』天国中毒者の姿。その遍歴を知って、クラウスはステラに結婚を申し込んだというのか。


「まさか、………クラウス様――」

「隠していてごめんよ。()()()()()()()。……だけど君はシェリルだ。シェリル・シャーロット。君がそう名乗り、そして僕が恋し焦がれた、ただ一人の女性だ」


 銃声。

 そして悲鳴。

 その中にはクラウスのものも含まれていた。クラウスの下腿を貫いた銃弾は肉をえぐり、床に突き刺さった。純白の衣装に鮮紅の染みが広がる。


「茶番はそこまでにしてもらえる? 私はあなたたちのお遊戯を見に来たわけじゃないの」


 撃ったのはルクス。

 それでもクラウス・シュミットは引き下がらなかった。身もだえするほどの激痛に顔を歪めながら、震える唇を懸命に開く。


「こんな事を言うのは不謹慎かも知れないけれど、空を飛ぶ君は生き生きとしていて、綺麗だと思った。そんな君にね、僕は、恋をしたんだ。……嘘じゃない。もう一度あの顔が見られるのなら、僕は、……何だってする!」


 ステラが彼を選んだ理由が、メルには分かったような気がした。

 彼は正直で、まっすぐだ。彼の言葉に嘘はなく、今のメルとは何から何まで違っていた。

 貴族で、大人で、なのに、――どうあがいたって間違っているのはメルの方だった。


 銃声。

 そしてまた断末魔にも似た悲鳴が響く。問答無用で撃ったのはやはりまたルクスだった。

 同じ足の、同じところに銃弾が突き刺さり、血しぶきが飛び散る。


「もうやめてええっ!」


 血液とは別にステラの涙が数滴、教会の石造りの床を濡らした。

 ステラの強気な瞳にも涙がたっぷりと溜まり、潤んだ視線をルクスに向ける。割って入るように、メルはクラウスに寄り添うステラを見下ろした。


「抵抗すれば、殺す。おとなしくしていろ」


 誠心を込め、忠告した。

 これ以上は、危害を加えたくはない。すべてが上手くいけば、彼らを殺す必要性はどこにもないのだ。

 だがステラはそんなことで引き下がる女性ではなかった。瞳に浮かんだ涙を必死に堪えながら、先ほどまで以上に感情を昂ぶらせ、


「こ、殺せるもんか、私は、絶対に死なないんだから!」


 鬼気迫る表情。

 彼女はこう言っている。死んでも構わない。この婚約者を失うくらいなら、と。


 その時、ずっと沈黙を続けていた男が声を上げた。

 その顔に、メルは見覚えがあった。同時に懐かしさがこみ上げて胸が苦しくなる。


「も、もうよすんだ、狼藉者たち。ここは神と、龍の御前だ。無益な殺生は、何も生まない!」


 及び腰で、だが敢然と神父はそう言い放った。

 声は情けなく震えているが、普通の人間ならこうはいくまい。見ず知らずの貴族のために命を張ろうなどという奇特な人種が、聖職者の他にそうそういるものではない。

 この場にいる大多数の大人たちと同じように小さくなって助けを待つだけだ。

 老いた神父は跪くと十字架に向かい、祈った。


「どうか神よ、龍よ、せめて良き日を迎えた夫婦を守り給え……!」

「………神父様!」


 唯一の望みに救いを求めるように、ステラは神父にすがりついた。

 だが、そんな言葉一つで刃がおさまるほど状況は甘くはない。メルは神父の元に歩み寄り、その胸ぐらを掴んだ。さりげなく隊員たちの銃の射線上に身体を割り込み、この老神父に鉛玉が撃ち込まれないようにしながら。

 五年分歳を取って老けた神父の顔が苦痛に歪む。

 それでも、メルはやめなかった。


「……神父様。あんたの言ってることは正しい。僕たちは悪人で、罪人だ。こんな場所にはふさわしくない」


 神父は神に捧げる祈りの言葉を止めた。その言葉に、聞き覚えがあったからだろう。


「だけどね、神父様。()()()()()()()()()()()()()()()()()


 メルの放ったその小さな声は、神父の細い瞳を大きく見開かせた。


「――お、おお………、何と言うことだ。そんな……、まさか、お前は………!」

「あんたのことは嫌いじゃない。だけど、これが僕の仕事で、僕の生き方なんだ」

「まさか……メ、ル――?」


 メルの手が、神父の意識を奪う。

 メルは昨日ステラにしたのと同じように風を操り、神父を気絶させた。気を失う直前の神父の声は、メル以外の誰にも聞こえはしなかった。


「――ああ、メル。お前、に。………龍の加護の、あらん、ことを………」

「神父様! ああ、神父様! ……どうして、こんな事を……!」


 駆け寄ったステラの瞳は怒りに満ち、メルを見上げる。そしてあらん限りの大声で断じた。


「あなたなんか、……あなたなんか、だいっ嫌いよ!」

「――どいて、メル。こいつは邪魔だ。もう殺そう」


 ルクスがずいと前へ一歩出る。

 任務の合間に見せる子供のような口調も、笑顔も、今はない。冷徹で、忠実な、暗殺者の思考。視界に入った蚊を叩き落とすくらいに自然な動きで、ルクスはステラに銃を向けた。


「よせ、ルクス!」

「こいつはあれよ、自分はいつだって守られてると勘違いしてるの。啼いて喚けば誰かが助けてくれると。……あははっ。……幸せなお嬢様だわ」

「……『白兎』、無駄なおしゃべりはやめろ」


 コードネーム『夜鷹』――ユーリがルクスに注意する。

 だがルクスは一向に構わず続けた。


「けれど見てごらんなさい、私たちに反抗しようって馬鹿はあなた一人。他はみんな腰抜けばかり。誰があなたを助けてくれるのかしら?」

「ま、守って……守ってくれるわ…! だって、約束したもの……!」

「へぇ……」

「もう抵抗はよせ、()()()


 たまらず、メルはステラにそう告げた。


「お前を助けるものなど、()()いやしないんだ」

「………来るわ。あなたのような卑劣な男と一緒にしないで!」


 強がりとは思えない。確信に満ちた表情でメルを睨み付けた。

 その一言で、ルクスの堪忍袋の緒が切れた。激昂し、声を荒らげ、床を踏みならしてステラに迫る。


「どいて、この女は私が殺す」

「よせ!」


 と、メルの制止の影でステラはとうとう命乞いの言葉を漏らした。


「…………た、助けて――」

「そうよ、お嬢様。命乞いなさい。助けを呼んで、許しを請うて、そして………死ね…!」

「……………………たすけて」


 メルの鼓膜にもわずかに届く程度のか細い声で。

 ステラは。


「お願い、助けて……。……………()()……!」


 ――銃声。


 ルクスの放った銃弾は、射線上に割り込んだメルの左肩にめり込んだ。


「どう、して………?」


 信じられない、とその瞳が声にならない声を上げている。

 ルクスの銃口の向く先を阻むように両手と翼を大きく開き、メルはステラの前に立ちはだかった。そのメルに、待ってましたとばかりに一斉に銃口が向けられる。


「やはりな。……お前はうさんくさいと思ってたんだよ」

「馬鹿な奴だ。組織に刃向かうとは……」


 銃口を向ける同僚たちは次々に冷たい言葉を吐きかける。

 その中の一人が一歩前へ踏み出した。


「どういうつもりだか知らないが……。そこをどけ。今なら見なかったことにしてやる」


 命令したのはユーリ。

 彼は十七分隊の隊長で、その命令は王帝府の命令と等しく力を持つ。

『抵抗すれば殺せ』という命令に従ったのはルクスだ。それを妨害したメルの行動は命令違反と見なされても仕方がない。


 メルは、大いなる葛藤に揺れた。

 次に命令に逆らえば、もはやメルに弁解の余地はない。その瞬間からメルは組織の敵で、国家の敵だ。反逆者と人は呼ぶ。だが、もしも命令に屈することがあれば、その時は――。


 ――ステラの命はない。


「…………僕は――」


 葛藤など無意味と知った。

 足りないのは覚悟だった。

 きっと守ると誓った、五年前の約束はまだ生きている。そのためだけに生きてきたのだ。迷いなど、はじめからない!


「僕は………!」


 相手は聖騎士部隊、第十七分隊。誰も知らない、最強の部隊。

 覚悟は、決まった。

 メルは、うつむいたその瞳をゆっくりと上げ――。


 ――その時。


 ステンドグラスを粉々に砕いて一台のウィンド・ビークルが現れた。

 まるで時がスローモーションで進んでいるかのように、舞い散るガラスの欠片、振りまかれる青白い光の粉、燃えさかる炎のような緋色のマシン、そして、黒髪の三つ編みポニーテールが揺れるのを、皆一様に仰ぎ見た。


 一拍遅れて悲鳴がアンサンブルを奏でる。

 けたたましいエキゾーストノートをかき消すようにぐしゃりといやな音を立てて十字架の左腕をもぎ取り、その一瞬後に石畳に叩き付けられる。着地と呼ぶより墜落と呼んだ方がふさわしいかも知れない。

 火花を散らしながらなおも滑り続けるマシンは、祭壇にぶつかってようやく止まった。

 誰もが息を飲む中、マシンの翼が開き、よろめきながら一人の男が這い出てくる。死んでいないのが奇跡のようだと、そこにいる誰もが思った。


 一番に駆け寄ったのは、やはりステラだった。


「どうして来たの!? そんなに傷だらけになって、何しに来たのよ!?」

「――それは、ね」


 ぼろぼろに擦り切れた作業服、血まみれの顔面。

 左足を引きずりながら、それでも男は少年のように無邪気に笑って、言った。


「君を捕まえて、奪い去るためさ、……赤ずきんちゃん」

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