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ウルトラ・ガーネット ――花嫁の翼――  作者: 佐倉 いつき
第1章  セント・エルモ
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プロローグ

この物語に目を留めていただきありがとうございます。

ハードボイルド(っぽい)異世界ファンタジーです。

細かいことは気にせずに、深いことは考えずに、斜め読みで読み流して、飽きたらぽいっと、そんな感じで読んでもらえると幸いです。

楽しんでいってください!

 例えば牙のように突き出した八重歯だとか、背中に生えた鋼鉄の翼だとか。違いを挙げればいとまがないけれど、それでも私たちは信じていたんだ。

 どんなに形が違っていても。

 どんなに距離が離れていても。

 いつかきっと一緒になれるって。逃げ出さなくても生きてゆける日が来るんだって。

 ――それはきっと私たちがまだ、生まれたばかりの子供だったから。


『……大人は嫌いだ』


 潮風に濁った大気をどろり溶かして燃える太陽が、そう言った彼の横顔を眩しく照らす。風は凪いで、雲は霧散し、彼は、振り返った。


『この世界は、……もっと嫌いだ』

『……うん』


 私は答えた。この世界の裏も、表さえも知らずに。無知を隠すようにそう、答えたんだ。


『だけど、こんな醜い世界だけど、この場所だけは好きだよ』


 幼い私がそう答えた理由を、彼は知っている。

 街外れの荒野に、その場所だけ花を咲かせるシーフラワー。その青い花々に囲まれるように十字架を掲げた教会で、私たちは育った。窓の外に咲く『空の花』という名の青い花が、私はとても好きだった。だから私は、その花が咲き誇るこの場所が好きだったんだ。


『きっと守る』


 それは私のことを言ったんだろうか。それとも、私の好きなこの場所の事だったのかしら。


『結婚しよう。僕らがまだ大人になる前に、――そう、今から五回目の僕らの誕生日、この場所で。きっと』


 そう、私たちは揃って無知で、無垢で、この世の理を何一つ理解しちゃいなかった。けれど、だからこそ願ったんだ。望んだんだ。叶わぬ想いだということさえ知らずに。

 私たちは――。


『迎えに行くよ、()()()。きっと、必ず……!』


 ――約束したんだ。


***


 長いレッスンの時間が終わった。

 ヴァイオリンの弓を静かに置くと、シェリル・シャーロットは家庭教師に別れを告げ、レッスンにしか使わない大きな音楽室を出た。広すぎる屋敷の長い廊下を早足で歩き、寄り道せずに自分の部屋へ戻る。夜の会食の準備を始めるまでの十分足らず、ようやくほっと息をつける。長い一日の中で、この時間だけはシェリルだけの時間だ。

 部屋に戻るとまず、くみ置きの水差しで窓際の花瓶に水をやった。花の名はシーフラワー。同じ色のスカイフラワーとは対になる花。花言葉は一対で一つ。


『交わることのない想い』


 窓から見えるあの水平線と同じだ。接しているように見えて、決して交わりはしない。海と空とは、本当はこんなにもかけ離れている。

 マリンブルーの花弁に水滴が玉のように浮き、シェリルはそれを指で払った。その指の根で光る婚約指輪は、もう間もなく結婚指輪に取って代わることが決まっていた。

 窓の外はすっかり闇夜のとばりに包まれていて。

 暗転した空をぼんやりと眺め、星の瞬きにわずかに心を奪われた。


「あ――」


 窓の外で何かが閃く。

 レースのカーテンをそっと開いたその先で翡翠色の光が一度、瞬いた。そして二度、三度。天蓋に佇む明星に光量で勝り、だが危うげに明滅するそれは、切り裂くように夕闇を横切り、遅れて爆音の残渣がシェリルの耳に届いた。ヴァイオリンの音色に比べれば乱暴で、粗造で、下品な奏で。遠く、彼方。流星のように現れた()()は、なのにシェリルの心を捕まえたまま、その正体を現した。


『流星』の名は、――マキナ。


 シェリルたちヒューマンとは祖先を異にするもうひとつの『人間』だ。生体金属に覆われたボディは光沢に包まれ、光を放つ一対の翼が彼らを飛翔種たらしめる。独自の文明を持つことはないが、ヒューマンの文化に溶け込み、順応し、ヒューマンとともに食物連鎖の頂点に並び立つ。


 空にマキナ、地にヒューマン。

 それはこの世界が争いと混沌に満ちるより昔から続く、変わらない景色だ。


 漆黒のキャンバスに碧色の光の線を架けるそのマキナは、何かに追われるように飛んでいた。こんな静かな夜に空を騒がせるのは()()()()か、そうでなければ()()と相場が決まっている。どっちにしたって物騒なことに変わりはないが、どうやら彼の者は後者のようだ。

 その背後には赤い光が数個、光の糸に引かれるように追走している。

 こちらは紛れもない原動機(エンジン)の咆哮。

 ウィンド・ビークルと呼ばれるそのマシンは、ヒューマンが空でマキナに対抗しうる唯一の手段だ。空を飛ぶその乗り物(オートビークル)を操っているのはこの街の保安官だろう。ウィンド・ビークルの編隊は、一度散開したかと思うと時間差で進行方向を限定し、糸が絡み合うように包囲した。

 胸がざわめき、目を奪われている自分に気が付いた。

 大きな瞳は瞬きひとつすることなく光の舞踊(ダンス)を追いかけ、浅い呼吸が余計に胸を苦しめる。彼女の心を捉えて離さないのは、捕り物の行方なんかではない。


 急加速、急旋回、急降下。風を切って空を駆けるその感覚を、

 ――シェリルは知っていた。


 空を飛んだときの、目眩がするほどの恍惚感と、空に堕ちる感覚。

 一度空へ舞い上がれば、何も聞こえない。誰も、彼女を止めることはできない。行く手を阻むものなど何もない大空で、飛ぶも墜ちるも彼女の気まぐれ次第。


 シェリルの心は、すでに空を飛んでいた。ヒューマンのシェリルに翼はないけれど、代わりにウィンド・ビークルというマシンがあり、そしてその先にはどこまでも続く、大空。時間も空間も捻れて歪んだ世界をそれでも飛び続け、――だけどいつも、そこで終わる。

 決まって同じ記憶(ヴィジョン)が網膜にはり付いて剥がれないのだ。


 ――巨大な炎を纏って墜ちる飛行船。真っ赤に燃えさかる炎と身を焦がすような熱気。

 だがしかし、何故だかいつもそこから先へ進めない。揺れる炎を見つめ、立ち尽くすことしかできなくて――。


「――お嬢様」


 びくり、とシェリルは肩を大きく跳ねさせた。


「危ないですわ、お嬢様。空賊に狙われます」

「サラ……! ノックくらい――」

「しましたわ、お嬢様。それこそ、扉が壊れるくらい」


 部屋の入口で虚空をノックするように右手を上げて見せ、サルディーナは笑った。

 彼女はシャーロット家使用人の一人。護衛を兼ねたシェリルの専属侍女であり、使用人の中ではただ一人のマキナだ。女性とはいえ『機人』マキナ、ノック一つで扉どころか大木の一本や二本倒しかねない。とてもそうは思えないほど細く白い腕が伸び、窓をそっと閉じた。


「そ、それでも……! 私が応えるまでは入ってこないでって何度も――」

「そうしていたら今頃お嬢様はあの()()()が墜ちるまで私を閉め出していたでしょう?」


 むぅ、とシェリルは口を尖らす。もう十七になるというのに子供じみた、だがサルディーナ以外の侍女には決して見せない彼女の素顔だ。思わずサルディーナは苦笑いを浮かべた。


「ではこうしましょう。ドアをノックするところからもう一度やり直しますので、今度は開けてくださいね。少々強く叩きすぎて扉と蝶番が仲違いをするかもしれませんが……」

「い……! いい、いいよ、サラ! 分かった、私が悪かったから……!」


 背を向け、部屋を出ようとするサルディーナをシェリルは慌てて制止する。それを聞いてサルディーナは振り返り、いたずらっぽく笑って見せた。


「それでは改めて。……『お邪魔します、お嬢様』」


 まったく、いつもこの調子だ。シェリルはため息をついてうなずいた。

 少女の名はシェリル・シャーロット。西海岸では知らぬ者のいない名士シャーロット家の一人娘だ。そこらの三流貴族ならその姿を一目見ただけで手を差し伸べる前に跪くし、屈強な軍人たちだって命じられるまでこうべを上げようともしない。シェリル・シャーロットとはそういった人物であり、またそうであらねばならないらしかった。

 その中にあって、サルディーナの言動はやはり異質なものだった。

 彼女は何事も恐れない。失敗も、罰も、そしてシェリル自身のことも。だからこそシェリルは、彼女にだけは自然体でいられた。

 それは、シェリルにとってとても幸せなことだった。


「今朝、シュミット家から連絡が」


 着替えの用意をしながら、サルディーナは口を開いた。

 シュミット家は婚約を交わした伯爵家の名だ。途端にシェリルの表情がこわばった。


「……クラウス様はなんと?」


 サルディーナは首を力なく横に振った。婚約者クラウス・シュミットの回答は、どうやらシェリルの期待に添えるものではなかったらしい。


「婚儀は延期しないと。日時も場所も、変更はないそうです」

「そう……」


 シェリルは自嘲気味に笑みを浮かべた。サルディーナは慌てて笑顔を作り直す。


「まだ可能性はありますわ、お嬢様。予告状の相手はあの『怪盗ブーケ』です。あのウェディングドレスさえ()()()()()婚礼の儀は執り行えません」

「だけど、その『ブーケ』を退けられる自信があるんでしょう。だから延期をしないって」

「――クラウス様は凄腕の()()()()()を雇うそうですわ。式の行われるサドレアの街までドレスを運ばせるのだそうです。当主様もシャーロット家の私兵隊を使って最善を尽くす、と」

「……ぽすとまん?」とシェリルは首をかしげた。


 やれやれ、とでも言うようにサルディーナは肩をすくめてみせた。そしてポケットから一枚の紙切れを取り出す。四つ折りにされた紙には、殴り書きされた宣伝文句。


『生モノから巨大コンテナまで、何でも運びます。愛と信頼のミレニア運送。ご用命の際はカディーナ商業地区D-23ブースの赤いポストまで』


「運び屋ですよ、お嬢様。この街の人間なら知らない者のいない乱暴者ですわ。………奴らは空の運び屋――『セント・エルモ』」


 サルディーナはチラシ紙をひらりとシェリルの手から奪って眼を細めた。


「――『嵐の夜、青白い光とともに、奴らは現れる』」

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